第19話 絶倫男は恋愛初心者

 そわそわそわそわそわそわそわ。


 そんな音が聞こえてきそうなほど、落ち着きない顔をしたおっさんが、右手に日記を抱え、左手にバスケットを下げて道を急いでいる。

 ま、ご想像通りマラダイじゃ。


「ぶ~ん(どうやら、ひなげしところへ直接日記を届けようって魂胆ですね?)」

 ヴィにまで見破られるほど、スケベな魂胆が見え見えである。


 うろうろうろうろうろうろうろ。

 

 ひなげしが住むアパートに着くと、今度は入口で挙動不審者状態じゃ。

 まぁ、ひなげしが仕事から帰るにはまだ少し時間があるからのぅ。


 そこへ。

「あれ?マラダイじゃないか」

 そう声をかけてくる男がいた。

「え、あ。なんだ、ダシルじゃないか」

「どうした、こんなところで?」


「なぁに?ふたりとも、知り合い?」

 ダシルと呼ばれた大男の背中から、ひょこりんと顔を出したのはこのアパートの住人でもあるリモーネじゃ。

「なんだ、もしかしてここの住人と待ち合わせか?」

 何やら日記らしきものを大事そうに胸に抱え、バスケットを下げていつもとだいぶ違うマラダイを、ダシルはめずらしいものでも見るような表情で眺めた。

「え、そうなの?誰だれ誰?」

 リモーネも興味津々で訊いてくる。


「あ、いや。待ち合わせという訳では…」

 待ち合わせというより、待ち伏せじゃからのぅ。


「あ、わかった!ジェシカでしょう?あれ?でも…」

 リモーネは27歳には見えない可愛らしい顔をかしげて、続けた。

「ジェシカの趣味は年下だったはず…」

 ジェシカと聞いて、マラダイは慌てた。

 しまった、ジェシカがひなげしと同じアパートに住んでいたことをすっかり忘れていた!と、マラダイの顔には書いてある。

 嘘ではない、わしには見えるのじゃ。


「ちちち、違うっ」

「じゃあ、ドリス?」

 また可愛らしくおさげを揺らして、小首をかしげたリモーネが訊く。

「ちがっちがっ、ちがうっ!」

「そうよねぇ。だってドリスは、ワルでどちらかというと優男やさおとこが好みだし」

 ガタイのいい36歳おっさんをまじまじと見ながら、リモーネは言った。


「じゃあ、もうひとりの…ほら、最近入った大人しいじゃないのか?名前なんて言ったっけ?」

 ダシルがリモーネのおさげをもてあそび、そこへ優しくキスしながら言った。

「きゃはっ、まさかぁ。ひなげしな訳ないわ。だって、あの…」

 そこへ、噂をすれば陰とばかりに、ひなげしが帰ってきた。


「あ、ひなげし~~~、おかえりぃ。今日は、チェリーパイとベーコンサンドがお土産よぉ」

 ひなげしの姿を見つけたリモーネが、手を振りながら言った。

 ひなげしと聞いて、思わず飛び上がったマラダイは、いっそうそわそわ落ち着きがなくなる。

「リモーネさん、ただいまぁ~」

 同じように手を振って応えたひなげしが、はっとマラダイに気づいた。

 途端に、ほんのり顔を赤らめ「あ」と小さな声を上げたひなげし。


「マ、マラダイさん」

「や、やぁ、ひなげしちゃん」


「ええええ~~~~、待ってたのって、ひなげしだったのぉ?」

「おお、おいっ。マラダイ、このはだめだ!ルキーニ王国きっての絶倫の毒牙にかける相手ではないっ!」

「そそそ、そうよっ!ひなげしは、初心うぶで奥手で恥ずかしがり屋でなぁんにも知らないヴァージンなのよっ!」

 リモーネは両手を思い切り広げると小さな身体を張って、ひなげしを背にマラダイの前に立ちはだかった。ダシルもマラダイを後ろから羽交い絞めにして、まるで変態扱いである。

 まぁ、変態であることは、ある意味事実じゃが。


「ど、毒牙って…ひどい」

 ダシルにぎゅうぎゅう羽交い絞めにされながら、マラダイは情けない声を出した。

「ヴァ、ヴァ、ヴァ…」

 ひなげしの方は、皆の前ではっきりとヴァージンと言われたことにショックを受けていた。さもありなん、この間ジェシカから二十歳を過ぎてヴァージンなのは、ルキーニ王国では欠陥があると思われると耳打ちされたばかりだからのぅ。


