第77話 ディア・エーデルワイス

「あれが噂のレーサーですか……」


 リックの一つ隣の席に座るパット・コーネイは第二レースに出走するフレイアを見てそう呟いた。

 パットは眼鏡をかけた長身だが細身の青年である。現在22歳の彼は、十代の頃は自らもレーサーを夢見ていた筋金入りのファンだ。

 パットを知る他の闘技会ファンたちは彼のことを『皮肉屋』と呼ぶ。

 そんなパットは、地方のマイナーレースを見るのが生きがいの仲間から「スゲーのがいたぞ!!」と、興奮気味に名前を教えられていたフレイアを見て一言。


「ふん。客寄せパンダとしては確かに有望ですね」


 と吐き捨てた。

 パットは冷めていたが、観客たちはフレイアを……特に彼女の乗っている機体を見てザワザワと声を上げている。


 ディア・エーデルワイス。


 伝説の機体である。

 ちなみに、そんな観客たちとは対照的に隣に座っている三十歳くらいの人間族の男は、フレイアの機体を見ても落ちついた様子で腕を組んで座っている。

 恐らく観光客で初めてマジックボートレースを見に来たのだろう。

 少しでもマジックボートレースに詳しい者なら、普通はあの機体を見て冷静でいられるはずなど無いのである。

 アレは30年前。パットが生まれる7年前に突如として姿を現し、その圧倒的な走りで国内最大のマジックボートレース『エルフォニアグランプリ』で優勝。そして、そのワンシーズンを最後にメジャーレースには一度も姿を見せていないという、まさに伝説の存在なのだ。

 そして今、30年ぶりにメジャーレースに姿を見せたそれを操っているのが、たった十四歳の、それも素朴というよりはオシャレに着飾ったタイプの美少女ときている。

 なんとも、話題性のある話である……まあ、勝つのは無理だろうが。


「フレイアがどんな勝ち方をするのか楽しみです」


 そんなことを、先ほど隣の人間族のオッサンが言っていたが、正直期待するだけ無駄だろう。

 パットがそんな冷めたことを考える根拠は非常に明快だった。

 フレイアの髪の色である。

 エルフ族では珍しい黒い髪であり、彼女が生来の魔力量がエルフの中では極端に低い「魔力障害」の持ち主であるということなのだ。

 非常に歯に衣着せぬ言い方をしてしまえば、『マジックボートレース』は魔力量という才能で大半の勝負が決まる世界なのである。歴代の『エルフォニアグランプリ』における上位優勝者を見ればそれは明らかだ。ほぼ全員が魔力量は最高ランクの第一等級。第二等級の選手ですら数えるほどしかいない。その第二等級ですらエルフ族の平均以上なのだ。

 パットは自らの腕に巻かれた第三等級を示す緑色のミサンガを見る。

 魔力量の消費が激しいこの競技において魔力等級の壁は絶対的だ。

 若かりし日にレーサーを目指し、そして諦めたパット自身が誰よりもよく知っていた。

 だからこそ、パットは断言するのだ。


「ロマンはあるけど、ロマンだけではなんにもなりません。あの少女も早く現実を見たほうがいい」」


 あと、個人的な話であるが。パットはレーサー個人のファンにというよりも、その実力にこそ価値を見出すタイプである。もちろん興行であり人気商売というのは分かるのだが、こういうレースの実力以外で人気を集めそうな選手やそれをもてはやすファンたちも好きではなかった。

 よく会場の外で、選手のグッズを売っているがアレを買う人間の気持ちがさっぱりわからない。


 そして、そんなことを考えている間に。


『5、4、3、2、1……スタート!!』


 アナウンスの声と共に、一斉に7機のボートがスタートラインを越えた。

 加速スタートにより勢いよく飛び出していくボートたちだが。


「……ふん。やはりそうなりますか」


 フレイアのスタートが出遅れた。

 ディア・エーデルワイスは唯一の『魔力障害者用レーシングボート』である。

 通常のマジックボートは湖に流れる龍脈の力と自らの魔力を利用して進むが、この機体は後方に取り付けられた六つの魔力推進装置を自らの魔力で稼働させ加速するのである。

 これにより、魔力量の消費が抑えられ、生来の魔力量が少ないエルフでもワンレース走り切ることができる。

 ではなぜ、この三十年間メジャーレースにその姿を現さなかったのか?

