第106話 ミゼット過去編10

 さて。

 本日は『エルフォニアグランプリ』の当日。

 開会のセレモニーも終わり、いよいよレースが始まる。

 『エルフォニア・グランプリ』は予選と本戦の二日間に分けて行われる。

 初日の予選は、各選手が朝の9時から夕方5時までの間に自由に走りタイムを測定する。その一周のタイムの最も良かった記録の三つを足した数値を参照し、上位五名が決勝進出となる。

 いつ走るかは選手の裁量に任せているため選手たちは二つのタイプに大別される。

 早めに自分のペースで走ってしまって結果を出したいタイプと、他の選手の動きやタイムを見て目安を確認してから走るタイプである。

 イリスとミゼットは初参加ということもあり、後者の作戦を取ることにした。

 今走っているのは、前者の自分のペースで走ってしまいたいタイプのレーサーたちである。

 彼らの特徴として、大会常連の選手が多い。どれくらいで予選を通過できるか感覚でわかっているし、また順当に走ればその予選通過ラインをゆうゆうと超えることができる自信があるからである。


「要は、今走っとる連中は全員超一流ってことやな」


「ええ、そうね」


 ミゼットはコースを走り回るボートを見ながら、隣にいるイリスにそう言った。


「皆やっぱり上手いし強いわ。ちょっと前までいたマイナーレースの選手たちとは全然違う。ただ、その中でも……」


「ああ、まあアイツは別格やな」


 ミゼットの目線の先には、ボートを操る一人の少女がいた。

 手足が長くスッとしたスレンダーで完璧なバランスを持った肢体、透き通るような白い肌に華を添えるのは、エルフとしての純血を知らしめる風になびく混じりけのない鮮やかな金色の髪。

 エルフォニア王国第二皇女、ミゼットの腹違いの一つ下の妹にして、現在『エルフォニアグランプリ』七連覇中の『完全女王』である。

 その走りは、あだ名の通りまさに「完全(パーフェクト)」と言うべきだろう。

 一切の無駄が無い完全な効率を突き詰めた走法。それを何周しても、一切ミスすることなく安定して続ける技術力と集中力。それらを支えるハイエルフ王家の血を濃く受け継いだ証である膨大な魔力量。

  エリザベスが他のレーサーたちを突き放し悠々とゴールラインを切る。


「ラップタイム04:00:7か……」


 すでに自身の持つ『ゴールドロード』のコースレコード04:00:5に迫るタイムである。他のレーサーたちは四分ゼロ秒台に入ることすらできていない。コンマ一秒を争うこの競技で秒単位で他の選手と差があるのである。

 そして、そのタイムにも観客も選手たちもなんというか、慣れたものだった。

 エリザベスが一二歳でメジャーレースにデビューし、その歳に『エルフォニアグランプリ』を優勝してから今日までずっとこの調子である。

 ここ数年の『エルフォニアグランプリ』には、独特の雰囲気があった。

 一言で言えば……あきらめムードだ。

 優勝は『完全女王』でとりあえず決まり。見どころは二位争い。いや、むしろ予選レースで誰が本戦に残るかの戦いが一番見ていて楽しい、という者がかなり増えている。


(……まあ、気持ちは分かるんやけどな)


 元々『エルフォニア』は才能信仰の強い国だ。

 『魔力血統主義』は貴族たちだけではなく、一般市民にも根付いている。


(イリスちゃんが、この雰囲気に飲まれんとええが)


