第101話 ミゼット過去編5

 さて、それから二ヶ月。

 本日はイリスのレースの日である。


「ミゼットのやつ、遅いわね……」


 レース会場の関係者入口前でイリスは少し苛立ちながらそう言った。

 前のレースの日。協力の約束をしたミゼットからイリスに言い渡されたのは、二ヶ月間ボートに乗ることを禁止。それどころか、魔力を使用することが一切禁止ということであった。

 当然その間のレースは全て欠場。

 ただでさえ貧乏な底辺レーサーの家計は凄まじくピンチになっている。

 まあ、ミゼットがそれを言い渡した理由も分かる。ボロボロになった魔力経絡を回復させようというのだろう。まあ確かに、その状態は機体に良くない。乗り換えることになったが『グリフォンビート』にはずっと無理をさせてしまったと申しわけなく思っている。

 そんなわけで、言われたとおり魔力は使用せず二ヶ月間基礎体力のトレーニングと休養に徹したイリスだったが……。

 それを言い渡した当の本人はというと、しばらくはイリスが本当に魔力を使わないか監視すると言って私生活までつきまとってきたのだが、三日前に「仕上げに入るから次に会うのは会場で〜」といつもの調子で言ってそれっきりである。


「なにやってるのよ。もう練習の時間終わっちゃったじゃない」


 イリスとしては初めて乗るオリジナルボートだ、できればレース前に合わせておきたかったのだが……。

 そんなことを思っていると、ようやくいつもの金髪とニヤケ面がやってきた。


「おー、イリスちゃん。今日も素敵やなあ」


「胸元ガン見しながら言われても一ミリも嬉しくないんだけど……」


 相変わらずふざけた男である。


「それで……間に合ったの?」


「当然やで」


 ミゼットは親指をグッと立てて言う。


「世界初、完全オリジナル。イリスちゃんのために一から設計された魔力障害者用レーシングボートや。今日この日、イリスちゃんはその乗り手として歴史を作るんやで」


   □□□


 マジックボートレースでは、レースの前に二つのチェックが行われる。

 一つはボディチェック。携帯用の魔法石など、レースにおいて有利に働くものを持っていないかを確認するためのものである。

 イリスは今回もいつもどおり一通りチェックされ、問題なしということですぐに終わった。

 が、時間がかかったのはもう一つの検査だった。

 機体検査。要は、出走するボートが規定を違反してないか? という検査である。

 コレも、ボディチェックとまではいかないが普段ならそう時間はかからずに終わるのだが、今回に関しては訳が違った。


「な、なんですかこれは……?」


 検査官が笑顔を引きつらせてイリスにそう言ってきた。

 それはコッチが聞きたいと、自分もつい先程このボートを見せられたばかりのイリスは言いたかったが黙っておくことにした。

 検査官が連絡をとり、他の検査官を三人ほど引き連れて隅々までチェックをしたが、確かに規定の範囲内であるということが分かり出走の許可が降りることになる。

 そして、滑車に載せたボートとともにスタート位置に移動するが、その間も他の選手たちにジロジロと見られていた。

 なんというか、勝てるレーサーではないため日頃からあまり注目を浴びてきてないイリスからするとひじょうに居心地が悪い。

 だが、もっと恥ずかしいことが待っている。

 全ての選手がビットから飛び出し、フライングスタートにタイミングを合わせるためにゆっくりと水面を進んでいく。

 会場中がざわついた。


 ――なんだ!? あの妙な機体は!?


 そんな声がイリスの方まで聞こえてくる。

 それもそのはずだろう。マジックボートは普通、背の低い卵型のボートの底に加速装置を取り付けたシンプルな形である。違いで言えば、直線型、バランス型、ターン型に分かれており少々形に差がある程度である。

 が、イリスが乗っているボートはもう形から違う。真っ赤に塗られたボディは直線型を更に縦長なフォルムにして、更にサイズは極限まで小型化したものである。さらにそのサイドには六つも樽のようなものが強引に取り付けられている。

