第90話 エルフォニア・グランプリ開催三日前
リックとミゼットがやってきたのは『エルフォニア・グランプリ』の舞台であるレース場『ゴールデンロード』だった。
「広い会場ですね」
「ああ。まあ、仮にもこの国が誇る最高のレース場やからな」
『ゴールデンロード』はマジックボートレースにおいて最も古く格式があり、同時にコースの仕様としても最も優秀なコースと言われている。
五つのストレートと五つのターン、そして大小様々な種類のカーブを有し、レーサーとしての総合的な技量が試される。
走行の難易度だけでも他のコースより頭一つ抜きん出ており、プロのレーサーでも初めて走るとなれば相当に苦戦を強いられる。
よって『エルフォニア・グランプリ』の参加者には、予選の前の3日間コースを開放しての練習が許可されている。
「ああ、モーガンさんどうもです。早いですね、フレイアちゃんはもう始めてますか?」
リックはピットの横に立っていたモーガンに声をかけた。
現在時刻は午前6時。リックたちも他の参加者が来ないうちに練習を済ませておこうと相当早く来たつもりなのだが、それよりも早く来ていたようだった。
いつもどおり、スーツ姿のモーガンは丁寧な所作でお辞儀をするとリックに言う。
「はい。フレイアは昨日からワクワクして殆ど眠れなかったみたいでして、幼い頃からの夢だった夢の舞台です、一番乗りしたかったんでしょうね」
「なるほど、フレイアちゃんらしいですね」
リックはコースの方を見る。
いつもどおり赤い髪の少女が六つの加速装置のついた機体でコースを駆けていた。
「あいかわらず華があるなあフレイアちゃんは、さて、俺も早く準備して走るか」
一日のうち参加者一人に許された時間は短い。仮にもシーズンのレースで結果を残してきた猛者たちでも、特に初参加者たちは三日では慣れきらずにぶっつけ本番のなかで調整をしていかざるを得ないことが多いのである。
だが。
「……へえ、これは驚いたな」
フレイアの練習を見たリックは一度準備を止めてそう呟いた。
今日はじめてこのコースを走るはずのフレイアの走りが、素晴らしいほどの完成度を見せているのだ。コースのとり方、加速減速のタイミング、どれをとってもまるで走り慣れたコースかのようである。
要は、コースに慣れるところを飛び越えて、コンマ一秒を突き詰める段階にすでに入っているのだ。
「すごいな、フレイアちゃんの才能は……いや、これは努力だな」
初心者のリックにも、走りに明確な意図と工夫の跡が見える。
それにしても、今日はじめて走るはずのコースでなぜ?
「ははは、驚きますかな? フレイアがこうも見事に走れていることに」
モーガンは昔を思い出すように目を細めて言う。
「なに、そんな不思議な話ではないですよ。さっきも言ったように、ずっと……夢でしたからな。フレイアにとってこのコースを走るのは。ボートに乗り始めた頃からずっとこのコースで走ることをイメージして練習してきた、単純にそれだけのことです」
モーガンは当然のことのようにそう言ったが、リックは改めてフレイアのレースにかける情熱に驚くばかりだった。
要はイメージトレーニングやコースの研究は万全にしてあるということなのだが、言うは易く行うは難し。初見でもコレほど完成度高く巡航できるレベルとなると、どれほどの時間と思考をこのコースで走ることに費やしてきたかなど、考えるだけで普通の神経では無理である。
きっとフレイアは十年間以上、頭の中はそのことを常に考えていたのだろう。朝起きて食事をし夜寝るまでずっと、ずっと、ずっと。
その結晶が今、結実し、フレイアは駆けている。
最高難易度と言われるコースを、まるでずっと付き合ってきた親友であるかのように。
「……はは、俺も負けてられねえなあ」
リックはそう言うと、再びボートの準備を始める。
あくまでリックはサポートレーサーである。
だから、その言葉はレースについて言ったのではなく。もっと根本的な夢への情熱とか、ギラギラとしたそういう熱い思いに対してだった。
(今回の『六宝玉』を手に入れられれば、あとは二つ。俺も自分の夢に向かって進ませてもらうぜフレイアちゃん)
「……危なっかしいやっちゃな」
「どうしたんですか? ミゼットさん」
