第32話 優しい

 その夜。


 昨日と同じように会議室に各クラスの担当教官が集まっていた。


「例の特別強化対象の生徒についてですが」


 Bクラスの担当教官が口を開いた。


「つい先ほど廊下で鼻歌を歌いながら歩いている彼を見かけたが……どうにも上手くいってないようですなあ?」


 ぺディックは周囲を見回して冷や汗を流す。


 本日試みたリックへのいびりは全く上手くいかなかった。特別強化対象を自主退学に追い込めなかったとなればぺディックの沽券に関わる問題である。


「な、なーに。初日ですからな。軽く手加減をしたまでです」


   □□□


 さて翌日。


 時刻は昼前。リックたちAクラスはぺディック教官に連れられ、騎士団学校の敷地内を流れる川の前に来ていた。


「では、ウジ虫ども!! 今から貴様らには7つの地獄の一つ『窒息川渡り地獄』をやってもらう!」


 相変わらずのネーミングセンスはさておき、またも名前からして辛そうな訓練に辟易とした顔をする生徒たち。


「やることは簡単だ。貴様らにはこの川をこちら側から向こう岸まで泳いで往復してもらう。終った者から午前中の訓練は終了とする。早く飯を食って休みたければサッサと渡りきることだな」


 ぺディックの説明した訓練の内容に一同が不思議そうな顔をする。


 彼らの目の前に広がっている川は確かにそれなりに横幅も広いし流れも速い。しかし向こう岸まで泳ぎ切るのが困難なほどではないのである。要するにここを泳いで渡るだけでいいというのは騎士団学校にしてはどうにも楽すぎるのではないかということだろう。


 そんな生徒たちの心理を察してぺディックがニヤリと笑う。


「ただし、これをつけてな」


 そう言ってぺディックが取り出したのは、手鋼や胸当てなどの一般的な鉄の防具一式だった。


「まず500班!! 防具ををつけて川に入れ」


 ぺディックの言葉とともに水中に入った500班。


 彼らはすぐさまこの防具の意味を理解する。


 防具が川の流れを受け凄まじい負荷を全身にかけてくるのである。しかも騎士団学校では体力トレーニング時は魔力使用厳禁である。500班の生徒たちは向こう岸にわたるどころか川の流れに流されないことに四苦八苦してる有様だった。


 実は、この訓練は卒業までに往復しきれる者はほとんどいない。それほどに重いものを身につけて水の中を動くというのは難しいことなのである。


 ぺディックは波に流され溺れかけそうになる生徒たちを見て、この特訓の過酷さを改めて確信した。


 そして、リックのほうを見る。なにやら、ボーっとしたような様子で青空を眺めていた。


(……念のためもうひと押ししておこう)


 ぺディックは心の中でそう呟いたのだった。


   □□□


(他のパーティメンバーが到着するのは来週あたりかあ)


