第65話 騎士団学校 後日談 リックの去った後1

「ふう。久しぶりに走ると思ったように体が動かねえな」


 ガイル・ドルムントは普段訓練で走る山道を走り切ると、そう言って汗をぬぐった。

 クライン学園長の一件から一週間が経っていた。

 あの後、東方騎士団学校に蔓延っていた資金の着服や悪しき風習などが次々に噴出し、職員たちはその対応に追われているため現在授業は休止している状態である。再開まではもう少し時間がかかるだろうというところだった。

 学生たちにとってはそういう大人の厳しい事情はともかくとして、せっかく授業が休みになっている状態である。外出は禁じられたままだが、これ幸いと休みを満喫する者ばかりである。

 そんな中、ガイルは普段の授業以上のトレーニングを毎日続けていた。


「ったく、この程度で息上げてたらリックの兄貴には程遠いなぁ」


 一週間前に姿を消した同僚であり師と仰ぐ男の名を口にする。

 その男は同僚たちから聞いた話では、仲間を引き連れなんと東方騎士団本部を攻め落とし、あのクラインを軽く倒してしまったらしい。にわかには信じがたい話かもしれないが、数か月一緒に過ごしたガイルからすれば「さすがはリックの兄貴だな」と笑うばかりであった。

 まあ、何はともあれガイルも残る二人の同僚も無事だったし、全てが一件落着といったところだろう。

 それは非常に喜ばしいことなのだが……。

「さて、部屋に戻るか……はあ、ちょっと戻りたくねーんだよなあ」

 しかし、ガイルにはここ最近ある悩みがあった。


   □□□


「あー、疲れた。午後のトレーニングする前にひと眠りしとくか」


 ガイルがそう言いながら自室である504号室の前まで来ると、中から声が聞こえてきた。


「ねえ。ヘンリー」


 そう言ったのは、アルク・リグレットである。

 一見美少年に見えるが女である。

 この女は初めて会った時から常に張り詰めた雰囲気をまとっていた。いけ好かないやつだと思ったが、弟のために首席を取らなければならず気を張っていたことや、寸暇を惜しんで訓練や勉強に励むところを見てライバル心のようなものが芽生えた。

 現在は、性別を偽って入学していた経緯も含め一通りの事情聴取も終わり、処分が決まるのを待っている状態である。聞いた話ではそれほど厳しい処罰は下されないとのことだ。

 で、そんなライバルがここ最近どうなっているかというと。


「食堂を借りて作ってみたの……ヘンリーのために、よければ、その……食べてくれると嬉しい」


 顔を赤らめながら、隣に座るヘンリーにサンドイッチのバスケットを差し出した。

(……誰だお前)

 とガイルは内心でツッコミを入れた。

 元々ちょっといい雰囲気はあったが、クライン学園長の一件以降ヘンリーに対するアルクの乙女化が酷いのである。


「え、ぼ、僕にですか?」


 もう一人の同居人、眼鏡をかけた気弱そうな少年のヘンリーも驚いてそう言った。


「……うん。あ、ご、ごめんね。この時間じゃお腹すいてないよね。これ、弟も好きだったからヘンリーも喜んでくれるかと思ったんだけど、迷惑だったよね」


 ヘンリーが慌てて言う。


「いや、食べる食べる。食べさせてもらうよ」


「そんな、無理しなくても」


「違うよ。確かにそんなにお腹減ってるわけじゃないけどさ。でも、アルクが僕のために作ってくれたんだから食べたいんだよ」


「……ヘンリー」


 上目づかいで少し瞳に涙を滲ませるアルク。

 いや、だからなんだよ!! そのしおらしい態度は!!

 入学した頃の「馴れ合うつもりはない。アナタたちも無理に私と関わろうとしなくてもいい(キリッ)」とか言ってた頃のお前はどこに行った!?

 そんなガイルの心の叫びを他所に、アルクはサンドイッチを一つ手に取るとヘンリーの口の前まで持っていく。


「はい。あーん」


「……え? あの、アルクさん?」


 きょとんとした声を出すヘンリー。


「えっと、せっかく恋人同士になったから、たぶんこの寮にいられるのもあと少しだし、こういうことしておきたくて……ヘンリーは嫌?」


「いやいや、全然嫌じゃないよ。むしろそのすごく嬉しい」


 ヘンリーは音が鳴るくらい首を横に振った。


「じゃ、じゃあ……」


 ヘンリーはあーんと口を開けて、アルクの持ったサンドイッチをかじる。


「……あ、これ美味しいね。肉と野菜を挟んだだけじゃなくて、なんだろパンに何か塗ってる?」


「うん。塩を混ぜたバターを塗ってる」


「ホントに美味しいよ。これは、いくらでも食べられるなあ」


 パクパクとバスケットからサンドイッチを取り出して食べるヘンリー。

 それを見てアルクは嬉しそうな笑顔になっていた。

 そして、今度はヘンリーがサンドイッチをアルクの前に差し出した。


「はい。アルク」


「え?」


「ほら、恋人らしいことしておきたいって言ったからさ。僕からもアルクに食べさせてあげようかなって……」


 自分でやったくせに恥ずかしくなって段々小声になっていくヘンリー。ヘタレである。


「……えっと、じゃあ。あーん」


 アルクはヘンリーの持つサンドイッチを、小さく口を開けて食べた。


「……ねえヘンリー」


「ん?」


「嬉しい……」


「う、うん。それはよかったよ……」


「……」


「……」


 二人はお互いに顔を赤らめたまま黙って俯いた。


(……死ぬほど入りづれえええええええええええええええええ!!!!)


 ガイルは砂糖を口一杯に頬張ったかのような表情で、近くの壁をバシバシと叩いたのだった。


   □□□


 肩まで伸びた黒髪を後ろで乱雑に結んだ東方騎士団学校の常駐医師であるジュリア・フェーベルトは、非常に晴れやかな気分で医務室で雑務をこなしていた。

 理由は二つ。

 一つはいけ好かない『伝統派』の連中たちが、まとめて更迭されたこと。

 もう一つは訓練が休みであるため、医務室を訪れる生徒がいないということである。

 仕事が楽ということももちろんあるのだが、怪我をする学生たちが少ないことはジュリアにとっては単純に喜ばしいことだった。

 そもそも、ジュリアが騎士団学校の常駐医師になったのは、騎士を目指していた弟の影響である。立派な騎士になるんだと毎日剣を振っていた弟。よく外で剣の稽古をしては、怪我をして帰ってきたものである。ジュリアはそんな弟に呆れつつもの、まだ、専門知識などはない中で弟のケガを応急処置したものだった。

 そんな弟は残念ながら若くして病でこの世を去ってしまった。

 だから、ジュリアは怪我をしている生徒を見ると弟のことを思い出して少しだけ胸が痛む。


「こんな仕事についておいて、怪我をする生徒を見たくないなんて間抜けな話だけどね」


 しかし、弟が死んでもう15年か。

 ずいぶん経ったものだ。早く結婚しろと親からせっつかれる年齢になるわけである。

 そんなことを考えていると、ガラガラと医務室の扉が開いた。


「あら。どうしたのガイル君?」


 入ってきたのはガイルという生徒である。非常に大柄でがっしりした体格の少年だ。

 ガイルは非常に辟易とした顔をして言う。


「いや、なんつーか……全身から砂糖を吹き出しそうというかなんというか」


「とんでもない奇病じゃない」

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