第107話 ミゼット過去編11
「……バカな」
ロズワルド大公は唖然とした様子でそう言った。
そうなるのも無理はないだろう。
一つ前のレースまでは『エルフォニアグランプリ』に出場する選手の中ではよくて中の上。超一流たちには大きく及ばないはずだったのだ。
それがたった今、この一度の走りで魔力血統が誇るマジックボートレーサーの最高傑作たる、エリザベスに肉薄するタイムを叩き出したのである。
「ほら、言ったとおり用意をしておいて良かったろう?」
一方ロズワルドの隣に立つ、第一王子エドワードはそれほど驚いていない様子でそう言った。
「……エドワード様は、こうなることを予想していたのですか?」
「別に、具体的に予想していたわけではないさ。ただ僕は計画を立てるときは、何かが起こる前提で立てるんでね」
エドワードは厳格なまでの『魔力血統主義者』ではある。
だが同時に血統に恵まれない者たちを必要以上に侮らないという、現実主義的な目線も持ち合わせていた。
卑しい血の連中ほど、自分たちのような恵まれたものに勝つために執念を燃やす。
それゆえにこちらの予想を超えてくることをやってくるかもしれないと考え、十分に警戒しているのだ。
だからこそ、エドワードはいくつも策を張り巡らせるし、そのためのリスクや投資をいとわない。
「いやはや、しかし私などエドワード様に比べれば考えが浅かったですな。事前に仕込んでおかなければ、さすがに明日の決勝には間に合わなかった」
「全くそのとおりだよ、大公」
エドワードはその長身でロズワルドを見下ろしながら、ズンと一歩迫る。
「君の理解が浅いせいで、もっとも単純な『開催直前に怪我を追わせる』という効果的な作戦が使えなくなってしまった。なぜだか分かるかい?」
ロズワルドはエドワードの圧力に額に汗を書きつつも、答えを思いつくことができない。
はあ、とエドワードは呆れたようにため息をついた後言う。
「今や本格的に『絶対女王』に対抗しうる存在として期待を持たれてしまったあの娘が今怪我でもしてみなよ。短命ザル共だけでなく皆が、来年こそは二人の戦いが見たいと思うだろうね」
「そ、それは……」
「ふっ、まあいいさ。レースに出た上で結局勝てないのかと思わせられればそれいい。もう一つの作戦の方は滞りなく行われるように頼むよ」
優雅な笑みのままそう言ったエドワードに、ロズワルドは黙って頷くしか無かった。
□□□
「ふう」
三周を走り終えたイリスは、コースから引き上げた。
どのタイムも一周目と殆ど変わらず、他のレーサーを大きく突き放すタイムだった。予選突破は間違いないだろう。
と言っても、自分が走る前に出ていたベストタイムにはどれも僅かに及ばなかったが。
「あっ」
選手控室の扉の前のベンチに、そのベストタイムを出した相手が座っていた。
『絶対女王』エリザベス・ハイエルフは会場の盛り上がりなどどこ吹く風と、メガネをかけて静かに本を読んでいた。
さすがは七連覇しているだけあって落ち着いているなと思う。自分など未だに予選を走った興奮の余韻が残っているのだが。
そんなことを思いつつ前を通り過ぎようとした時。
「……変わった走りをしますね」
ボソリと独り言のような口調でそんなことを言った。
「え? ああ、アタシの走り見てたのね」
「はい。最初の一周だけですが。定石に無い見たこともない走りでした」
「そ、そう」
なんというか、今まで遠くに感じていた最強のレーサーにそんなことを直接言われると、不思議な気分になってしまう。ただ自分と『ディアエーデルワイス』の走りが女王を驚かせたというならそれは単純に嬉しかった。
「予選ではアンタのタイム抜けなかったけど本戦では負けないわ。お互いいい勝負をしましょう」
イリスがそう言うと。
「いえ、それは無理だと思いますよ」
エリザベスは本から顔も上げずにそう言った。
「……はい? 無理?」
「はい。どうせ勝つのは私なので。私は恵まれ過ぎてますから」
「……」
「アナタの走りを見れば分かります。アナタはこの競技が好きで、きっとこの大会に強い思いを持って出ているんだと思います。でも、たぶん私が勝つと思います」
エリザベスの口調に嫌味さやこちらを挑発しようという感じは全くしなかった。
ただ、当たり前の事実を当たり前に言っているという感じである。
「私はマジックボートレースが好きなわけではありません。才能があるから乗れと言われて、王族たるもの一番になれと言われたから一番になっただけです。ですが、どう考えても私にはアナタより有利な要素が多すぎるので、いい勝負をするのも難しいんじゃないでしょうか」
「……」
イリスは空いた口が塞がらないといった様子でエリザベスを見る。
「人はこんな短時間で人をイラつかせることができるものなのか?」と逆に唖然としてしまったのである。
(……いや、考えてみればこの女はあのミゼットの妹だったわ)
どうやらハイエルフ家というのは魔力量だけでなく、口を開けば人をイラつかせる才能も持っている血筋のようだ。
イリスはズンズンとエリザベスの前に歩いていく。
そして、エリザベスの読んでいる本を取り上げてベンチに置いた。
「?」
本を取り上げられたエリザベスは、自分の目の前で仁王立ちするイリスの方を見て首をかしげる。
「聞きなさいこの失礼女王、アタシはアンタのこと嫌いだわ」
「……そうですか嫌われましたか。よく皆から「お前は口を開くと無自覚に敵を作るからあまり人前で話すな」と言われます」
「ええ、嫌いね。その余裕ぶった態度も、アタシよりも才能あることも、アタシがずっと憧れても届かなかったものに何度もなっていることも、それなのにこの競技が好きじゃないことも」
ただ……と前置きしてイリスは言う。
「アンタの走りは好きよ。綺麗だし、才能はあってもそれだけじゃなくて、アタシと同じでレースに全てを捧げて磨いてきたのが伝わってくるから」
「……まあ、他に興味があることもありませんので」
そう。走りを見れば分かる。この失礼女王は競技が好きではないと言いつつ……実際そうなのだろうが、とはいえ自分と同じで生活の全てをレースに捧げている。
だからこそ、イリスは観客として何年も見てきたエリザベスの走りが好きで同時に羨ましかった。
自分にはできない超王道の洗練された走法。
もし戦えるなら……と何度考えたかも分からない。
だから。
「アンタに興味なかろうと、アタシはアンタと決勝で走るのを勝手に楽しみにするわ。そして勝つ。絶対に。そんときはその無表情崩して吠え面かきなさい」
そう言い残してイリスは控室の中に入っていくのだった。
控室の中に入るとミゼットが待っていた。
「おおイリスちゃん。ええ走りやったで」
「ミゼット……明日の本戦だけど」
「おう?」
「ぜっっっったい、勝つわ!!」
「お、おう。気合入っとるのはええが、なんで怒っとるんや?」
□□□
「……」
残されたエリザベスはしばらく目をパチパチとさせて固まっていたが。
「変わった人ですね」
などと中々に自分のことを棚に上げたことを言う。
そして先程取り上げられて横に置かれた本を手にとって再び読み始める。
「……でも、やっぱり無理だと思いますよ。私の有利というのはレースの実力以前の問題もありますから」
エリザベスは一人そう呟いたのだった。
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