第55話 断裁剣姫

 昨晩、同僚たちと遅くまで飲んでいたのに急に叩き起こされた一等騎士ジルベルト分隊長は苛立ちながら北門の前に立った。

 何やら頭のおかしな襲撃者がたった4人で本部を制圧しに現れたとか。

 ふざけた冗談である。こんなアホなジョークのせいで夜勤前の貴重な時間を潰されるなど、あってはならないことだ。

 全身を重装備で固め鉄製の盾を持ったジルベルトは、怒り心頭な様子で門の前に立ち怒鳴るようにして言う。


「止まれ!! 今すぐ止まれば最低限の罪で……」


 しかし、襲撃者を一目見たときジルベルトは、いや、北門に配備された大勢の騎士たちは言葉を失った。

 メイドである。

 息を呑むほどに見目麗しいダークエルフのメイドが、たった一人でこちらに向かってゆっくりと歩いてくるのだ。

 メイドの眼前には完全武装をした100を超える騎士たち。なんとも珍妙な絵面である。

 メイドが長いスカートをめくり上げ、引き締まりつつもどこか柔らかさの感じさせる太ももに括り付けてあるホルスターから、何か銀色に光る細いものを取り出す。

 そして、優雅に一礼するとこう言った。


「こちらも手心を加えますが、そちらの方でも致命傷は避けるよう努力していただければ助かります。また、降伏に関しましてはいつでも承っておりますので、遠慮なく申し出ていただければと思います」


 あれは、煽っているのか? などとジルベルトが思ったその時。


「では、『断裁剣姫(だんさいけんき)』リーネット・エルフェルト。参ります」



 突然、ジルベルトの隣にいた騎士が血を噴き出して倒れた。



「……え?」



 いつの間にか、ジルベルトの隣、騎士たちの集団のど真ん中にメイド、リーネットが立っていた。


(お、おい。どうなってんだ。さっきメイドがいた場所からここまで50mはあるんだぞ!?)


