第92話 血統の暴力

 エリザベス・ハイエルフ。

 エルフォニア王国第二王女にして、マジックボートレース界歴代最強と呼ばれるレーサーである。

 通算成績。

 マイナーレース優勝四回。

 メジャーレース優勝二三三回。

 『エルフォニア・グランプリ』優勝三十回(内二十回は連覇)、準優勝一回。


 数々のあまりにも華々しい成績を残しながら、二十年前に突如引退を宣言したときには『エルフォニア』全体に衝撃が走った。

 衰えたわけではない。引退試合となったその年の『エルフォニア・グランプリ』決勝では、他を寄せ付けない圧倒的な速さで優勝していた。

 その理由をエリザベスは詳しくは語らなかったが、一言。

 「これ以上、楽しくならないと思った」と言った。

 それがいったいどういう意図で放たれた言葉なのか、怪物である彼女の感覚など凡俗である人々には分かりようもないところなのだろうと、国民たちはどこか納得した。

 そんな怪物が。

 何を思ったか、今、この場に姿を現したのだ。

 ざわつく観客席には一目もくれずに、レースの女王は自らのボートに乗る。


 搭乗機体名は『グレートブラッド』。


 品のある金色に塗装された機体であった。

 キラキラと自己主張しすぎず、しかし高貴に輝きを放つその機体には『エルフォニア』王族であるハイエルフ家の紋章が刻まれている。

 船の形はやや他のものより大ぶりだが、フォルム自体は特に変わったところはないオーソドックスで王道な型である。

 その奇をてらわない形はフレイアの乗る「ディアエーデルワイス」とは対照的であり、その姿にこそ、この機体の設計思想が見て取れるようだった。

 すなわち……圧倒的な力で王道(アタリマエのこと)をすることこそが最強であると。


 王者が走り出す。


 エリザベスが乗るボートは龍脈の力を使いスムーズに加速していく。

 会場中から二種類の驚きの声が漏れる。

 一つはエリザベスの加速姿勢の美しさに対して。

 機能美と高貴さを併せ持ったような波の揺れにも一切揺るがされないその姿は、まさにそれだけで芸術の域に達していると言ってもいい。二十年ぶり人々の前で披露されたが、王者の絶対的な走行技術は未だ健在らしかった。

 そしてもう一つは……主に、ボートレースに詳しい者たちから上がっていた。


「……おい、なんだあれ。なんで、あのサイズであんなにスムーズに加速できるんだよ!?」


 マジックボートレースにおけるボートには、主に直線タイプとターンタイプ、そしてその間を取ったバランスタイプに分類される。

 直線タイプはとにかくボートの重量と面積を削り、加速力と最高速に優れる。

 一方、ターンタイプは少し大きめに機体を作り、最高速で劣る代わりにターンやコーナーリングにおいて安定して小さく曲がる事ができる。

 グレートブラッドは普通のボートよりも大きく、見た目からすれば明らかなターンタイプである。

 よって、直線では他のタイプの機体に遅れを取るはずなのだが……しかし。


「はっ、目立つ金ピカだな!!」


 グレートブラッドの後方から、少し遅れて同じ直線に入ってきたボートの乗り手がそう言った。

 ボートはロシナンテ商会の『グリーンドルフィン』。大きさはグレートブラッドよりも一回り小さい、直線型のボートである。それも、かなり豪快に重量やサイズを削るカスタマイズを施しており、直線での加速力はそもそもの加速方式の違うフレイアのディアエーデルワイスを除けば、おそらく今大会で最速である。

 実績もある強豪であり優勝候補だ。実際に二年前の『エルフォニアグランプリ』の覇者である。

 『グリーンドルフィン』は、後方から『グレートブラッド』を追いかけるのだが。


「……差が、縮まらない、だと!?」


 搭乗者は、驚愕と共にそう言った。

 同じ強さの加速機構をつけているはずなのに、自分より一回り大きい機体がほぼ同じ速度で走るという異常事態だった。

 とはいえ速度は同じ。差が詰まるわけでもないが引き離されるわけでもなかった。

 最初のターンポイントに差し掛かるまでは、そうだった。

 グレートブラッドは絶妙なタイミングで減速するとターンを開始。

 そして、当然のごとく安定したまま曲がり切ってみせた。

 後方から少し遅れて入ってきた『グリーンドルフィン』の半分以下の膨らみで曲がり切ってみせたのだ。

 その動きは、まさしくターンタイプの機体のそれである。

 実際グレートブラッドの形はそもそもターンタイプのものだ。原理としては小さなイカダよりも大きなイカダのほうが転覆しにくいから曲がりやすいという当たり前の話である。

 が、高速で何度もターンやコーナーリングをこなさなくてはならないレースにおいて「無駄に膨らむことなく安定して曲がれる」というのは、実質コースの距離を短くするのと同じくらい圧倒的なアドバンテージなのである。