 ある『エルフォニアグランプリ』を制覇したチームのメカニックは言った。


『マジックボートの形は芸術である』


 と。

 確かに効率的な走りを求めて無駄をカットしたマジックボートの造形は自然な機能美の魅力に溢れている。

 そして、イリスの乗る機体はまるでその自然な無駄のなさに逆らうかのように、セオリーを無視した『無理やり感』みたいなものを感じさせた。

 会場中から向けられる奇異の目。

 これはまだいい。これから起こることに比べれば、まだマシである。

 そして、拡声魔法を使った会場のアナウンスが流れる。


『四番。シルヴィアワークス、操縦者イリス・エーデルワイス、機体名「ディアエーデルワイス」』


「「……」」


 会場中が微妙な空気に変わり、向けられる視線にもなんとも言えない感じが加わった。

 今のイリスは、自分のために専用で作ったオリジナルボートに、自分の名前を入れ「親愛なる」などつけてしまっているちょっと痛いやつである。


(あのバカ、なんつー名前つけてんのよ……)


 ちなみに当の本人は観客席でイリスの方を見て。


「……(グッ)」


 っとウィンクしながらサムズアップしていた。

 あと、投げキッスもしてきた。

「……後で一発蹴り飛ばすわ」


 イリスはそう心に誓った。

 というか、この機体に乗るのは今が初めてである。

 一応、使い方は聞いている。

 この機体最大の特徴は、魔力を込めることで推進力を発生させるアクセルハンドル機能が、左右に搭載されていることである。

 通常は右側のハンドルにだけ加速装置の出力をコントロールする機能がついており、『ディアエーデルワイス』にも龍脈式加速装置はついている。

 だが使用するのは今のようにスタート前のゆっくりとした位置調整の時のみ。

 レースの時に使うのは、左側のアクセルハンドル。

 コレに魔力を込めることにより、機体の上面に取り付けられた六つの加速装置が起動するというのである。


『開始まで10秒……9、8,7,6,5』


 いよいよレースが始まる。アナウンスの声に合わせるかのように各ボートが加速する。

 しかし。


「おい、あの魔力障害者の乗ってるヘンテコボート、めちゃくちゃ出遅れてるぞ」


 そんな声が観客席から聞こえてくる。

 しかし、コレはワザとである。

 ミゼットから事前に「フライングスタートはかなり余裕を持ってスタートするように」と言われている。

 逆に言えば、言われているのは左右のアクセルの話とスタートの話だけである。

 ミゼット曰く、これだけ知ってればレースの中でイリスちゃんならなんとかなるやろ。

 とのことである。

 信頼を嬉しく思うべきか、説明が純粋にめんどくさそうだったように見えたのを非難すべきか……まあ、後者でいこう。

 ミゼットに叩き込む蹴りが二発に増えた。


『4,3,2,1……スタート!!』


 アナウンスのスタートと共に一斉に飛び出すボートたち。

「よし、行くわよ!!」

 イリスも最後尾で加速を開始する。

 次の瞬間。


 ドオッ!!


 という音と共に、六つの加速装置が一斉に点火した。


「うわ!!」


 これまで味わったことのない急激な加速に、思わず声を上げるイリス。


「す、すげえ加速だぞ!!」

「あっという間に追い上げてくる!!」


 観客たちの驚愕した声が会場に響く。

 そうなるのも無理はない。イリスの『ディアエーデルワイス』は、同じレースに参加している直線に最高特化した最新の直線型ボートよりも遥かに速いのである。

 それは、セオリーを無視した加速方式によるものであった。

 龍脈の力を一切借りない、ポン付けした加速装置による強引な超加速。龍脈の力の中に縛られる他の機体には決して出せない速度であった。

 が、そんな無茶苦茶な加速はそんなかっこいいことばかりではなく。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」


 かつてない方式で、かつてない速度で走るボートは、かつてないほどの揺れを搭乗者に提供していた。

 暴れ馬などというレベルではない。

 ただでさえ超加速力特化の形に、出力不安定の魔石を使った加速装置、もはや大嵐に飲み込まれている船の上にいる気分である。


(アイツ……なんてメチャクチャなもの作ったのよ!!)


 だがそのメチャクチャの分は、結果として現れた。

 ホームストレートから最初のターンに入る前までにイリスは、スタートで先行していたほとんどのボートを抜き去りあっという間に四位に躍り出たのである。

 『グリフォンビート』という直線型機体を使っても、魔力量のせいで最高速で劣ってしまっていたイリスからすればまさに別世界である。

 しかし問題は。


(というか、これでターンしろって言うの!?)