 これは単純な話で、扱いがあまりにも難しすぎる暴れ馬なのである。

 ディア・エーデルワイスには大きすぎる欠点があった。

 通常のボートのように龍脈と自らの魔力を合わせて推進力に変える方式は、どちらも「自然の動きに逆らわない」仕組みであり操作が容易なのである。そもそも龍脈に沿って周回コースが作られているため、龍脈の力を感じ取って利用しながら走ることは、そのまま適切なコース取りをすることになり、最上級者ともなれば目をつぶっても走行できる。そして、当然自らの魔力もトレーニングによって自分の手足のように動かせるものである。だからこそ、水上で最高時速100kmを優に超えるボートを操ることができるのだ。

 一方、ディア・エーデルワイスの推進方式は少々以上に『力技』と言わざるを得ない。

 自らの魔力はあくまで『起爆剤』として六つの推進装置で加速するわけだが、しかし、その肝心の推進装置に問題があった。

 魔力を持った鉱物である魔法石を燃料として使用するのだが、当然ながら純度百パーセントの魔法石などは、国宝級の代物でありレースに使うことなどできない。

 要は不純物の凄まじく多い燃料を使っているため、速度が安定しないのである。

 よって、繊細なスピード調整を要する加速スタートをするのは無理があった。ディア・エーデルワイスは必ず他のボートの後方からゆとりを持ってスタートせざるを得ないのだ。

 パットの隣に座る、三十代くらいのオッサンは、


「あそこからどうやって抜いていくのか楽しみだなあ」


 などと、先ほどからまるであの少女の勝利を確信したようなことを言っているが、全くもって素人の考えである。

 一秒を争うレースでスタートで大きく遅れるのは、素人が考えるよりも遥かに痛い。

 もちろん、それを補う利点もある。


『あーっと、出遅れたフレイア選手ですが、直線でグングンと差を縮めている!!!!』


 ディア・エーデルワイスは直線の加速力に優れている。六つ搭載された加速装置による強引な加速は、龍脈の自然な流れに乗っていては生み出すことができないほどの強烈な加速を実現する。

 伝説の機体が見せる圧倒的な加速力に観客たちは歓声を上げた。

 スタートで出遅れたにもかかわらずコーナーに差し掛かる頃には、後方5メートルの位置まで差を縮めていた。


「確かに目を見張る加速ですね。乗っているのが小柄な少女というのもあって凄まじい」


 ボートに乗る姿勢も綺麗である。腕は確かなようだ。


「でも、問題はここからなんですけどね……」


 ディア・エーデルワイスは、スピードが安定しないボートなのだ。

 つまり繊細なスピードの調整を強いられるカーブでも、スタートの時と同じ状況に陥るということである。

 他のボートよりも手前でスピードを落とし、なおかつ大回りしてゆったりと曲がらざるを得ない。その間にせっかくの加速力で差を詰めても、再び引きはがされてしまうのである。そんな安定性を重視した曲がり方でも、他の機体と比べるのも馬鹿らしいほど難しい。

 パットもボートレースへの道を諦める前に、あのタイプの機体に乗っていたことがある。

 普通のボートを使ってやっていたら、魔力量に勝る者たちに勝てないと感じたからだ。

 だが、乗ってすぐに分かった。

 これは、無理だ。一度も転覆せずにコースを走り切ることすら至難の業だった。

 結局一年使ってみたが全てぶっちぎりのビリか転覆によるリタイアという悲惨な結果に終わり、パットはレーサーの道を諦めた。


「まったく、不愉快ですね……」


 あのゆっくりと大きく膨らみながらそれでも安定しない、優雅さのかけらもないコーナーリングがパットは心底嫌いだった。

 こうして、たまの休日にレースを見に来てわざわざ不愉快なものを見せられるとは、勘弁してほしいところである。

 そんなことを思った、直後。

 パットの隣に座るオッサンがボソッと呟いた。


「ああ、なるほど。そこで差が出るんだな」


 なに?

