第72話 奥義
「……あーくそ、おい!! そこのお前!!」
リックに撥ねられた(正しい表現である)馬車の中から一人の男が出てきた。
豪奢に着飾ったエルフ族の男である。年齢は……まあ、エルフ族を見た目で年齢を想定するのは意味が無いのだが、モーガンよりも大分若いだろう。人間でいえば二十代の中頃といったところか。
背は低く、かなり不健康そうな肥満体形である。
「この僕をヘンストリッジ家の当主、ディーン・ヘンストリッジと分かっての狼藉だろうな!!」
「いや、そっちからぶつかってきたんだが……」
隣にいるモーガンがこっそりリックに耳打ちする。
(……ヘンストリッジはこの辺り一帯を取り仕切っている貴族です。馬車を乗り回すのが趣味で、必要以上のスピードを出す危ない運転で有名な困った方でして)
(なるほど……確かにさっきのスピードは『強化魔法』で馬を強化していないと出せない速度でしたね……)
これまた、めんどくさいことに巻き込まれたな、とため息をつくリックであった。
「おい、お前どう責任を取ってくれるんだ?」
そう言ってリックに詰め寄ってくるディーン。
「って、酒くさ!!」
リックは近づいてきたディーンから漂ってくるアルコールの臭いに顔をしかめた。一杯や二杯ではこうなるまい。歩み寄ってくる足取りも千鳥足である。
「『エルフォニア』には市街地で酒飲んで馬車乗っちゃダメな決まりはないのか?」
というのも、数年ほど前に街中で酒を飲んで馬車に『王国』の王族がひき殺されてしまうという事件が発生したのである。近年動物の身体能力を強化する『強化魔法』の開発が進み、馬の脚力が大幅に向上したことで起こってしまった悲しい事件である。その王族が市民からも人気のある人物だったこともあり、『王国』内だけでなく主要な国も大きな事件を起こさないために、市街地での『強化魔法』や飲酒をしての馬車の運転は制限されているはずだった。
しかし。
「はっはっはっ、なーにを言っているんだお前は」
ディーンは声高々に笑った。
「確かにそういう法律はあるが、貴族以外を対象としたものだ!!」
「え、マジですか」
「ええ。まあ、貴族の方は馬車を移動に使うことが多いですから」
リックが生まれた時から住んでいる『王国』は基本的に貴族だろうがなんだろうが法律は全員に適用される国なので、どうにもしっくりこない感じである。
まあ、そういうことなら仕方ない。ここは得意のあの技を使おう。
「まあまあ、ここはいったん落ち着きましょう。こちらこそとっさのこととはいえ、馬車を避けることができなくてすみませんでした」
そう言って頭を下げるリック。
ギルド事務員式接客術奥義、とりあえず謝罪である。
国と文化は違えど人と人。誠意を籠めて謝罪すれば気持ちも収まるかもしれない。何はともあれまずは話し合いである。
ディーンはそんなリックの右腕を見る。
「ふん……黒いミサンガか。六等級の下等生物が」
露骨に見下しを含んだ声だった。
先ほどミゼットが言った通り、やはりここでは魔力が低いことは軽蔑の対象になるらしい。
「初めからそうやって下手に出ていればいいものを……では、弁償してもらおうか」
「何をですか?」
「馬車をだ!! お気に入りのやつだったんだぞ!!」
ディーンは横転した馬車を指さして言う。
「あー、それはできません」
「なんだとお!? さっき貴様謝ったろうが!!」
「もちろん謝罪はしました。ですが、突っ込んできたのはそちらでありこちらに過失はありません。当方ができるのは誠心誠意お詫び申し上げるだけで、馬車の弁償に応じることはできません。ご理解いただければ幸いです」
「貴様、僕を舐めてるだろ!!」
全く失礼な話である。こうして平身低頭しているではないか。
正直、リックが逆に説教をしてやりたいところであるが、この場をスムーズに収めるために謝っているのである。この心づかいを是非とも察してほしいものだ。
やはり、文化の違いという壁は大きい。
「お灸をすえる必要があるようだなあ」
「申しわけありません。ご理解いただければ幸いです」
「くたばれ下民がぁ!! 第二界綴魔法『フレイム・ショット』!!」
ディーンがリックの方にかざした手から、炎の塊が放たれる。
炎系統第二界綴魔法、『フレイム・ショット』は炎の塊を放つ攻撃用魔法である。シンプルで基礎的な魔法であるが最大の特徴は、その炎の速度だ。平均して時速100㎞にも及び、今回のディーンのように略式詠唱で放たれると回避が難しい。
まあ、アリスレートの戯れに比べればまさしく児戯に等しいが。
パシュン。
と、リックが手をかざしただけで炎の塊が消失した。
話し合いの邪魔なので消えてもらった。リックお得意の魔力相殺である。
「なっ!!」
「どうか、ご理解ください。当方は弁償に応じることはできません」
とりあえずまだ、相手の気が立っているようなので頭を下げるリック。
ディーンのこめかみに青筋が浮かんだ。
「同じことしか言えんのか貴様はああああああああああああああああ!! 第三界綴魔法『フレイム・イリミネート』!!」
ディーンの手から再び炎の塊が放たれる。
今度は先ほどのものよりも発射速度は劣るが、大きな塊であり威力も二回り以上上である。
まあこれも、話し合いの邪魔なので消えてもらうが。
パシュン。
「……」
ディーンはその場で目を丸くして固まってしまう。
リックは顔を上げて尋ねた。
「……納得していただけましたか?」
「き……貴様、何者だあ!!」
「え? 観光に来たただのEランク冒険者ですけど」
「そんなわけあるか!!」
「なんで、信じてもらえないんだろうな……」
国と文化の壁は厚いようである。悲しい。
「おい、出てこい。ディアブロ」
ディーンの言葉と共に、馬車の陰から一人の男が現れた。
腰に剣を携えた大柄の男である。エルフ族ではなく人間である。雇われの用心棒みたいなものだろうか?
確かに、少なくともディーンよりは強そうである。
「アイツに身分の違いというやつを分からせてやれ」
「了解ですぜ、ご領主……ってなわけで、悪いけど腕の一本くらいもらうぜ?」
そう言って、ディーンは剣を引き抜く。
いや、さすがに衆人環視の中そこまでやったら、雇ってる側もヤバいんじゃないだろうか……。
その時。
「おー、なんやなんや、面白そうなことやっとるやんけ」
店の中から先ほどの店員の女エルフに抱っこされた格好でミゼットが出てきた。
「……ああ、ヤバいな」
非常に厄介な人が来てしまった。
と、リックは頭を抱えた。
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