 元々全体として小さく不安定な形なのに、コレほどの馬鹿げた速度である。

 イリスは頭と経験を総動員して減速ポイントや舵を切るタイミング、重心の移動の仕方などを瞬時に算出する。

 減速のポイントは普段よりは少し早めに設定し、最初は少し大回りでもいいから安全にターンしよう。


(あと、約0.8秒後に減速を……)


 そう考えて込める魔力の量を調整しようとした時。


(……ッ!?)


 根拠は無いがものすごく嫌な予感がした。

 瞬時に魔力の配給をストップし、想定したタイミングよりも遅く減速を図る。

 しかし。


(は、反応遅すぎるでしょ!?)


 龍脈式加速装置でも魔力を込めてからの反応のラグの問題はあるが、『ディアエーデルワイス』はそれよりも遥かに遅い。

 だが、そんなことをいってもターンポイントは目の前。このまま曲がるしか無い。


「あああああああああああもう、くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 イリスは半分ヤケクソになりながら、体をターンする方向に倒し遠心力を殺していく。

 しかし、ボートは激しい水しぶきを上げながらみるみる膨らんでいく。


(アイツ絶対終わったら蹴り飛ばすから覚悟しときなさいよオオオオオ!!)


 イリスの怒りと執念のおかげか、『ディアエーデルワイス』はコースの壁に激突するギリギリでなんとか曲がり切った。


「……はあ……はあ」


 イリスはまだ最初のターンが終わったばかりであるというのに、全身から汗が吹き出し息が上がっていた。

 改めて思う。

 この機体は何もかもがメチャクチャだ。

 そもそも龍脈を使わないという型破りな発想、そしてそこから生み出されたのは魔石式加速装置を六個取り付けるという圧倒的に力任せな解決策。しかし、それは同時に操作のしやすさやターンでの安定性を著しく犠牲にすることになる。だが『ディアエーデルワイス』は嬉々としてそれを受け入れ、むしろ船型すら徹底的に安定性を捨て加速力に特化している。

 要は「どうせ不安定な魔石式だから、とにかく直線でぶっちぎりに速くしちゃえばいいじゃん」というコンセプトである。

 コレを作ったやつは頭がおかしいと言わざるを得ない(実物もしっかりおかしい)。普通ならこの最初のターンで観客席まで吹っ飛んでもおかしくない。


(……でも)


 イリスは感じていた。


(魔力が全然減っていない……)


 そう、普段のレースなら最初のターンの終了時点で僅かながらも自分の魔力の残量の減少を感じてきたイリスである。レースが終わる頃には禁忌指定魔法など使わなくても、魔力欠乏症になりフラフラになっていたのだが、今に関してはほとんど魔力の減少を感じなかった。

 と言っても、減っていないわけではないのだが、少なくとも龍脈式での走行とは天と地ほどの差があるということだ。

 ミゼットは言った。

 この機体はイリスのためのオリジナル機体だと。

 走っていて分かった。確かにメチャクチャなようでいて、しっかりとイリスというレーサーに合わせてこの機体は作られているのだ。

 魔力消費を抑えるための魔石式もそうだが、ターンの容易さをあえて犠牲にしているのはイリスが長身でウエイトはやや重め、そして筋力自体はかなり強くターンにおいては有利な体をしているというのとマッチしている。操縦に凄まじい技量が要求されるも、ミゼットが「技量だけなら圧倒的」と評したイリスの操縦技術を信頼してのものだ。

 だからそう。

 非常に不本意ながら。

 イリスというレーサーは感じ取れてしまう。

 この機体にあふれる、自分のことを想い、深く考え、真摯に勝ってほしいと願う製作者の気持ちが。

 正しくこのボートは「親愛なるエーデルワイス」に捧げる愛だと。

 イリスは観客席に目をやる。

 そこには、先ほどと同じくいつものニヤニヤした顔があった。


(……ほんと、なんなのよアイツは)


 協力してやるから乳を揉ませろ、などと言ってきた人間とこの機体に込められた深い愛情が一致しない。

 まあでも、それは後回しだ。

 とりあえず……。


「このレース、勝たなくちゃね」


 そう言いつつ、なんとなくだが勝てるという確信のようなものがあった。

 こんなことはいつ以来だろう。


(たぶん、こうなる前の……)


