第40話 新婚妻と欲求不満の犬

「ダメぇ~、マラダイさんっ!明日から仕事ぉ~!」

「そ、そんなことを言わずに、ひなげしっ。あと一回だけっ!」

「い、いやぁ~~!」

 ウチに戻った最初の夜から、案の定この有り様じゃ。


 そして翌日は…

「「「起きて~~~~!早くぅ~~~~!!ひなげしちゃん、遅刻しちゃうよぉ~~~!!」」」

 リス達の叫び声が聞こえる。

 

 ひなげしが慌てて寝室から飛び出してきて、浴室へダッシュする。そしてシャワーを浴びて出てきたひなげしの髪を、リス達3人がかりで拭いたり乾かしたり。

 そこへ、のこのこ出て来たマラダイ。

「もうっ、マラダイ様ったら!昨夜あんなに釘を刺したじゃないですかっ!」

 長女リスのナルにキッと睨まれたマラダイが、情けなさそうに身を縮める。

「も、申し訳ない…」

「コテージでヤリ尽くしたんじゃないんですかっ!」

 やっとひなげしに身支度を整えさせた次女リスのニナが、めずらしく歯に衣着せぬ言い方をする。

「マラダイさまも、早くシャワーを浴びてっ!全身から、エロい匂いぷんぷんですっ!もうっ、毎日毎日シーツもどろっどろのベトベトなんだからっ」

 …ノーコメントじゃ、末っ子リスのノワよ。


 そしてリス達は、ひなげしにサンドイッチの包みとお茶が入った容器を渡して、大急ぎで待っていた馬車に乗せた。

「「「行ってらっしゃ~い!!!」」」

 並んで手を振るリス達に、ひなげしも手を振り返しながら言った。

「行ってきま~す!ありがとう、ナルちゃん、ニナちゃん、ノワちゃん!!」

 ふむ、何とか間に合いそうじゃの、おーほっほっほ。



✵ ✵ ✵


 マラダイとひなげしの、そんな朝のどたばたが続いていたある日のこと。


 サエコとジェシカ、ひなげしの3人は久しぶりに揃って、ローランの店『マルデアポ』でランチを食べていた。

「このところ忙しくて、交代でお昼だったものねぇ。悪かったわ」

 サエコが経営者らしくそう言うと、分厚い肉の塊を口に運ぶ。

「やっぱり揃って食べると、楽しいわ!」

 ジェシカも嬉しそうにそう言って、たっぷりとグレービーソースを絡めた肉を頬張った。

「…ん、はっ!」

 うたた寝していたため、フォークに刺した肉片をぽろ、と落としたことに気づいたひなげしが慌てて周りを見る。


 そしてサエコとジェシカの生暖か~い視線とぶつかった。

「「………」」

「あっ…えっ…と、あの…」

 ますます慌てて、顔を真っ赤にするひなげし。

「ふ~ん?」

 意味あり気な笑みがかえって怖いぞ、サエコ。

「寝・不・足?」

 言わずもがななことを訊くジェシカ。

 さらに顔を真っ赤にして、ひなげしは俯いてしまった。


「いいわ、気にしないで、ひなげし。後で、マラダイにキツく言っておくわ」

「え、あ、そそそ。それはっ!」

 泡を食ったひなげしは、眠気など吹っ飛んだようじゃ。

「だって、言うこと訊かないでしょ?あのバカ絶倫男」

「そそ、それはあたしが悪い…」

 小さな声でそう言って、身を縮めるひなげし。

「え~、あたしが魅力的すぎるのが悪いとでも言いたいのぉ?」

 ジェシカがそうからかう。楽しんどるじゃろう、お前さん。

「ちちち、違う」

 からかわれていることに気づかないひなげしは、いっそう慌てて真っ赤になった。


「はいはい、いいから。ひなげし、ちっとも進んでいないじゃない。ほら、もっと食べて体力つけないと。もたないわよっ!」

 そう言ったサエコに、ジェシカがさらに反応する。

「やだぁー、サエコさん。も・た・な・いって、どっち?」

「あらぁ、もちろん仕事に決まってるでしょ?」

「ですよねぇー、あはは」

「そうよ、うふふ」

 新婚というのは大概たいがい、酒の肴、いやランチのお供にされるのじゃ。


