第57話 利益のつり合い。

 アルクの両親は一言で言えば非常に商人らしい人間だった。


『いいかアルク。お前が今食べているパンも着ている服も、全て私たちが金を払っている。これは投資だ。だからお前は私たちに対して優秀さと有用性を示さなくてはならない』


 アルクはその言葉に忠実に応えようと努力した。

 優秀な成績、模範的な生活態度、友人たちが遊戯や恋に熱中する間もひたすらに努力を重ねた甲斐もあり、頭抜けて優秀な成績を収めることができた。

 一方、弟は生まれつき体が弱かった。国民学校にまともに通うことのできない弟のことを両親は「不良債権」と吐き捨てた。

 しかし、姉弟の仲は良好であった。

 体調を崩して寝込んだ弟の看病はアルクの仕事だった。弟に食事を作って持っていくといつもこんなやり取りをする。


『僕のことはいいよお姉ちゃん。勉強大変でしょ? 僕になんか構ってもお姉ちゃんに返せるものなんて』

『いいのよ。私はアナタのお姉ちゃんなんだから』

『ふふふ、お姉ちゃんはいいお嫁さんになるね』

『相手がいたらね』

『いなかったら僕がもらってあげる』

『バカ言ってるんじゃないの……食べたら休んでなさい、本持ってきてあげるから』

『ありがとう。お姉ちゃん』


 アルクにとってはそんな他愛ないことを弟と話すときだけが、唯一の心休まる時間だったように思う。

 そして、2年前。アルク・リグレットが13歳の時に事件は起こる。

 両親が事業で破産、さらに馬車の転倒事故で死んでしまったのである。

 病気がちな弟と共に取り残されたアルクたちに対して、両親の親戚で援助を申し出る者は誰一人としていなかった。


『あの二人の子供だろう。それはちょっとなあ』


 どうやら両親は相当にあくどい商売のやり方をしていたらしい。

 そんな親戚たちに対して、アルクは憤りを感じることはなかった。

 そもそも当たり前の話なのだ。親族たちが自分たちを引き取ることにはなんのメリットもない。

 利益もなしに人が動かないなど当然のことである。そんなことにいちいち腹を立てたり悲観にくれてなどいたら、何もできない。

 世の中というのはそういうものであるという大人の理屈を、アルクは13歳という年齢にして両親から学び取っていた。

 自分にできることは、自分にできることをやる。

 それだけである。


 国民学校を辞めて農場に働きに出たアルクだったが、今度は弟が流行り病にかかる。

 元々体の弱い弟の容体はみるみる悪化していった。

 しかし、アルクの働きでは満足な治療をさせることなど到底できない。

 途方に暮れていたある日。アルクの家に一人の男が訪ねてくる。


「アルク・リグレットさんだね? 私は君のご両親の友人なんだ。私にできることがあったら是非とも協力させてほしい」


 藁にもすがる思いだったアルクは学校長クライン・イグノーブルの提案を受け入れた。

 渡りに船とはこのことである。学校にいる間も給料は出るし、首席で卒業すれば親族の医療費は全額国に負担してもらえる。弟に最新の治療を受けさせることができる。

 だが。アルクの培ってきた常識が違和感を感じ取った。

 学校長にとって特定の生徒の性別を偽り入学させることは、それなりに手間もかかるし多少なりとも危ない橋でもあるはずだ。

 両親の友人だったから協力させてほしい、ということだが、どうにもアルクにはメリットとデメリットが釣り合っていないように思えたのだ。

 ならばと、アルクは騎士団学校において一層自己研鑽に努めた。首席を取るためだけではなく、やがて部下として働く自分の実力が東方騎士団の長でもある学校長の大きな利益になるように。


  □□□


 アルクは目を覚ました。

 頬にカーペットの感触。どうやら床に転がされているようだった。

 体が先の戦闘のダメージでうまく動かせないうえに、両手足は縛り上げられているため身動きは取れない。

 顔を上げると、あの男が目の前にいた。


「おやおや、目が覚めましたか?」


 学校長にして東方騎士団本部長、そして特等騎士のクライン・ガレス・イグノーブルが豪奢な椅子に座ってこちらを見下ろしていた。


「うんうん。後遺症なども無いようですし結構なことです。商品の性能が落ちたら価値が下がりますからねえ」


 アルクはかすれた声で言う。


「初めから……そのつもりだったの?」


「ええ、もちろんですよ」


 初めて会った日と変わらぬ、穏やかな笑みを浮かべる学校長。


「そもそも、アナタには教えませんでしたが弟さんの病気は治らない病気なんですよ。病気の進行を抑えるのも今の医術ではほとんど焼け石に水でしてね。治療なんてするだけ無駄なわけです。まあ、その辺りの情報は隠してお誘いしたわけですねえ。ははは、今までの頑張りは全部無駄だったと知って今どんな気分ですかぁ?」


