第109話 ミゼット過去編13

 スタートと同時に先行したのはやはり『絶対女王』だった。

 コンマ一秒の遅れもない、最高速度での加速スタート。

 乗っているレアボート造船ギルド製の機体『クリアウィング』は、ターン型の機体なのだが頭一つ抜けたその技量で、直線型のボートにすら先行する。

 他のレーサーたちも超一流揃いであるため、本来なら彼らとて近いレベルのスタートを切れるだろう。

 しかし、今は『エルフォニアグランプリ』の本戦。その一年の集大成のレースだ。この状況ではフライングをしたら十秒停止のペナルティが課されるという危険はあまりに大きすぎる。エリザベスのように100%成功できる技術を持っているか、よほどの無謀では無い限りは無理だろう。

 そして、彼らは一流であるがゆえにリスク管理にも敏感だった。そのため、どうしても普段より余裕を持ってのスタートになってしまう。

 ホームストレートを二位よりも半身以上リードして進むエリザベス。

 すでにここ七年見てきた勝ちパターンに入った。

 このまま、ミスのない最高効率の走りで一度も差を縮めさせずに走り切るのである。

 それはもう、エリザベスが決してミスをしないという生き物が操縦しているとは思えない前提にたてば決まりきった未来だった。

 機体の性能に大差がない以上は物理的に追いつけないのだ。

 ……普通の機体では。


 後方から、ギュオオオオ!! という本来の龍脈式加速装置ではありえない濁った噴出音聞こえる。


 観客たちが歓声を上げる。


「来たわ!!」

「そうだ!! あれが見たかった!!」

「はええ!! やっぱり常識はずれだぜ!!」


 最後尾から猛追するのはイリスと『ディアエーデルワイス』。

 常識を捨て去った六つの魔石式加速装置による、馬鹿げた加速力がマジックボート界の常識と諦めを押しつぶしながら、『完全女王』との差を詰めていく。

 その凄まじい暴れ馬に乗るイリスの走行姿勢は、驚くことに非常に安定感があった。

 高くて安定しない出力と直線型を突き詰めたような軽量なボートが生み出す揺れを、たゆまぬトレーニングによって鍛えた筋力で見事に抑え込んでいる。

 生み出されたパワーは少ないロスでボートを前進させ、先行するボートたちを抜き去っていく。

 それはまるで「諦めているお前たちに用はない」と、語っているような走りであった。

 目指すべき目標は唯一。

 ホームストレートも終わりが近づいた頃、とうとうイリスはその目標の後方2mまで迫った。


「待たせたわね。さあ、勝負をしましょう」


 イリスは前方を走るエリザベスにそう言った。

 しかし、等のエリザベスは。


「……まだ、勝負にはならないと思いますよ?」


 振り返ることもせず平然とそう言って、ターンポイントに突っ込んでいく。


「くっ!!」


 一方イリスはターンを曲がり切るための減速を開始した。

 もちろん、予選と同じくコレまでよりもかなり減速のタイミングは遅かったが、それでもエリザベスには比べるべくもない。

 減速しながらイリスは前方を見る。

 エリザベスはまだ速度を落とさない。

 まだ、落とさない。

 まだ。

 まだ。


(……まだ、落とさないの!?)


 普通のレーサーだったら、とっくに曲がり切ることが不可能な段階に来ている。

 そしてターンポイントに設置されたコーンにボートの先端が重なった瞬間。

 エリザベスは一気に減速し、体をターンする方向に曲げた。

 美しいまでの走行姿勢のまま、全くボートの暴れに逆らうことなく柔軟に遠心力を殺して小さく旋回していく。


「……くっ!!」


 一方イリスは必死でボートを傾けながら、外に吹っ飛ぶように大きく膨らんでいく。

 残念ながら『ディアエーデルワイス』はこういう曲がり方しかできない。いや、本来はこういう曲がり方すらできないのだが、イリスの力と技量によってなんとかその難行を成し遂げていると言ってもいい。

 そして、二人が曲がり終わった後の差は一目瞭然だった。

 方や大幅に減速しながら大きく外に膨らんだイリス、方や最小限の減速で最小限の膨らみで曲がり切ったエリザベス。

 その差は、再びスタート直後と同じくらいに開いていた。


「……凄い」


 イリスにとっては観客として何度も見てきた『完全女王』の走りであるが、こうして目の前で見るとその圧倒的さが分かる。


「でも!! 上等よ!!」


 イリスは再び直線の加速姿勢を取る。

 やはり直線ではイリスに分がある。

 みるみるエリザベスに迫っていくが……。


(くっ、今度はカーブ!!)


