第85話 伝説のワンラップ

「いや、しかし、モーガンさんが話をつけてくれて助かりましたよ」


 リックとミゼット、そしてモーガン親子の四人は平民街の道を歩いていた。

 先ほどの兵士たちは、モーガンが何やら話すと何やらバツの悪そうな顔をして「さ、先ほどのことは不問にしてやるから、さっさと去るがいい」などと言ってきた。


「ははは。なに、ちょっとあの二人は私が出資している店でツケをためてまして、世間話のついでにその話をしただけですよ」


 そう言って、穏やかに笑うモーガン。

 しかし、商売の世界で生きている人間だけあって、したたかな計算を働かせる一面も当然あるということだろう。


「それにしても……」


 とリックは言葉を切って、自分の右隣りの少女の方を見る。

 フレイア・ライザーベルトは今日も派手過ぎない程度にオシャレに着飾り、楽しそうな笑顔で歩いている。

 そして。


「きゃあ、フレイアちゃんよ!! 小っちゃくてオシャレで可愛いわあ」

「フレイアちゃん、こっち向いて!!」


「ありがとねー!! 次のレースもガンバちゃうからみんな応援に来てねー!!」


 先ほどから道行く人達に次々と声をかけられている。


「……凄い人気者になったな。フレイアは」


「まあ、国民的な娯楽である『マジックボートレース』に現れた美少女スーパースターやしなあ」


 ミゼットは特に驚く様子もなく言う。


「メジャー戦でのデビューも、わざわざ今シーズンあった他の大会には出ずに、観客動員数の多い『ルクアイーレ杯』やった。こうなるのは当然やで……なあ、モーガンくん?」


 ミゼットは意地の悪そうな目線をモーガンに向けた。


「ははは、これはこれは。勘のいい方と話すと緊張しますね……おっと、着きましたよ」


 四人の目の前には一軒の料理屋。

 ちょうど四人とも昼食を取ろうとしていたということで、モーガンの勧めるこの店にやってきたのだった。


   □□□


 モーガンに案内された『サファイア』という店は、この国唯一の庶民向け個室料理屋だった。

 店員に案内された部屋に入るとリックは言う。


「へえ。一部屋ごとに分かれてるのか」


「はい。防音用の魔法を張っていますから、プライベートな会話が漏れる心配もない。安心して上司や元カレの愚痴でも言えるというわけです」


 なるほど、料理のお供は酒であり、酒のお供は愚痴や内緒話だ。何かと密談の多い貴族だけのものだった個室料理屋を庶民も使うと考えたのは慧眼だなと思う。実際、客入りはかなりいいようだった。

 一方隣では。


「ふむ、これならここで行為におよんでも……いや、さすがにこのレベルの防音魔法だと漏れるか? いや、それはそれで誰かに耳をそばだてられてると興奮するものが……」


 などとミゼットが言っていたが、リックは聞かなかったことにした。


「私、ここのポトフ好き!!」


 フレイアは嬉しそうに椅子に飛び乗る。

 それにしても元気な子だなと思いつつリックたちも席について、店員に注文を伝えた。

 それではごゆっくり、と店員は一礼して注文を伝えに部屋から出て行った。

 するとさっそく。


「ねえねえ!! リッくん、リッくん!!」


「っ……な、なんだフレイアちゃん」


 危うくまた過剰反応しかけたが、鋼の精神で何とか堪えたリック。


「昨日の走り、すっごく面白かったよ!!」


 フレイアはこちらに身を乗り出すようにして、キラキラした目でそんなことを言ってくる。

 さすがにここまで若いとリックには異性として対象外なのだが、それでも相当に整った綺麗で可愛らしい顔立ちをしているなと思う。エルフ族は容姿が整っている者が多いが、その中でもひと際人を魅了する可愛らしさがあった。


「それに、ミゼットくんのボートも面白かったねー。あんなに頑丈なの見たことないもん!!」


 フレイアはリックの隣に座るミゼットにもそう言ったが。


「……おう、おおきに」


 ミゼットはぶっきらぼうな感じでそう答えた。


「……!!!!!!?????」


 リックはその様子を見て、驚愕に顔を歪める。


(ミゼットさんが……女の子相手に、テンションが低い……だと……?)


 ありえない現象である。どれくらいありえないかというと、アリスレートが一週間器物破損をしないくらいありえない。

 つまり天文学的数値である。

 リックはミゼットに耳打ちする。


(……なにか、あったんですか?)


