第45話 崖
Aクラスの担当教官であるペディックが、その変化に気づいたのは新入生の入学から2か月たった頃だった。
『永遠ランニング地獄』の時間のことである。
「Aクラス504班、リック・グラディア―トル到着しました」
リック・グラディア―トルが息一つ切らさずに半分以上時間を余らせてゴールした。
これは、いつも通りだ。
しかし。
「はあはあ……うっし、ガイル・ドルムント到着しました」
「ふう……同じく、アルク・リグレット到着です」
同じ504班の二人も遅れてゴールする。その場で倒れるようなこともなくやや余力も残しているようである。
確かに、訓練を始めてもう一か月経っている。慣れてくるということもあるだろうし、この二人は新入隊員の中でもトップクラスの身体能力の持ち主と言ってもいいのだから、普通に走り切れるようになってもおかしくはない。
しかし、彼らが走っているのは卒業試験に使う、障害物や傾斜のけた違いに多い超高難度コースなのである。それを時間を10分も余らせてゴールし、しかも余力を残しているというのは驚くべきことだった。とても、2か月で身につくような体力の向上ではない。
「ぜえ……ぜえ……ヘンリー・フォルストファイア到着しオロロロロロロロロロロロ!!!!!」
制限時間ギリギリで最後の一人がゴールする。最初は全くついていけておらず特別強化対象に背負われていたが、今は完走できてしまうのである(嘔吐するのは相変わらずだが)。
「大丈夫かヘンリー?」
そう言って先にゴールした大柄な新入隊員が肩を貸して、校舎の中に引き上げていく。
「……」
その姿を唖然として見ていたペディックに、背後から声がかかる。
「調子はいかがですかペディック教官」
「こ、これは学園長!! いらしていたんですか」
学園長のクライン・イグノーブルである。東方騎士団のトップでもあるこの老人は、学園長と言っても普段は東方騎士団の本部にいるため職員全体での会議の時しか顔を出さない。
「なかなか苦戦しているようですね」
クライン学園長は穏やかな声でそう言った。
「はい、申し訳ありません」
直立不動になり、そう言ったペディック。
「まあ、そう硬くならずに。特別強化対象への教育は滞ってるとはいえ、504班は厳しい訓練を課している分成長著しいようだ。そちらは喜ばしいことでしょう」
「とはいえ、特別強化対象以外の班員が訓練を余裕を持ってこなすようになっては、孤立させるという作戦が通用しません。騎士団学校の威信と我々教官のメンツが丸つぶれです」
そう言いつつ、ペディックは再び校舎の方に戻っていく504班たちの方に目を向ける。
「こうなったら彼らを呼ぶしかないか。しかし、それにしてもいったいこいつらに何があったというんだ。近頃は毎日のように夜間の屋外訓練場使用許可をとっているが……」
□□□
さて、何があったかと言えば。
「はい、スタート」
ドン!
「ぎやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
夜の校舎にヘンリーの絶叫が木霊する。
場所は校舎から少し離れた森林地帯。そこにある、大きな坂(斜度70度)である。
リックに突き飛ばされたヘンリーはその坂(ほぼ崖)を必死の形相で駆け下りていた。
「落ちるーーーーー、死ぬーーーーーーーーーーーーーーー!!」
重力に従い恐ろしい勢いで加速する自分の体を、なんとか減速させるヘンリー。
しかし。
「あ!?」
出っ張ってた岩に足を取られて、バランスを崩す。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
猛スピードで坂(崖)を駆け下りていた勢いそのままに、宙に体を投げ出されるヘンリー。
「今回は4分の1まで行けたか。よっと」
リックは一瞬にして坂を走り降りると、ヘンリーを受けとめた。
凄まじい斜度の坂にまるで足に吸盤でもついているかのように、ヘンリーを抱えてピタリと止まる。
「段々進めるようになってきたなヘンリー。この急な下り坂を真っすぐに地面を捉えることで減速しながら駆け降りる訓練を続ければ真っすぐ地面を踏む感覚が身につく。そうすれば普段の訓練で一歩地面を蹴るときのエネルギーのロスも減るから……って、大丈夫かヘンリー?」
リックに受け止められたヘンリーは半泣きになりながら、白目を剥いていた。
「死にました……死んだので今日はもう休みましょう。何だったら来世まで休みましょう。こんなのは訓練じゃありません。ただの拷問です。ボクハマダシニタクナイ」
なんとも饒舌な死体である。
「お、おう。そうか。まあ、あれだよほら。死んだら訓練を中断してくれるなんて最高じゃないか……ははは」
「え、何言ってるんですかリックさん? それ中断というか」
「はははははははははははははは……ははは……ハハ……は……」
フラリ。
「なんで急に気を失いかけてるんですか!? あ、やばい。落ちる!! リックさん気を確かに、リックさ―――ん!?」
□□□
「行くぞおらあああああああ!!」
「待てガイル私の番を抜かすな!!」
ヘンリーの後に控えていたガイルとアルクが一斉にスタートし、坂を駆け下りてくる。
