第99話 ミゼット過去編3

 ミゼットが作業台に瓶を置いて酒を飲んでいると、イリスが帰ってきた。


「おう、おかえりイリスちゃん。汗に濡れてるところもめっちゃキュートやで」


 倉庫を出ていってから約二時間。かなりハードなトレーニングをしてきたのだろう、息が上がり服は汗でぐっしょりと濡れていた。


「まだ帰ってなかったのかよ……って」


 イリスはボートの方に目をやると、血相を変えてミゼットの方を睨んだ。


「ちょっと!! アンタなんかいじったわね!!」


「はて、なんのことやら?」


「嘘つくんじゃ無いわよ。工具の位置が変わってるし、接着液の量も減ってるじゃない」


 イリスは手近にあったハンマーを手に持つ。

 その表情は、それまでとは比べ物にならないほど苛立ちを顕にしていた。


「アンタね。つきまとってくるのはまだ許すけど、レースの邪魔をするのは絶対に許さないわよ」


「ははは、怒った顔も可愛いやんけ」


 ピキピキと青筋を浮かべるイリス。

 今にもハンマーを持って襲いかかってきそうである。


「まあワイをそれで殴るのも結構やけど……その前にイリスちゃん、加速装置起動してみ?」


「どういうことよ?」


「まあまあ、ええから。ワイがいじって変なんなったか確かめる必要もあるやろ?」


 ミゼットの言葉に訝しみながらも、イリスはボートの加速装置に魔力を送り込んだ。

 すると。

 コオオオオオオオオ、と。

 さっきまでとは打って変わって綺麗なエネルギー噴出音が倉庫に響き渡った。


「……嘘」


 イリスは呆然としてその噴出音を聞く。


「『グリフォンビート』からこんな澄んだ音が出るなんて……」


 『グリフォンビート』とはこの機体の名前だろう。

 龍脈式加速装置の調整の良し悪しは、噴出音で分かると言われている。

 できるだけノイズの無い澄んだ音が出ているほどよいコンディションである。

 しかし、経年劣化が進むたびにどれだけ調整してもノイズが大きくなってしまうものであり、この年季の入った直線型ボートも例に漏れず調子のいいときでもボート全体を叩くような、鈍い振動音がしていたものである。

 それが今では、まるで若々しく生まれ変わったかのように淀みなく力を発揮している。


「エレメントクリスタルの固定軸がずれとったんやな」


 かなり分かりにくい故障だったがミゼットが普段作っている魔法道具に比べれば、まだまだ単純なものである。

 まあ、レーサーもやりつつこのレベルの分かりにくい不具合を調整できる者は確かにほとんどいないだろうが。


「他にもちょいちょい劣化してる部分を調整して、まあ、ロートル機体やけど整備自体は丁寧にやっとったから、ワイの手にかかればこんなもんやな」


「……」


 イリスはミゼットの顔とボートを交互に見つめて、自らの手に持っているハンマーを見ると作業台にゴトリと置いた。


「なんだ、その……」


 頬を掻いて言いづらそうにするイリス。

 ミゼットはいつも通りのニヤケ顔で言う。

 

「礼ならいらんよ……オッパイ揉ましてくれたらそれでええ」


「そう……って、思いっきり要求してるじゃない!!」


「は? 当たり前やろ。ワイがオッパイのため以外に行動すると思っとんのか?」


「見直しかけて損したわ……」


 イリスは「はあ」と大きなため息をついた。


「まあでも……その、なんだ……」


 イリスは少し顔を赤らめると。


「礼は言うよ。ありがとうな……」


 照れくさそうにそう言った。


「……」


 ミゼットはその表情を見て。


(……なんや、真面目に可愛いやんけ)


