第12話 ミーナ様の思惑 

 サエコのサロンは、領主アサムドの妻ミーナ様のお気に入りでもあった。

 おしゃれが大好きなこの奥方は、当然、肌やボディのお手入れにも関心が高い。今日も全身を香りの良いハーブオイルで磨かせ、顔はとくに念入りにマッサージを受けていた。


「ミーナ様、本日はいかがでしたか?」

 施術室でたっぷりと時間をかけた贅沢なフルコースを終え、サロンの優雅な居間でハーブティを飲んでいるミーナ様に、サエコはそう声をかけた。

「満足してよ、サエコ。それにしても、本当に良いをいれたわね」

「お気に召しましたか?」

「ええ、とっても。指先の使い方がとても繊細で、夢の世界に漂っているようよ。おまけに、身体中のツボを捉えるのがとても上手いわ」

 サエコは大きく頷いた。

 ひなげしのハンド・テクニックはどんどん上達しているが、もともと器用というだけでなく、それはもう天性のものであるとサエコは見抜いていた。

 おまけに研究熱心で、最近はなにやら人体に関する本を熱心に読んでいて、理論に基づいたツボ押しの気持ちよさは常連客の予約が殺到するほどになっておる。


「ねぇ、サエコ。あんな逸材、いったいどうやって見つけたの?」

 そう訊ねるミーナ様に、サエコは赤い形の良い唇の口角を上げて、くくくと含み笑いをして見せた。

「ミーナ様、お気づきになりませんか?」

「え、何を?」

 ミーナ様はマッサージと上質の美容液のおかげでつやつやになった顔を、鏡で満足げに確認しながら訊ねた。

「あの黒髪と黒い瞳、ご記憶にありませんか?」

「黒髪?黒い瞳?」

 小首をかしげてしばし考えていたミーナ様の眼が、突然大きく見開かれた。

「え、まさか…」

 

「ぶ~ん(まぁね。ぼさぼさで無造作に結んでいた髪は、いまはツヤツヤゆるウェーブのボブヘアだし。ダッサイ眼鏡で隠していた眼は、黒目が大きくてちょっと垂れ目がむしろ愛くるしいし。おまけに体にフィットするミニのユニフォームは、ひなげしのスタイルの良さが一目瞭然ですものねっ)」

 ヴィが、サロンに生けてある花の蜜をおやつ代わりに失敬しながら、そう独りごちた。


「はい、そのまさかです」

 にっこりとサエコが微笑むと、ミーナ様はもう一度口をあんぐり開けて驚かれると、サロンの隅で休憩しているひなげしをまじまじと見やった。

「あんなに…可愛らしかったのね。おまけにあの肌のきめ細かさ、透き通るような白さといったら…男性なら放っておけないわ…」

 さすが、ミーナ様。眼のつけどころが違うのぅ。

 その後もミーナ様は、働くひなげしを眼で追いながら、何やら考え事をしているようじゃった。



✵ ✵ ✵


 それから数日後。

 ミーナ様から思わぬ申し出があった。


「え、出張…施術ですか?」

 サエコやジェシカとともにランチの焼肉を食べていたひなげしは、そう訊いた。

「そうなの。ミーナ様から、ぜひにって」

 サエコはそう言うと、脂の乗った大きな肉を一口にした。

「サエコさんでもなくて、ジェシカでもなくて、あたし?」

 ひなげしが、助けを求めるようにジェシカを見る。

「自信持ちなさいよ、ひなげし。あなたのハンドテクはたいしたものよ」

 ジェシカの言葉にサエコも大きくうなずく。

 

「あの繊細なタッチができるのは、ひなげしならではよ。ジェシカのオイルブレンド技術、ヘアメイク・テクと同じくらい、いまではうちのサロンの大きな売りだもの」

 サエコはドSだが、スタッフの扱いはさすが経営者、さり気なくジェシカを褒めることも忘れない。

 そう言うサエコだって、ヘアカットの技術は首都ザラハドでもNo.1と言われている。ひなげしのボブヘアもサエコがカットしてくれたが、カットだけでなく似合う髪型を見つけるのも天才的な才能を持っておる。


