第32話 給料3カ月分
「これ、そこの男。ちょっと占ってまいれ」
「うげっ!こ、これはアンナ様っ!!」
いつもながら、その驚き方は気分が良くないので止めよ。
「マラダイ、プロポーズが成功したのは誰のお蔭じゃ」
「それはっ、ももも、もちろんアンナ様のお蔭です!」
「それなら、礼の一つくらい言っても良かろう」
「あああ、ありがとうございましたっ!!!」
マラダイが慌てて、深々とお辞儀をする。
「ところでお前、これから領主館へ行くのか?」
途端にマラダイの顔が、デレ~と見苦しいほどだらしなくなる。
「はいっ!これを出したら、俺とひなげしは晴れて夫婦っ!うっ、ふ、夫婦っ!?ふ、夫婦っ」
何やら「夫婦」という言葉に過剰反応しておるが、まぁ座れ。
「えっと、こ、これを出してきてからでも…」
「よいから、座れ!実は伝え忘れていた大事な話があるのじゃ」
「だ、大事な話? つ、伝え忘れていた?」
マラダイの顔が急に不安そうになる。
「そうじゃ、実はな…」
そこへ、マリウスと犬がやってきた。
「マラダイさん、こんなところで何をやっているんですか?早く行かないと、受付時間が終わってしまいますよ」
「おお、マリウスか」
「あ、これはアンナ様。こんにちは」
マリウスが礼儀正しく挨拶をする。
「わん(マラダイさん、こんな占い師に、なに
こんなで悪かったな。それに早くエッチしたいだろうなんて、伝わっていないが小賢しいぞ、犬。
「マリウス、わしはマラダイに大事な話があるのだ」
「そうですか、では館に戻って待っています」
「わん(え、一緒に訊いて行こうよ。面白そうだし)」
お前は帰っていいぞ、犬。
「マ、マリウス、お願いだからいてくれ。なんか、ちょっと訊くのが怖い…」
いい歳したおっさんが、8歳のマリウスに頼るでない。
「一緒に訊いてもよろしいですか、アンナ様?」
ふむ、礼儀正しい
「よかろう」
「わん(なんだろ、なんだろ。楽しみだな~)」
面白がっている犬をぎろ、とひと睨みし、わしは話しだした。
「もう一つ、日本には大事な習慣があることをわしは伝え忘れておった」
「大事な…習慣?」
マラダイが、恐る恐る確認する。
「そうじゃ。ルキーニ王国では、結婚した男女は一つのピアスをわけ合って、男が右耳、女が左耳につけるであろう?」
「ああ、それでしたら、この書類を出した後ひなげしと一緒に見に行こうと思っています」
なんだ、そんなことか、という表情でマラダイが安堵する。
「これ、早合点するでない。日本では、ピアスをわけ合ってつける習慣はない」
「へ?じゃあ、どうするんですか?」
「男が女に婚約指輪を贈り、揃いの結婚指輪を身につける」
「ゆびわ?」
「そうじゃ、この指につける丸い輪っかのようなものがあるのじゃ」
「それ、ルキーニ王国で手に入りますか?」
マリウスが訊く。
「いや、そんなものはもともと存在しないからな」
「じゃ、どうすれば…」
途端に、マラダイが途方に暮れる。
「まぁ、ルキーニ王国には指輪というものがない、替わりにピアスをわけ合うのだと説明すれば、ひなげしも納得するであろう」
「ほっ、じゃあ何の問題もないじゃないですか。よかった」
マラダイが胸を撫でおろす。
「問題は大ありじゃ!」
再び安堵したマラダイに、わしはそう言い放った。
「どどど、どこが問題なんです?」
「問題というのはな、夫婦の絆の証である品の金額じゃ!その金額が、夫となる男の想いの強さを表すのじゃ」
「わん(もしかして…)」
「金額…それはどれくらいですか?」
「日本では、夫の給料の3カ月分が目安となっておる」
「さささ、3カ月分!?」
マラダイが眼を
「わん(あはははっ、やっぱし!)」
そこでウケるでない、犬よ。
口をあんぐりと開けて、マラダイがまだ固まっておる。
「ときにマラダイ、お前の3カ月分の給料はいかほどだ?」
はっと我に返ったマラダイが、少し考えてから言う。
「そうですね…俺が経営者だから、とくに給料はもらってないけど…」
「では、店の売り上げがお前の給料と見なしてよいな?」
「はぁ、まあ…」
「で、1か月にどれくらいの売り上げがあるのじゃ?」
「そうですね…平均するとだいたい1000万ルキくらいかな?」
「わんっ(いいい、1000万ルキ!?それ円にしたら、まんま1000万円じゃん!さすが、国家事業!マラダイさん、金持ちなんだなぁ。もしかして、ひなげし玉の輿?)」
「ポムポム、静かに」
「わん(だって、1000万だよ!すげぇ、3カ月分だとして3000万のピアス…まるでタレントじゃん)」
「ということは、3カ月分で3000万か」