 イリスは仕方なく減速する。

 連続の急カーブである。『ディアエーデルワイス』が最高速で突っ込んだら、さすがに制御しきれない。

 一方エリザベスはほとんど最高速で突っ込む。

 そして巧みに減速と加速を駆使して、まるで直線を走るかの如き速度でカーブを駆け抜けてしまう。

 そして、カーブを走り終わった時には、再びその差は最初と同じ。

 いや、僅かだが開いているくらいだった。


「……そう。結局何も変わりません」


 完全なる水上の女王は、孤高の先頭で一人そう呟いた。


   □□□


「……エリーのやつは相変わらずやな」


 妹の愛称をミゼットは呆れた様子で呟く。

 会場からため息が漏れていた。

 それは改めて突きつけられた現実に対してのものだ。

 彗星のごとく現れた挑戦者、イリス・エーデルワイスは早い。

 『ディアエーデルワイス』という異常な機体を乗りこなしここまで女王の走りについてこれるのはたぶん彼女だけだろう。

 他の参加者をすでに引き離し始めていることからそれは間違いない。

 だがやはり、単純にエリザベスのほうが少しだけ速いのだ。

 実際に予選のタイムは一つとして、エリザベスに勝っていない。誰よりも迫ったが超えてはいないのである。

 そして、この女王はミスをしない。

 それが現実。

 悲しいまでの現実だった。

 この後もほんの少しづつだが差は開いていくだろう。

 よって、どれだけ迫ろうが結局追いつけないのだからエリザベスにとっては、後方で大きく遅れを取っている者たちと同じ。ただ、彼女は前だけ見て自分の完璧な走りをすればいいだけだ。

 まさしくそれはエリザベスが言ったように「結局勝負にはなっていない」ということである。

 現実は残酷で、どこまでも当たり前であった。


(……せやけど、可能性はあるで)


 ミゼットはそれでも勝算はあると思っている。

 勝ち筋は一つ。

 それはこのまま粘ってエリザベスについていき、ミスを誘うことである。

 『完全女王』はミスをしない。それは当然のことであると、皆が思っている。

 しかし、ミゼットはそういう常識をそうやすやすと信じ込むほど、人のいい性格をしていない。


(そもそも、エリザベスには今まで自分の走りについてこれるやつがおらんかった)


 『完全女王』の完全性は、そもそも敵すら意識する必要がなかったという部分もあるだろうとミゼットは考えているのだ。

 イリスは僅かに巡航速度で遅れているが、それでも直線の度に後ろに張り付くまで追い上げる事はできる。

 『エルフォニアグランプリ』本戦は十五周勝負。その間に何かしらのミスが起きればそこから付き崩せる可能性は十分にあった。

 問題は……。


(イリスちゃんの集中がもつかどうかやな……)


 『ディアエーデルワイス』に乗っているせいで分かりにくいが、実はイリスもかなり操縦ミスは少ないレーサーである。本来なら最後までミスをせずに十五週回るのも不可能ではないが。


(こうなると不安との戦いやな。プレッシャーに飲まれて焦ったら負けや)


「イリスちゃん、先行は許しとるがええ感じやで」


 ミゼットは通信機で前向きな言葉を投げかける。

 それに対してのイリスの返事は。


『でも、このままだと勝てない。良くて相手のミス待ち……そうでしょ?』


「それはそうやが」


『アタシはどうしても今年勝たなくちゃならないわ』


「イリスちゃん、それは……」


 そう。イリスには今年優勝しなければ『ディアエーデルワイス』の要である魔石式加速装置に規制をかけられてしまうという現実がある。

 優勝機体に規制をかけるのはさすがに有力貴族たちも難しいだろうが「危険な機体を使っても結局勝てなかったのだから」という名目があれば、奴らなら強引にでも規制を通してくるだろう。


「……あまり、意識しすぎるのは良くないで。無理はぜずじっくり様子を伺って」


『大丈夫よミゼット』


 通信機から聞こえてきた声は、焦っているとか強がっているとかそういうものとは程遠く。


『大丈夫……見てなさい。アンタの作った機体であのすスかした天才に泡吹かせてやるわよ』


 どこまでも強い熱意に満ちたものだった。

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