第43話 リック師匠になる。

 リックが騎士団学校に入学してから一か月が経過した。


 現在空き教室にリック、リーネット、ブロストンの三名が集まっている。朝食から一限目の教練までの僅かな時間を使って、情報交換をするためである。


「それにしても、なぜアリスレートのやつは来ておらんのだ?」


 高級士官コース生の制服に身を包んだブロストンがそう言った。

 リックも腕を組んで言う。


「途中で何かに巻き込まれたんですかね?」


「心配ですね……」


 リーネットのその言葉にリックが首をかしげる。


「心配か? アリスレートさんは何かあったところでどうにかなるような生物じゃ」


「巻き込んだ相手の命が心配です」


 そっちかよ。


「それで、『六宝玉』についてだが」


 ブロストンは机の上に騎士団学校の見取り図を広げて言う。


「はい。現在8分の1程度を捜索済みです」


 リーネットが探索済みの個所に印をつけていく。


「ふむ。まだほとんど手付かずの探索個所は3つ。高級士官コースの使う第3校舎の周辺施設はこれからオレが調べるとして。後は教官棟と森林地帯だな」


「教官棟はアリスレートさんが備品に紛れて潜入する予定でしたからね。まあ、今考えるとあの人に隠密行動は無理だったと思いますが……」


 ブロストンがうむと小さく唸ってから言う。


「来月ミゼットが臨時の整備員として入ってくることになっている。教官棟へも入る機会も多いだろうからそちらを任せよう。さて、やはり一番の問題は森林地帯だな」


「あまり入る機会もないですし、何分広いですからね。結構時間がかかると思います」


「まあ、仕方ない。今のところはまず森林地帯以外を地道に調べるとしよう」


「一応。ランニング中にコースを外れて調べてみることにします」


 もっとも、『六宝玉』の探索に使う超高濃度の魔力に反応する水晶石は半径4mと反応する範囲が狭い。ランニングついでであの広い森林地帯をどれだけ調べられるかは分からないが。


「ああ、よろしく頼んだぞ、リックよ」


 ちょうどその時予鈴が鳴り、三人はそれぞれの授業や仕事に戻っていった。


   □□□


 さて今日も今日とて、リックは優しい訓練(当社比)をこなす。


 3時限目の訓練は『永遠ランニング地獄』である。騎士団学校の敷地内にそびえたつ山を登って降りてくるというシンプルなメニューなのだが、当然ながら17㎞の山道の登り降りは過酷を極める。Aクラスの生徒たちは皆、数時間前に食べた昼ご飯を戻しそうになりながら走っていた。


 しかも、なぜかリックたち504班は他の生徒たちが走るものよりも過酷なコースを走らされている。岩山、河川、急な傾斜、足場の悪い沼地といった様々な天然の障害物が立ちはだかってくるのだ。


「くっそ、相変わらず滅茶苦茶な障害物だなコノヤロウ……」


 そう言って、4メートルはある岩肌をよじ登るガイル。


 その横を登るアルクが言う。


「先にいかせてもらうぞ」


「あ、待てこら!」


 Aクラスの身体能力トップ2でも幾分初日よりはマシになったとはいえ未だに苦戦を強いられている。このコースがいかに過酷であるかというのが分かる。


 そして。


「ぜえ、ぜえ、ぜえ、オロロロロロッロオロロロロロロ」


 崖の手前で見事に朝食を吐き出しているヘンリーであった。同期の中でもぶっちぎりで体力の無い彼である。まだ全然ついていけていない。


 一方。そんな彼らを尻目に。


「ふふふふふふふーん、ふふふふふふーん、ふふーふーん♪」


 相も変わらず、リックは鼻歌交じりのジョギング気分で超難関コースを駆け抜けていた。


「よっと」


 リックはピョンと、岩肌に向かってジャンプすると。


「ふふふーん」


 などと軽快に歌い続けながら崖を駆け上がり始めたのだ。


 崖を手は使わず両足のみで、である。


 ちなみにこの崖の斜度はほぼ90度。まるで足が崖の面に吸着しているかのような、おかしな現象が目の前で起こっているのであった。


 その姿を見て唖然とするガイル、アルク、ヘンリーの三人。


「やっぱすげえな兄貴……」


「……物理的にどうなってるんだアレ」


「さすがリックさ……オロロロロロロロロロッロロロロロロッロロ」


   □□□


 その日の夜。


「なかなか、寝付けないなあ……」


 リックはムクリと起き上がった。


 どうにも物足りなかった。体がうずいてしまい、落ち着かないのである。


 当たり前だが東方騎士団学校の訓練は新入隊員たちにとっては地獄のようにきついものである。しかしながら、『オリハルコン・フィスト』で死ぬほど過酷な訓練を受けてきたリックにとっては、正直なところ準備運動で終わってしまうような感覚なのだ。


