第91話 開催エルフォニア・グランプリ予選
グランプリ当日。
観客は文句なく満員だった。席がなく立ち見の客もいる。
今か今かとレースの開始を待ちわびる人々の合間を、お酒の売り子たちがなんとか体をねじ込みながら進んでエールを渡していくような熱気と人混みの中、ステージの上に立ち一人音声拡張魔法で声を出しているのは、モーガンだった。
「光栄なことに、今大会のスポンサーを務めさせていただくことになりました。『国民議会設立委員会』代表のモーガン・ライザーベルトです」
いつものようにスーツを着込み、穏やかな口調で観客たちに語りかける。
この時間は、メインスポンサーに与えられた毎年恒例のPRタイムのようなものだった。
去年は回復薬を販売している商会がメインスポンサーであり、そのときは新発売の商品を宣伝していた。
「皆様もうご存じの方も多いと思いますが、三日後に我が国初の国民議会の投票が始まります。どのような人間であれ分け隔てなく、皆が国を動かし豊かにしていくための試みです。僭越ながら私自身も議長に立候補させていただいています。皆様、当日は是非、投票場に足をお運びください」
そう言って深くお辞儀をするモーガン。
会場から拍手が起こる。
しかし。その拍手はまばらだった。これからレースが始まれば、選手の登場だけでも割れんばかりの拍手が起こるだろうに。
皆の主な関心がこちらに無いのは明白である。
(……やはり、こんなものですか)
無理もない。彼らはそもそもレースを楽しみに来ている人間なのだ。
とはいえモーガン個人としては、少し悲しくなってしまう事態である。この会場には貴族の人間ももちろん普段のレースよりも多いが、そうでない人間のほうが圧倒的に多いはずである。
(このままでは……とてもではないですが、投票率80%は無理でしょうね)
平民たちには意識がないのだ。
自分たちの境遇は変えられるという意識が、そのチャンスが目の前にあるという意識が。
だが。
(変えてみせるとも。この大会の間に……そのためにも、頑張ってくれフレイア)
□□□
開会のセレモニーも終わり、いよいよレースが始まった。
エルフォニア・グランプリは予選と本戦の二日間に分けて行われる。
初日の予選は、各選手が朝の9時から、夕方5時までの間に自由に走りタイムを測定する。メインレーサーはその一周のタイムの最も良かった記録の三つを足した数値を参照し、上位五名が決勝進出となる。
この方式は意外にもエンターテイメントとしても上手く機能していた。
自信のあるラップタイムを三つ出してしまえば、さっさと上がってしまって翌日に備えることができるので、上位レーサーほどあまり走りをみることができないのだが、出場できるかできないかを争っているレーサーたちは、何度でも時間一杯まで挑戦し続けることになる。
その超えるか超えないかのギリギリの挑戦が、制限時間の夕方五時が迫れば迫るほど盛り上がるのである。
ファンの中には、一日目のほうが見ていて盛り上がると言う者も少なくないほどだ。
さて。
そんな、予選レースが始まって真っ先に注目を集めたのは……言うまでもなくフレイア・ライザーベルトだった。
「ふっ!!」
いつもの笑いながらではなく、真剣な表情でハンドルを切るフレイア。
暴れ馬の機体を使用していながらも、膨らみを最小限に抑えきりコーナーを曲がり切る。
それを見て客席から歓声が上がる。
「姿勢を低く、体重をできるだけ後ろに……」
基礎中の基礎でありながら、最も大事な技術をフレイアはつぶやきながら見事にやってのける。暴れ馬の魔力障害者専用機体『ディア・エーデルワイス』は、直線で見る見る加速し一緒に走っている他のボートを追い抜いていく。
その姿にも歓声と拍手が巻き起こる。
そんな、様子をリックは出走の用意をしながら見ていた。
「はは、やっぱり。大会でも目立ってますねえフレイアちゃん」
非常に調子も良さそうだった。これなら問題なく本戦に進むだろう。
「……ああ、そうやな」
隣でリックが乗るボート『セキトバマッハ三号』を整備しながらミゼットはそんな気のない返事をした。
「どうしたんですかミゼットさん? ここ数日、あんまり元気がないですけど」
「ん? そうか?」
「はい。目の前にカワイイ子通っても目で追わないですし」
リックからすれば違和感しか無い。
「懐かしいですか、ミゼットさん」
そこに現れたのは、先程ステージの方で挨拶をしていたモーガンである。
「アナタが開発した機体が、こうして『ゴールデンロード』を走っているのが」
「……まあ、そんなとこやな」
ミゼットはモーガンの方を一瞥したが、すぐに作業に戻る。
それにしても、思いもしなかったことを聞いた気がする。
「アナタが作った機体……ってことは『ディア・エーデルワイス』ってミゼットさんが作ったんですか!?」
答えたのはモーガンだった。
「ええ。唯一の魔力障害者用レーシングボート、『ディア・エーデルワイス』は三十年前ミゼット様の手によって生み出され、たったワンシーズンのうちに初の第六等級魔力保持者による『エルフォニアグランプリ』の優勝と、未だに他のレーサーがその影すら踏めていない伝説のワンラップ、3'58.7を記録するなど、鮮烈すぎる記憶と記録を残しました。そして、それ以降は一度も大きな舞台に登場することはありませんでした」
「ああ、まあ。アレ見るからに乗りこなすの難しいですしね」
マイナーのレースを見学したときに何回かは使われているのを見たが、どれも実戦的と言うには程遠いレベルだった。
「ですからまあ、観客たちの盛り上がりはフレイアが目立つ容姿をしているからだけではありませんよ。ミゼット様が生み出した機体のおかげもあります。いや、そもそもあの機体の型が生み出されていたからこそフレイアは、夢を捨てずにここまで来ることができました。今更になりますが、お礼を言わせていただきますミゼット様」
そう言って深々と頭を下げるモーガン。
ミゼットはそちらの方は一瞥もせず、ボートに最後の部品を取り付ける。
「よし、完成や。もう走れるでリックくん」
ミゼットはモーガンに言う。
「……まったく、気の早いやっちゃな。そういうのは優勝して万事上手くいってから言ったほうがええよ」
ミゼットは今まさに生き生きとコースを走り回るフレイアの方を見て言う。
「夢を諦めずに追うことができたのが、いいことだったのかどうかはそれまで分からんのやからね」
□□□
「……ふう、これくらいのタイムなら問題ないだろうな」
コースを走っていたダドリー・ライアットは十周ほどしたところで一人そう呟いた。
今日は調子もよく、既に四分一秒台のタイムを三つ計測している。これで、予選を突破できないなどということは天地が引っくり返っても無いだろう。
もう一周、少し速度を落として少しゆっくり目にコース取りの確認も兼ねて回ってからピットに戻るかと思ったその時。
音声拡張魔法による会場のアナウンスが聞こえてきた。
『出走します』
衝突を防ぐために、新しく出走するボートが出るときは、こういう風にアナウンスがされるのである。
『20番。シルヴィア・ワークス、操縦者リック・グラディアートル、機体名「セキトバ・マッハ3号」』
「よし、急いでピットに戻ろう(白目)」
ダドリーはそそくさとコースから引き上げた。
そして、ダドリーがピットにたどり着きボートから降りた次の瞬間。
ザバアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!
