第81話 筋力

 突如として発生した水面の爆発に、加速スタート直前でスピードが乗っていた他のボートたちは大きく煽られた。


「ぐおお!!」


 当然、リックの隣のスタート位置だったダドリーは、その衝撃と波を盛大に受ける羽目になった。

 それでも転覆しなかったのは、さすがベテランの一流レーサーと言う他ない。また、彼自身の乗る機体も安定性の高いモデルであることも功を奏した。


「きゃあああああああ!!」


 しかし。リックの一つ外側の女性レーサーはあえなく転覆した。彼女もそれなりに腕のあるレーサーではあるが、体重が軽いということもあり耐えきることができなかったのだろう。


「ぐっ……」


 ダドリーが必死にハンドルにしがみ付きながら水面の爆発が起きたリックの方を見る。

 高々と舞い上がった水しぶきのせいでその姿は見えない。


(い、いったい何が!! 新型加速装置が爆発でもしたのか!?)


 視界を遮ってた水しぶきが晴れる。

 するとそこには……。


「い、いない!!」


 リックの姿と不格好なあの新型ボートの姿が無かった。

 まさか、あの爆発で吹っ飛んだのだろうか?


 ……否。


「ああ!!」


 ダドリーは前方に目を向けて声を上げる。

 いた。

 自分たちよりも10m以上先に、ボートに乗るリックの姿が。


   □□□


「……やべ、ちょっと強く漕ぎ過ぎたか」


 ボート上のリックはミシリという感覚を足で感じ取った。


(もっと、『漕ぐ力』を緩めないとな)


   □□□


 一方観客席では。


「あっ、はっはっはっ!!」


 フレイアが楽しそうに笑っていた。


「……な、なんですか今の動きは!?」


 一方、父親であるモーガンは信じがたいモノを見たという表情である。

 ボートの姿形も初めて見るものながら、何よりも驚愕したのはスタートと同時の凄まじい加速力。あんなものは、本来あり得ない。


(魔力式加速装置の永遠の課題……『急激な出力上昇』を実現している……っ!!)


 加速装置に使われる魔法石は、龍脈の魔力と搭乗者の魔力を反応させ推進力として吐き出す性能が備わっているが、その反応にどうしても僅かに時間がかかるのである。そのため、レーサーが加速のために魔力を籠めてから、実際に加速装置の出力が上がり切るまでにタイムラグがある。

 よって、レーサーたちはカーブなどでの差し合いでは高度に戦況を読み、少し早めに加速のための魔力を注ぐ必要がある。それもまたレースの醍醐味ではあるのだが、仮に思う通りに素早く出力を上昇させることができれば、操作の難易度は格段に下げることができる。

 その圧倒的な優位性を実現するため今まで数々の魔法技師たちが研究をしてきたのだが、どうしても反応速度を向上させることはできなかった。

 だが、目の前の機体はその永遠の課題を当たり前のようにクリアしているのだ。

 多少ではあるがメカニックの知識をもつモーガンから見ても、何がどうなって実現したのか見当もつかない。


「まるで、人が自分の足でスタートを切ったかのような自然で素早い加速……いったいどうやったらあんなものが……」


「間違ってへんで、それ」


 そう言って、観客席に現れたのはミゼットだった。

 自分の作ったボートを見て、観客たちが驚いているのが愉快のなのかいつも以上にニヤニヤとした顔をしている。


「どういうことです?」


「言葉の通りやけど? リック君が自分で加速させとるんやから、反応速度の問題なんかハナから関係あらへん」


「???????」


 モーガンはいよいよわけが分からないと、故障したからくり人形のように目をパチパチとさせる。


「いや、だから言葉の通りやって。『セキトバ・マッハ三号』は人力ちゅう話や」


「は?」


 そう、ミゼットが昨晩突貫作業で作ったリック専用機体『セキトバ・マッハ三号』は、世界初の足漕ぎ式レーシングボートである。


「そもそもリック君の魔力量じゃ、普通のボートどころか魔力障がい者用の『ディア・エーデルワイス』ですら最後まで持たんからな。後ろに取り付けてある加速装置に見えてるあれは足でペダルを縦回転で漕いだ力を横回転に変換して、回転することで水を押し出すように角度をつけた羽を回す装置や。その羽のことをワイは『スクリュー』って呼んどる」


