第10話 性欲をなくす方法

「マラダイさんっ!」

「…へ?ああ、マリウスか。どうしたんだい、こんなところで?」

 いつもと違って覇気の全くないマラダイが、のろのろと答えた。


「マラダイさん、どうしたんですか? 街で、いろいろ噂になっていますよ?」

「噂?」

「ええ」

「どんな」

「わん(そりゃ、マラダイさんがもしかしたら不治の病で、秘薬ピンキーノが手に入れられなくなるかもって…)」

 そう尻尾を必死に振る犬は当然無視されて、マリウスは続ける。


「あの、マラダイさん。どこか悪いんですか?なんだか、元気がないような…」

「そうか?いや、そう見えるんなら、その方がいいんだ」

「わふ(どういうことだ?病気に見える方がいいのか?)」

「あの、もし僕でお役に立てるなら…」

 そう心配顔で言うマリウスに、マラダイは「ははは」と力なく笑って見せた。


「この胸の奥が、きゅ~んと痛いんだよ」

「わん(胸が痛い…狭心症か?)」

「胸の奥が痛い…ほかの症状は?」

「…そうだな、夜寝れない」

「わん(いままでだって、夜通しヤッてたから、あんまし寝てないじゃねえか)」

「そうですか、それから?」

「そうだな…食欲が、ない」

「わん(それ、女のことじゃないよな。そのまんま、食べ物のことだよな?)」

 いちいちツッコミを入れる犬に、とうとうマリウスが切れた。

「ポムポム、うるさい。ちょっと大人しくしてて!」

「わふっ(な、なんだよ。俺だって、マラダイさんのこと心配してんのにっ)」


「いままで、こんな症状が出たことは?」

「そうだな、36年間生きてきて初めてだ」

「はぁ…(ということは、36歳にしてもしかして初恋?)」

 マラダイは、情けなさそうに眉を下げるとポムポムの頭を撫でながら言った。

「なぁ、マリウス。お前はさぁ、秀才だってもっぱらの評判だけど。そんなお前でも、きっと知らないよなぁ?」

「な、何をですか?」

 

 マラダイは、しばし躊躇ちゅうちょしてから小さな声で言った。

「性欲をなくす方法」

「え?」

「だから、性欲をなくす方法」

 マリウスは耳を疑った。そして、訊き間違えたのだと思った。

「あ、あの。マラダイさん、もう一度、はっきり言ってもらえますか?」

 マラダイは少し疲れた顔になって、手を振った。

「いいんだ、気にしないでくれ。首都図書館に行って調べ尽くしても、長老たちに訊きまくっても、誰も知らなかったんだ。いくら秀才だとは言え、まだ子供のお前が知っているはずは…」

「わん(なんで、性欲なくしたいんだ?性欲がなくなったら、マラダイさんじゃなくなるだろ)」

 マリウスは、はっとした顔になってポムポムを見た。

「ポムポム、やっぱりお前にもそう聞えたのか?」

「わん(ふん、知らねぇ~よ)」

 さっき叱られたポムポムは、そういじけた。心が狭いのう、犬よ。


「マラダイさんっ。どうしてっ、どうして、性欲をなくしたいんですか?」

「それは…」

「それは?」

「わん(それは?)」


「それは…日本が草食系の国だって言うから…」

 マラダイはさらに小さな小さな声でそう言ったが、今度はマリウスも聞き逃さなかった。

「草食系の国!?」

 なるほど、とマリウスには合点がいった。

「もしかして………ひなげしちゃんのためですか?」

「わん(泣かせるねぇ、まさに初恋。恋煩いって本当だったんだ)」

 顔を赤らめながら、恥ずかしそうに目を伏せるマラダイ。

 可愛くないぞ、むしろ気持ち悪いのじゃ。


 いい歳をして恋して恥じらう気持ち悪いおっさんを、マリウスと犬はしばし唖然として見つめていたが。

「あ、あの。マラダイさん、僕、お役に立てるかもしれません」

 マリウスがそう言った次の瞬間、マラダイはがばと顔を上げ、むんずとマリウスの襟首をつかんでいた。

「な、なんだって!?お前は、お前は、まさか…性欲をなくす方法を知っているのかっ?」

「く、苦しい…」

「わん(マラダイさん、それじゃマリウス死んじゃうよ)」

 ったく、大人げない絶倫男じゃ。


 マリウスが知っていたのは、主に性欲を増強する方法だった。

 しかし賢いマリウスは、それを逆に応用すればよいと考えたのじゃ。

 マリウスが、マラダイに教えたのは、次のような方法じゃった。


 まず、肉やこってりした食べ物を控えること。

 かわりに魚や野菜を多くとる。

 アルコールを多量に摂取すること。

 女性ホルモンが多く含まれる大豆製品を摂取すること。


「アルコールはこれまでもけっこう飲んでるけど、全然衰えないぞ」

 少し疑わしそうに言うマラダイ。

「では、肉を止めて魚や野菜中心にするのは?」

 そう提案するマリウス。

 しかし、その程度でマラダイの人並外れた性欲が減退するかのう?