 と、パットが一瞬そちらのほうを見た時。


 観客たちから悲鳴交じりのざわつきが起こった。


 コースのほうを見れば、なんとフレイアはほとんどスピードを落とさないままコーナーに突っ込んでいったのである。

 危ない!! 操作ミスか!?

 とパットは身を乗り出したが、次の瞬間。


「あはははははははははははははははははははははははははははははあああああああああああ!!」


 と、楽し気な少女の笑い声が会場中に響いた。

 そして、曲がり始めるギリギリで一気に加速装置を止めると、体を曲がる方向に尋常ではないほど投げ出した。

 ボートのエッジで水を切りながら、横滑りしていくフレイア。

 パットは驚愕に目を見開いた。

 なぜだ!! なぜあれで、転覆しない!?

 水面は不安定な地面である。レース中に他のボートが起こした波にも大きく影響を受けるのがボートというものであり、特にカーブを曲がるともなれば、一つの大道芸にも等しい技量が必要である。

 で、あるというのにあの少女は水面を激しく横滑りしながら上下するボートを、肩が水面に付くほど体を傾けることで見事に制御しているではないか。なんという化け物じみたバランス感覚と度胸である。

 フレイアはほとんどコースのアウトいっぱいに膨らみながら見事にカーブを曲がり切った。

 会場から歓声が上がる。今度は悲鳴ではなく拍手交じりである。

 少女の見せた超絶技巧に観客たちは、自然と拍手を送っていたのだ。

 パットは思わず立ち上がって、唖然としていた。

 しかし、隣に座るオッサンは相も変わらず。


「まあ、そうなるよな」  


 などと、分かってたかのような落ち着いた様子で言っていた。

 というか、さっきからなんなんだこのオッサンは!! 素人じゃなかったのかよ!!

 とパットは心の中で叫んだ。


 後は、もうフレイアの独壇場であった。

 確かに大回りし過ぎるカーブでは他の機体に後れを取るのだが、その遅れは僅かである。

 圧倒的な直線の加速力を誇るディア・エーデルワイスとフレイアにとって、なんの問題にもならなかった。

 二周目までには、後方を完全に置き去りにして首位を独走。そのままゴールし、圧倒的な実力を見せつけた。


「そんな、馬鹿な……」


 魔力量の時点で勝負が決まっている。そう考えてきたパットは、目の前でその考えを木っ端みじんに打ち砕かれて、立ち尽くすことしかできなかった。

 もしかしたら、間違ってたのは自分のほうだったのだろうか?

 諦めずにあの機体に乗り続ければ可能性はあって、自分で自分を見限ってしまっただけだったのだろうか?

 そんなことを思わされてしまった、少女から目が離せなくなった。

 ウイニングランで、ゆっくりとコースを一周しているフレイアが、パットの目の前まで来た。

 無邪気で生意気そうな目をした、パーマをかけたツインテ―ルの少女である。子供ながらに綺麗に化粧もしていて、とてもあの異常な走りを見せたとは思えない。


「応援ありがとね」


 少女がパットのほうにウィンクした。

 トクンと、パットの心音が跳ね上がった。

 いや、正確にはパットのいるほうの観客席全体に向かってしたのだろうが、そんな風に思ってしまったのだ。

 パットはボードに貼り出されている出走者の名前を確認した。


「……フレイア、フレイア・ライザーベルトですか」


 その時、隣に座るオッサンがさらに隣に座るスーツを着た四十代ほどのエルフと話しているのが聞こえた。


「フレイア人気出ましたね。モーガンさん」


「ええ、売店でグッズを販売しているんですが、もっと準備しておいたほうがよかったかもしれませんね」


「……」


 パットは無言で自らの財布を取り出す。


「……さ、最近はあまりお金を使わなかったですし、試しに一つくらい買ってみますか」


 そう言って小走りで、会場の外にある売店に向かったのだった。

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