第54話 包囲殲滅陣形(4対4000)

 リックが去った後。ヘンリーはしばらく呆然としていた。

 すると、自分の手荷物の中にあるものを見つける。

 『英雄ヤマトの伝記』である。

 ヘンリーは導かれるように本を手に取り、ページを開いた。

 第四章「呪われし姫君」のページである。


 旅を続けるヤマトはある国で姫に一目ぼれする。

 しかし、その姫には呪いがかかっていた。

 悪魔にかけられた、周囲の人間を巻き込んで不幸にしていく呪い。

 呪いゆえに他人を遠ざけようとする姫に、ヤマトは何度も何度もアプローチをかける。

 そして、章の終盤。

 強大な力を持つ悪魔にさらわれ、今まさに生贄にされようとしていた姫を助けに来たヤマトに対して、姫は言う。

 なぜ、自分に関わろうとするのか。私は不幸をまき散らすだけの存在なのに。

 そして、ヤマトはこう叫ぶのだ……。


「……」


 思い出す。

 初めてこの第4章を読んだ時を。

 血が熱くなった、胸が高鳴ったのだ。

 暗い部屋の隅で膝を抱えていることしかできない弱い自分にも、こんな熱い思いがあると初めて知ったのである。

 いつか、いつかきっと、こんな自分でも。大切に思える人を見つけた時には守れるくらいの強さが欲しいと。


「でも……僕は」


「おい、ヘンリーいるか?」


 その時、リックが先ほど出ていった扉からガイルが現れた。

 全身に包帯を巻いた痛々しい姿である。


「リックの兄貴を見なかったか?」


「え? リックさんならさっき出ていきましたけど、その……アルクさんを助けに騎士団本部に」


「ちっ、もう出ていっちまったか」


 舌打ちして、部屋を出ていこうとするガイル。


「ちょ、ちょっと待ってよガイル。まさか、その体で行く気なの!?」


 ヘンリーはそんなルームメイトを引き留める。足取りもふら付いていて、意識があるほうが不思議なほどに満身創痍の状態であった。いくらなんでも無謀すぎる。


「あたりめえだろ。つか、お前はいかねえのかよヘンリー」


「だって、僕らが行ってもあのクライン学校長に太刀打ちできないじゃないか。リックさんに任せたほうが絶対にいいよ」


「……なんだ、そりゃ?」


 ガイルはその言葉を聞いて、ヘンリーの方へ歩み寄っていく。

 そして。


「だってもクソもあるか!!」


 ガイルはヘンリーの胸倉を掴み上げた


「ヘンリー、お前は賢いな。確かにおめえの言う通りかもしれねえよ。リックの兄貴に比べたら俺の力なんか大したことはねえし、あの化け物どうにかできるとか自信もって言えるかよ。そうだ、お前の言ってることは正しい、論理的だ。間違ってねえ」


「だったら……」


「だが、てめえの顔はそう言ってねえ!!」


「えっ……」


 ガイルに言われたそれは、ヘンリーが自分自身では全く分かっていなかったことで。


「俺は、あの学校長に腹が立った、ダチが苦しい思いをしてるのが許せねえ、このまま外から眺めてるのは嫌だ。だから行く!! 無謀でもな。もう一度聞くぞ、ヘンリー。お前はどうす……ぐっ」


 ガイルの体がその場で崩れ落ちた。


「ガイル!?」


 ガイルはその場に倒れこみ意識を失っていた。

 見れば、体中に巻いた白い包帯の大部分が大量の出血で赤く染まっているではないか。こんな大怪我で今まで立てていたことが不思議なほどである。

 ガイルはこんな状態でも、アルクを助けに行こうとしたのだ。

 それに比べて、自分は……。


「僕は……僕はッ!!」


 ヘンリーはゆっくりと立ち上がった。


   □□□


 早朝。

 ところ変わって。レストロア邸当主執務室。


「ふう。ああ、いいですわね。ここ数か月、本当に平穏ですわ」


 ティーカップを片手に一人そう呟くのはレストロア領の領主、ミーア・アリシエイト・レストロアである。

 つい数か月前は、滅茶苦茶な連中の滅茶苦茶な要求を通すべく、休む暇もなく色々なところに駆けずり回って根回しする羽目になったが、あんな悪夢を味わうこともない。


「はあ、紅茶の美味しい素敵な朝ですわ……」


 そう言って、ティーカップをソーサーに置いた。その時だった。


 ガシャアアアアアアアアアアアアン!!