「いや、なんでもないで。ただ、一心不乱すぎるのがな」
「?」
ミゼットの要領をえない返答に首をかしげるリックだった。
その時。
僅かだが見物に来ていた人々が客席から歓声を上げた。
フレイアの一周のタイムが表示されたのだ。
そのタイムは……。
□□□
場所は同じく『エルフォニア・グランプリ』の会場『ゴールデンロード』。
時刻は午後四時。すでにリックたち『シルヴィアワークス』は練習の時間を終え宿に帰っている。
そんな中、水上を走っていたボートの一機がピットに戻ってくる。
乗っていたのはダドリー・ライアットである。
「どうだい? 最新型ボートの『ノブレス・スピア』の調子は?」
「へへへ、そんなもの聞くまでもないですよ王子」
ボートから降りたダドリーの前に現れたのは、第一王子エドワードと相変わらず息をするようにゴマを擦っているディーン伯爵だった。
「ええ、素晴らしい機体ですよコレは。コレに乗って『エルフォニア・グランプリ』に出られるなんて、エドワード様にはなんと感謝をすればいいか」
ディーンがゴマをするまでもない。この最新鋭のボートは文句なく最高だ。
速度が速くなったということはないが、走行中の安定感が抜群である。
普通は安定感を出すために重量を増やしたり機体のサイズを大きくしたりすれば、当たり前に速度が落ちる。しかし、この機体は凄まじく高価だが強度が高くなおかつ軽い超高魔力木材『ガオケレナ』が全体の5%に使われており、全く同じ重量の他の機体に比べややサイズを大きくすることを実現している。それにより、カーブで水を捉える面を大きく取ることができるのである。
(ははは、コレなら、あの小娘に一泡吹かせられるかもしれないな)
しかも、今回だけではなく太っ腹なことに、エドワードは来シーズン以降もこの機体を使わせてくれると言うのだ。最新型などと言っていたが、そもそも材料の『ガオケレナ』が希少すぎて量産は不可能な代物である。
よって、この機体を使えるのは自分を始め凄まじく資金に余裕のある数チームだけということになるだろう。
今から来シーズンが楽しみですらあった。
ダドリーは自らの出したタイムを確認する。
04:01:4
二年前に出た時よりも一秒は速いときている。去年の優勝者にあとコンマ1秒差、4分1秒台というのは、毎年優勝を狙えるタイムであった。
「……そういえば、来た時に周りがざわついていたが。何かあったのか?」
「ああ、それか」
エドワードはなんとは無しに言う。
「どうやら、あの下民の女が4:00:9という記録を出したみたいだね」
「なん……だと?」
その言葉にダドリーは膝から崩れ落ちそうになる。
まさかの4分1秒台をきっているというのである。たかだかコンマ5秒差だがレース競技でその差はあまりにも大きい。
そもそも、あの小娘は初出場でこのコースを走るのは初めてであるはずなのになぜ、初日でそんなタイムで走ることができるというんだ。
(コレは……駄目だ)
今年の優勝はまず間違いなくあの少女だ。
しかし、解せないのはエドワードとディーンの反応である。
魔力等級の低いフレイアの優勝は、今まで散々に工作しても防ぎたかったものであるはずなのに、どうも落ち着いている。
その疑問を感じ取ったのか、ディーンは言う。
「ああ、そう言えばまだダドリー氏には話してなかったですねえ」
「どういうことですか?」
二人のやり取りを聞いたエドワードが言う。
「ははは、安心したまえよダドリー君。彼女が優勝することはありえない」
「な、なぜでしょうか? またに何か工作を?」
「ん? ああ、まあそういうのも用意してなくはないんだけどね。僕は念には念を入れるタイプだから。ただまあ……」
エドワードは余裕たっぷりに笑う。
「こちらの最大の仕掛けは別に何も『特別なことはしない』んだよねえ」
いよいよ意味がわからないと眉をひそめるダドリー。
そこに、一人分の足音が聞こえてきた。
「ああ、遅かったじゃないか」
「……あ、アナタは!?」
ピットにやってきた人物を見て、ダドリーは驚愕と共に全てを悟った。
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