「魚かぁ。肉、好物だからなぁ」

 この期に及んで、往生際が悪いマラダイ。

「わん(何言ってるんだよ、マラダイさん。一番好物のセック〇断ちしようって人が)」

 ふむ、たまにはいいこと言うではないか、不細工な犬よ。


 さて、ヴィよ。そろそろわしの出番のようじゃ。

 わしは、占い師らしく突然、『ダンユ商会』の扉をバ~ンと開け放った。

「ぶ~ん(タイミングよく突然現れるなんて、占い師じゃなくて魔女ですよ、アンナ様ぁ)」

 大差ない、気にするな、ヴィ。


「マラダイよ、わしが良い知恵を授けてやろう」

「うぇっ!で、出たっ」

 驚いたマラダイがまた失礼な声を上げ、マリウスが振り返った。

「その声は、アンナ様っ!」

「わんっ(げ、まただよ。怪しい黒ずくめ)」

 驚かして悪かったのう、マリウス。そして黙れ、犬。


「よ、良い知恵?」

 驚きつつも、マラダイがそう食いついた。

「そうじゃ」

「あの、その。せ、性欲が抑えられる方法ですか?」

 マリウスが子供らしく、言いにくい単語を躊躇とまどいながら口にする。

「わん(無理だろー。だって、マラダイさんだよ?並みの性欲じゃないよ?)」

 小賢しいぞ、犬。わしを誰だと思っておる。


「西の森に棲む、自給自足と禁欲生活を旨とするナチュラ族を知っておるか?」

「ナチュラ族?」

 マラダイが首をかしげる。

「そうじゃ」

「ああ、もしかして、肉も魚も口にしない人達のことですか?」

 さすがマリウス、よく知っておった。

「げ、あの変わり者と評判の人達?」

 まあな、性に奔放なルキーニ王国ではかなりの少数派なのは認めるぞ、マラダイよ。


「そう言えば、ナチュラ族の主食は大豆からつくったトフという白い食べ物や、その過程で出来るユーバという紙のような薄い味のないものだと聞いたことが…」

「さすが、マリウス。その通りじゃ。そしてそのトフとユーバ、さらにはシナという甘い果実が、彼らの禁欲生活には欠かせないのじゃ」

「わん(なんで?)」

「…つまり。それらの食べ物は、性欲をなくすということですか?」

 賢いマリウスは、そう言った。

「うむ、かなり強力に効くらしい」


「お、俺、行く!すぐに行く、そのナチュラ族の所へ!!」

 マラダイがそう叫んだ。

「ちょっと待って、マラダイさん。ナチュラ族は西の森に棲むといっても、その場所は彼等しか知らないはず。しかもナチュラ族以外の人達は決して受け入れないという、閉鎖的な集団ですよ?」

「っ、しかしっ。お、俺は行かねばならないのだっ!」

 36歳にして初めての恋に血迷うたマラダイは、頑固にそう言い張った。


「マラダイよ。そのナチュラ族の1人、ニーナと言う娘がの、実はわしの姪なのじゃ」

「な、なんですって!占い師殿、ぜひ、ぜひ姪御様を俺に紹介してくださいっ!」

「どーしようかのう?」

「ぶん(もう、アンナ様ったらぁ、この期に及んで焦らしですかぁ?)」

 ふふふ、ヴィよ。

 そう言うな、これもわしの楽しみの一つじゃて。


「お願いしますお願いしますお願いします」

 床に頭を擦り付けんばかりにマラダイが懇願する。

 仕方ないのう。

「マラダイよ、本当に良いのじゃな?お前の生きがいともいうべき、セッ〇スができなくなるかもしれないのだぞ。お前の唯一の取り柄ともいうべき、性欲がなくなるのじゃぞ」

「わん(唯一の取り柄って…ま、その通りか)」

 だから、小賢しいぞ、犬。


「占い師殿っ!それでも、それでも俺はっ…」

 ふむ、そこまでひなげしを好きになったか。

「マ、マラダイさん…」 

 これまで見たこともない真剣なマラダイの姿に、マリウスが言葉を詰まらせる。

「わふ(これが、36歳おっさんの初恋ってやつかぁ。泣かせるねぇ)」

 

「よし、わしの執事蜂ヴィが案内する。馬車を呼べ、すぐに出発するのじゃ、マラダイよ!」

「ありがとうございます!占い師殿っ」

 こうしてマラダイは、ナチュラ族の住む西の森へと旅立って行った。

 

 え?なぜヴィの羽コプターで高速転移しないのか、だと?

 それはの、ヴィの羽コプターはわし専用だからじゃ。おーほっほっほ。

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