第82話 ルールの範囲内

「くそ、こんなの……俺の知ってるレースじゃないっ!!」


 ダドリーは半泣きになりながら、悲鳴のような声でそんなことを言った。

 まさに地獄絵図である。

 前方を走るイカレた運搬ボートが、カーブを曲がるたびに軽くサーフィンでもできそうな波が発生するのである。

 マトモに巻き込まれれば、ダドリーたち普通の選手の乗るボートはすぐさま、コースの外まで吹っ飛んでいくであろう大波である。リックのボートは直線が遅く、何とかカーブの手前で追いつけはするのだが、逆にそのせいでカーブで発生する波に巻き込まれるボートが後を絶たなかった。

 残りワンラップになる頃には、残っているボートはスタート時の三分の一以下という有様である。

 ある高名な解説者が、マジックボートレースのことをその過酷さや駆け引きのシビアさを指して「水上の格闘技」などと評したことがあったが、本当に他のボートを全部ノックアウトして勝ってしまうかもしれない奴が現れるなど考えたこともなかった。

 しかも、何度かリックに直線で接近できたダドリーは気づいてしまったのである。

 ……そう。リックの足が物凄いスピードで動いていることに。


(足漕ぎ式ってそんなのアリかよ!?)


 ルールの範囲内である。

 ミゼットはしっかりとルールブックを隅々まで読んで「足漕ぎペダルをつけるのを禁止する」とは書いていないのを確認して搭載したのだ。もっとも、足漕ぎで時速100kmを超えるマジックボートレースについてこれる者が存在することを想定できていなければ、そんなアホな規定をワザワザ作ろうなどと思うはずは無いのだが……。

 ダドリーは今もなお、汗一つかかずに平然とボートを漕ぐリックを背後から見て。


(ふざけるな、ボートレースをしろ!!)


 と、心の中で呪詛のように叫び続ける。

 ちなみに、マジックボートレースの規定では『龍脈式加速装置』を最低一つ付けてさえいれば、あとはどんな改造を施してもいいことになっている。というのも、超軽量で安定した加速力と持久力を持つ『龍脈式加速装置』を一つだけ搭載するのが、現状ではマジックボートレースにおける最適解なのだ。

 他の加速方法は重量の割りに消費が激しかったり加速力に乏しかったりと、実戦に耐えうるものではない。それを大量の『魔法石式加速装置』を取り付けることで強引に実現した『ディア・エーデルワイス』は使い手の技量に頼りすぎるところがあるし、直線は速いがカーブでどうしても暴れてしまうなど、総合的に見て速くなるわけでもないときている。

 結局、王道の仕様が一番安定して速い。というなんの面白味もない結論に行きつく。

 しかし、そんな常識は突如として現れた化け物に、脚力という単純すぎて逆に意味不明の解決策で土台ごとひっくり返されたわけである。

 ダドリーは振り返って他のボートを見る。


(ダメだ、完全に戦意喪失してやがる)


 ダドリーの後方にいる二機のボートは、もはやアクセルを限界まで上げずにとにかくリックの機体に近づかないように走っていた。それはそうだろう、近づけばカーブで波に巻き込まれて吹っ飛ぶ危険があるのだ。レース中は常に防御魔法で体を守ることで安全を確保しているが、それだって怪我をする時はする。

 ダドリーも正直、さっさと諦めて家に帰ってお気に入りのウィスキーでも飲んでふて寝したいところであるが。


「クソ、この前の小娘といい、この人間族といい。マジックボートレースの格式と伝統を……この俺を馬鹿にしやがってええええ!!」


 もはや、先日ディーン・ヘンストリッジ伯爵とした密約など頭から消し飛び、自分でもよく分からない意地のようなもので、格式も優雅さも欠片もない走りでリックの起こす大波に必死で食らいついていた。

 ダドリー・ライアットは、貴族としてのプライドをこじらせたりはしているが、普通に一流のベテランレーサーなのである。

 そして、その執念が奇跡を呼んだのか。最終ラップが半分を過ぎたころ。

 バキッ!!

 という音が前方から聞こえてきた。

 何かと思ったが、すぐさまダドリーは事態を把握する。

 リックのボートが急に減速し、見る見る近づいてくるのだ。

 つまりそれは……。


(マシントラブルだ!! おそらく、どこかの部品が破損したんだ)


 そう、リックの脚力に耐えきれずにペダルが折れたのである。

 千載一遇のチャンス到来。

 やはり最後に勝つのは、王道を歩むものなのだ。ざまあ見るがいい、平民共め!!!!

 来世では操縦のイロハから学んで、まっとうにボートレースをするんだな!!

 と、加速装置の出力を上げ、動かぬデクの坊と化した相手を抜きにかかるが……。

 次の瞬間起きたことは、完全にダドリーの想像を超えた。というか想像できるはずもない。


「よっこいしょ」


 リックはボートから跳び降りると、その勢いを使ってボートと自分の位置関係を反転。

 すなわちボートを上に担ぎ、当然下になった自分は水に沈む……。

 寸前で、その足が水面を後ろに蹴り上げた。

 ズザアアアアアアアアアアア!!

 という音と共に、なんと船を担いだまま水面を走り出したのである。


「ボートレースをしろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」


 という至極まっとうな、ダドリーの叫びがレース場に響き渡った。

 もちろん「レース中にボート抱えて走ってはいけない」などというルールなどあるわけもなく(むしろあったらそのルールを作った者の正気を疑うが)これもルールの範囲内である。


 リックはそのままボートを抱えたまま走り切り優勝した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る