 いつも険しい顔をしてムスッとしているが、こういう少女らしい顔もできるではないか。

 そう思ったミゼットだった。


「それで、レースはいつなんや?」


「え?」


「だから、レースやって。レーサーなんやろ?」


「……見に来るつもりなのか?」


「そらそやで。愛しのハニーのレースやぞ」


「アンタのハニーになった覚えはないわよ」


 イリスはそう言ったが、その後少し考えて。


「……でも、そうよね。メカニックなら自分の整備した機体の試合は見たいわよね」


 うん、と頷いてイリスは言う。


「分かった。一応関係者用のチケット持ってるからあげるわ」


「おおきに」


「せっかくこんなに完璧に整備してもらったんだから、恥ずかしくないレースしないといけないわね」


 イリスは強い決意の宿った目でそう言った。


   □□□


 さて、3日後。

 ミゼットはチケットに書かれている会場に時間通りにやってきた。

 会場は『スネイクパーク』。

 コースの特徴はその名の通り入り組んだ急なカーブと、多数のターンポイントである。とはいえ龍脈による水の循環は遅く水質も柔らかいため、走行難易度的には低めである。

 本来はメジャーレースも行われるコースだが、本日行われるのはマイナーレースだった。

 マジックボートレースには、メジャーレースとマイナーレースが存在する。

 マイナーレースはマジックボートレース協会が行っているもので、メジャーレースと違いスポンサーが付かないため、かなり賞金は少ない。

 マイナーレースで一定以上の成果を上げられた選手やチームがメジャーレースに参加できる。

 つまり、ここにいるのはまだ二流未満の選手ということだろう。

 そんな彼らとイリスは競うわけである。


   □□□


 昼を過ぎた辺りからレースは始まった。

 開始とともに加速スタートでスタートラインを駆け抜ける十機のボートたち。

 五番のイリスは絶妙なタイミングで飛び出した。スピードもきっちり最高速、フライングもしていない。コンマ一秒レベルの完璧なスタートである。

 すぐさま先頭に躍り出るイリス。

「おお、やるやんけ」

 しかし。

「……まあ、こうなるやろな」

 イリスは最初の大きなリードを徐々に詰められ、十五周のレースで残り四周までには二番手につけていたボートに追い越されていた。

 それは必然。理由はイリスが手首に黒いミサンガをつけた魔力障害をもつ魔力量第六等級のエルフだから。

 だたそれだけの理由である。

 相手が特別凄いということではない。一流やそれに近いレーサーはメジャーレースに上がっているのだ。マイナーレースの参加者は、一部のスターの原石を除いて二流未満の選手たちである。

 技量だけならイリスが劣っていることなど決して無い。

 しかし、魔力量が少ないイリスはレースの最後まで魔力を持たせるために魔力を節約して走る必要がある。

 そのせいで生まれる不利はいくつもある。


 最高速度が僅かだが遅くなる。

 魔力を大量消費する急激な速度の切り替えができない。

 体を守る防御魔法に割く魔力量を微細に調節し続けなければならない。

 身体強化に回す魔力がほとんど無いため、素の筋力でボートを操らなければならない。


 細かいものはもっとあるが、大まかに言ってもこれだけあるのだ。

 むしろ、これだけのハンデがあって終盤までトップを維持できたというのだから、技量そのもので言えばイリスは圧倒的と言ってもいい。

 だが、現実は素質無きものに残酷。

 すでに最終ラップでイリスは五位。トップとの差は15メートル以上ある。

 残るは『スネイクパーク』名物二百メートル長の超ロングホームストレートのみ。小細工などしようがない純粋な直線勝負。

 そもそも、最高速が僅かだが周囲より劣るイリスには絶望的だ。


「……ここまでやな」


 ミゼットがそう言った瞬間。

 イリスは一度目を閉じて深く息を吸い込んだ。


(……私に力を)


 その声がミゼットに聞こえたわけではなかったが、遠視魔法で遠目からその口元を見たミゼットは驚愕する。


「ばっ、まさか、イリスのやつ!!」


(私に力を、歯を食いしばり、血のにじむほど握りしめたこの手に掴みたい勝利があるから)


 今イリスが口にしているのは、ある魔法の詠唱である。


(『界綴強化魔法』、生贄演舞(サクリファイス・ゲイン)!!)