「それはそうと…」

 今度はジェシカが、少し真面目な顔になって言う。

「あたしの友達夫婦が、犬を飼いだしたんですよ」

「へぇ、そう」

 サエコが相槌を打つ。

「それで朝、夫婦揃って散歩に行くようになったんですって」

「へ~ぇ」

 ランチを食べ終わった後のコーヒーを飲みながら、サエコが訊いている。

「だから早起きになって、散歩もするから、ふたりとも健康的にシェイプされたって言ってました」

「ふ~ん。あたしなら、早起きはまっぴらごめんだわ」

 サエコがそう言って笑う。


 まだのろのろと肉の塊と格闘しながらも、ひなげしは「早起き」と言う言葉に心の中で反応していた。

「もしかしたら、これ、いいかも」

 小さくそう呟いたひなげしの声は、快活に笑い合うサエコとジェシカの耳には聞こえなかったようじゃな。



✵ ✵ ✵


 さて、マリウスと犬は、どうしておるかの?


「なんで、夕方の散歩がいいの?」

「わん(いや、だって。俺、人間だったときからお寝坊さんだったし、犬になったからって急には変えられない)」

 なぁにが、お寝坊さんじゃ。気持ち悪いぞ、犬。


「この辺りは朝の方が、他の犬たちに出逢う確率が高いんだけどな」

「わん(興味なし!俺、人間のエロいお姉ちゃんがいい)」

「それは、無理だよ」

「わん(なんでだよっ!)」

「考えたら、いや考えてみなくてもわかるでしょ?」

「わん(なんでだぁ~。クソぉ、人間のときの俺は渋谷界隈で知らない者はいないほどのヤリ○ンだったんだぞっ)」

「それ、自慢にならないから」

「わん(黙れっ!童貞だったくせに!いまも童貞なくせにっ)」

「しょうがないよ、いまは8歳だから」

 犬ごときに八つ当たりされても、見よ、この冷静さ。


「わん(ひなげし、どうしてるかなぁ~)」

「きっと幸せだと思うよ」

「わん(いや、そういうことじゃなくて)」

「なに?」

「わん(わかんだろっ!あの・・マラダイさんだぜっ。いい加減、ヤリ倒されて死んでねぇかな)」

「縁起でもないことを考えない!」

「わん(いや、あり得る。愛は絶倫を越えない。もう、ヤダっ!てなってたらどうするよ?)」

「まぁ、それはあり得なくもないけど。でも、きっと大丈夫だよ」

「わん(お前にしては説得力のない意見だな)」

「ポムポム!」

「わん(まぁ、経験ねぇとわかんねぇか)」

 犬のくせにドヤ顔をするな、犬よ。


「わん(なぁ、遊びに行ってみないか?新婚家庭)」

「興味本位で邪魔しないのっ」

「わん(え~、ホントはお前だって、気になってんじゃねぇの?それにもう、結婚休暇、邪魔しちゃったし)」

「だからこそ、これ以上は邪魔しない」

「わん(まー、何かあったら、マラダイさんの方から泣きついてくるだろうしな)」

 マリウスには泣きつくが、決してお前に泣きついてはいないぞ、犬よ。


「わん(お、いいオンナ、発見!)」

「こら、ポムポム、ダメだったら!」

 慌ててリードを引くマリウスに構わずに、胸とボディラインを強調した美女と、長い足を見せつけるべくマイクロミニを着たエロ可愛かわ女子に接近していく犬。


「あらぁ、不細工な犬!」

「あら、ホント」

 いいオンナ達はそれでも、犬相手に警戒することもなく、頭や喉を撫でる。

「わん(うひょ~、やばいぜ、やばいぜ)」

「ご、ごめんなさい」

 マリウスが謝る。

「あら、いいのよ。ボクちゃん」

「そう、不細工なのも可愛いわ」

「わん(不細工は余計だ。ほら、もっと撫でろ!)」

 調子に乗るでない、犬よ。

 

 しかし欲求不満を、ささやかな幸福で埋めようとするその努力は買うぞ。

 おーほっほっほ。

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