「ダシルっ、放せっ!俺はただ、身寄りのないこのに、夕食の差し入れをしにきただけだっ」

「お、お前が?」

「そうだっ!」

「女と見れば、ヤルことしか考えないお前が?」

「そそそ、そうだっ!」

「あっは~ん、いっや~ん、もっとぉ~のお姉ちゃん大好きで、夜通しも3Pも当たり前のお前が?」

「…ダシル、それ以上言うと、友人のお前でも許さんっ!」


「あ、あのっ。マラダイさんは、優しくていい人ですっ」

 その様子をおろおろしながら見ていたひなげしが、意を決するように言った。

「ほんとね?イヤらしく迫られたりしてないわね?」

「そそ、そんなこと、一度もっ」

 そう言ってひなげしは、少し悲しそうな表情をした。

 女と見れば口説いてヤルことしか考えないマラダイが、自分にはそんな素振りは全く見せない。自分に女としての魅力がないのだと、卑下しておるのじゃろう。


「おおお、俺はっ、このに対しては清らかな感情しかないっ!」

 それを訊いて、ダシルは顎が外れそうなくらいに驚いた顔をした。


「ねぇ、ダシル。この人がそこまで言うなら……………信じる?」

 長~い躊躇ちゅうちょの末に、とうとうリモーネが言った。

「そ、そうだな」

 ダシルもやっと、マラダイの羽交い絞めを解いた。


「ねぇ、ひなげし。あたしたちは階上うえにいるから、何かあったら呼ぶのよ」

「マラダイ。もしお前がこの初心うぶちゃんに何か良からぬことをしたら、俺がお前のチン〇をちょん切ってやるからな」

「わかった、誓う。男に二言はない」

「よしっ」

 やっと60%くらいは安心した顔になったリモーネとダシルが、腕を組み合って階上へと向かってくれた。


「ねぇ、ホントに大丈夫よね?」

「ああ。なんか最近、マラダイはちょっと変だって噂があってさ。何でも禁欲村とかに連れ去られて、帰って来てからは不能になったとか…」

「ええっ、ホント?だって会ったのは今日が初めてだけど、マラダイさんって言ったらルキーニ王国一の絶倫で、あの・・ピンキーノの製造を任されてる人でしょ?」

「ああ。だけど今日の様子を見ると、噂は本当なのかもな」

 リモーネとダシルがひそひそとそんな話をしていたことは、マラダイもひなげしも知らない。

 まぁ、その噂にこれ以上、尾ひれがつかぬことを祈るばかりじゃな。


 さて、残されたふたりは。

「あ、あの。ひなげしちゃん、これ」

 柄にもなくマラダイが顔を赤らめて、ひなげしに差し出したのは例の日記じゃ。

「あっ…。もしかして、もう書いてくれたんですか?」

 ひなげしが、マラダイよりさらに顔を赤くして、嬉しそうに言った。

 そうじゃ、他力本願で。わしのお蔭じゃぞ。

「それに…わざわざ、届けてくださって」

 うむ、それはお前に会う口実じゃ、ひなげし。

「いやっ、それはっ。伝書カラスに頼んで、もしなくされでもしたら困るから」

 マラダイよ、顔がニヤけておる。気色悪いのぅ。


「それに、夕食を持ってきた」

 さっき、リモーネからお土産のパンを渡されたばかりじゃが、ひなげしは嬉しそうにとびきりの笑顔になった。ほぉ、なかなか可愛らしい、輝くばかりの笑顔じゃな。

 案の定、ひなげしの花がほころぶような笑顔を見たマラダイは、柄にもなく照れて口をパクパクしておる。お前は死にかけている金魚か。


「嬉しい。あ、あのっ、もしよかったら一緒に食べていきませんか?」

 ひなげし、コヤツは初めからその気満々じゃ。

「いいい、いいの?いやぁ、ひなげしちゃんに誘われたら断れないなぁ」

 なんじゃ、その恋愛初心者のようなセリフはっ。ヤリ〇ンの性欲お化けのくせに。


 しかし、ひなげしはマラダイに嬉しそうにうなずいて見せると、一階の共同キッチン&リビングへと促した。

「これ、ウチの看板リスたちがつくったお弁当なんだ」

「まぁ、看板リスさんたちがいるんですか?」

 ひなげしが興味を示す。

「うん」

「きっと可愛いんでしょうね?」

「いやぁ、見た目は確かに可愛いけど、中身は小姑みたいにうるさくてさぁ」

 それはお前が、手がかかるからじゃ。いまのお前の言葉をリス3姉妹が訊いたら、数週間は仕事をボイコットするに違いないぞ。

 ひなげしはマラダイに手渡されたバスケットを開けて、中に入っているお弁当の箱をふたつ取り出した。蓋を開けると、肉や魚、卵やサラダがおいしそうな彩りで詰め合わせてある。

「うわぁ、おいしそう!」

 ひなげしは、思わず歓声を上げる。

 それを嬉しそうに見るマラダイ。鼻の下が伸びておるぞ。


「こんな素敵なお弁当をつくれるなんて、なんて器用なリスさんたちなの?」

「うん、まぁ。料理だけじゃなくて、仕事も手伝ってくれるし、歌も踊りも上手いんだ」

「え、歌うの?踊るの?」

 今度は、とても驚き、感心した表情になるひなげし。

「凄いわ!ルキーニ王国のリスさんたちって、本当に凄い」

「日本では、そういうリスたちはいないの?」

「リスはいるけど、歌や踊りはおろか話すこともできないです。仕事を手伝ったり、料理したりなんて絶対に無理」

「へぇ、そうなんだ」

「会ってみたいな」

「じゃあ、今度ウチの店へ来る?」

「えっ、いいんですか!?」

 顔を輝かしてそう訊いてくるひなげしに、マラダイはもうデレデレである。


「なんか、話が盛り上がってるわ」

「信じられないな。マラダイにとって女との会話はセ〇クス、ベッドの中でこそ躰で饒舌に語るヤツのはずなのに」

「じゃあ、その噂、本当なのかも」

「ああ。明日、知り合いみんなに話しておこう」

「ねぇ、もうひなげしが襲われる心配もないみたいだし、あたしたちも楽しみましょ?」

「そうだな。よし、リモーネ、今夜は寝かさないぞ!」

「きゃあ、期待してるわっ」

 盗み見していたリモーネとダシルがそんな会話をしていたことなど、マラダイもひなげしも知る由もなかった。

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