 そう思ってイリスの方を見ると。


「……ねえ、ミゼット。毎年観客として『エルフォニアグランプリ』は見てたから分かってはいたけど、やっぱり『完全女王』は凄いわね」


 そう言ったイリスの表情は……。


「……だから、アタシは勝ちたいわ」


 穏やかで、強い決意に満ちていた。


「……ははは、心配するまでの無かったか」


 そうだ、この少女はずっと「それ」と戦ってきたのだから。

 才能の壁、現実の壁、どうしようもないそれにどれだけ打ちのめされても、この競技を続け来たのだ。

 今更、圧倒的な才能を見せつけられたところで、そんなものは見慣れているという話だろう。


「そろそろ、アタシも行ってくるよ」


「ああ、せや。これ」


 ミゼットが手渡したのは網目状の金属で小型の魔法石を囲ったものである。

 フックがついており、耳に引っ掛ける事ができるようになっている。


「なにこれ?」


「通信機や」


「つうしんき?」


 ミゼットがもう一つ同じものを取り出し、そこに向けて話しかける。


『どや? ワイの声聞こえるやろ?』


 驚くイリス。通信機からミゼットの声が聞こえてきたのだ。


「イリスちゃんは、思念通信魔法を使う余裕ないからな。コレなら魔力を消費せずにレース中に情報交換ができるで」


「相変わらず、アンタって常識はずれよね」


 イリスはそう言ってピットへ向かう。

 その背中を見送っていると、通信機から声が聞こえてきた。


『いつも、アタシのためにありがとう』


「ははは、直接言ったらええやんけ」


    □□□


「……ホントにここまで来れるなんてね」


 イリス・エーデルワイスはピットに向かう廊下を歩きながら、一人そんなことを呟いた。

 もちろんこれまでだって、『エルフォニアグランプリ』に出るつもりでやってきた。練習も本番も全力を尽くさなかったことなど誓って一度もない。

 しかし、どうしても自分がそこに行けるイメージが沸かなかったのだ。

 それが、気づけばたった数ヶ月でその舞台に立っている。


「不思議なものだわ」


 イリスはピットに着くと、ボートを移動させるための台からボートを外しピットに浮かべる。

 そしてボートに乗り込んだ。

 操縦桿を握る。

 すっかり愛機となった『ディアエーデルワイス』は、それだけで体と一体化したような感覚になる。


「ふう……」


 イリスは大きく深呼吸をして瞳を閉じる。

 いよいよ自分は憧れた舞台を走る。

 

『イリスや……レースは楽しいかい?』


 思い出すのは懐かしい祖父の言葉。

 そして今日コレまでのこと。


   ■■■


 イリスが生まれたのは『魔力血統主義』のヒエラルキーでも上位に位置するホワイトハイド伯爵家だった。

 小さい頃からイリスはマジックボートに乗ることが大好きだった。

 初めは上手く乗れなかったが、誰よりも熱中して乗っているうちにいつの間にか自然と同じ歳の子たちの中では誰よりも上手くなっていた。

 本当に一日中乗っているものだから、幼馴染で一緒に将来はプロになろうと話していたシルヴィアに「イリスみたいな子が、一流になるんだろうねえ。私にはどうやら向いていないらしい。とてもそこまでの情熱は持てないよ」と言われたほどだ。

