β044 懐かしきせせらぎ
――とろとろとろと、耳に心地よいせせらぎのような音が流れ、僕は空高くから眺望する。
これは、ミルキーウェイ……。
天の川だ。
星々が余すことなく、流れている。
僕は、綺麗な星々を背に、CMAβに泳ぐように飛ばせて貰った。
綾織さんと共に。
「ひなー!」
本当に夢の世界のようだ。
しかし、今はひたってはいられない。
方々に目を凝らさなければ……!
「ひな! 創兄さんだよ」
星空を背景にしても声が伸びる。
ひなに届いてくれないか。
「僕もここまで来た。恥ずかしがらずに出ておいで。もうセトフードサービスでお仕事をしなくてもいいんだよ」
静かだ。
天の川にせせらぎがよく似合う。
とろとろとろと、耳に心地よいな。
ああ、このせせらぎの音は、僕に安らぎをくれる。
この音が、僕を眠りに誘うものだったのか。
どうか静寂を破って欲しい。
『……創兄さん』
この、甘い声は!
「ひな……」
見渡すが、声の方に誰もいない。
「ひな! 僕は、ここだ。見えるかい?」
『見えます。でも、この川を渡れない』
そうだ、絶対にいるはずだ。
「大丈夫。まるで、両親のようなせせらぎに、誘われるままに向かうよ。待っていてくれ」
「葛葉様。葛葉ひな様のボートが揺れているようです」
何だって?
『流れ星となって、降りて行きます』
「それでは、危ない。一緒に行こう。綾織さんもCMAβもついているから」
一つの星が落ちた。
「ま、まさか! 火だるまになるだろう?」
僕は、一生分の汗を掻いた。
「お待ちください。葛葉様。空中庭園国暦二十六年〇〇〇日、新年のお祝いです。クシハーザ女王陛下から、国家の門を開けて歓待いたします。さあ――」
弧を描く綾織さんにシンクロするようにCMAβが様々に描く。
「星屑で、箱舟を模します。こちらへお二人で乗ってください」
「危うく流星となる所だったな……。ひな……。ひな……」
僕は、今こそ逃すまいと、もう離れたくないと、生きているひなを抱きしめた。
「創兄さん……。あ、ああ……」
おとなしいひなが、涙をとうとうと流している。
「今まで、どうしてこんな所に投げ込まれてしまったのだろうか?」
「創兄さんのドームハウスに行って、ブザーを鳴らしたの。そうしたら、後ろから冷たい手に私の顔が覆われて、気を失ってしまったの」
思い出すのも辛そうだ。
丸山喜一の仕業だろうな。
僕がCMAβをかくまったからか。
「何かの乗り物で空高く飛ばされ、そのまま、浮遊させられたわ」
こんなに泣きむせぶとは、寂しかったのだろう。
助けられなかった自分を悔いるよ。
「ごめんな。兄さんが悪かった。そのお話は、何かを食べてからにしよう。お腹が空いていないかい?」
ひなは、食いしん坊だからな。
ゆっくり、ゆっくりと降りて行った。
CMAβが制御してくれているようだった。
今度は、マルクウのピラミッドではなく、本惑星アースのコロニー・エーデルワイスが摩天楼のあった位置にふんわりと下ろして貰った。
その地は、もう、青い草が生えて再生をはかっている。
星屑は消えてしまったが、僕らの心はきらきらとしていた。
「ひなの指にあった、パーソナルフォンをどうしたらいいのですか? クシハーザ女王陛下」
エーデルワイスの摩天楼のあった所で、ひながきょとんとしているのを見て、僕は、とても重要なアイテムだと説明した。
「この地では、必要のないものです。人口制御をする新国家の空中庭園国のみ、個人識別パーソナルフォンが必要でした」
「綾織さんのは、神器でいいのだよね」
僕の質問に首肯した後で、綾織さんはCMAβと一つになる。
「そうですね」
そんな理由で存在したのか。
ネココちゃんともお別れかな……。
◇◇◇
「では、βコードとは何なのだろう。パーソナルフォンがなくてもβコードは存在する。何のエニグマ何だろうね」
「これは、本来、親と子が生まれた時から繋がる愛の絆を表しています」
綾織さんは、愛の絆だと言う。
「僕の解析はどうだったのだろうか。ベクトルがずれていたかな」
「ファーストネームとファミリーネームから成り立つ数列でしたね」
「そうだね」
言われてみれば、その通りだ。
「ファミリーネームは、家族の証。そして、ファーストネームは、親が、初めて子に贈る命です」
「命名と言う位だからね」
綾織さんは、知っていたんだ。
全てを承知の上でβコードを幼き日に教えたのか?
「僕にもファミリーネーム、葛葉がある。ヤン父さんとかや乃母さんが命をかけて産んでくれて、創と命名してくれた。ひなも同じだと思う。綾織さんも志惟真と、一人の心美しい子に幸あれと名付けられたのだろうね」
――そこまで話した時、先程から流れていた、せせらぎの音が消えた……。
ビシャッ。
一条の雷が落ちた。
「ヤン父さん! かや乃母さん!」
声を上げたのは、ひなだった。
二つの大きな笑顔が見えた。
再会できたとは、驚き過ぎて、思えなかった。
ここは、惑星アース。
「ヤン父さん、かや乃母さん。どこにいたの? ひなも僕もとても心配したのだよ」
「三年前の労働改革で、わたしは、空中庭園国で、教授職を退けられた。わたしが、CMAが不当な労働条件下にあると、訴えたのが、冷たい手に誘拐されたきっかけだと思う。ここがどこだか知ったのは、随分後になるが、懐かしき惑星アースだった」
ヤン父さんが懐かしい所だって?
「それから、新しく、汚染土壌の再生をテーマに研究を始めた。助手は、母さんだ。住まいは、よく雷が落ちるので、わたしは、ゴロゴロビルディングと名付けたよ。植物との親和性の強い土地で、雷で育つ新しい生命体を発見したりしていた」
「父さんは、根っからの研究員なのだなと僕は思うよ」
何だか、涙がで前が見えないや。
「創さん、ひなさん。母さんは、二人のことを一時も忘れたりしませんでしたよ。地道に生きていれば、きっと会えると信じていました」
母さんの信じた通りだったよ。
「元気だったかい? 創、ひな」
その後は、皆、語らうことも忘れて、黙って抱き合っていた。
生きているだけで、同じ空気を吸えるだけで、幸せなんだと僕は思った。
とろとろとろとのせせらぎは、僕らの家があった所に流れていたらしい。
惑星アースの生家で。
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