 とにかく随分前の記憶である。 

 イリスはいつも固く結んでいる口元を少し緩めながら、再び直線の加速に入るのだった。


 その日、イリス・エーデルワイスは暴れに暴れる『ディアエーデルワイス』をなんとか押さえつけながら完走し、マイナーレースではあるが公式戦初勝利を上げた。


   □□□


 ――三ヶ月後。


「……それにしても」

 イリスは自分の家で夕食を作りながら、横に開いて置いてある情報誌を見る。


『イリス・エーデルワイス、メジャーレース昇格!!』

『魔力障害を持つ人々の星』

『圧倒的型破りな走法に各選手驚愕』

『ご意見番、ラルフ氏、愛機を「あんなものはマジックボートではない」と痛烈に批判』

『貴族議会の議題にも上がるほどの話題性。「エルフォニアグランプリ」参加に期待!!』


 などと、いい記事も悪い記事も一面を使って、イリスとその愛機について様々な意見を述べている。


「ホントにメジャーレースに上がれちゃうなんてね……」


「ははは、だから言うたやんけ」


 テーブルの前のソファーにふんぞり返って座っているのはミゼットである。


「ところで、今日の晩飯何や?」


「……ホントに厚かましいわねアンタは」


 いつの間にかミゼットは自由に家に上がり込み、ご飯をたかるようになっていた。


「しゃあないやろ。意外にもイリスちゃん料理上手かったんやから。意外にも」


「二回も言わんでいいわ。これでも一人暮らし長いしね」


 しかしまあ、無料でメカニックとして協力してくれている手前、無下にはできない。

 なんというか、だんだんとこの男の思い通りになっているようでシャクである。


「でも、アンタ王子でしょ? こんなところで安い料理食べてないで、王城行けばもっと美味しいものいくらでも食べれるでしょ?」


「そりゃ、イリスちゃんの愛情が入っとるからな」


「入れてないわ」


 こういう軽口を叩いてくるのも、一人でいるとどうしても真剣に自分を追い込みすぎるイリスにとっては少しだけありがたかったりする。

 非常に腹立たしいことではあるが。


「……あとはまあ、アレや。あんまり贅沢すぎる料理よりはな、こういうのが好きやねん単純に」


 ミゼットはイリスの出した、ヘルシーで材料費の安い野菜のスープをスプーンですくいながらそう言った。

 少しだけ普段よりも真剣な顔だった。


「……とまあ、そんなことは置いといて。イリスちゃん改めてメジャーレース昇格おめでとう」


 しかしすぐ、いつもの調子に戻る。


「ええ、ありがとうね。これもアナタの協力のおかげよ」


「そして、おめでとう!! ワイ!!」


 手を叩いて大きくバンザイするミゼット。


「ああ、まあアナタの作った機体が結果を出したんだもんめでたいわよね」


「は? 何言うとるんや。オッパイに決まってるやろが」


「……オッパイ?」


 イリスはちょうど三ヶ月前のことを思い出し、自分の肩を抱いた。


「あ、アンタ、あの約束ホントにやるつもりなの!?」


「はあ? あっっったりまえやろお!!」


 そう、メジャーレースに昇格したらイリスの胸を揉ませる。その約束を確かに三ヶ月前にしたのだった。


「えー、まさかあ、イリスちゃんは、約束破るんですかあ?」


 ミゼットはワザと間延びしたようなふざけた喋り方で言う。


「あーあー、ワイはせっかくイリスちゃんに勝ってほしくてえ、頑張ってボート設計してえ、レースの度に調整したんやけどなあ。そうかそうか、ええんやで、ワイがここまでやったのもイリスちゃんのためを思ってやからな。あー、残念だなあ、ワイの一方通行やったかあ。ああいや、イリスちゃんは気にせんでもええんやで。ただ、可哀想な美青年が一方的に搾取されることになったってだけの話やから。良心が咎めたりしないなら、それでいいんや」


 全然いいと思ってないのがコレでもかと伝わってくる言い方である。


「……ホントに最低な男ねアンタってやつは」


 イリスは拳を握りしめながらそう呟く。

 どうしてこうも、肝心なところでアホなのか。

 感謝もしてるし一緒に過ごす時間は嫌いではなくなってきているのだ。こんな言い方さえしなければ、胸くらいは……。


「……はあ、でもそれがアンタだもんね」


 イリスは諦めの気持ちを込めたため息を一つつく。


「いいわよ。胸くらい触っても、でもさすがにコレ食べた後ね」


「ムシャムシャムシャ、ゴボボボボボボボボボボ」


「せっかく作ったんだからもうちょっと味わって食べなさいよ!! というかどんだけ触りたいのよアンタ!!」

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