「げ、アンナ様。それはちょっと。もう少し安くても…」
この期に及んで、マラダイが情けないことを言いよる。
「マラダイ、ひなげしが憧れていた交換日記のカップルじゃが、夫が贈った婚約指輪は確か6000万だったぞ」
「わん(それ、ズルい~~!だってその人、芸能人じゃん、しかも家柄ハンパないじゃん。いくら国家事業を任されていると言っても、マラダイさん一般人だし)」
「マラダイ、お前のひなげしへの想いはその程度かっ!」
わしが一喝すると、マラダイははっと顔を上げた。
「い、いえっ!さささ、3000万でも6000万でも、ひなげしのためならっ!お、男マラダイ、男気見せますっ!」
「わん(男気じゃんけんか?オレとじゃんけんする?マラダイさ~ん)」
グーしか出せぬお前は黙っておれ、犬よ。
「本当に、3000万ルキも使う気ですか?」
わしの元を後にし、領主館へ向かう道すがら、マリウスが心配そうに訊く。
「ももも、もちろんだっ!俺のひなげしへの愛は、売上3カ月分以上だっ!」
「でも、ひなげしちゃんは、愛はお金ではないと言うと思いますよ?」
「なぜ、そう思うんだ?さすがのマリウスでも、日本のことをアンナ様ほど詳しくは知らないだろう?」
「わん(いやいや、知ってますって。だって、俺たち元日本人だし)」
「それは…そうですが…」
「じゃあ、黙っててくれ。俺は、ひなげしに喜んでもらいたいんだ。ルキーニ王国へたった独りで転移してしまって、いろいろ不安も戸惑いもあったろうに。もう心配ない、俺が守ってやると伝えたいんだ。日本人の男なんかに負けてたまるかっ!」
「ま、マラダイさん…」
「わん(く~、泣かせるねぇ。男マラダイ、純愛だねぇ)」
犬よ、感激するのは良いが、鼻水が出ておるぞ。
「あっ!!!!」
領主館に着いたマラダイは、そう叫んで絶句した。
「受付、終わっちゃいましたね…」
「ううううぅ…」
残念だったな、マラダイ。週末はまだ、夫婦ではない。来週出直すのじゃ、おーほっほっほ。
「わん(絶対、確信犯だな、あの占い師。ひでぇ…)」
犬聞きの悪いことを言うな、犬。
✵ ✵ ✵
さて、その頃。
サエコとジェシカが、『マルデアポ』でひなげしのためにささやかなお祝いの席を設けていた。
「よかったわねぇ、ひなげしっ。これであなたは、私の妹よっ!」
サエコが嬉しそうに、隣に座ったひなげしに抱きつく。
「あ、ありがとうございます!」
ひなげしも嬉しそうじゃ。
「でも、
ジェシカの心配は、むろんマラダイの絶倫っぷりを本当にひなげしが受け止められるかなのだが。
「うん…」
頬を染めて、
「大丈夫、愛さえあれば。ね、サエコ?」
ローランが、自ら大きな肉の塊を運んできて言った。
「ふふ、そうね」
サエコがきらり、と獲物を見るような眼でローランを見ながら答えた。
「あれ?サエコ…」
そのとき、ローランは何かに眼を停めた。
「…サエコ、また無くしちゃったの?ピアス」
「えっ!!!」
サエコは、慌てて左耳に手を当てる。
「やだ、どこで無くしちゃったのかしら」
「え…サエコさん、大変!それって、結婚ピアスでしょう?」
ルキーニ王国のことが、だいぶわかってきたひなげしが慌てる。
「大丈夫よ」
そう言ったのはジェシカだ。
「でも…」
「心配しなくても大丈夫、ひなげし。ピアスはもともと無くしやすいものなの。もし無くしたら、夫婦はまた新しいひと組を揃って買いに行くのよ」
「そうそう。そうして新婚の頃を思い出したり、もう一度愛を確かめ合ったりする機会になるの」
ローランもそう言ってジェシカに同意する。
「それに無くしやすいから、そんなに高価じゃないし。ね、ローラン、また一緒に選びに行きましょうよ」
サエコもにこやかに言った。
「そうなんですか。まだまだ知らないことがいっぱい…」
そう言ったひなげしに、ローランはウインクして見せた。
「いいじゃない、これからはマラダイさんに、
「きゃー、ローランさんったらヤラしいっ」
ジェシカが茶化して、笑いが広がる。
「それより、マラダイ。結婚届、ちゃんと間に合ったんでしょうね」
サエコは勘も鋭いのぅ。
「大丈夫でしょ?」
「きっと、大丈夫だよ」
ジェシカもローランもそう言ったが…。
「うぉ~~!!!ひなげしに何と言って謝ったらいいんだっ!!最初からこんな失態!来週まで夫婦になるのはお預けっ、く~~~~なんでだぁ!!!!」
領主館の前には、マリウスと犬に慰められながら、まだ絶叫しているおっさんがいた。
いい加減に諦めよ、おっさん。おーほっほっほ。
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