第93話 私は私のために

 リックとミゼットが駆けつけたのは、会場から少し離れたところにある病院だった。


「フレイアちゃん!!」


「ああ、リッくんだー」


 そう言って笑顔で元気そうに手をヒラヒラとさせるフレイア。

 だが、彼女がいるのは白いベッドの上であり、右足と左腕には痛々しく包帯が巻かれていた。

 どう見ても重傷である。

 隣にいるモーガンが沈痛な面持ちで言う。


「右足、左腕、どちらも複雑に骨折しています。首の方をやらなかったのは幸いでした。フレイアは……魔力量が少なく体を守るのに割ける魔力の量も最小限ですので……」


 マジックボートレースにプロテクターやヘルメットはない。レース中は持続力の高い強化魔法によって、緊急時の体への損害から身を守るのである。

 魔力量が多いほうが圧倒的有利なのは、このことも大きく関係していた。

 加速力自体は龍脈を使うので魔力量に左右されるわけではないのだが、魔力量が多ければこういった体を守るための魔法をなにも気にすることなく維持し続ければいいのである。

 それに比べて、魔力量で遥かに劣るフレイアは、走りながら体を保護するための魔力の量を調節し、少しでも節約しなければならない。

 仮に上手く節約したとしてもこの通り。

 使える魔力が少ない分、単純に強化魔法の強度が脆いのだ。普通の選手ならそこそこの怪我で済んだだろうが、フレイアの場合即死してもおかしくないという大怪我である。


「回復魔術師の方にヒーリングはかけてもらいましたが、それでも明日のコンディションには大きく影響するとのことです……」


 回復魔法は体の怪我を治すが、それで完璧に治ってはいやしまい、というものではない。

 一度体の損傷とともに壊れた魔力の回路、『経絡』と呼ばれるものの乱れはしばらく残るのである。

 普通の人間であれば、それは「体の芯から出る疲れ」として残る。

 生命機能を『経絡』に依存しているエルフ族だと、疲れだけなく幻肢痛や吐き気や麻痺などの体調不良として現れる。

 これだけの大怪我となると、今日中に体の損傷を治したとしてもコンディションが万全の状態で走ることは不可能だろう。


「フレイアちゃん、明日は……」


「出るよ」


 リックの問いを遮るようにしてフレイアは言った。

 モーガンが心配そうに言う。


「こんなことはわざわざ言うまでもないかもしれないけど、お父さんのために無理はしなくてもいいんだぞフレイア。確かにお前に優勝してもらうことで、参政意識を人々に訴えかけることができるが、それ以上に私はお前が大切なんだ……」


 実際、明日出場するとなれば『経絡』が不安定なところをおして出場することになる。

 そんな状態で、ただでさえ不安定なディアエーデルワイスに乗って、あの『グレートブラッド』を操る完全女王とレースをすることになるのだ。

 今日の最後に見せた走り以上に無茶をすることになるだろう。

 今回は大事には至らなかったが、今度もそうであるとは限らない。魔力量で劣る者にとってこの競技は、人並み以上にそういう危険と隣り合わせなのである。

 だからこそモーガンの言葉は、一人娘のことを思う父親として当たり前のものであったが。


「お父さんは関係ないよ。私は私のために走る」


 フレイアは決意の眼差しを誰もいない正面の空間に向け、一人語り始める。


「アタシが生まれたときに、お母さんは髪が黒かった私を見て泣いた。その後も『ごめんなさい、ちゃんと生んであげられなくて』って何度も謝られた。周りからも、ずっと魔力障害者として、ちゃんと生まれることができなかった人として扱われてきた」


「フレイアちゃん……」


「だけど、アタシにはボートがあった。魔力に恵まれた人たちにもボートレースなら負けない。レースだけは……絶対に負けたくない」


 フレイアは包帯の巻かれていない右手をグッと握りしめる。


「だから、走るよ。明日も絶対に走る。アタシは走るために『ちゃんと生まれてきた』んだから」


 その瞳には背筋の凍るような、強固な決意があった。

 が、しかし。


 バン!!!!


 とデスクを叩く音が病室に響いた。

 音の主はなんとミゼットだった。


「……なに言うとんねん」


 そう呟くと、フレイアの方に歩いていきその胸ぐらを掴んだ。


「馬鹿なこと言うてるんやないでこのガキンチョが!!!! お前、一人で生きてるつもりか!? その状態でレースに出て何かあったら周りがどう思うか少しは考えてみろや!!!!」


「ちょ、ミゼットさん!! 怪我人ですよ!!」


 リックがそう言って、ミゼットの手を押さえる。


「……アンタはどうなんや」


 ミゼットはモーガンにそう問いを投げかける。

 モーガンは少し黙っていたが、やがて落ち着いた、しかし強い決意を持った口調でこう答えた。


「私は……フレイアのやりたいようにやらせてあげたいです。この子の人生ですから」


「……そうかい」


 ミゼットはそう言うと、ゆっくりとフレイアから手を離す。


「……すまん。ワイが口出しすることやなかったな」


「いえ、フレイアを心配してくださり、ありがとうございます」


「ちゃうわ……そういうわけやないねん」


 そう言い残すとフレイアたちに背を向けて、病室から出ていった。

 リックはその背中を、少し呆然とした心持ちで見送る。


(ミゼットさんがあんなに感情的になったの初めて見たな……)


「ねえ、リッくん」


 そんなリックに、フレイアが言う。


「ワタシはやっぱり勝手かな……どう思う?」


「んー、そうだな」


 確かに、ミゼットの言うことも分かる。

 子供がいるわけではないが、心配になる気持ちも全くわからないわけではない。

 その上で。


「俺も今の生き方選ぶときに散々自分勝手したからなあ。まあ、悔いが残らないように生きるのが一番だと思うぜ。それに明日は俺がいるからな。思い切って自分勝手やりゃいいさ」


「……うん。ありがとう」


 フレイアはその言葉を聞いて、再び笑顔を作ってそう言うのだった。

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