「……」


 モーガンにはミゼットが何を言ってるのかサッパリ分からなかったが、少なくともこの時代ではありえない未来の技術なのだということは分かった。

 これが、ミゼット・エルドワーフ、もとい『エルフォニア』王家第二王子ミゼット・ハイエルフ。

 噂通りの御仁である。数十年前にこの国を去ったとされるその男は、明らかに時代の何百年も先を行くであろう技術が使われた道具を生み出すことができたと言われているのだ。


「さ、さすがは伝説の名工ミゼット様。アナタを招き入れて正解でした。で、ですが、仮にその機構を搭載していたとしても。どうやって人間が漕いだ力をレースで戦える速さまで増幅させているのです?」


「ん? そこについては、何もしてへんで。それどころか、情けないことにリックくんの脚力を受け止められる素材が無くて、全力では漕げんしなあ。突貫工事やからパワーのロスもかなり激しいし」


「そ、そんな馬鹿な……」


 マジックボートレースは直線で軽く100kmを超える高速レースである。

 地面で馬を走らせるよりも遥かに速いのだ。普通に考えればただのバカげたジョークだが……。


「……あ、いや? 100kmくらいならおかしくない……のか?」


 モーガンは混乱したように歯切れ悪くそんなことを呟く。

 もちろん、どう考えてもおかしいのだが、数日リックやミゼットと行動したせいで感覚がマヒしてきたモーガンだった。


   □□□


 そして、水の上では。


(ば、馬鹿な!!)


 ありえない!!

 という思いがダドリーの頭の中を渦巻いた。

 その目は、自分の前を走るリックとそのボートに寄せられていた。

 一瞬、水面が爆発したかと思ったら、いつの間にか大きく引き離されていたのだ。ダドリーも爆発で姿勢を崩したとはいえ、スタートの瞬間まで魔力ハンドルを限界まで倒し最大出力で走っていたのである。スタート位置を超える瞬間には最高速が出ていたのは間違いない。

 だというのにスタートしてから一秒で、一瞬にして10mもの差をつけられているのだ。どう考えても単純な加速装置のパワーが数倍は違う。

 ダドリーだけではなく他のレーサーたちも同じことを思っているだろう。


(いったい、どんな最新鋭の加速装置を使っているんだ!!!!)


 最新鋭どころか人類最古の加速装置(筋力)なのだが、当然ダドリーは知る由もない。


「クソ!!」


 ダドリーは底知れぬ恐怖を感じながらもそこは経験豊富なベテランレーサーである。姿勢を低くして空気抵抗を減らし、いつも通り直線を走る。他のレーサーたちは浮足立っている中で、やるべきことを自然と体がやっていた。

 すると、逆に予想していなかった事態が起こる。


(……ん?)


 見る見るうちに、前を走るリックのボートとの距離が縮まっていくのである。


(あのボート、普通の走行速度はあまり速くはないぞ?)


 むしろ、なぜスタートであれほどの超加速ができたのか疑問になるくらいの平凡な速度である。

 実のところ、スタートの爆発と加速はリックがかなり力を入れて漕いでしまったから起きたものであり、今はペダルやスクリューが破損しないように力を調整して漕いでいるというだけなのだが、もちろんこれもダドリーの知るところではない。

 だが、少なくともチャンスがあることは理解した。

 ダドリーは、さらに姿勢を低くし体幹に力を込めて姿勢を安定させる。さらに、ボートの後方に体を小さく折りたたんで体重を移動した。こうすることで、船の先が少し浮くのである。前方からの水の抵抗が減り、ダドリーのボートはさらに加速する。

 さらに……。


(やはり、リックとかいう乗り手は素人だ!!)


 水の切り方を見ればそれが分かった。元々バカでかいボートに乗っているとはいえ、あまりにも大きく水を引き裂いて進み過ぎである。おそらく、ダドリーのように後方に体重を移動させ先端を上げる技術ができていないのだ。これでは力のロスが大きすぎる。

 よって、必然的にその差は速度の差となって現れる。

 ダドリーはぐんぐんと差を縮め、コーナーに差し掛かる頃には後方4mまで迫っていた。


(よし。このコーナーを曲がって次の直線で並べる)


 そうしてコーナーに入るために魔力ハンドルを操作し、速度を緩める準備をする。


(さて、水上でのターンはかなりの技術が必要。素人にどこまでできるかな?)


 なにせ、水は恐ろしく不安定な足場である。少し波の上に乗ってしまうだけで大きく機体が暴れる。素人が時速何十kmも出しながらターンなどまず不可能である。

 前を行くリックが速度を落とし、大きくハンドルを回し旋回する。


「よっこいしょ」


 そして、曲がる瞬間に体を曲がる方向に倒し遠心力を相殺する。


(なっ!!)


