第79話 伝統

 リックがミゼットに連れられて足を運んだのは、魔法石採掘場であった。

 そこかしこで工夫達が鍬を手に鉱山を掘り勧める姿はどうにも『エルフォニア』のイメージからは程遠いが、考えてみれば魔法石をはじめとした魔力資源の輸出国なのである。むしろ、こういった採掘場こそが国の富を生み出していると言ってもいい。


「……それにしても、なんでこんなところに?」


 リックとしては本日急遽参加することになった、明後日のレースが気がかりである。

 そんなリックの心配を他所に、ミゼットは何ともなさげに言う。


「別に観光に来たわけやないで。ここには明後日使うための機体を取りに来たんやからな」


「……どういうことです?」


 眉をひそめるリック。

 機体を探すなら、町の方にある専門の店ではないのだろうか?


「当たり前やけど、どの店にもレースで勝負できるようなボートは売ってへんよ。アレはお抱えのスポンサーがレースチームに大枚はたいて専門で作らせとるものやからね。その辺の市販品では太刀打ちもできへんわ。そもそもリック君に魔力を大量消費するボートは使えへんし」


 そんなことを言いつつ、ミゼットは工夫達に指示を出している監督官のような男の下に行く。


「おお、これはエルドワーフ殿。お久しぶりです」


 そう言ったのは、生来細身のものが多いエルフの中では珍しい大柄な男だった。

 ミゼットは大柄の男と握手を交わしながら言う。


「大きに。換気装置の方の調子はどうや?」


「それはもう。作業環境が素晴らしく改善されて……全くアナタには感謝してもしきれませんよ」


 どうやらミゼットとは知り合いのようである。


「そんならよかったわ。それで、例のやつは?」


「ええ、もちろん用意してありますよ」


 そう言って、大柄の男は川の方を指さした。

 『エルフォニア』は水の国。採掘場はその水が流れてくる標高の高い場所にあり、そこかしこで大きな川が流れていた。

 その川に流されないよう鎖でつながれたボートが一つ浮かんでいた。要するに、これがミゼットの言う明日使うための機体なのだろうが……。


「……あの、ミゼットさん」


「なんや?」


「俺にはこれ、採掘した魔法石を輸送するための船に見えるんですけど」


「よく分かったやないか」


 当然である。なにせ船の上棚にデカデカと「安い!! 早い!! 安心!! レナード運輸!!」と書いてある。


「せやな。サイズは大きく感じるかもしれへんが、帆を外せば規定ギリギリやで」


「まあ確かに輸送船としてはかなり小さいですが……」


「まあ、任しとき。リック君。ちゃんと明後日までにリック君がこれで戦えるようにしといたるわ」


 そう言ってヘラヘラと笑うミゼットを見て、心底不安になるリックであった。


   □□□


 フレイアが初優勝した日の夜。


「……ふん。何が『天才美少女レーサー』だ」


 競技歴30年のベテランレーサー、ダドリー・ライアットは一人、酒場で普段の倍近い量の酒をあおっていた。

 酒場と言っても庶民が利用するような、お手頃価格のところではない。貴族御用達の高級で質のいい酒と優美な音楽を嗜む店である。

 ダドリー自身、そこそこに名のある貴族である。というか、マジックボートレースのレーサーはそのほとんどが貴族だ。単純にマジックボートレースにかかる費用はそうそう一般庶民にまかなえるものではないというのもあるし、魔力量に優れた者の多い貴族のエルフたちはレーサーとして一流であるための第四等級以上の魔力量を持っていることも多いというのもある。

 そういういくつかの理由があって、『レーサーは高貴な身分の人間がなるもの』という常識が、この国では形成されていた。

 特に貴族たちは、この常識を手放しで歓迎していた。それはそうだろう。自分たちの優越性を非常に分かりやすく証明してくれる常識なのだ。

 しかし、そんな中現れたのが今日自分と同じレースを走ったあの少女である。

 ダドリーの本日のレースの成績は二位。なかなかに上々の成績ではあるが、それでも優勝をかっさらったのはフレイアとかいう少女だったのだ。

 庶民の!!

 しかも第六等級の!!

