第100話 ミゼット過去編4
「……ふう」
家に戻るとイリスは倒れ込むように椅子に座り込んだ。
「おつかれさん。水でも飲むか?」
そう言ってミゼットはコップに水を汲んでイリスに差し出す。
「……なんで、どさくさに紛れて家入ってきてんのよ」
「まま、そんな堅いこと言わずに」
「はあ……ええ、ありがたくもらうわ」
そう言ってミゼットからコップを受け取るイリス。
疲労が濃いのかミゼットに対する当たりもいつものようにキレがない。
「なあ、イリスちゃん」
「なに?」
「いつからこんな無茶するようになったんや?」
「……」
沈黙するイリス。
ミゼットはイリスの部屋を見回す。
モノの少ない部屋だった。
年頃の女の子らしい小物の一つもない。置いてあるのは最低限の家具、そしてボートの整備用の部品だけだった。
イリスという少女がどれだけストイックにボートレースに取り組んでいるかが伝わってくる。だからこそ、この少女があの危険な魔法をレースに使用したのが初めてとは思わなかった。
「……ルール違反ではないわ」
「そらそうや。誰も使おうとせえへんからな」
魔力の回路、魔力経絡に生命力を依存しているエルフにとってその損傷は命に関わる。
『界綴強化魔法』はまさにその魔力経絡に大量の毒を流し込むような魔法である。さすがにイリス程度の魔力で略式詠唱での使用であれば死ぬようなことはないが、確実に寿命を削ることになっているはずである。
ルール上使用が禁止されていないのも、エルフ族が長く生きることを尊ぶ種族であるため、大事な寿命をレースのため使うのがナンセンスという考えが一般的だからである。
イリスは力のない声で、しかし決意を込めて言う。
「言っとくけど、やめないわよ。アタシは『エルフォニア・グランプリ』で優勝するんだから……」
少女は確かにそう言った。
「それは、本気で言うとるのか?」
ミゼットはそう問う。
「今日のレース見て確信したが、確かにイリスちゃんの操縦技術は圧倒的や。技術だけ見れば冗談抜きでメジャーレースでも肩を並べられるやつは、一人を除いて心当たりが無いくらいや」
「当然よ。アタシは全てをレースに捧げているもの」
どんなにストイックな選手でもなかなかそこまで断言していうのは難しい言葉だが、イリスは確信を持って言った。
そんなことは言わなくてもミゼットには分かっていた。
このレースに関係無いものの一切無い部屋、本人も年頃の少女であるにもかかわらず一切飾り気はなく、一日一緒にいても寝てる時以外の大半の時間が近くの池で練習。
余った僅かな時間で、トレーニングかボートの整備、そしてマジックボートレースの情報誌を買っての情報収集。
そんな日々を冗談抜きでずっと過ごしてきたのだろう。
まさしく全てを捧げている。
「でも、マイナーレースですら優勝できない。そやろ?」
「……」
イリスは黙ってしまう。
そう、今こうしてこれだけ満身創痍になって寿命まで削ってもマイナーレースですら優勝を逃すのがイリスの現実。
そもそも、部屋には優勝すればもらえるはずの賞状や盾などが一つも無いのである。
いくら余分なものを持たない主義だとしてもレーサーなら一つくらいは思い入れのある優勝メダルの一つでも置いておくだろう。
おそらくだがイリスは一度も優勝してない。マイナーレースですら、一度も勝ったことがないのだ。
コレほど全てを捧げているのに、技術だけなら圧倒的だと言わしめるほどなのに。
それが第六等級。魔力障害を持つイリスという少女の悲しいほどの現実なのだ。
だが……。
それでも……。
「笑いたければ笑えばいいわ。私だって他人が同じことを言ってたらそうする。だけど、アタシはそのために生きてきた。だから……どれだけ不可能でも、アタシは……」
この少女の何がそうさせるのか、それは分からないが、そこにあったのは悲痛なほどの決意だった。
決して手の届かないモノに血だらけになりながら手をのばす、哀れな挑戦者。
が、しかし。
「いや? あながち不可能とは思わんけどなあ」
ミゼットはあっけらかんと、当たり前のようにそう言った。
イリスはしばらくミゼットが何を言っているのか認識できずに固まっていた。
が、しばらくすると。
「……なによ。おべんちゃらのつもり? それでアタシを喜ばせてまた胸触らせろとでも言うつもりかしら?」
不快感を顕にしながらそう言った。
イリスにとって、そんな程度の低い慰めは逆に侮辱である。
「事実をゆうたつもりけどなあ。まあでも、条件はあるで」
「条件?」
「せや」
ミゼットは自分のことを指差して言う。
「このワイがイリスちゃんのメカニックになることや」
「……そりゃ確かにアンタの整備士としての腕は認めるけど」