 リックは目の前で流れに悪戦苦闘する同期たちにを他所に今は離ればなれになっているパーティメンバーに思いをはせる。


「……」


 その結果嫌な予感しかしなかった。できれば、先輩たちが来る前に『六宝玉』を見つけてしまいたいものである。


 さて、そうこうするうちにリックたちの番である。


「おい、30番!!」


「あ、はい」


 皆と同じように防具をつけようとした時、ぺディックから番号を呼ばれた。


 ぺディックはズンズンと足音がしそうな足取りでリックに近づきこう言った。


「貴様、昨日は随分と調子がよかったようじゃないか」


「そうですねえ。おかげさまで」


「だから今日お前には特別な訓練器具を用意した。これをつけて渡れ」」


 そう言ってぺディックがリックに見せたのは他の生徒がつけているものよりも明らかに大きく、比重の重そうな金属でできた胸当てだった。


「と、特別な訓練器具……ですか?」


 リックの脳裏に『オリハルコン・フィスト』でのある光景がフラッシュバックする。


   ■■■


「さて、リック君。今日から君には特別な訓練器具をつけてもらうで」


 ミゼット・エルドワーフはそう言っていつも持っている麻袋から、あるものを取り出す。


「テテテテッテテー、『ちゃぶ台返しギプス一号マックスハート』~!!」


「……なんですかこの異様なモノは」


 手足と胸に取り付ける五つのプレートのようなものが、螺旋形に巻いたひも状の金属でつながっている。胸のところに付いている髑髏マークのボタンがいかにも怪しい。


 ここ数カ月で研ぎ澄まされたリックの危険感知レーダーが警報を鳴らしていた。


「……ちょっといいですか」


 リックは『ちゃぶ台替えしギプス一号MAXハート』を近くの木にくくりつけ、スイッチを押す。


 メキメキメキィ!!


 ひも状の金属が一瞬にして縮み、生々しい音を立てながらプレートが幹に食い込んだ。


「……」


「ヒューヒュー」


「殺す気か!!」


「いやいや、勘違いせんといてな。今のリック君の体なら耐えられるって確信してるから渡したんやで?」


「なるほど」


 ミゼットの言葉に頷いてみせるリック。


「分かってくれたようでなによりやな」


「で、本音は?」


「新しい道具開発したから頑丈な被検体で試してみたいねん。よろシコ」


 ダッ!!


 リックは逃げ出した。


「絡めとれ深緑の罠。第七界綴魔法『フォレスト・ロープ』」


「ぐおおお、離せーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」


「何事も挑戦やでリック君。ぶっちゃけ、これ付けてれば飛躍的に体力を強化できるのはマジなんやからな……よっこいしょ」


 カシャン。ポチ。


「うごおおおおおおおおお、潰れるーーーー、体が潰れるーーーーーー、ああ、なんか俺の骨からミシミシと鳴ってはいけない音がああああああああああああああああああああああ!!」

 

   ■■■


「……やばいよやばいよ」


 頭を抱えながら呟くリック。特別な訓練器具なるものにはロクな思い出がない。


「どうした? 早く防具をつけろ」


 しかしぺディックに睨まれしぶしぶ特製の胸当てを身につけるリック。


 だが。


(あれ? これ軽いな)


 正直このくらいなら身につけていても普通に動きまわるのと大差ない。しかも、リックの体をミンチにしようかという力で縮んてくるようなこともないのである。


 リックはぺディックに言う。


「こ、これは特別(軽い)防具ですね。いいんでしょうか俺だけ……」


「ああ、特別な(素材でできた10倍重い)胸当てだ。感謝するんだな」


 そう言ってニヤリと笑うぺディック。


 やっぱり優しい教官だなあというリックの呟きは川の流れる音にかき消される。


「では504班。始めろ!!」


 その言葉でリックと同部屋のヘンリーたちが川に入っていく。


 ヘンリーはいとも簡単に一瞬で流されて溺れかけている。さすがに体力がなさ過ぎである。


 ガイルとアルクはときどきバランスを崩されつつも、着実に手と足で水を掻き前進する。さすがこの二人は体力面に関して非常に優秀である。


 そしてリックは。


 タン、タン、タン、スタッ。


 クルリ。


 タン、タン、タン、スタッ。


「終わりましたぺディック教官」


「ちょ、ちょっと待てリック!? お、お前今何やった?」


「え、水の上を走っただけですけど?」


「魔法の使用は禁止だぞ!!」


「いや、使ってないですよ。右足が沈む前に左足を着いて左足が沈む前に右足を着けば、水の上を渡るのに魔力なんていらないでしょ?」


 さも当然のように言ってくるリックにぺディックの顔がちぎれ飛ぶのではないかというくらい引きつる。


 当のリックはポンと手を打って言う。


「ああ、もしかして水面を走らない方の水泳でしたか」


「『水面を走らないほう』ってなんだよ!! 初めて聞いたぞ!! てか走ったら泳いでないだろ!!」


 だが、確かにぺディックはリックが先ほど魔力を練っていないかを観察していた。見間違えていなければこの男は本当に生身で水面の上を重い防具をつけながら走ったということになる。


