第89話 下民の王様

「いやはや、しかし。ありがとうございます」


 そう言ったのはモーガンだった。


「レースの協力だけでなく、護衛までしていただけるとは。コレは報酬をもう少し上乗せさせてもらわなければならないですね」


 それを聞いてリックは首を横に振った。


「いやいや、いいですよ。そもそも『六宝玉』を渡してもらう条件は、『シルヴィア・ワークス』を優勝させることですからね。それに……」


 リックはフレイアの方を見る。


「個人的に応援したい気持ちもありますから。まあ、俺がいなくてもフレイアちゃんの実力なら問題ないと思いますけどね」


 フレイアはニコリと笑うと、ピョンとネコのように身軽な動きで塀の上に飛び乗った。

 沈みかけた夕日が赤く染まった髪を照らす。その姿は無邪気で可愛らしくて、同時に神々しくて……。


「ふふん。ありがとねリッくん」


 フレイアはVサインを出した。


「もちろん、『エルフォニア・グランプリ』本戦も私が勝つよ。勝つだけじゃない。伝説のワンラップも超える。私はそのために14年間ボートに乗って来たんだから。お父さんも、リッくんも、ミゼットくんも期待しててよね」


 ニヒヒと、いたずらっぽくフレイアは笑うのだった。


   □□□


「ああ、もうこんな時間ですか」


 ダドリーが時計を見ると、すでにエドワードの私室に来てから三時間が経っていた。

 一通り汚い権謀術数の話を終えた後は、エドワードから振る舞われたディルムット公国産の年代モノのワインを三人で飲みながら、貴族らしく最近仕入れた美術品の話やある貴族の妻がどこの誰と不貞を働いたなどの話をしていたのである。

 ダドリーは貴族としては珍しく、正直そういう話を積極的に好むタイプではなかったが、ワインがとにかく美味しかったのと、別に話についていくこと自体はできるのとで、思ったより長居してしまった。


「名残惜しいですがそろそろ帰らせていただきます。支援の話ありがたくお受けいたします。エドワード王子、ディーン伯爵」


「ああ、頑張ってくれたまえ」


「ふふふ。期待してますよお」


「ご期待に添えるよう努力します」


 ダドリーはそう言って一つ頭を下げると、エドワードの私室を出ていった。

 それを見届けると。


「……さて、そろそろ向こうの方も片付いた頃ですかねえ」


 ディーンはそう言って口元を歪めた。

 今頃あの小生意気な短命ザルの小娘は重傷を負っているだろう。

 ちなみに魔力と体の関係が非常に強いエルフ族は、怪我を負っても回復魔法で体の修復は可能だが全身にある魔力の回路である魔力経(まりょくけい)へのダメージはそうはいかない。

 こちらは回復魔法による修復が非常に困難であり、元の怪我が大きいほど体は治っても全身の魔力の乱れを取ることに時間がかかるのだ。

 当然、レースにおいて致命的な障害である。

 『エルフォニア・グランプリ』が始まるのは四日後。大きな怪我をすれば間違いなく回復は間に合わない。

 などと思っていたら。

 バタン!! と扉が勢いよく開いて襲撃を命じた魔法軍隊の女エルフが入ってきた。


「ディーン様っ!!」


「……君の部下は優雅じゃないね」


 エドワードは鋭い視線をディーンに向ける。

 先程まで談笑していた雰囲気とはうってかわって、一瞬で場の空気が凍りつく。

 この男は自分の気に入るものには気前がいいが、自分の気に要らないものにはトコトンまで冷酷である。国民議会の設立に協力したものに対しての処罰は血も涙もないものだった。