 という音と共に、南側の窓ガラスが木っ端みじんに砕け散った。

 ガラスを粉砕したものの正体は、黒い蝙蝠。アリスレートの使い魔のソテーである。

 愛よりも食欲を感じるネーミングセンスである。


「…………」


 ミーアの全細胞がティーカップを置いた姿勢のまま固まった。

 嫌な予感がする。というか、嫌な予感しかしない。 

 使い魔のソテーは、パタパタとミーアの方に跳んでくると口に咥えていた一枚の紙を机の上に落とす。

 その紙にはこう書かれていた。


『今から東方騎士団本部に殴り込みをかける。大義名分づくりのためにミーア嬢の名前を使うので、本部長クライン・イグノーブルが行なっている不正行為の証拠を用意してくれ。今日中に。 ブロストン・アッシュオークより』


 バタンと、ミーアはテーブルの上に倒れこんだ。


  □□□


 東方騎士団本部は元々王国の東部が帝国との戦争の最前線であったという歴史的背景もあり、東西南北と中央の5つの本部の中でもっとも大規模な軍隊による襲撃を想定した作りになっている。

 360度周囲を囲む高く分厚い壁、さらに本部に備蓄された武器弾薬の数は、中央本部すら凌ぐほどである。

 そんな東方騎士団本部の敷地内の中央にそびえたつ、城のように見える建物。その最上階が学校長、そして東方騎士団本部長でもあるクライン・ガレス・イグノーブルの執務室である。

 本部長ともなれば、執務室の広さと豪奢さは大貴族の自室と大差ない。

 クライン本部長は、気を失っているアルクを赤い高級カーペットが敷かれた床の上に両手を縛りあげて放り出した。

 

「無駄に手間どりましたが。後は、明日引き渡して終わりですね」


 クラインはデスクの上に置かれた菓子を鷲掴みにして頬張った。

 ゴリゴリと咀嚼しながら今後の予定を考える。


「今後はこういう仕事をもっと引き受けましょう。やはりセコセコと帳簿を誤魔化すのとは実入りが違いますからねえ。なーに、騎士団学校の内部で起こったことならどうとでも揉み消せるように……」


 そこで、クライン本部長はあることに気づく。


「……何やら外が騒がしいですね」


 すると、執務室のドアの向こうからノックが聞こえてきた。


「本部長。報告があります」


「わざわざ入ってこなくていいです。そこで話しなさい」


「はっ!! つい先ほど……その、なんと申しますか、オークのような者が本部の前に現れまして。『レストロア侯爵の使いのものである。クライン本部長に不正の疑いがあるから今すぐ出頭せよ』などと申しておりまして」


「くだらないですねえ。いちいち私に報告しなくても構わないですよ。追い返してしまいなさい」


「了解いたしました!!」


「ふん。レストロアの狸野郎の娘ですか。小賢しい……」


   □□□


 東方騎士団本部の司令室は、前代未聞の事態に慌ただしくなっていた。

 何せ、いきなり言葉をしゃべるオークが現れて「お前のところのトップが不正しまくってるから身柄をさしだぜ」などと言ってきたのである。

 しかも。


『あー、あー、テステス。ふむ、これは便利だなミゼットよ』


 何やら見たこともない道具を使って声を大きくし、本部全体に響き渡るようにしてこんなことを言ってくるのだ。


『お前たちは俺たちの包囲殲滅陣形によって完全に包囲されている。無駄な抵抗は止めるのだな。黙秘を続ける場合は実力行使に移る。10数えるぞ。10、9、8』


 司令官はその舐め切った態度に、歯ぎしりをしながら言う。


「実力行使だと? 訳の分からんことを。ここが国の警察警備軍事を司る場所だと分かってないのか……それにしても包囲? おい、敵の数は何人だ?」


「それが……その……」


 司令官に尋ねられた部下は、言いにくそうに、というか自分でも事実を疑っている様子で口ごもる。


「おい、なんだ!! 早く言え!!」


「それが……敵の数は4人です」


「……は?」


 司令官の動きが一瞬、完全にフリーズする。


「な、なんだそれは!! 本部には団員の寮もあるから、待機中の人間も含めて4000人は戦力がいるんだぞ!? 頭がおかしいのか!?」


「お、お気持ちは分かります。でも、本当に周囲を確認しても東西南北の門の前に一人ずついるだけなんです!!」


『3,2,1……時間切れだ。残念だな。非常に残念だが……実力行使に移らせてもらう』


「し、司令官!!」


 望遠鏡を使って門の前の様子を見ていた部下が言う。


「オークが!! 止めに入った団員を殴り飛ばしました……ああ、また!! すでに20人はやられています!!」


「こんの、馬鹿にしおって。おい!! 警備部隊は全員完全武装して迎え撃て。なんなら勢い余って殺してしまっても構わん。国家権力を舐めた罪を思い知らせてやれ!!」

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