「でも領主館へ、独りでなんて…」

 ひなげしは気弱にそう言った。

「しょうがないわね。最初だけ、あたしもついて行ってあげるから」

「ほんとですか、サエコさん!」


「よし、決まったね。じゃあ、じゃんじゃんお肉食べようよ。もう、マルデアポの焼肉は、ほんとサイコー!」

 ジェシカはそう言うと、また大きな肉片を鉄プレートに乗せた。

 ルキーニ王国にも焼肉があって、本当に良かったとひなげしは密かに思った。なにしろ実は肉食系女子の素地を備えたひなげしは、焼肉が大好物。

 日本のそれとはちょっと違うが、ちょっとスパイシーなソースで味わうルキーニ王国スタイルも悪くない。おまけに色とりどりの野菜がたっぷりついてきて、新鮮でおいしい。

 大好きなご飯はないが、ルキーニ王国では少し硬めのパンで味わう。

 郷に入れば郷に従えで、ひなげしは細い体に似合わず、こと焼肉となれば食欲旺盛だ。


「ひなげしは、本当にお肉が好きね」

 自身も肉食女子の名に恥じない食べっぷりのサエコが、笑う。

「はい、肉食系ですから」

「あぁら、そんなこと言うと、ザラハドの男たちが喜んじゃうわよ」

「あ、そういう意味じゃ…」


 途端に顔を赤くするひなげしに、今度はジェシカが突っ込んだ。

「何言ってるのよ、ソッチももっと肉食にならなきゃ!ひなげし、今度絶対、男紹介するから」

「そうよ。ジェシカの言う通り。ルキーニ王国では、結婚前の男女は性を謳歌しつくすものよ!そうして、本当に相性のいい、最高の相手を見つけるのよ!!」

「え、え、え…」

 ひなげしの本当の姿を知らないジェシカとサエコは、楽しそうにハッパをかけたのじゃった。おーほっほっほ。




✵ ✵ ✵


「お母様の美容の施術に来るスタッフに、どうして僕が会わなければならないんですか?」

 領主館での、朝食の席でのこと。

 今日の午後は館にいるように、さらには美のサロン「ディーテ」から出張してくる新しいスタッフに挨拶するようにと言われたジュリアスが、若干不満そうに言った。

「あら、だって。とくに午後は、予定はないんでしょ?」

 とミーナ様。

「それはそうですが…。あ、いえ、午後は経営学の本でも読もうかと」

「そんなお勉強はもういいから。せめて恋愛小説くらい読みなさいな」

 まったく女っ気のない27歳の長男を、ミーナ様は心配している。

「恋愛小説なんて、女子供が読むものです」

「あら、そんなことはないわ。じゃあ、お父様に見繕ってもらって、性戯の本でも…」

 ルキーニ王国では性におおらかなだけでなく、おおっぴらでもある。朝陽が射し込む朝食の席で、母親が息子に性のテクニック向上を促すくらいには。


「ジュリアス。丁度良い本があるぞ。新しく入手した新種のテク…」

 父親のアサムドも、そう勧めようとするが。

「結構です」

 顔を若干赤らめ、頑固に拒絶するジュリアス。


「わん(なぁ、やっぱりジュリアスって、いまだに童貞じゃねぇの?)」

「ポムポム、おかわり?お前、最近食べ過ぎだよ」

「わん(おかわりじゃねぇよ。ジュリアスがいまだに…)」

「しょうがないなぁ。ほら、ハムはどう?」

「わん(話を聞けよ!だから、ハムじゃねぇ!)」

 ジュリアスとて、犬ごときに童貞かどうかなど心配されたくはないと思うぞ。お前は黙って、ハムを食え。


「そう言えば、兄さん。ベッティが「ディーテ」ではどんな施術をするのかしら?って訊いてたけど」

「えっ!!!」

 ぽそりと言ったマリウスの言葉に、ジュリアスが過剰に反応した。

「べべべ、ベッティが!?」

「わん(どうしたんだ?ジュリアス、急にどもっちゃって)」

 犬よ、黙ってハムを食え。こぼさずに、ちゃんと食え。


「まぁ、ベッテイが?訊いてもしょうがないじゃない、下働きの家のじゃあ、「ディーテ」は高嶺の花よ」

 そう言って、ミーナ様が鼻にしわを寄せた。


 ベッティというのは、領主館で働いていた掃除や食器洗い係の孫じゃ。父と母を幼い頃に亡くして、祖父母に育てられた。赤毛でそばかすがあって、くりくりとした目の可愛い子で、よく祖母について領主館に来ておった。

 5つ年上のジュリアスとは幼なじみのようなものだが、貧しく十分な教育を受けられないがために上流社会の礼儀を知らないベッティを、ミーナ様はあまり快く思っていなかった。

 ジュリアスもベッティも大人になってからは、領主館で会うこともなくなっていたはずだが…。


「施術を受けたいというより、施術師に興味があるみたいですよ、お母様」

 とマリウスは言った。

「まぁ、そうなの?」

「ええ、だからちょっと勉強のために、施術の見学をさせてあげたらどうですか?」

「嫌だわ、あたくし施術を受けるところを見られるのはいやよ」

「じゃあ、オイルの話を聞くだけでも。ベッティはいま、花や薬草を育てる仕事をしていますから、「ディーテ」にとって良い情報交換になるんじゃ」

 8歳の子供とは思えないマリウスの説得に、小首をかしげて考えるミーナ様。

 ほれ、もうひと押しじゃ。


「お、お母様。ぼ、僕も薬草に興味がありましてっ!」

 ジュリアスが前のめり気味に言った。

「あらぁ、そうだったわね。医学や薬学の勉強もしていたのですものね、あなたは」

 領主になる事が定められているのに、ジュリアスは現在、領主館に来る医師モーゼについて熱心に勉強をしておる。


「そうねぇ、じゃあサエコがいいと言うのなら…」

「僕、ベッティに話しておきますよ」

 マリウスはすかさずそう言って、既成事実にしてしまった。

 賢い子じゃ。

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