(いや、別に……まあ、ワイは肉付きのいい子の方が好きやからな)


 確かにフレイアはスレンダーな体つきである。

 そう言えば、ミゼットが今までアプローチを仕掛けたのは、そういうタイプの子が多かったなと、リックは思った。


「ねえねえ!! それで、あの真横に立ったボートの上に立つやつ、どうやってるの!!」


 フレイアは興味津々といった様子で、リックにそんなことを聞いてくる。

 大したものだなと、リックは思った。

 現状でも飛びぬけた腕を持っているのに、新しい技術の習得に貪欲である。なるほど、これは強いわけだ。


「ああ、あれはな。感覚としては地面の上にまっすぐ立つのと同じで……」


 リックもやる気のある人間に技術を教えるのは嫌いではないので丁寧に説明する。 

 あまり楽しいたとえ話などを織り交ぜながら話せるタイプではないため、理論や感覚の話一辺倒になってしまったがそれでもフレイアはうんうんと頷きながら、実に興味津々といった様子である。


「……それにしても、フレイアちゃんは本当に競技に熱心だなあ。大したもんだよ」


「ふふん、そうだよフレイアは『伝説のワンラップ』に挑みたいからね!!」


「『伝説のワンラップ』? ミゼットさん知ってますか?」


「ああ……んーとなあ」


 ミゼットが何やら答えるのに手間取っていると、代わりにモーガンが答えた。


「『エルフォニア・グランプリ』で使用される最も由緒あるコース『ゴールドロード』。そのワンラップのコースレコード3:58:7のことですね」


「この記録はね、30年たった今でも破られていないんだよ!! それどころか、四分を切れた選手がまだ誰もいないんだ」


 フレイアは輝く瞳でそんなことを言う。


「へえ、それはマジもんの伝説だな」


 コンマ一秒を競う『マジックボートレース』において、一周の周回タイムで一秒以上の差をつけているということだ。

 

「そのタイムを出した選手は、今まででたった一人の魔力障害で『エルフォニア・グランプリ』を優勝した選手で、あたしの憧れなんだ!!」


 フレイアの目は今日一番輝いていた。

 リックが子供の頃、大英雄ヤマトについて話す時もこんな目をしていたかもしれないな、と思わせるようなひたすらに純粋な目だった。

 しかし。フレイアはやはり憧れるだけの少女ではなかった。


「わたしは……超えるよ。憧れの人が残した伝説の記録を。もちろん『エルフォニア・グランプリ』も優勝する。魔力障害でも関係ない。だって、憧れるだけで終わったら人生面白くないもん」


 力強い声で、キッパリとそう断言してのけた。

 その綺麗に化粧がされた目元には、爛々と輝く情熱を携えた瞳。


(ああ、なるほど。この子は……)


 リックはフッと小さく笑った。

 いきなりどうしたんだ? と不思議そうな顔をするライザーベルト親子。



「最高に熱いな、フレイアちゃん」



 リックは一言そう言った。

 隣ではミゼットも。


「……ほんと、似とるな」


 と呟いている。

 全くその通りだ。まったくもってどこぞの元事務員にそっくりである。

 フレイアは魔力障害の人間としては全くもってありえないと馬鹿にされるようなことを言っている。

 だからリックはフレイアの夢を、素晴らしいと言わざるを得なかった。


「応援するぞフレイアちゃん。本戦では誰もお前の邪魔はさせないからな」


「……ちょっと驚いた。リッくんはちょっと困った顔とかしないんだね。私の夢を聞いても」


 モーガンも言う。


「ワタシもです。フレイアは今でこそ実力もつき人気のレーサーになりましたが、それまでは、とにかく周囲から白い目で見られたものでしたから」


「もちろんだ。俺もな、この年で人に笑われるような夢を追ってるんだよ。無謀は承知で自分で選んだ道だけどよ、それでも馬鹿にされたりお前には無理だと言われたりするのは、いい気分がするものじゃないよな」


 だから、リックが言うのはこの言葉だ。


「頑張れよフレイアちゃん。グダグダ言ってくるやつは結果で黙らせてやれ」


「……」


 フレイアの真っすぐな視線がリックを見つめる。

 そして少しして。


「うん、ありがとリッくん」


 フレイアは満面の笑みでそう言った。


「……んでまあ、フレイアちゃんの目的は聞いたわけやけど」


 ミゼットが話を遮るようにして話題を差し込んできた。


「あんさんの方の目的はまだ聞けてへんな、父親の形見である『六宝玉』を手放してでも実現したいことってのはなんなんや? モーガン・ライザーベルトくん」


「さて? 何のことですかね……とまあ、この期に及んで隠しても仕方ないですね。アナタたちが信用できるかどうか失礼ながら見極めさせてもらっていました、申し訳ない」


 そう言って頭を下げるモーガン。


「あーいや、話したくないなら話さなくても」


「いえいえ、リックさんたちも心に引っ掛かりがあるままでレースに出たくはないでしょう。それがレース中の一瞬の気のゆるみになることも大いにある。それにあなた方がちゃんと私たちに協力してくれる誠実な方々であることは分かりましたよ。これでもワタシは商人ですから、人を見る目には自信がありますので」


 なるほど。どうやらリックとミゼットはモーガンの基準で、秘密を共有する相手として合格をもらったようだ。

 まあ、リックとしても気にならないわけではなかったので、教えてもらえるというならありがたい話だ。


「私はね、リックさん……病気を治したいんですよ」


「病気……ですか? ああ、ひょっとして奥さんの?」


 フレイアの母親を見たことがない。

 もしかして、重い病か何かなのか? いや、それにしても資産は沢山持っているモーガンである。治療費くらいならいくらでも出せると思うが……。

 

「いえ、妻は随分前に亡くなっていますよ。私が治したいのはこの国です。何年も昔から続く『魔力血統至上主義』というこの国の大病を治したいのです」

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