「ぐああああああああああああああ!!」
「ぎやああああああああああああ!!」
「きゃああああああああああああああ!!」
盛大に水しぶきが上がる音とレーサーたちの悲鳴が聞こえてきた。
「……安らかに眠れ」
ダドリーは手を胸の前に合わせ、犠牲となった同業者たちに黙祷を捧げた。
「というか、決勝はやっぱりアレとまた走ることになるんだよな……」
若干頭痛がしてきた気がするダドリーである。
サポートレーサーはメインレーサーと違い一定のタイムを超えれば、後は相方が本戦に出場すればそのまま出場となる。
あの機体は決して早いわけではないしむしろ巡航速度自体は遅いほうなのだが、さすがに基準のタイムくらいは超えられるだろう。
そして肝心のメインレーサーの方だが、リックが出てくる少し前に走り終えて既に引き上げていた。
ダドリーは会場の一番目立つところに設置された掲示板に記された、各選手のタイムを見る。
「あの小娘タイムは上から『4'00.4』『4'00.6』『4'00.6』か……」
呆れたことに、練習の時よりもますます走りが洗練され速くなっていた。
特に一番良かった『4'00.4』など、ダドリーからすればどうやったら出せるんだと頭を掻きむしりたくなるようなタイムである。
よって、あの小娘とリックとかいう人間属は問題なく本戦に進むだろう。
……だが。
「俺も一人のレーサーとして悔しいが……無駄なんだ。無駄なんだよ」
本来なら忌々しく感じるそんな状況も、今のダドリーにとっては正直なところどうでもいいものだった。
だってもう、この大会の結果は決まっているようなものなのだから。
「アレには当然のように勝てないんだ。俺もお前たちもな……」
□□□
コースを三周ほど回り、規定のタイムを超えたリックはさっさとピットに戻ってきた。
その三周の間に、一緒に走っていたレーサーたちがどのような目に遭ったかは省略するが、三周目には走っているのがリックだけになっていた、という事実だけは確かである。
「あははは、リッくんあいかわらずメチャクチャで面白いね!!」
ボートから降りたリックを、楽しそうにフレイアが出迎える。
「フレイアちゃんも調子良かったじゃないか」
「ふふふ、そうでしょ!!」
そう言って右手でVサインを出すフレイア。
素人目のリックから見ても、ここ数日のフレイアは最高調だった。
そして、予選を走っている他のチームの動きも見たが、フレイアに対抗できるものは見当たらなかった。言ってしまえば、一人だけレベルが違う。
(サポートレーサーとして高価な報酬まで約束してもらっていて申し訳ないけど、あんまり俺が頑張らなくても優勝するのはフレイアちゃんだろうなあ)
リックがそんなことを思った。
――その時だった。
「……では、行きましょう」
まるで、鈴の音のような凛とした女性の澄んだ声が聞こえてきた。
どこか浮世離れしたかのようなその声に振り返ると、一人の女エルフがボートに乗り込もうとするところだった。
「……なんだ、あいつは」
リックの口から思わずそんな言葉が漏れる。
見た目は人間で言えば二十代前半。
手足が長くスッとしたスレンダーで完璧なバランスを持った肢体、透き通るような白い肌に華を添えるのは、エルフとしての純血を知らしめる風になびく混じりけのない鮮やかな金色の髪。
鋭く細いツリ目は、目の前の景色ではなくどこか遠くの、人の領域では認識することもできないような別世界を見据えているように、澄んでいるのに力強く近寄りがたい雰囲気を携えていた。
千人がすれ違えば千人が振り返るような美貌を持つエルフだったが、リックが驚いたのはそこではなかった。
(こいつは……)
見ただけで分かる。
フレイアとはまた違った、常人とは別の領域で生きている者特有の雰囲気だ。
いや、感じる凄みで言えばフレイアよりも……。
女がボートに乗り込むと、会場からアナウンスが流れる。
『出走します。三十二番』
三十二番ボートはまだ出走していない最後のレーサーであった。
『エルフォニア王族ボート開発部門『ハイエンド』、搭乗者エリザベス・ハイエルフ』
搭乗者の名前が読み上げられた瞬間に、会場が一気にざわついた。
『機体名……
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