 事実、たった一回のコーナーでグレートブラッドとグリーンドルフィンの差は2m近く開いてしまった。

 そして本来、ターンタイプの特徴はサイズが大きくなり重量が重くなり、最高速度や加速性能を落とすということとトレードオフなのだが、どういうわけかこのボートには直線での加速力とターンでの安定性という本来なら両立し得ないはずの能力が、共に最高レベルで備わっているのである。

 よって。

 当然のようにどちらか一方の能力に特化した機体は勝てない。もちろん両方のバランスをとった機体は単純に下位互換であるため勝てない。

 つまり……誰も勝つことができない。

 観衆たちは思う。

 まさか、グレートブラッドはかつてのディアエーデルワイスのように、これまでの常識とは違う規格の加速装置を搭載しているのではないか? と。

 しかし、ボートレース関係者。特にメカニックの人間たちはグレートブラッドのからくりに気づいていた。

 いや、からくりでも何でもない、理不尽なその「種も仕掛けもない理由」に気づいて、皆一様に拳を握りしめ悔しさに唇を噛み締めた。


「クソ……なんだよそれ、そんなのずるいじゃねえか!!」


 そう言って拳を近くのデスクに叩きつけたのは、シルヴィアワークスの整備士であった。

 彼はモーガン親子の苦労とこのレースにかける思いを深く理解していたからこそ、そうせざるを得なかった。


   □□□


「……ククク」


 第一王子エドワード・ハイエルフはエリザベスとグレートブラッドの登場に困惑する人々の様子を優雅かつ残酷な笑みを浮かべながら見ていた。


「我々の最後の仕掛けは、何も変わったことはしない」

 座っているのは観客席の最も眺めのいい位置に設置された王族専用の席である。会場に集まった多くの人々を見下ろせるこの位置は、あるべきものがあるべき場所にあるというのを表していて、なんとも気分のいいことだった。


「正々堂々、真っ向から貴族としての血統の力で押しつぶそうじゃないか。これで文句はないだろう、短命ザルの諸君?」


「なーにが、正々堂々やねん」


 エドワードは不意に背後から聞こえてきた声に、余裕の笑みを浮かべたまま答える。


「……ミゼットか。久しぶりだな」


 しかし、その声音は普段の表面上だけは優しいものではなかった。軽蔑と嫌悪を全く隠さないザラついたものであった。


「昔からアホ貴族丸出しの金満野郎やったが、さすがのワイも、ここまでバカバカしい金満作戦をかましてくるとは思わんかったで」


 もっとも、軽蔑と嫌悪を隠さないのはミゼットも同じであるが。


「ルールは破ってない、普通のボートよりも少々コストをかけて性能を上げてるだけさ。どこのチームだって同じことはやろうとしているだろう?」


「アホぬかせ。100%『ガオケレナ』製のボートなんて他が真似できるわけないやろが」


 そう。

 直線型とターン型の性能を同時に有する、グレートブラッドの正体は「機体の木材全てが、通常の木材よりも強度が高い上に軽量な超希少木材『ガオケレナ』によって作られている」というだけの話なのである。

 だからこそ、水面を広く捉えて安定するターン型の機体と同じ形をとっても「そもそも素材が他よりも軽い」という軽量化によって直線での加速も実現しているのだ。

 なんとも単純すぎる仕組みである。

 なんのルール違反もないし、技術的には誰でも真似できる。

 ただし、ガオケレナが同じ体積のプラチナ以上の価値で取引される、ということを無視すればである。

 こんな馬鹿げた資金のぶち込み方が、一般の商会や個人でできるわけがない。それこそ国家予算でも動かさなければ不可能な所業である。


「ははは、いい世界の縮図だと思わないか? このマジックボートレースという競技は。持たざる者たちがあがいてもがいて、工夫して這い上がってきたところを、持つものが少し本気を出してあげて蹴散らすんだ。爽快だねえ……おっと」


