第58話 あの日夢見た小さな英雄。

 なんでこんなことをしているんだろう。などとヘンリーは思う。


 部屋を飛び出して騎士団本部に向かったら、なぜか本部が襲撃されていて、もの凄い大混乱が起きていた。

 その隙に本部内に忍び込んだら、いつの間にかここまで来てしまっていたのである。


「ほう……確か、先刻尻尾をまいて逃げ出した少年ですか、生きていたとは伝統派のやつらはやはり無能ですねえ……」


 クライン本部長が穏やかな表情で、しかし目だけは暗く鋭い光を放ちながらそう言った。


「しかし、まあ。わざわざ死にに来るとは殊勝な心掛けです」


 ビクリと体が震える。

 怖い。もの凄く怖い。

 手が震える、唇が震える、全身からじっとりとした冷や汗が出てくる。

 やっぱり、無理だ。こんな化け物相手に僕が何をやっても敵うはずがない。

 でも……。

 ヘンリーは両手両足を縛られたアルクを見る。上着は切り裂かれていた。

 何をしようとしていたか、これから何をされるのかは明らかだった。


「それでも……」


 一歩踏み出すと決めたから。

 そのうちではなく、いつかではなく、明日からではなく。

 今日、今、この瞬間に。




「アルクさんから離れろクソ野郎!!!!!!」




 そう叫んで、ヘンリーはクラインに向けて駆け出した。

 クライン本部長は呆れたように笑う。


「ははは、威勢はいいですが……何を思って勝てると思っているのですか?」


 そして、小さく呟く。


「固有スキル……」


 その瞬間。本部長に向かって駆け出したヘンリーの足が地面の上を滑った。


「なっ!?」


「ふん。他愛ない」

 

 クライン本部長が地面を蹴る。

 不自然なほどの加速力でクライン本部長の体が移動する。

 ほとんど力を入れた様子もない軽く蹴りだした一歩で、一瞬にしてヘンリーとの距離を詰めた。

 そして、右足で前蹴りを放つ。


「がぁ!!!!」


 ヘンリーの体が蹴り飛ばされた小石のように吹き飛び、地面を転がった。


「ほう……殺すつもりで蹴ったのですが、まだ息があるとは」


 一等騎士ですら一撃で戦闘不能にする、クライン本部長の打撃を受けたはずだが、ヘンリーはなんとか生きていた。

 運がよかった。ヘンリーは先ほど自分が踏み出した場所を見る。

 おそらくクライン本部長の固有スキルだろう。足を取られてバランスを崩した。しかしその瞬間、つま先に何かが引っ掛かった。

 それは偶然にも、たわんでいたカーペットの端である。ヘンリーはその引っ掛かりを使って、クライン本部長の攻撃がモロに直撃する直前で体を動かすことができたのである。

 もっとも、即死を免れただけである。

 全身はたった一撃で傷だらけのボロボロ。体中の内臓にはダメージがズシリと残っている。

 掠っただけでこの様だ。まともに食らったら本当に間違いなく即死だろう。


 だが。


「……分かりましたよ、あなたのスキル」


「ん? 何かのハッタリですか?」


 訝しむクライン本部長に向けて、ヘンリーは倒れたまま床に落ちていた調度品の一つを投げつけた。

 成金趣味にごちゃごちゃと装飾が施された花瓶が、クライン本部長に向かって飛んでいく。


「そんなもので、私にダメージが与えられるとでも?」


 しかし、その花瓶はクライン本部長に触れた瞬間。まるで自ら避けたかのように軌道を変えて、その体の上を通り抜けていく。

 そして、重力に従い地面に激突してガシャリと音を立てて割れた。

 クライン本部長はひどく不愉快そうに言う。


「全くひどいことをしてくれる。なかなかに値の張った代物だというのに」


「摩擦の操作」


 ヘンリーが放った一言に、クライン本部長の眉がピクリと動いた。


「それが、あなたの固有スキルの正体だ。あなたはモノの滑りやすさを自由にコントロールできる。さっき、急に足をついた床が濡れた氷の上みたいに滑ったのも、投げつけた花瓶があなたに当たっても割れずに軌道だけ逸れたのもそのせいだ」


「……」


 摩擦力は誰もが日頃なんとなくその存在や原理を理解しているとはいえ、騎士団学校で正式にそういった物理現象を勉強するのは少し先である。が、ヘンリーは実家で読み漁っていた本の中でその名前を学んでいた。

 家で引きこもって勉強ばかりしていた日々も、悪いものではなかったなと今になって思う。


「そして、滑りやすくできるだけでなく、滑りにくくもできるはずだ。それなら、ほとんど予備動作無しで強化魔法も使わずに不自然な程の移動速度や打撃の威力が出せるのも説明がつく。『地面を物凄く滑りにくく』すればいい。そうすれば、地面を蹴った足の力は全くロスせずに体に戻ってくる。大きく地面を蹴らなくても高速で移動ができるし、足元がしっかりと固定されている状態だから打撃の威力も必然的に大きく上がる。あと、僕の踏みだした右足だけ滑ったということは、丁度左足が踏んでいた床までは能力が届いていなかった可能性が高い。目算だけど、有効範囲は半径7メートルくらいだ」


 沈黙するクライン本部長。つまり、ヘンリーの推測は当たっていたということだろう。


(この少年……いったい何があったというのですか?)


