第26話 大チン事と悪夢

「見~た~ぞぉ!」

 サロンに出勤してきたジェシカが、ひなげしの顔を見るなり開口一番そう言った。

「あ、おはよう。ジェシカ」

「おはよう、じゃないわよ。足腰、股関節、その他もろもろ大丈夫?今日」

「え?どうして?」

 ジェシカの質問の意味がわからないひなげしは、そう訊く。

「どうしてって…昨夜、マラダイさんに送られて帰ってきたじゃない」

「あ、見てたの?」

 急にぽっと頬を染めるひなげし。

 そんなひなげしを軽く小突きながら、ジェシカがにやにや顔で言う。

「見てたの? じゃないわよ。それで筋肉痛とかになってない? 大丈夫?」

「?大丈夫、だけど?」

 やはり質問の意味がわからないひなげしは、当惑する。


 ふたりの話をさり気なく訊いていたサエコが、つかつかと歩み寄ってきた。

「もしかして、ひなげし。何もなかったの?」

「何もなかったって、どういうことですか?」

 無邪気に訊くひなげしに、サエコとジェシカは顔を見合わせる。


「「まさか…」」

 サエコとジェシカが、どうやら同じ考えに至ったようじゃ。

「ねぇ、ひなげし。昨日はマラダイの所へ行ったのよね?」

 サエコが急に、猫なで声になって確認する。

「はい」

「それで、どんな風に過ごしたの?」

 サエコにそう訊かれたひなげしは、思い出したのか幸せそうな顔になって答える。

「はい、3匹のリスさん達に会いましたっ」

「ああ、白・グレー・黒のあの子達ね。それで?」

「はい。それでお茶とお菓子をいただいて、いろんなお話をして」

「リス3姉妹とマラダイと一緒に?」

「はい。あまりに楽しくて、時間があっと間に経ってしまって。リスさん達に夕食に誘われました」

「ああ、そう。で?」

「あたしもリスさん達のお手伝いをして、一緒に夕食をつくりました。凄いんですよ、リスさん達。大きな包丁もお鍋も、あの小さな身体で持ち上げてしまうんですっ!」

「ああ、そう」

 サエコにとっては、そんなことはどうでもいい情報のようで、若干イライラ気味になっている。


「で、それから?」

 同じくイライラし出したジェシカが、話しを促す。

「夕食が終わって遅くなったからと、マラダイさんが馬車で送ってくれました」

 嬉しそうに答えるひなげし。

 一方、揃ってあんぐりと口を開けたサエコとジェシカ。

「「はぁ??それだけっ?」」

「…はい。とても長い時間お邪魔してしまって。でも、とっても楽しかった…です」

 なんだかサエコとジェシカの表情が険しくなった気がして、ひなげしの声がだんだん小さくなっていく。


「ちょっ!まさかっ、ヤラなかったってこと?」

 とうとうしびれを切らしたジェシカが、単刀直入に訊いた。

「やらなかったって…なにを?」

 戸惑いながらそう訊くひなげしに、ジェシカが頭をかかえた。


「ねぇ、ひなげし。ルキーニ王国で男と女がなにをヤル・・か、もうわかっているでしょ?」

 ドSのサエコが、怖いほど優しい声で訊く。

「え…あっ…」

 やっと気づき、突然狼狽うろたえだしたひなげしに、ジェシカが呆れ顔になった。

「だ、だってっ。そ、そんな、日本ではそんな急に…」

 あわあわと真っ赤になって口ごもるひなげしの肩に、サエコは優しく手を置いた。

「わかったわ、ひなげし。悪かったわ。さぁ、オープンの準備にかかって頂戴」

「はいっ」

 救われたような表情になって、開店準備をはじめるひなげしをサエコとジェシカは難しい顔で眺めた。


あの・・マラダイさんが…信じられない。ねぇ、サエコさん」

 ジェシカが軽く首を振る。

「あたしだって信じられない。でも、まだヤッテないことは確かだわ。お母様に報告しないと」

あの・・マラダイさんが、よく我慢できたものだわ」

 まだ納得していない様子で、ジェシカが呟く。

「前代未聞の大チン事ね」

 サエコが呆れたように両手をあげたところで、伝書カラスがサロンの呼び鈴を鳴らした。


「ミーナ様からお手紙です」

 伝書カラスがそう言って、折りたたんだ紙をサエコに渡す。

「ありがとう」

 サエコはそう言って、伝書カラスにお礼のナッツを渡した。

「また、出張施術のご依頼ですか?」

 ジェシカがそう訊く。

「ええ、ひなげしがお気に入りだもの」

「でも、それだけではないんでしょう?」

 事情を知っているジェシカが、少し心配した声になった。

「まぁ、まだヤッテいないとしても、どうやらひなげしとマラダイは相思相愛の様だし。早めに手を打っておくほうがいいわね」

 そうじゃな。ジュリアス様とひなげしの両方に、脈がないことをやんわりミーナ様に伝えないとな。



✵ ✵ ✵



「今日は、サエコさんも一緒に行くんですか?」

 出張施術の支度をしながら、ひなげしがサエコに訊く。

「ええ。ミーナ様にちょっとお話があるの」

「そうですか」

 ひなげしは施術道具をうんこらしょ、と馬車に積んだ。

「ねぇ、ひなげし。確認のために訊くけど、あなたの好きなのは若くて清潔でイケメンのジュリアス様ではなくて、おっさんで絶倫顔で ヤリ…いやいや、むさ苦しいマラダイなのね?」