 スッパリと八歳でやめてしまったシルヴィアの思い切りの良さは、凄いなと思いつつも少し寂しかった。

 だが、イリスはそれでもマジックボートが好きだった。

 両親や家の皆は子供のレースではあったが優勝すると褒めてくれたし、何より元レーサーの大好きな祖父が嬉しそうにボートに乗っている自分を見ていてくれた。

 祖父はいつも言うのだ。


『どうだいイリスや。レースは楽しいかい?』


 それに対してイリスはいつも答える。


『うん。アタシ、レース大好き。大きくなったら絶対に「エルフォニアグランプリ」で優勝するからね!!』


 楽しい日々の楽しい夢だ。

 そう、小さいことはイリスは他の子たちと変わらずマジックボートを操作できていたのだ。

 実はイリスは生まれた時から魔力障害だったわけではない。

 『後天性経絡封鎖』。

 魔力の回路である経絡が成長の過程で塞がりながら成長してしまうという原因も治療法も不明の後天的な魔力障害である。

 去年大好きな祖父が死んだ悲しみも拭いきれていない九歳の時に、イリスはそれを発症した。

 ジュニアレースの途中で、急に魔力欠乏を起こし棄権したのである。

 それから、みるみるうちに魔力量は減っていった。

 それと同時に、今まで優しかった両親や周囲の自分を見る目も変わっていった。


 ああ、この子は違ったのね。

 このままでは我が血統に傷がつくな。

 かわいそうな子。


 そんなことを皆が言っているのが耳に入ってきた。

 そしてある日、父親がイリスに告げた。


「すまないがイリス、今日からホワイトハイド家の人間ではなくなってもらう事になった」


 隣にいる母親に助けを求めるように顔を見るが、母親は気まずそうに顔を背けるばかりだった。

 ……ああ、そうか。

 もう、この人達は自分の家族じゃなくなったんだ。自分に魔力障害があると分かったあの日から。


 家を出る日。

 コレまでは笑顔で話していた家の人たちが誰一人目を合わせようとしないのを見て、イリスは祖父が少し前に死んでいたのは、少しだけ救いだったかもしれないと思った。

 もし、祖父にまでこういう反応をされたら、今にも崩れそうな自分の心は間違いなく砕けて散っていただろうから。

 そして、イリスはホワイトハイド家から追放され生まれた時から名乗っていたファミリーネームを名乗れなくなった。

 残ったのは家が手配した平民街の外れにある古びた一軒家。これからは一人で生きていかねばならなかった。

 最初の夜、硬いベッドの上で一人横になっていると。


「……うぅ、ぐすっ」


 自然と涙が出てきた。

 家の事情だって分からないわけじゃない。この国の貴族社会では血統のブランドを守ることの大切さも幼いながら分かっている。

 でも、それでも最後は自分のほうが大切だと言ってくれる両親だと思っていたのだ。

 その幻想は儚く打ち砕かれた。

 自分は何もなくなってしまった。

 大好きなレースも、大好きだった家族も。

 そうして、数か月泣き続けた。家を出る時に持ってきた食料は途中で底をついたが、食欲もわかなかったので途中からは水だけ飲んでただ呆然としては時折襲いかかってくる喪失感に嗚咽を漏らす。

 ただ、それだけの時間を過ごした。

 泣いて泣いて、泣きつかれて。これ以上涙も声も出ないくらいに全てを出し切ったある日。


「……ああ、ボートに乗りたいな」


 ただ、純粋にそう思った。

 魔力障害が発覚してからはボートに乗らせてもらっていなかった。

 聞いた話ではここは祖父が練習場にしていた施設らしい。

 イリスは導かれるように、ボロ屋の隣りにある倉庫の方に歩いていき扉を開ける。

 その中にあったのは。


「ああ」


 古いマジックボートだった。

 祖父の乗っていたものだろう。名前は『グリフォンビート』。

 イリスは栄養不足で満足に動かない体を引きずりながら、なんとかボートを近くの湖まで持っていき水面に浮かべてその上に乗る。

 操縦桿を握って魔力を込める。

 すると……動いた。


「……ははは」


 ものすごくノロノロとした動きで、コレなら手で漕いだほうが速いのだが、それでもボートは動いたのだった。


『どうだい、イリスや。レースは楽しいかい?』


 祖父の声が聞こえた気がした。


「……うん」


 イリスは誰もいない夜の湖で一人誓う。


「おじいちゃん、アタシは絶対に『エルフォニアグランプリ』で優勝するよ」


 全てをなくしてしまった自分だったけど、この夢だけは絶対に諦めたくないと心から思ったから。


   ■■■


「……さて」


 イリスは目を開けた。


『出走します。32番。シルヴィア・ワークス、操縦者イリス・エーデルワイス、機体名「ディアエーデルワイス」』


「行くわよ」


 イリスは魔力を操縦桿に込めた。

 僅かなラグの後、一斉に点火する六つの魔石式加速装置。

 凄まじい加速力でピットを飛び出していく。

 フライングスタートの心配の無い予選レースでは、スタートから全力で加速する事ができる。

 会場から驚嘆の声が上がる。

 観客たちの中には、まだイリスの走りを生では見たことのないものも多い。

 間違いなく今大会ナンバーワンの加速力を見せ、ホームストレートを爆進していく『ディアエーデルワイス』。

 なぜだろう。なんとなくだが、いつもよりボートが暴れていない気がする。

 最初のターンポイント。

 いつもならかなり早めに減速を図るが。

 ああ、これはもう少し遅く減速できるな。

 そうイメージした通り、いつもよりも二メートルも遅れて減速したが、見事なターンを決めて曲がりきった。


「……」


 そこで、イリスは気がついた。


「うん。今日は調子がいいわ」


 調子がいいと言うか、今までなんとかしがみついていた感じだった『ディアエーデルワイス』を、ちゃんと操っているという感覚があった。

 前にミゼットがチラッと、自分がこの機体を乗りこなせるようになった時が『ディアエーデルワイス』の真の完成の時だと言ったが、それが今来たということだろうか?

 まあ、そんなことはいいか。

 だってこんなに気分がいいのだから。

 辛いこともあったけど、私は今こうしてここにいる。

 あの夢を誓った夜のあと、様子を見に来たシルヴィアがスポンサーを名乗り出てくれた。

 それからは必死でハンデなんて埋めてやると努力を続けて走り続けて。

 ニヤニヤした面倒くさい男との奇妙な出会いがあって。

 『ディアエーデルワイス』がコースを一周し、ゴールラインを切った。

 会場中がざわめく。


 掲示板に表示されたラップタイムは04:00:08。


 『完全女王』にあとコンマ一秒差と迫る凄まじい記録だった。


『ははは。最高やでイリスちゃん』


 無線からミゼットの楽しそうな声が聞こえてきた。


『さあ、後二周。今の感じで軽く予選突破したれ』

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