 ディーンは冷や汗を流し震え上がった。


「ま、まったく君は何を考えてるんですかあ!! エドワード王子の御前でそんな慌てふためいて!!」


「……まあ、いいよ。それで? 結果は持ってきたんだろうね?」


 エドワードの言葉に、女エルフは深々と頭を下げて言う。


「も、申し訳ありません。ほ、報告いたします。先程ご命令通りライザーベルト親子に襲撃を仕掛けましたが、その……」


「もちろん、腕の一つくらいは飛ばしてきたんですよねぇ?」


「い、いえ、それが。妨害にあいあえなく返り討ちに……」


「馬鹿な!!」


 ディーンは頭をかきむしる。


「ふーん。ディーン伯爵。僕の見込み違いだったかな?」


「お、お待ちください。ありえません。今回向かわせたのはアナタも含む四名の一等級隊員だったのですよ?」


「……ほう?」


 エドワードはそれを聞いて興味深そうにそう言った。

 この男は魔力血統主義を強く信じている分、優れた血統のものが揃う魔法軍隊の実力は高く評価している。

 その精鋭四人が敗れたというのだ。


「何があったのか話してくれないかい?」


「は、はい」


 エドワードの有無を言わさぬ笑顔に、女のエルフは慌てて言う。


「実は……モーガン親子の警備に、『あの方』がいました」


「あの方?」


 ディーンが眉を潜める。


「元第二王子、ミゼット様です」


「なん、だと……」


 ディーンは驚きのあまり、テーブルからカップを落とした。

 ついこの前会ったので戻ってきたことは知っていた。しかし、まさかモーガンたちの側についていたとは……。


「そ、それから、ミゼット王子から『お前らの雇い主に伝えておけ』と伝言が」


 まだなにかあるのかと、言いかけるディーン。


「『次はないぞ』と……」


「……」


 ディーンの全身から冷や汗が流れる。

 先程エドワードに睨まれた時の比ではない。

 あの噂の自由人が「やる」と言っているのだ。間違いなく今度こちらが下手な動きをすれば「本当にやる」に違いない。


(な、なんてことですか。ここまで来て)


 ディーンが当主を務めるヘンストリッジ家は、別名『下民の王様』と呼ばれている。

 元々はかなりの上級貴族だったヘンストリッジ家は二百年ほど前に、当時の当主の長男が王族を暗殺しようとしたため、位を伯爵に落とされ貴族たちの居住区から追放されてしまったのだ。

 他の貴族は基本的な活動場所が貴族専用居住区の外でも、本館と呼ばれる私有地が貴族専用居住区の中にあり、それこそが貴族たちにとっての一番のステータスだった。

 しかし、ヘンストリッジ家だけはかつての罪で、貴族専用居住区に私有地がない。彼らの本館は一般居住区に立っているのだ。

 だからこそ『下民の王様』。なんと不栄誉なことだろうかとディーンは思うのだ。

 ディーンは今回の国民議会設立の阻止に協力を申し出る代わりに、成功した暁にはエドワードから貴族専用居住区に私有地を持つことを許可してもらう密約を交わしている。

 これまで様々な裏工作を行い国民議会設立を妨害してきた。このままいけばかなりの確率で国民議会の設立は無に帰す所まで来ている。


(そう、今はヘンストリッジ家の格を取り戻すまたとないチャンス。ここで降りるわけにはいかない……。だが、このままエドワード王子に協力を続ければ、あのエルフォニアの貴族なら誰もがその恐ろしさを知る『千年工房』が襲ってくる)


 しかし。


「ククク」


 コレはたまらないと笑ったのはエドワードだった。


「ははははは、混じり物め。今更戻ってきたと思ったらまたそれか。お前も好きだなあ」


「え、エドワード様? こ、この状況でどうして笑っていられるのですかあ?」


 ディーンはわけが分からずにそう言った。

 この状況はエドワードにとっても全く好ましくないはずである。


「直接目をつけられているのは私ですが、当然モーガンたちの側についている以上、バックにいるエドワード様にもたどり着く可能性も……」


「安心したまえ。ディーン伯爵」


 エドワードは優雅な仕草でワインをグラスに注ぎながら言う。


「ミゼットのやつは我ら王族には危害を加えることができないからね」

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