その様子を下から見ながら、ヘンリーはため息をつく。
「はあ、凄いなあ。あの二人は」
「アルク君とガイル君は運動能力の塊みたいなやつだからなあ。センスだけで言ったら俺なんか比べ物にならないよ」
二人も最初はヘンリーのような反応であった。恐怖と浮遊感でガイルは小便をちびり、アルクは嘔吐したのである。が今では、すっかり慣れた(麻痺した)もので競うようにして励んでいる。走り切るまではいかないが、かなり進むことができるのだ。
ちなみにヘンリーは最初、小便をちびって嘔吐しながら気絶していた。三冠王である。
リックは二人を見ながら言う。
「まあ、俺の時とは違って重りつけてないし。この様子だと後一か月もすれば下りきれるようになるかな」
「リックさんはこの訓練、重りつけてやってたんですか? 凄いなあ」
「うん。300kgくらいの」
「あれ? 聞き間違えたかな? ゼロが二つくらい多かったような」
そんなことを話していると。
「おわっ!?」
「くっ!!」
ガイルとアルクが同時に地面を踏み外した。
リックはヘンリーの時と同じように、崖を駆け上がり二人を受け止める。
「もう二人とも半分くらいまで行けるのか。大したもんだ」
そう言って、リックは二人を抱えて崖を降りると地面に下す。
「ありがとごぜえます兄貴!! それにしてもアルク、今回は俺の方が10cmくらい長く下れたな!!」
「ガイル貴様、何を言っている。どう考えても私の方が20cmは長く下っただろ」
「んだと、この野郎! 兄貴!! もう一回行ってきますわ。さっきの倍は駆け下りてどっちが上かをキッチリ見せつけてやる。アルクお前はそこで見とけ!!」
「なんだとこの、寝ぼけたことを抜かすな!!」
そう言って、二人は猛ダッシュでスタート地点まで走っていった。
「はあ。やっぱり二人は凄いですよ」
ヘンリーは再びため息をついた。
リックが尋ねる。
「ん? どうした」
「いや、アルクさんとガイルさんが。二人を見てると思っちゃうんですよ。僕なんかが鍛えても意味があるのかなって」
ヘンリーは少し俯きながらそう言った。
「意味はあると思うぞ?」
「そうですかね。ただ、その……結局、本番の戦いになったら怖くなっちゃうんじゃないかって思うと……」
「ああ、怖いのか。そういえば、実戦形式の模擬戦もそろそろ始まるなあ」
「はい。二人は才能もあって能力もあって。だけど、僕には……」
ヘンリーは少し体を震わせながら言う。もしかしたら、この前のワイト教官と戦った模擬戦を思い出してるのかもしれない。
「自分がひ弱な人間だっていうのが分かってるんです。まだ、僕だけしっかり訓練についていけてないですし……考えれば考えるほど勝てない理由やできない理由が見つかって、結局怖がって何も動けずに……」
「そうだな、自信を持てないで挑む戦いは怖いよな……」
リックは一度頷くと、夜空を見上げながら言う。
「特にヘンリー君みたいに賢い子は、どれだけ自分に言い聞かせても頭は『危険だから無理だから止めておけ』って、そう考えてしまうだろうしなあ。ただ。俺は思うんだよ。初めの一歩は無謀でいい。というか無謀にならざるを得ないって」
「え?」
「馬鹿にならないと始まらないこともあるよ。だから『今のままでいる恐怖』と『傷だらけになる恐怖』を天秤にかけて、今のままでいることの方が怖いと思ったのなら……少なくとも俺はそうやって踏み出したら、少しは自分の世界が変わったかな」
リックはヘンリーに視線を戻す。その不安げな横顔はかつて一歩踏み出す前の、ギルドの受付に座っていたころの自分を思い出させた。誇れるものが何もなくて自信が持てなかった自分を。
「そうだな。じゃあヘンリー。一個だけ武器を作っておくか」
「武器ですか?」
「一個使えるものがあるってだけで少し勇気が湧いてくることもあるからさ。さすがにゼロだと、いくら気合入れても湧くもんも湧かなかったりするだろ」
リックは近くにあった3メートルほどある大岩の前に立つ。
「ヘンリー君は魔力量が皆より少し多いし、一個、攻撃用の界綴魔法を覚えておくといいと思う。まあそもそも、俺が教えられる攻撃用の魔法がこれだけなんだけどね」
リックは大岩に向かって拳を振りかぶったところで、ふと思い出す。
(ああ、そうだ。俺が普通にぶっ放すのはよくないな)
さすがに自分の切り札の威力くらいはわきまえているリックである。
(よし、極力軽めに……無詠唱にして威力は下げて……)
リックの右手の周りに空気の塊が現れる。
「第一界綴魔法、『エア・ショット(最弱)』!!」
ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
という轟音と共に、3メートルの大岩が木っ端みじんに砕け散った。
「…………!!」
上級魔法の完全詠唱に匹敵しようかというその威力に、目をパチパチとさせて唖然とするヘンリー。
「これが、第一界綴魔法『エアショット』だ。初歩の初歩技だからヘンリーもすぐに覚えられると思うぞ」
「僕の知ってる第一界綴魔法と違う……」
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