「次期ご領主になられるジュリアス様を好きになるなんて、図々しいです。それにマラダイさんはちっともむさ苦しくなんか……や、優しい方です」

 小さな声でマラダイを褒めたひなげしが急に愛おしくなって、サエコは小柄なひなげしの身体をぎゅっと抱きしめた。

「ひなげし、心配はいらないわ。すべて、あたしに任せなさい」

「え…と。はい」

 なんだかよくわからないけれど、サエコが自分を思ってくれていることだけは伝わって、ひなげしはサエコの大きな胸に顔を挟まれ窒息しそうになりながらも、やっと答えた。



 その日、施術が終わるとサエコはひなげしを馬車の中で待たせて、ミーナ様の前に進み出た。

「ミーナ様、今日は大事なご報告があります」

 今日もひなげしとジュリアス様を2人で過ごさせようと目論んでいたミーナ様は、ひなげしの姿がないことに少し不機嫌そうだった。

「ジュリアス、ジュリアスはどこ?」

「お出かけになられました、奥様」

 執事のマシューがそう言って、申し訳なさそうに頭を下げる。

「まぁっ、また!?もう、今日の午後はちゃんといるようにと言っておいたのに」

「申し訳ございません」

 執事が今度は深々と頭を下げる。


「もう、いいわ。ええと、報告があるとか言ったわね、サエコ。なぁに?」

 ミーナ様が、施術後のつるつるぴかぴかのお顔でサエコに訊いた。

「あの…実は」

 物事をはっきり言う方のサエコも、さすがに言いにくそうじゃ。

「実は?」

 ミーナ様が小首をかしげる。

「あの、実は。私の兄マラダイと、ひなげしがつき合いはじめましてっ」

 思い切ったように、サエコがはっきりと告げた。

 一瞬ぽかんとしたミーナ様だったが、すぐに金切り声を上げた。

「ななな、なんですって!マママ、マラダイとっ?よりによって、マラダイとですって?」

「はい。よりによって、マラダイとです」

 よりによらずとも、二人してマラダイへの評価は低いな。


「…じ、事実なの?」

 恐ろしいことを訊くように確かめるミーナ様。

「はい。最近では、ひなげしはマラダイの家へ行っております」

 まぁ、それで十分じゃろうな。男女間の既成事実があると言ったも同然じゃ、本当はないがの。


「お、終わりだわ。完全に終わり…。ああ、せっかくジュリアスにぴったりの可愛らしくて純情で初心うぶを見つけたと思ったのに。悪夢だわっ、あの絶倫の節操なしにさらわれるなんてっ!」

 まるでマラダイがとんび、ひなげしが油揚げのような言い方じゃ。

「申し訳ございません」 

 サエコが神妙な顔で謝る。


「でも、意外だわ」

 今度はミーナ様が怪訝けげんそうな顔になる。

「あの小柄で可愛らしいあっちも初心者っぽいひなげしちゃんに、あんなケダモノのような絶倫男の相手ができる…の?」

 まさか、まだヤッテいないと答えることができないサエコは、何とか取り繕う。

「は、はい。マ、マラダイもいまは節度を持っているらしくて」

「節度ですって? そんなもの、あの男ならあっという間に崩壊するわ。いずれ、嫌でもわかることになるのよ、あの男の鬼畜なほどヤリ○ンの本性が」

「は、はぁ…」


 突然、うっと涙ぐむミーナ様。

「か、可哀想に、ひなげしちゃん。あんなちっちゃくて純粋無垢なが、よりよって鬼畜マラダイの餌食に?ああ、早くジュリアスと結びつけていれば、こんなことにはならなかったのに。ああ、ごめんなさい、ひなげしちゃん。ううぅっ」

 さめざめと泣いているが、ルキーニ王国に転移したばかりのひなげしを、最初にマラダイに押し付けたのはミーナ様たちではなかったか?

 どうやら、お忘れの様じゃ。

「お優しいミーナ様、どうか泣かないでくださいませ。マラダイの毒牙にかかってしまったのは不本意ですが、それでもひなげしの行く末を守ってやりましょう?私たちで」

「そうね、サエコ。何かあったら、あたくしはひなげしちゃんの味方よっ」

 しかし、マラダイを悪者にすることで、サエコはお得意様でもあるミーナ様との絆を逆に強くしたのじゃった。

 やるのう、ドS殿。おーほっほっほ。

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