「なぜ……わざわざ、こんなことを……?」


「なぜかって?」


 クラインは迷うそぶりも見せずに断言する。


「金ですよ」


 クラインは仕事の苦労話をするような調子で話を続ける。


「今回は何分特異な注文でしてね。『特級の魔力的資質を持った14歳から17歳の間の戦闘能力の高い少女』を一人さらってこいと。なににどう使うのかは知りませんが、そう簡単にその辺りで見つかるものじゃない商品だったのですよ。これなら見つけてくるより、自分の手元で育てたほうが確実ですからね。危ない橋もいくつか渡りましたし手間と時間のかかる仕事でしたが、その分かなりいい額を提示してもらいましたよ」


「なんで、そこまでしてお金を……」


 アルクの疑問も当然と言えば当然だろう。学校長兼東方騎士団の本部長でもあるクラインの収入はかなりのものであるはずだ。それこそ生活に困ることなどありえないし、実際に自室代わりにしているであろうこの本部長室も豪奢なものだった。金に不自由している様子など全く無い。

 少なくとも、ここまでのリスクを考えたら犯罪をやる理由はないように思えた。

 しかし。


「当然でしょう? アナタは分かってませんねえ」


 クラインは嘲るようにそう言った。


「金は全てですよ。この世の全て。だから、全然足りないんですよ、国からもらう給料ごときではねえ。もっと、もっと欲しい。手に入れなければならない」


 熱のこもった声でそう言うクライン学校長を見て、アルクは思う。


(ああ、そうか)


 アルクの中で、学校長のメリットとデメリットが釣り合った。


 学校長はアルクの様子を見て、怪訝な表情をする。


「んー、もっと泣き叫ぶと思いましたけど?」


「逆に納得がいった。そう、それがあなたにとっての利益だったのか……」


 何も不思議なこともない。ただ、ある人間が自分の利益のために行動し、目端の利かなかった自分が騙された。それだけのことである。

 世の中にありふれたことであった。なんてことはない。普通のことだったのだ。そうだと分かれば、何も泣き叫ぶようなことでもない。

 アルク・リグレットはそういう少女だ。納得ができれば、そういうものだと受け入れられる。受け入れられてしまう少女なのだ。

 ただ、弟の病が治らないという事実だけは、元々騎士団に入る前には覚悟していたことだったとはいえ、少し胸を締め付けた。


(……ごめん。ごめんね)


「ふん。まあ、品物がうるさくないのはいいことですが……しかし、そのなんでもないというような態度は癪に障りますねえ」


 学校長は剣を引き抜くとアルクに振り下ろした。

 上着だけが切り裂かれ、柔肌が露になる。


「……とりあえず、出荷前に味見でもしましょうかね」


 無駄な抵抗と分かりながらも、身をすくめて大事なところを隠そうとするアルクにゆっくりと迫る学園長。

 その時。 


「止めろおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 学園長室の扉が開き、叫び声が響き渡った。


「ん? 誰です? そこにいるのは」


 学園長がそちらを振り向くと、そこにいたのは。


「はあ、はあ」


 肩で息をするヘンリー・フォルストフィアだった。


   □□□


「あー、クソ。どこだよここ」


 リックは見事に迷子になっていた。

 まあ、それ以前にアルクがとらわれている場所がどこか分からないので、手当たり次第に探すしかないのだが。


「ここか?」


 ベキベキベキィ!!

 っと、リックは無造作に鍵ごと引き抜いてドアを開けてみると、白いベッドと白いシーツが目に入った。


「医務室か? それにしては外に医務室って書いてなかったんだよな……ん?」


 ベッドの上に横になっている人物を見て、リックはあることに気づく。


「……お前、もしかして?」

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