第9話 普通のFランク冒険者

「あ、あ、ああ……」


 アンジェリカは上空遥か高くまで舞い上がった土煙を見て、開いた顎がどこかに吹っ飛んでいきそうなほど驚愕した。


 砂煙が晴れる。


 そこには地面に拳を突き立てた姿勢のおっさんと、おっさんの拳を中心として直径10mはあろうかと言う巨大なクレーターが飛び込んできたのである。


 信じがたいことに、今の土煙は爆裂魔法とかではなく一撃の拳によって巻き起こされたものらしい。


(もし、あの時転んでいなかったら、今頃あのパンチがワタクシに……)


 アンジェリカの背中を絶対零度の冷や汗が流れることになった。


 リックは地面から拳を引き抜きながら言う。


「この一撃を躱すとは……さすが二等騎士……」


「あ、あなた、いったい何者ですの!?」


 まるで裁判官に理不尽を訴えるかのような必死さで尋ねたアンジェリカに、リックはサラッと答える。


「え? いや、二年前にギルドの受付から心機一転して冒険者になったばかりの、普通のFランク冒険者だが?」


 絶対嘘だ!! 私の知ってるFランクと違う!! 


 と、アンジェリカを構成する37兆の細胞が一斉に突っ込みを入れた。


 リックは握った右の拳を腰のところまで引き、再び構えをとる。


「パーティの先輩たちからは対人では加減をするように言われてるが、格上のアンタにそんなことをする余裕なんかあるはずがなかった。洗濯い……胸を借りるつもりで、全力で行かせてもらう!!」


 リックのその言葉に、アンジェリカは自分の顔がねじ切れるんじゃないかというほど引きつったのを感じた。  


「……こ、降参ですわ」


「いくぞ……って、えええええええええええええええ!?」


   □□□


「ええええええー!?」


 あまりの肩透かしに俺は思わず叫んでしまった。


(なんか、勝っちゃったよ……)


 終始戦いの流れを支配していたのはアンジェリカの方だったはずだが、いったいなぜ!?


 釈然としない俺に対して、アンジェリカが剣の切っ先を向けながら言う。


「こ、ここ、今回は私の負けにしておいて差し上げますわ」


「お、おう、そうか」


 若干声が震えている気がするが気のせいだろう。


 アンジェリカはすぐさま踵を返すと、フリードの方へ走っていく。


「い、行きますわよフリード!!」


「う、うん。お姉ちゃん」


 そう言ってそそくさとその場を退散しようとするディルムット姉弟。


 俺はあることを思い出して、手をポンと打ちながら一人呟いた。


「そういえば、約束は?」


「あっ……」 


 アンジェリカの動きがピタリと止まった。


 彼女がこの戦いが始まる前に言っていたことを思い出す。


『フィルハイム王国式の決闘は両者とも一つずつ条件を付けることができますわ。私が申し付ける条件は『負けた方が死ぬまで相手の召使になること!!』。王国騎士団、二等騎士アンジェリカ・ディルムットが下郎を成敗して差し上げますわ!!!』


「あー、俺の条件は言ってなかったけど。少なくともアンジェリカの条件は適用されることに」


「……」


 アンジェリカはしばし黙っていたが、フリードを肩に担ぐと膝を深く曲げて言う。


「もう一度限界を超えろワタクシの足っっっ!!! 『瞬脚・厘』!!!!!」


「あ、逃げた……」


 アンジェリカは今日一番ではなかろうかというスピード(まあまあ速かった)で、フリードと共に闘技場から逃げていく。


 後を追うつもりはなかった。別にアンジェリカに約束を行使して死ぬまで召使いにする気もなかったし……まあ俺も男だから、もう少し素敵な体つきしてたらちょっとアレなサービスとかしてもらってたかもしれないけど。


「んー、しかしなあ」


 やはり釈然としない。いったいなぜあの女騎士は突然降参をしたのだろうか。


 今の戦い、俺はアンジェリカの緻密に計算された知略に翻弄されるばかりで、何もさせてもらえなかった。あれほど優位に事を進めていたのになぜ、急に降参などしたのだろうか。


 体調を崩したのか? いや、しかし、様子を見る限り健康そのものという感じだったが。俺の知らないような奇病か何かにでもかかっているのだろうか?


 あ、待てよ。アンジェリカは女騎士。つまり……。


「ああ、うん。なるほど。そういう日だったわけか。男の俺にはよく分からないけど、辛いって聞くしな」


 俺は納得して手を叩いた。そういえば、受付嬢のアリサもいつもののほほんとした笑顔が若干引きつってたりしたもんなあ。


 そして、闘技場の端で待っていたリーネットの方へウンウンと頷きながら歩いていく。


「お疲れ様です。リック様」


 そう言って俺を労わってくれるリーネットの肩をポンと叩いて俺は言う。


「やっぱり辛いものなんだな。さっきのアンジェリカみたいにホントに辛い日はできる限りフォローするからさ。恥ずかしがらずに言ってくれていいんだからな」


「いったい何の話をしているのですか?」


 リーネットは相変わらずの無表情でそう言ってきた。

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