 全くもってマジックボートレースの伝統を蔑ろにしている。甚だに不愉快である。


「……クソッ!!」


 何よりも不愉快だったのは、実際に並んで走った時に自分自身がそのフレイアの走りに魅せられてしまったことだ。

 ダドリーは『エルフォニア・グランプリ』での優勝経験こそないが、いくつものタイトルを獲得している一流のレーサーである。だからこそ、分かってしまうのだ。あの第六等級の少女の確かな技量とレースにかけるその圧倒的な熱量を。

 あの少女は圧倒的にレーサーとして自分より上であると、自身も一流だからこそ分かってしまう。

 しかし、それを認めてしまうことはベテラン選手としても貴族としてもプライドが傷つけられる。

 全くもって不愉快だった。酒の量も増えるというものである。


「やあ、ダドリー・ライアット男爵」


 その時、いつの間にか隣の席に座っていた小太りの男に声をかけられた。


「おお。これはヘンストリッジ様」


 ディーン・ヘンストリッジ伯爵である。

 何度か社交界で顔を合わせたことがある程度だがダドリーにも面識があった。


「それにしても、今日のレース惜しかったですねえ」


 少しねちっこい喋り方でそう言われると、不愉快な気分が増して思わず顔をしかめる。


「僕としては、アナタに優勝してほしかったのですがねえ。正直なところ、あのような庶民の小娘に大きな顔をされては、競技そのものの沽券にかかわると思っているんですよ」


「……ええ、そうです。そうですとも」


 ディーンの言った言葉に、ダドリーは思わずそう返してしまった。


 それからは、しばらく二人でレースのことについて話した。

 ディーンは馬車の運転が荒いことで庶民の間では有名な男だが、速いものが好きなのかマジックボートレースに対してはそこそこに知識があり、また話し方は不愉快ではあるがダドリーにとって話したいことを話させるのが上手く、つい熱を入れて話してしまった。

 その話の内容の大半は。


「ふむふむ。それはそれは、全くもって許せませんな。伝統というものを分かっていない」


「そうです。あのような小娘の人気取りに使われてしまってはレースそのものの格が落ちる」


「ええ。全くです。本物のボートレースというものが、いずれ失われしまいかねません」


 というものだった。

 ダドリーとしては、正直なところ自分が情けない負け惜しみを言っているのは分かっていたが、それでもこうして勝てない相手を伝統やら常識やらを盾に非難することが今は気分がよくてしょうがなかった。

ひとしきり話した後、ディーンはこんなことを言ってきた。


「……ところで、明日のレースですが。ダドリー男爵も出場するんでしたよねえ?」


「え? はい。まあ、それほど大事なレースでもないですから、『エルフォニア・グランプリ』前に怪我だけはしないようにするつもりですが……」


 すでにダドリーは今年の大会実績で『エルフォニア・グランプリ』予選への参加資格を勝ち取っていた。

 明日のレースは優勝賞金もそれほど多くはないし、そこまで気合を入れて臨むつもりもなかった。


「そうですか、そうですか。ところで、噂によると明日のレースで先日怪我をした『シルヴィアワークス』の選手がそのレースに参加するらしいのですよ」


「……それは初めて聞きましたね」


 ダドリーは今日のレースを思い出す。

 シルヴィアワークス、あの忌々しい小娘の所属しているチームだが、確か自分のインを取ろうとして転覆した選手がいたな。余程焦っていたのだろうか、随分と豪快に吹っ飛んでいったのでよく覚えている。


「なるほど、あの選手の代わりの『サポートレーサー』ですか。残りの期間を考えると明日のレースで優勝しなくては、『エルフォニア・グランプリ』に参加できませんから必死でしょうね」


 マジックボートレース最大の大会『エルフォニア・グランプリ』は、その年の実績が予選の参加条件になる。いくつかある参加条件のどれかを満たせばいいわけだが、そのうちの一つが「メジャーレースで優勝する」というものだ。これなら、一発で参加資格を得ることができる。


「はい、ですが……私としては、マジックボートレースの将来を考えると『シルヴィアワークス』には大きな顔をさせたくないのですよぉ」


 そう言ってワザとらしく肩をすくめるディーン。

 正直、全くもってさまになっていなかったが、ダドリーとしても『シルヴィアワークス』とあの小娘にデカい顔をさせたくないのは同感なので、深く頷いた。


「そこでですね」


 ディーンは言葉を区切って、少し周囲の様子を窺うと小さな声で言う。


(どうです、ここは一つ。明日、あなた自身で教訓を与えてあげてはいかがでしょうか?)


(そ、それはどういう……)


 ダドリーがディーンの方を見ると、さながら悪魔のように口の端を吊り上げた不気味な笑顔をこちらに向けていた。

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