第80話 ふざけた機体
翌日。
本日のレースもなかなかに盛況であった。
満員の観客たちの中で、モーガンとフレイアの親子は最前列に座っていた。
「それにしても、フレイア」
モーガンは隣に座る娘に尋ねる。
「なーに、お父さん」
そう答えたフレイアの格好は、眼鏡に深々と帽子をかぶっているお忍びスタイルだった。
今や有名人のフレイアだ。元々目立つ容姿をしているため、人の多いところに来てしまっては余計なパニックを起こしかねない。と言ってもフレイアという名前自体はエルフォニアでも珍しいものではないので、普通に名前で呼ぶのだが。
「良かったのか? リック君たちに賭けてしまって」
何とフレイアは、自分の持っていた全額をリックたちに賭けているのである。
ライザーベルト家では、モーガンが金銭の管理をしているのでまだ少女の娘には元々それほどの大きな金額を持たせているわけではないが、それにしたってそれなりの額である。
「うん。だってリック君が乗るんでしょ? ならたぶん勝つんじゃないかな」
しかし、当の娘はこの調子である。あくまで少し言葉を交わして握手しただけの相手であるはずのリックの実力を完全に信用しきっていた。
戦いに生きるものの直感みたいなものなのだろうか? 親として情けないところではあるが、モーガンには分からない感覚だった。
そんなことを考えている間に、出走するボートがゲートから現れた。
そして、外から三番目の八番ポイントに向かうリックのボートを見た時。
「……」
モーガンは思わず大口を開けたまま、黙り込んでしまった。
□□□
唖然としたのはモーガンだけではなかった。
会場全ての者たちがリックの乗るボートを見て目を丸くしている。
リックの一つ内側を走るダドリーもその一人だった。
(……な、なんだあれは)
ダドリーはスタート前に「シルヴィアワークス」のサポートレーサーに名乗りを上げたという人間族の男の体つきを見て、これならワザワザ自分が妨害などしなくても勝手にこのレースに負けてくれるのではないか? と首を傾げた。
なにせ、背がそこまで高いと言うわけではないが、鍛え上げられた体つきをしており体重がかなりありそうだったからである。基本的に筋肉によって大きくなった体は、大きく見えても筋力が上がっている分動きが素早い。よって体のバランスを崩さない範囲でなるべく大きく鍛え上げたほうが、大概の競技において有利に働くわけだが、ことマジックボートレースにおいてはそうはいかない。
なにせ、加速装置を付けたボートに「自分という重り」を乗せて戦う競技なのである。当然重りは軽いほど良いのだ。
だから、女子の選手も多いし、男子選手も大半の選手は平均よりもだいぶ小柄で細身である。
だというのにこの男(確かリックと言ったか)はどうみても体重は80kgは超えているだろう。いくらなんでも無謀と言うものである。
だが、予想外なのはそれだけにと止まらなかった。
リックが乗り込んだ機体。登録名は「セキトバ・マッハ3号」。
そもそも意味不明の名前だが、その威容は輪をかけて意味不明だった。
なによりもまずデカい。
恐らくルールで定められた規定ギリギリのサイズであろう。水の抵抗を極力無くすことを追求した機能美ともいえる他のボートとは明らかに違っている。
そもそも、あれは元々運搬用の船か何かだったのではなかろうか? ダドリーの目には貨物運搬用の小型の船を、装甲版で補強して、後ろに巨大な加速装置を乱暴にポン付けしたようにしか見えなかった。
物凄く頑丈そうなのは嫌でも分かるが、まともに加速させられるようには到底思えない。
(……ふざけてやがる)
ダドリーはなぜか側面にデカデカと書いてある「安い、早い、安心、レナード運輸」という文字を見て眉間に皺を寄せた。
こんなものはマジックボートではない。確かにこれは痛い目を遭わせてやらねばならないだろう。
ダドリーはほくそ笑むと、リックの背後に付けた。
もうじきスタートである。
ダドリーの狙いはシンプルである。
スタートの瞬間、軽く小突いてやるのだ。
加速スタート方式をとるマジックボートレースは、フライングぎりぎりを見極めてスタートを切るため、その瞬間にレーサーの意識は完全に無防備になる。そこを横から軽くぶつけてやれば転倒は免れない。本来ならそんなことをすればわざとやったのがバレるが、相手のボートは無駄に横幅がデカい。少し手元が狂ったと言えば否定しきれないだろう。
しかし、リックは。
(……あいつ、何をしてるんだ?)
一人、スタートに向かって進んでいる。
その機体から
キコ、キコ
とまるでナニカのペダルでも漕ぐような音が聞こえてきた気がするが、何かの気のせいだろうか?
リックは、スタートラインの少し前で停止した。
いよいよもって、ダドリーは混乱する。
当然だが、なるべく加速を付けてスタートを切るほうが有利である。そのための距離をワザワザ自ら殺しているのだ。
『それでは、レースを始めます。10、9.8.7』
スタートのコールが始まる。
レーサーたちが一斉に加速を始める。ダドリーの機体も龍脈式加速装置を唸らせながら加速を始める。
リックの機体は動く気配無し。
『5,4、3』
ダドリーの機体がスピードに乗り始める。
それでもまだ、リックの機体は動かず。
(なんだ? エンジントラブルか?)
ダドリーが考えたのは、リックという男が初心者であるため、確実なスタートをきるために加速距離を極端に減らしたのではないかということだった。素人は速度調整が難しいが、定位置からゆっくりと加速すれば確実にスタートをきれる。
しかし、このタイミングではそれすら間に合わない。
(……まさか装置にトラブルでも起きたか?)
何せあのボートについているのは、ベテランのダドリーですら見たこともないような大型の加速装置である。間違いなく本日お披露目の新型加速装置だろう。しかし、新しいモノにはトラブルがつきものだ。
(ふん、奇をてらって、挙句の果てにマシントラブルで失格とは、これだから王道で勝負しないものは醜い)
そんなことを思い、リックのボートを追い越しかけた。
次の瞬間。
「よし、発進」
ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!
と、水面が爆発した。
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