ミゼットはチチチと、人差し指を揺らす。
「あんなモノはまだだま序の口やで」
自信満々にそう言うミゼット。
「ワイの本領は『開発』。イリスちゃんの専用オリジナルボートを作る。魔力量が第六等級でも勝つことのできるボートを」
さらにミゼットは当然というような口調で続ける。
「さっきもゆうたが、イリスちゃんは操縦技術だけで言えば凄まじいものがある。禁忌魔法使ったとはいえ、それでも第六等級の魔力量で優勝争いまで食い込めるんやからな。そもそも魔力量が一定以上の人間のためにしかボートが作られていないという部分を直せれば……勝てるで。少なくともメジャーレースへの昇格くらいは屁でもないわ」
「……アンタは、なんでそこまでアタシしてくれるのよ」
「ははは、言うたやろ。イリスちゃんを愛しとるからやで」
これもまた当然のように笑顔で言うミゼット。
イリスは少しの間、その顔をまじまじと見つめていたが。
「なんか、アンタって不思議なやつだね。ただの馬鹿な変態かと思ったら、本当にアタシのためにそこまでやってくれるなんて」
「ははは、惚れた弱みやな」
また、そんなことを堂々と言う。
イリスは少し自分の顔が赤くなるのを感じた。
「なんだ、その……ありがとう」
「ああ。せやけどワイが協力する条件として二つ約束してほしい」
ミゼットは二本指を立てる。
「一つ。もう『界綴強化魔法』は使わないこと」
ミゼットはコレまでにないほど真剣な顔をして言う。
「分かっとるはずや、そんな無理がこれから続くわけがないこと。というか、もうすでに限界に近づいていることは」
「それは……」
「この前直したエレメントクリスタルの軸やけどな。あそこが歪むっていうのは普通は理論上ありえんのや。唯一可能性があるとしたら、普段から込めている魔力に強いノイズが走っている場合。簡単に言うと、何かしらで魔力経絡にダメージを負っている者の魔力を流し込み続けるとかな……」
「……」
イリスは黙ってしまう。
「短時間流しただけじゃこうはならん。すでに『界綴強化魔法』を使わないときでも、経絡に異常が出てる証拠やな。だが、安心せえ。もう、そんなものに頼らなくてもワイが勝てるようにしたる」
ミゼットは自分の小指をイリスの前に出した。
「だから約束してくれ。二度と『界綴強化魔法』は使わんと」
「……分かった。二度と使わないわ」
「おう、それがええわ。体は一つや。大事にな」
イリスとミゼットは小指を絡めて指切りをした。
ミゼットはその時初めてイリスの手に触れて気がつく。
なるほど。これはホントに凄い手だなと。
ある程度実力者になれば、握手の一つでもすればその人間がどれだけのことをしてきたか大体は分かることが多い。
その感覚で言えばイリスの女性でありながら傷だらけで皮膚がガチガチに固まった手は尋常でないものを感じさせた。
本当にマジックボートレースに全てを捧げて生きているんだろう。
「それで、二つ目の条件は?」
「ああ、それが一番重要なことなんやけど」
先程のことはかなり重要なことだった気がしたが、それ以上というといったいなんだろう?
身構えるイリスにミゼットは言う。
「メジャーレースに上がれたら、その見事なオッパイを好きなだけ揉ませてもらうということや」
「…………………………………………………………………………………………………………
…………………………………………………………………………………………………………
」
つい先程まで少し信頼の籠もっていたイリスのミゼットを見る目が、一瞬にして絶対零度まで冷え込んだ。
「ん、どないしたん? イリスちゃん?」
「……それがいちばん大事なことなの?」
「当たり前やんけ!!」
ミゼットは力強くそう言った。
「男の行動のモチベーションなんて八割くらいはオッパイやぞ。ちなみにワイは九割を超えとる」
ドヤ顔でそんなこと抜かす目の前のアホに。
イリスは眉をピクつかせながら言う。
「アンタをよく分かんないやつって言ったけど訂正するわ。やっぱりただの変態クズ野郎ね……」
「ん? ほんなら協力するのやめるか? いやー、残念やなあ。せっかく千載一遇のチャンスやのになー」
いつもどおりのニヤケ面に戻りそんな事を言うミゼットに。
「……ふん!!」
イリスは容赦ない蹴りを加えた。
「あべしっ!?」
さすがに鍛えている長身から繰り出される蹴りの威力は中々のものらしく、壁まで転がるミゼット。
「ええ、いいわよこの最低男。ただしアンタの言うとおりにしてメジャーレース上がれなかったら、もう百発はやるから覚悟しておきなさいよ!!」
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