 その瞬間、魔力を察知する能力が高いものだけはイリスの変化に気がついた。

 魔力量が急激に向上したのである。


 『界綴強化魔法(かいていきょうかまほう)』。


 世界にたった三種類しかない禁忌指定魔法の一つである。

 名前の通り自然の力を操る『界綴魔法』と自らの体を強化する『強化魔法』の両方の性質を持つ魔法である。

 自然の中に存在する膨大な自然魔力エネルギーを本来なら火や風などに変換し敵を攻撃するのが界綴魔法だが、界綴強化魔法はそれを自らの体の中に取り込み能力をブーストする。

 その能力の上昇率は通常の強化魔法とは比較にならない。

 が、問題はその自然魔力エネルギーというのが人体にとって有毒であるという点だ。

 そもそも自然のモノは、そのままでは大半が人体には有毒なのである。

 例えば我々が普段飲んでいる水ですら、消化器官を通さずに直接血管に入れれば人体に甚大な被害を及ぼす。

 『界綴強化魔法』とはすなわちそういう毒を大量に自分の体に流し込むことで使用する代物である。

 人間族たちが使っても人体に甚大な影響を及ぼす危険な魔法だが、こと生命力を魔力経絡に依存しているエルフ族にとってはそんな程度では済まない。

 だが、大きな代償の分得られる力は凄まじいものがある。

 今回イリスが使ったのは、魔力をブーストするという単純な強化をもたらす魔法だったが。


 ゴオオオオオオオオオオ!!


 という唸りのような音と共に、イリスの機体が加速する。

 龍脈式加速装置は一定以上自分の魔力を送りこんでも最高出力が上がるわけではない。しかし、自然魔力エネルギーに関しては元々『龍脈』という自然魔力エネルギーを出力に変える装置であるため、一度人体に入れたものをアクセルを通して凄まじい量を一気に流し込むことで、最高出力を向上させることは可能である。

 ぐんぐんとスピードを上げて一人、また一人と前方のボートを抜き去っていくイリス。

 本来ならありえぬ速度にボートは暴れているが、見事に押さえ込んでいる。

 その口元からは、一筋血が垂れてきている。

 今まさに、全身に自然魔力エネルギーが毒のごとく回り、その体を傷つけていることだろう。

 凄まじい激痛のはずだ。今すぐにでもハンドルを離して転がり回りたいほどの。

 だが、イリスは歯を食いしばり耐える。その目に宿るのはゴールへの執念と狂気。

 そして……。


   □□□


 レースが終わったあと、ミゼットはすぐに選手控室に行く通路の横にある噴水の傍に行った。

 そこには。


「……ぐふっ、がはっぁ」


 レースを終えたイリスが土の上に膝をついて、地面に向けて吐血していた。

 言うまでもなく『界綴強化魔法』の代償である。

 魔力量が少ないイリスが略式詠唱で使用してこのレベルの負荷だ。どれだけ危険な魔法か馬鹿でもわかる。


「……はあ、はあ、はあ」


 何度もえづいて、息を乱しながら小さな水溜りができるくらいまで血を吐き出すと、ようやく呼吸が落ち着き始める。


「まったく、無茶しよるな」


「……ああ、アンタか」


 イリスは噴水の水で手と口を洗いながら言う。


「悪いわね。せっかく最高の調整してもらったのに……」


「……」


 そう、本日のレースの結果は二位。

 マイナーレースでは優勝者しか表彰台に上がらない。今頃、イリスの猛追をギリギリのところで逃げ切った相手は、マイナーレースながらも称賛と賞金を手にしているだろう。ちなみに魔力量は第二等級、第一等級がベストだが一流の領域に食い込める権利を持っている者である。

 一方、その資格がない第六等級の少女は、コレほどの犠牲を払っても地に這いつくばっている。賞金は出るのだが、マイナーレースの二着など控えめな生活しても数ヶ月で簡単に消えてしまう程度のものだ。


「立てるかイリスちゃん?」


「……ええ」


 イリスはふらつきながらも立ち上がる。


「肩貸したいとこやけど、この身長差やとな。ってなわけで」


 ミゼットはいつもの革袋に手を入れると、白い車体の車輪が四つついた馬の無い馬車が出てきた。後方には荷物を置くスペースがついている。


「……いや。それ、どう考えてもその袋に入るサイズと重さじゃないでしょ」


 呆気にとられるイリス。


「収納用の空間魔法や」


「一応これでも小さい頃は有名な魔法学院で勉強したけど、そこまで都合のいい収納魔法は聞いたことないわよ」


 ミゼットはいつもと変わらずニヤニヤしながら言う。


「当たり前や、ワイのオリジナルなんやから。ほら、助手席乗っときや。ボートはワイがとってきたる」

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