 再びリーネットの姿が消えた。

 と思ったら今度はジルベルトの目の前に現れる。


「なっ!!」


 速いなんてものじゃない。これでは瞬間移動である。

 リーネットは右手をジルベルトに向かって振りかぶる。

 咄嗟に盾でそれを防ごうとするジルベルトは、リーネットの右手に持ったものを見て驚愕する。


「ま、待ち針!?」


 ヒュンと、風を切る低い音と共に、リーネットの右手が振り下ろされた。

 一閃。

 鉄製の厚さ10センチの盾ごと、鎧をまとったジルベルトの体が真一文字に切り裂かれた……しかも、なんの変哲もない待ち針で。


「があああああああああああああああああああああ!!」


 苦悶の声を上げてその場に倒れるジルベルト。

 さらに恐ろしいことに。受けた傷はちょうど立ち上がって戦うことができなくなるくらいの傷であった。

 絶妙なまでの理想的な半殺しである。


「か、かかれええええええええええ!!」


 騎士たちがリーネットに次々と切りかかっていく。

 しかし、かすりもしない。剣がリーネットに当たる直前にその姿は消え、その度に騎士たちの誰かが血を噴き出して倒れていくのである。


「な、なんだ……これは、悪い夢か?」


「私で良かったですね。他のお三方に比べれば私の戦闘能力はまだ常識的ですから」


   □□□


 東門の騎士たちは阿鼻叫喚の渦に呑み込まれていた。


「だ、誰か!! 誰かあのオークを止めろおおおおおおおおおおおお!!」


 部隊長の悲鳴のような指示が飛ぶ。

 騎士の軍勢が突撃していく先には、ゆっくりと門の方に歩みを進めてくる一匹の巨漢。

 ブロストン・アッシュオークである。

 その歩みを止めようと、槍や剣や斧といった様々な武器がその体に叩きつけられるが。全てその重厚で分厚い筋肉に弾かれ、傷一つ負わせられない。

 そして。


「もう半歩深く踏み込め! 手首を立てて刃筋を通せ! 脇を締めて腕の力だけでなく体重の移動で振り下ろすのだ!!」


 などと、思わず騎士たちがハッとするような的確な忠言を送りつつ。


「ごはああああああああああああああああ!!」

「ぐわあああああああああああああああああああああ」

「ぎやあああああああああああああああああああ!!」


 その太い腕を一振りするたびに、騎士たちが宙を舞っていく。

 部下の一人が半泣きになりながら部隊長に言う。


「た、隊長ぉ……無理です、我々の手には負えません。いったいどうすれば……」


「ええい、弱音を吐くな!! つい先月調整の終わったアレを出せ!!」


「あ、あれですか? しかし……個人相手にあれを使うのは余りにも」


「いいからさっさとしろ!! そもそもあれは人じゃなくてオークだ!! それとも貴様がその手に持った剣で止めてくるか?」


「い、今すぐ準備いたします!!」


  □□□


 少しすると、ブロストンの前にいた騎士たちが急に左右に分かれた。


「む?」


 ブロストンが兵士たちがいなくなってできた道の先を見る。

 巨大な影がズンズンという大きな音を立てて、こちらに迫ってきていた。


「ほう」


 ブロストンはその姿を見て、興味深そうに唸った。

 現れたのは人を乗せた真っ黒な象である。  

 戦のために調教され、そのサイズと重量で敵の隊列を蹂躙する。いわゆる戦象というやつである。

 だが、異様な点が一つ。

 デカい。圧倒的にデカい。

 体長、優に20メートル。体重200トン超。ただの象ではない。象型モンスター上位種『ブラック・エレファント』である。

 その威容まさに桁違い。身長230㎝、体重300㎏のブロストンですら小さく見える。


「ふむ。騎士がテイマーの真似事か。まあ、馬を使っているのだから今さらだが……それはそれとして」


 ブロストンは戦象を見上げて言う。


「うむ。よき個体だ。筋力、内臓、精神力どれも高いレベルで鍛え上げられている。調教師もこのブラック・エレファント自身も大したものだ。ならば、こちらも敬意をもって応えよう」


 ブロストンはそう言うと、親指を上げた状態の拳、いわゆるサムズアップを戦象に向けた。

 そして、そこから拳を斜め45度に傾ける。

 周囲からざわめきが起こる。あれはいったい何をしているんだ? と。


「『クオーターサムズアップ』。『オークの騎士道』と言われる風習だ。オーク種は諍いが起こった時、こうして親指を立てて斜めにした拳を互いに合わせ、その後、回避を禁止した素手による殴り合いをどちらかが倒れるまで行う。より強く頑丈な個体が優秀とされる種族ゆえの習性だな。つまりだ……」


 ブロストンは両手を大きく広げて、まるで敵を受け入れるかのような姿勢になる。


「今から俺は神から強き肉体を授かったオーク種の誇りにかけ、防御も回避もせず、ただ真正面から前進して貴様を殴るという宣言だ。だから貴様も、遠慮なくその力を俺に叩きつけるといい」


 その言葉に非常に今更ながら周囲の人間は、このオークの正気を疑った。

 確かに、この灰色のオークは凄まじい巨体と剛力を誇る。しかし、相手の戦象のサイズは文字通り桁が違う。

 それを真正面から受けると宣言しているのだ。

 戦象の上に乗る騎士は、何かの罠ではないかと疑った。しかし、やることは変わらない。


「いけ!!」


 騎士の指示を受け、戦象が咆哮と共に駆けだした。

 その一歩一歩が小規模な地震のごとく地面を震わせ、巨体を加速させていく。

 象は遅い。

 図体のデカい生物の動きは遅い。

 というのは勘違いである。

 彼らは小回りが利きにくいのであって、直線の速さでは決して遅いわけではない。むしろ、驚くほど速い。何せ一歩で進める距離が違うのだ。通常の体長6メートルほどの象でさえ、100メートルを9秒台で駆け抜ける加速力を持っている。つまり、時速にして40キロメートルを超えるのだ。

 それが、3倍のサイズを誇るブラックエレファントともなれば、最高速で言えばもはや軍馬ですら軽く凌駕する。


 そのスピードを目一杯のせた質量200トンのぶちかましが、ブロストンに直撃した。


 激突音はもはや生物の体同士がぶつかった音ではなかった。破裂音というか、爆発音というか。

 水面に掌を打ち付けた音を何百倍にもしたかのような轟音である。

 しかし。


「嘘……だろ……!?」


 戦象の上に乗る騎士は、目の前の光景を信じられなかった。


 完璧に受け止めていた。


 速度と膨大な質量の掛け算を受けてなお、ブロストン・アッシュオークは僅か一ミリすら後退していない。


「良き一撃であった。では、次はこちらの番だな」


 ブロストンはそう言って、突撃してきた戦象の頭に手を添えると。

 ズッ、と一歩前進した。

 それに伴い、戦象の四本の大木のような太い足が地面を抉りながらブロストンが進んだのと同じ距離を押し戻される。

 さらに一歩、ブロストンが進む。戦象が一歩分押し戻される。

 信じがたい光景に、騎士たちは言葉を失った。まるで、一人の人間が城を押して動かしているかのような、ありえない現象であった。

 ブロストンは一歩、さらに一歩と前進していく。戦象も足を踏んばり必死の抵抗を見せるが全く意に介さない。

 東門の警備部隊長は、そこでハッと我に返る。

 ブロストンが進むその先には、戦象を通すために開いてしまった城壁の門がある。

 マズイ!! この化物を門の内側に入れたら駄目だ!!


「全員退避!!!! こいつとまともにやりあっては駄目だ。一先ず城壁の内側に退避して、門を閉めるんだ!! 急げっっ!!!!!!」

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