(いや、ない。さすがにそれはない!! おそらく魔力を使ったのを見逃したんだ。きっとそうだ)


   □□□


 昼休みを終え、再び訓練が始まった。


「おーい、大丈夫かーヘンリーくーん」


「ダメです……」


 リックの隣に座るヘンリーは午前中のトレーニングですでにフラフラになり、足元もおぼつかない状況である。


 今までまともに運動したことのない少年にはこのくらいの優しい訓練でも辛いのかあ、と小さく呟くリック。


 その時。ペディック教官が怒鳴り声を上げた。


「おい、そこ。私語は慎め!!」


 うわー、まずい。と慌てるリック。


「おい、貴様ら。随分と余裕じゃないか。リックその場で腕立て伏せ」


 しまったなあ。意外と優しいと思ったけど、やっぱり厳しところはしっかりと厳しい。


 てか、何で俺だけ?


「2000回だ」


「……え?」


 200000回と聞き間違えたかな? 


 リックの困惑を、すさまじい回数を指示されたことに対する絶望によるものだと勘違いしたペディックはニヤリと笑う。


「(たった)2000回ですか?」


「そうだ。悪いが一回たりともまける気はない」


「そ、そうですか。では」


 リックはそう言って地面に手をつき腕立て伏せの姿勢になる。


 次の瞬間。


 ドオッ!!!


 っと、周囲を凄まじい風圧が駆け抜けた。


「うおっ!!」


 ぺディックは舞い上がった砂ぼこりに一瞬視界を奪われる。


 そして数秒後、砂煙の中から出てきたリックはさらっとこう言った。


「……終わりました」


「嘘をつけ!!」


 声を上げるぺディック。


「いや、ほんとに終わったんですって」


「いいか、この世には重力というものがあって、腕立て伏せというのはそれを使って体を下に落とすものなんだよ!! こんな短い時間で2000回できるわけないだろ!!」」


「ええ、ですから体を落とすときには地面に指を食いこませて素早く引くことで効率よくやるわけじゃないですか……あ、もしかして地面を掴まないタイプの腕立て伏せでしたか?」


 だからなんだよそのタイプ分け!!! と心の中で突っ込むぺディック。


 しかし、よく見ると確かにリックの足元には指を深く食い込ませた跡がある。


 いやいやいや、無い!! ありえない!


「て、適当な嘘を言いやがって。もういい。貴様は今日の訓練を受けなくていいからぶっ倒れるまでグラウンドを走ってろ!!」


「……はあ? 分かりました」


   □□□


「オラ気合入れて走れえ、俺のペースについてこれなかったらペナルティだぞ!!」


 ふ、今度こそやってやった。


 馬に乗り、リックの前を走りながらペディックはほくそ笑む。


 現在リックはぺディックの乗る馬と同じ速度を維持しながら走る罰を受けている。まあせいぜい人間の足では持って数時間と言ったところか。


「ふふふ、東方騎士団学校のしごきを思い知るがいい。それ!!」


 ペディックは馬に鞭を入れてペースを上げさせた。


 ――1時間後。


 リックは特に苦しそうな様子もなくついてきていた。


 ぺディックはそれを見て言う。


「なるほど、やはりなかなかの体力のようだな。だが本当の地獄はこれからだ、それ!!」


 ペディックは再び馬に鞭を入れた。


 ――さらに1時間後。


 リックは相変わらず平然と付いてきている。


「……くっ!!」


 ペディックは馬に鞭を入れて再度加速させる。


 ――さらに1時間後。


 ついに倒れた!!


 馬の方が……


「……俺の目の前にいるのは人間か?」


「どうしました?」


「もう、いい。寮に戻れ」


 ペディックはゲッソリとしてそう言った。パッと見ではペディックの方が罰則を受けた側にしか見えない。


 一方リックは、なんだ結局倒れる前に帰してくれるのか。やっぱりペディック教官は優しい。などと呟いていた。

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