 その動きは、ダドリーですら舌を巻くほどに凄まじい安定感のあるモノだった。

 減速のタイミングやハンドルの切り方はお世辞にもベストとは言えない。むしろ完全にミスってボートが暴れている。まさに素人である。

 しかし、搭乗者本人の体の安定性が尋常ではなかった。

 水面をはずむようなボートの揺れを軽々と押さえ込んで強引にコーナーをねじ伏せる。


(ど、どんなバランス感覚と体幹の強さをしてやがる!!)


 というか、何度か明らかにボートが真横になったりしていた。なぜあれで転覆しないのか。


(力の方向と物理法則はどうなってやがる。アイツは垂直の壁でも走って登れるとでもいうつもりか!?)


 もちろん登れるが、ダドリーはすぐにリックの超人技に驚いている場合ではないことに気が付く。


 ザッバア!!


 と凄まじい水面の揺れが、リックの曲がった後に発生したのである。

 元々コーナーでは水面を自分のボートで揺らして波を発生させ、周囲のボートをコントロールする技術はいくつも存在する。ボートレースは繊細な競技だ。僅かな水面の揺らぎですらボートは大きく影響を受ける。しかし、普通のボートが発生させるその水面の揺れを小規模の地震とするなら、リックとそのボートが発生させるそれは災害レベルの超大地震である。

 それもそのはず。

 ダドリーは今更ながらに、リックのボートの違和感に気が付いた。

 あまりにも船体が水面に沈み過ぎているのだ。

 当たり前だが、なるべくボートは水の抵抗を受けないようにバランスを保てる範囲で沈まないほうがいい。そのために、浮きやすい木を素材に使っているし、レーサーも減量をするのである。

 だからこそ、ダドリーはリックやそのボートを見た時に、素人やお遊びの機体と判断したのである。操縦者もボートも重すぎる。実際走行中に、直線にもかかわらずあれだけボートの先端で水を切り分けて進み、力をロスしていた。

 しかし、ダドリーは大きく見誤っていたのだ。

 リックの体重を80kg以上と想像したことである。

 それ自体は正解だ。しかし、リックの身長は目算で170cm台前半、よって、いっても90kgくらいだとダドリーは思っていたのだ。

 そこがまったくの見当違いである。

 人知を超えたトレーニングにより凄まじい質と密度の肉体を持つリックの体重は160kg超。

 平均的なレーサーの体重が50kgを切ることを考えれば三倍強、通常のボートではこの高重量を支えての高速走行をするには単純に浮力や強度が足りない。

 そのためミゼットは規定ギリギリのサイズで設計上浮力の高い運搬用のボートを、独自に開発した軽量装甲で補強したのだ。そのせいで、船体は他のボートと比べてかなり深く沈むことになったが、馬力自体はペダルが壊れなければリックが何とかするので問題ない。

 こうして、リックという高重量物を乗せ高速で走行・急旋回することを可能にした『セキトバ・マッハ三号』であるが、残念ながらその設計思想に「一緒にレースに出る相手への被害」は計算されていなかった。

 いや、ミゼットのことだからあえてそう設計したのかもしれないが……。


 ともかくレーサーたちにとっては、曲がる度に大型船舶ばりの波を生み出すボートと一緒にレースを走るなど、悪夢以外の何物でもない。


「ぐわあああああああああ!!」

「きやあああああ!!」

「わあああああああああ!!」


 発生した水面の大地震に晒され、ダドリーの後方に着けていた三機のボートが一斉に転覆した。

 自然災害は予想することが難しい。彼らの落ち度を追求するのはあまりに酷だろう。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 一方、ダドリーは吹っ飛びそうになりながらも、限界まで大回りして何とか転覆せずにコーナーを曲がりきった。

 技術もそうだが、たまたま軌道上に大きな波が無かっただけである。単純に運がよかった。

 息を荒らげながら。ボートをなんとか安定させ、再び直線走行の姿勢を取るダドリー。

 まるで激戦を終えた後のような消耗感である。


「はあ、はあ……クソ、クソ、なにがどうなってるんだ!!」


 そこまで言ってあることに気が付いた。

 

(……そういえば、まだ、一周目の第一コーナー曲がっただけじゃねえか……)


 思わず白目を剥きそうになる。

 もう妨害とか伝統というものを分からせてやるとかどうでもいいから、とにかく無事に帰りたいと半泣きになるダドリーであった。

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