 エドワードは殺気を感じてミゼットの方を振り返る。

 普段のニヤケ顔は消え去り、鋭い眼光がエドワードを見据えていた。


「エドワード。お前は……昔から何も変わらんな……」


「ほう。僕が嫌いか? それならお得意の奇妙な武器を使ってこの場で殺すかい? 父上の子供であるこの僕を」


「……ちっ。分かってるやろ。ワイはそれだけはせえへん」


 そう言ってミゼットはその場を去っていった。


「ふん。あの女への感傷なんだろうが、正直僕には理解不能だな」


 エドワードはバカバカしい話だと、吐き捨ててレースに視線を戻した。


   □□□


 一方、リックはビットを降りたフレイアたちと共に、目の前で披露される『グレートブラッド』の走りを見ていた。


「……こりゃ、すげえな」


 リックはメカニックの知識は当然無いため、見るのはどうしても機体よりもレーサーの方になる。

 グレートブラッドが明らかにレベルの一つ違う怪物ボートなのは、素人でも分かった。

 だが、それと輪をかけて操縦しているエリザベス・ハイエルフの技術も尋常ではない。

 そもそも、この『ゴールドロード』というコースは最高難易度のコースである。


 水面は波打っている箇所が多く、風向きは変わりやすい。

 その割に水の中の不純物が少なく水質が硬いため走る衝撃が手に伝わりやすい。

 急なカーブが多数存在する。


 などなど、難しいコンディションの詰め合わせのようなコースなのである。

 幸いリックの機体は、そもそも激流を下って荷物を運搬するための船が元になっているのでそれほど問題にしなかったが、すでに予選の段階で一流であるはずの参加者の内四分の一は転覆している。


(本来なら、コースの難易度が高いというのはマシンの性能で劣る者たちにとってはチャンスのはずだ……)


 機体で勝てないなら、操縦者のミスを待つ。

 当然の作戦だが、しかし。


「それは、期待できそうにないな」


 エリザベスは周囲の驚愕などどこ吹く風と、走行難易度最強のゴールドロードを淡々と悠々と軽々と走っていく。

 何度も選手たちを転覆させてきた五連続のターンポイントも、体力と集中力を削り尽くされる水の流れが不規則なカーブも、金色の怪物を操る女王の前には頭を垂れるしかない。

 実際に素人ながら走ったリックだからこそ、実は今見ているのは初心者向けのコースでの走行なんじゃないかと錯覚を起こしそうだった。


「つか、生き物なら多少は癖みたいなもので余計な動きがあるはずなんだがな……アレにはその癖みたいなものが全くない。まるで、ボートのための最高効率の体の動かし方をそのまま写し取ったみたいじゃねえか」


 リックの評価は正しかった。

 彼女は歴代最多優勝記録の保持者であると同時に、唯一のキャリア中に一度も転覆をしたことがないレーサーなのである。

 引退前のエリザベスの異名は「完全女王(パーフェクトクイーン)」。

 彼女に操作ミスなど期待するものは、この国に誰一人としていない。

 気がつけば、誰もがそのあまりに完璧すぎる走りにいつの間にか言葉を失っていた。

 会場がここまで静寂に包まれることなど、大会史上初だろう。

 その静寂が破られたのは、グレートブラッドの一周目が終了し、最初のタイムが表示されたときだった。


 ラップタイム、3:59:6。


『……切りやがった、四分の壁を』

『嘘だろ……これ、まだ一周目だぞ?』

『これ、ひょっとするとこの大会中に記録出るんじゃないか?』


 観衆たちがそんな風にざわめいた。

 そんななか、観客の一人はボソリと一言こう言った。


『これ、明日の本戦やる意味ないじゃん』


 それを否定する言葉は、どこからも上がることはなかった。

 すでに二位のフレイアのタイムを一秒近く上回っている。しかも、これはまだ今日初めてコースを回る一周目。これからタイムは更に伸びていくだろう。

 タイムで勝てないなら操縦者のミスを待つしか無いのだが、この完全なる女王にそれを期待することはできない。

 よって、すでに決まってしまったのだ。

 明日のレースは、最強の機体と女王の復活をお披露目するためのデモンストレーションにしかならないのだと。


(諦めるつもりは毛頭ないけど。これはさすがにちょっと……作戦の練り直しがいるか?)