「少し体を動かしてくるか」


 リックはベッドから降りながら、ふとあることを思う。


「俺……『オリハルコン・フィスト』に順調に毒されてるな……」


 あまりにも今更過ぎるが、少し怖くなったリックである。


「ん?」


 ふと目を上の段のベッドに向けるとあることに気づいた。


「あれ? アルクいないな。トイレか?」


   □□□ 


「ああ、ここにいたのか」


 リックが体を動かしに外の運動場に出ると、アルクが先に自主訓練をしていた。

 深夜の運動場で訓練用の刃を研いでない剣を持ち、剣術の教本に書かれた型を素振りをしている。

 王国式剣術の基礎3型と呼ばれる『切下ろし』『直突き』『一本薙ぎ』を始め、攻撃の5型、防御の5型、惑わしの6型、小技の5型、攻防一体の7型。

 教練で習った型をアルクはひたすらに繰り返す。


「へえ、大したもんだ」


 リックは感心してそう言った。

 アルクが今やっている型は、ちょうど2日前に一通り習い終わったばかりのものである。それなのに教本に頼らなくても、31個の型をスラスラと正確に習った通りの動きができるのだ。


「ハア……ハア……」


 息を切らしながらも、黙々と剣を振り続けるアルク。

 その姿には、リックの目から見ても鬼気迫るものがあった。

 やがて、アルクの手から剣が滑り落ち、膝に手をついて休んだのを見計らってリックは声をかける。


「よお、アルク。気合入ってるな」


「……リックか」


「寝る時間削ってまで訓練か。大したもんだな。俺の前の仕事の後輩なんて『寝不足は美容の大敵だから』とか言って、俺に仕事残して定時上がりしようとしてたのになあ」


 おっぱいに免じて許しかけたが、さすがに許さなかった。


「足りないから。私の有用性を示すには今のままでは足りない……この前の教官との模擬戦も、お前は勝ったが私は負けてしまった。だから足りないんだ」


 息を切らしながらそういうアルク。

 リックはアルクの持っていた訓練用の剣を見る。

 柄の部分にベッタリと血が滲んでいた。

 アルクが習い終わったばかりの型を見事に再現できている理由が分かった気がする。この自主訓練は今日だけのことではないのだろう。おそらくだが入学してから毎日続けているのだ。

 アルクが昨日話した言葉を思い出す。アルクは難病を抱える弟のために何としても首席にならなくてはならない。その目的に向かって文字通り血のにじむような努力しているということか。

 リックは頭を軽くかきながら言う。


「なあ、アルク。よければ俺が戦い方教えようか?」


 東方騎士団学校の成績は、実戦形式の試験の結果によるところが大きい。リックが身に着けている戦闘技術のいくつかを教えれば、アルクの真面目さと頭のできなら短期間で吸収して強くなれるはずである。

 しかし、アルクはリックの申し出を聞いて首を傾げた。


「……なぜだ?」


「え?」


 はいでも、いいえでもなく理由を聞かれるとは思わなかったので、今度はリックが首をかしげてしまう。


「私を教えてもリックには何の得も無いだろう。それどころか成績の競争相手に塩を送ることになる」


 確かに言われてみればその通りなのだが。そもそもリックは首席を目指しているわけでもないし、そこまで深く考えて指導を申し出たわけではなかった。


「そう言われてもなあ。だってほら、一応ルームメイトだし」


「それは理由になるのか?」


「えーと、なんていうか仲間がうまくいってくれたら嬉しいというか……ってか、アルクって自分から人に頼み事しないよな。性別バレた時だって『女であることは黙っていてくれ』って言わなかったしさ」


「それはそうだろう。私の秘密を隠しておくことでお前たちにはデメリットしかない。指導に関しても、私には君に相応の見返りを返せるとは思わない」


「その通りなんだけど。んー、人生なんてもっと結構人に頼ってもいいもんだと思うぞ。少なくとも俺が教えるのには見返りとか要らないから」


 手をヒラヒラとしてそう言うリックだったが、アルクは納得できなそうな顔をしていた。


「あれだよ。俺もこの年で夢追ってるような人間だから、頑張ってるやつ見ると自分のことみたいに感じて応援したくなるんだよ。そういう精神的な見返り? って言うのかな」


 眉を顰めるアルク。やはり、納得できていないようだった

 難儀な子だなあ、とリックは呟いた。

 その時。


「おいおい、兄貴。こんなところにいたんですか!!」


 夜中だというのにやたらとやかましい声が聞こえてきた。長身のいかにもガサツで喧嘩っ早そう男、ガイルである。


「こ、こんばんは」


 隣にはヘンリーがいた。

 ガイルはズンズンとアルクとリックのいる運動場まで速足で来て言う。


「兄貴ー。水くさいじゃないですか。隠れてアルクにだけ特訓つけるとか。ついでに俺たちにもお願いしますよ」


「え? 僕も?」


 ヘンリーは自分を指さしてそう言った。


「そうだな。ついでだし俺の知ってることだったら皆に教えるよ」


「さっすが兄貴!! そう来なくっちゃ。やったなヘンリー」


「いや、僕は……」


 ヘンリーはアルクの方をチラリと見た。


「そ、そうですね。お願いしますリックさん」


「……待ってくれ、私は」


 アルクの言葉はガイルに遮られる。


「さあ、兄貴まずは何から始めればいいっすか? 兄貴が自分を鍛えたときみたいにビシビシやってくだせえ」


「それは……うん。ちょっと今は無理かな」


 苦笑いするリック。自分がやってきた訓練はブロストンがいなかったらただの殺人である。


(ああ、そういえば戦い方を人に教えるのは初めてだな。俺はヒーリングも使えないし『軽め』にしておこう)


 こうして、リックによる504号室のメンバーへの『軽め』の特訓が始まったのである。

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