 命がけの戦闘の中でこちらの能力を素早く見抜いてきた。そればかりか、能力の有効範囲まで的中させてのけたのだ。冷静な観察と推理、頭の良し悪し以前に恐怖に思考を支配されたままでは不可能である。

 明らかに、これまでのヘンリーとは違っていた。


「ふん、まあ、分かったところで私の固有スキル『摩擦支配(バーゼブル・フリクション)』は攻略不可能ですがね」


 クライン本部長の言うとおりである。

 有効範囲は広くないとはいえ、ほとんど予備動作の無い急加減速と強烈な物理攻撃力、加えて敵の物理攻撃は全て先ほどの花瓶のように『滑らされて』しまう。

 人間族の内ごく一部にのみ発生する固有スキル。例外なく強大な力を発揮すると言われるその力の中でも、クライン本部長の力は接近戦において無敵と言ってもいいスキルだった。


(ああ。やっぱり、強いなあ……)


 などと、ヘンリーは倒れながらも半ば他人事のように思う。

 先ほど受けたダメージが大きすぎて立ちあがることができない。力を入れても両足は情けなく痙攣するばかりである。

 まあ、それでも引く気はないが。

 だってほら……自分は今最高に熱くなれてるから。

 囚われのお姫様を助けるために悪い奴と戦うとか、英雄みたいじゃないか。

 実力は足元にもおよばないけど、男の子だったら燃えるさ。

 ヘンリーはいつの間にか笑っていた。


   □□□


 先の一撃で床を転がったせいで傷だらけの状態でありながら笑みを浮かべるヘンリー。

 その様に僅かだがクライン本部長は気圧された。

 なんだ……なぜ? 先ほどからそうだ。

 自分の攻撃がまともに当たれば即死する。この状況で、あのガキはなぜ嬉しそうに笑っている?


「不愉快ですね……」


 自分の足元で転がっている商品(アルク)もそうだ。自分という圧倒的な力や絶望を前にして、泣きわめいて許しを請うたりしない。

 それが気分を逆撫でする。

 だから、クライン本部長はさらに絶望させてやることにした。


「アルクさん。あなたに選ばせてあげましょう。この少年を殺すか、弟さんを今すぐ殺すか」


「そ、そんな……」 


 突きつけられた二択はアルクの心を揺さぶった。

 ダメだ選べない。大切な弟も、自分のことを助けに来てくれたルームメイトも。

 何より、この男が約束を守るとも思えない。

 しかし。


「僕を選んでくれてもいいですよ。アルクさんがそれで救われるなら」


 ヘンリーはなんとか膝立ちになりながらそう言った。

 アルクにはヘンリーが理解できなかった。

 単なる同室の人間である自分をここまで助けに来たことも、こうして絶対に勝てないであろう敵に立ち向かっていることも。


「逃げてヘンリー」


「嫌だ……」


「なんで……」


「嫌だって言ってるだろ!!」

 

「なんで……なんでそこまで。私を助けてもあなたにはなんの得も」



「うるせえ、なんか一目惚れしたんだよ!! 文句あるか!!」



 突然告げられた想いに、アルクの思考は真っ白になった。


「他に理由なんてないよ。僕は君が好きになっちゃったから、君を助けたいと思った。それだけだ!!」


 ヘンリーはふり絞るような声で言う。


「君はいつもそうやって、我慢してしまうから」


「え……?」


「ねえアルクさん。君は頑張ってきたはずだ。弟さんのために。男ばっかりの厳しい学校に女の子が一人で、僕だったらすぐに押しつぶされてしまうくらいに大変だったはずだ。それを踏みにじられて苦しくないはずがないだろ!! だから……助けてほしいなら助けてほしいと言ってくれ!!」


「私は……」


 言えるわけがない。明らかに無謀な戦いなのだ。好きだからなどという曖昧な理由では、釣り合うものがない。

 ヘンリーは自分など見捨ててさっさと逃げるべきなのだ。

 このどこか弟に似た頼りない雰囲気のある少年は、自分を助けたところでなんのメリットも……。


 不意に、その弟との会話を思い出した。


『僕のことはいいよお姉ちゃん。勉強大変でしょ? 僕になんか構ってもお姉ちゃんに返せるものなんて』

『いいのよ。私はアナタのお姉ちゃんなんだから』


 ああ、そうか。

 知っていたじゃないか。

 自分も持っていたじゃないか、そういう気持ちを。

 単なる利害とは違う、そういう暖かい優しさを。

 もし、そうだとしたら。

 そういうものが、世の中にあるのだとしたら。

 たった一度くらいなら自分も、無責任に、自分勝手に、そういう気持ちに甘えてもいいのだろうか。









「辛いよ……助けて……」





「ああ、任せろ!!」


 ヘンリーは足の震えを気合いでねじ伏せて立ち上がった。

 さあ、今こそ。あの日夢見た英雄になろう。

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