 リックはそう思った。

 『六宝玉』を譲り受ける条件は、フレイアの優勝である。

 ミゼットの作った『セキトバマッハ三号』を使えば、正直少々フレイアより早い相手がいても十分にサポートすることで優勝を狙う事はできるのだが、さすがにここまで純粋な力の差があると難しいかもしれない。

 そんなことを考えていると。


「……そうか、ああやって曲がれば……あそこの入りはあんな風に行けば……」


「フレイアちゃん……?」


 隣を見ると、フレイアがブツブツと何かを呟いていた。

 視線は今の優雅にコースを蹂躙する金色の機体と女王に向けられていた。

 強く見開いたその目は、まるで求めていた実験結果が急に目の前に現れた科学者のごとく食い入るように女王の一挙手一投足を凝視する。


「……うん、いける。いや、いけないとダメだ」


「あ、おいフレイアちゃん!!」


 リックが何か言う前にフレイアは駆け出していた。

 そのままビットに行き、ついさっきまで乗っていた自らのボート『ディアエーデルワイス』に飛び乗る。

 そして、加速機を点火しコースに飛び出した。


(確かに、あの走りを見ていてもたってもいられない気持ちは分かるが……)


 やはり、ショックだったのだろうか?

 フレイアは今まで、機体の不利や先天的な魔力の不利を自らの技術でカバーして、誰よりも速く駆けていた少女だ。だが、機体の性能と魔力量の差を差し引いても、純粋にエリザベスのほうが技術が上なのである。

 『ディアエーデルワイス』の六つの加速装置が唸りを上げて直線を駆ける。

 そして、そのまま最初のターンに差しかかる。

 ターンではスピートを落とさずそのまま突っ込んでいき、大回りして曲がり切るのがフレイアのスタイルである。

 だが。


「ここで、こう!!」


 フレイアは急激に速度を落として、体を大きく傾けた。

 その姿勢の取り方や舵を切るタイミングは、まさしくついさっき走ったエリザベスのものと似ていた。

 もっとも、乗っているのは最高の安定性を誇るグレートブラッドではなく、暴れ馬の『ディアエーデルワイス』である。

 ボートはまるでロデオのように、波に上下しながら横滑りしていくが。


「はぁ!!」


 フレイアは気合の一声と共に、強引に揺れを押さえつける。

 しかし、それでもボートは暴れる。

 そんな自然の摂理に反した動きは許さないぞと言わんばかりに。

 だがフレイアは振り落とされない。

 そして、とうとう。


「……ま、曲がり切っちまったよ」


 リックは呆れたようにそう言った。

 なんとフレイアは普段の半分以下の膨らみで、ターンを曲がり切ってしまったのである。


「センスもあるが、なによりこういうところだよなフレイアちゃんがすごいのは」


 いくら最高の見本が目の前に現れたからと言って、本戦を明日に控えた状態で一切の加減なしに真似しようとするのである。


「リックくんには、そう見えるか?」


 いつの間にかミゼットが隣に来ていた。


「ワイには、どうも危うく見えるで……」


「ああ、まあそれはそうかも知れませんね」


 あまりにもブレーキが壊れすぎているというならまさにそうだろう。

 今も小さな体で、必死でボートに食らいつきながら凄まじいタイムで走る姿には、勇敢さよりもなにか強迫観念のようなものすら感じるのである。

 そして、その悪い予感は残念なことにその直後に的中することになる。


   □□□


「……ちっ。しぶとい下等生物が」


 エドワードは観覧席からフレイアの走りを見てそう呟いた。

 あの小娘は危険だ。

 全員が『グレートブラッド』の完全な走りに絶望する中、たった一人真っ先に動き出しその走行技術を真似し始めたのである。

 さすがにエリザベスよりは劣るだろうが、さっきまでよりも明らかに周回速度が速い。

 このペースなら四分の壁を超える可能性もある。


「……ミゼットのやつが、さっさと整備の方に戻ったのは好都合だね」


 エドワードはいつの間にか隣に立っていたフードを深くかぶった男に言う。


「もちろん、仕込みはしてあるんだよね?」


「はっ」


「そうか、では、可能性は摘んでおこう。僕は念には念を入れる男なんでね……やれ」


   □□□


「あっ」


 リックは思わずそんな声を上げてしまった。

 それが起きたのは、ちょうどゴールまでの直線に繋がる最後のコーナーを半分ほど進んだところだった。

 猛スピードでカーブを曲がっていたフレイアのボートが一瞬浮いたかと思った、その瞬間。

 フレイアの体は観客席近くまで吹っ飛んでいた。


 ゴシャア!!


 っという生生しい音が会場中に響き渡った。

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