β039 邂逅なら春
「穴のような所に入っていて、文明の始まりみたいに牛の絵を描いた少年を知っています」
僕は、思いもしない綾織さんの言葉を丸めて飲んだ。
魚の骨が刺さったみたいに、ちくん、ちくんと喉が痛い。
熱も上がった気がする。
これは、恋愛初期症状ではないぞ。
焦りだ。
たまらずに、ラテアートに口をつける。
あ、美味しくって、表現できない。
少し、心をほぐして、話を聞く。
「その牛には足が五本あり、まるで逃げているようでした。槍も飛んでいて、古代の狩りを躍動感を感じる子どもとは思えない名画です」
槍だって?
どうしてそこまで鮮明に知っているのだろうか。
僕でもそこまで知らなかったよ。
それとも、別な記憶の共有ではないな。
ここまで酷似しているのだから。
「大きな帽子を被っていたとは、どんなの帽子でしたか? 葛葉創様」
あ、帽子の質問ですか。
それなら、大丈夫かな。
何か、ポリスやマルクウがいたりしないか、はたまた、βコードを話した途端に消えたりしないか、僕は不安だよ。
「上品な、古典の水兵さんみたいな白いハットで、ふちに赤いラインが引いてあったような気もする。時折、大きな帽子は麦わら帽子ではないかと思っていたけれども、鮮明には思い出せないな。でも、僕のイメージだと夏だ」
サンサンと降り注ぐ太陽が、穴のような所の入り口から差し込んでいた。
こんなに陽気がいいのは、夏の証だろう。
それに、帽子って、夏のイメージがある。
「春かも知れませんよ」
春だって?
春か……。
うーん、春に繋がるものが何かあるかな。
ああ、あれかな。
「春か。ブランコのシーンでは、人工シロツメクサが生えていたような気がする」
大きな長いロープの先に、板がついていて、ひなのはちきれんばかりの笑顔が揺れて揺れる。
僕も楽しくて、ヤン父さんの背中を押した。
『よいしょ。よいしょ』
ヤン父さんが、そおっと押しているのに、まるでこの国の隅々まで見えるかのようだと妹のひながはしゃぐ。
そのブランコは、何にぶらさがっていたっけ?
とにかく、揺れる度に、下にあった人工シロツメクサをかすって行った。
「人工シロツメクサ? それは、実は土から生えている命あるシロツメクサではないのですか?」
綾織さん、どうしたの。
土って、今は貴重な存在だから、ブランコの下にはないよ。
もし、それ程にあるのだとしたら、土壌生命体研究所が国をあげてマルクウもガードをしている。
セキュリティ関係で、忍び込むには、古典の忍者が必要だね。
「どうしてそう思われたのですか? 綾織さん」
僕には、謎だよ。
「質問を受けて、質問する葛葉様って、逃げが上手ですね」
「え! ショックだよ。僕には僕なりの考えがあったけれども、それを言ったらお終いだから。ちょっと待って。まあ、お互いに落ち着こう」
僕は、その場しのぎと捉えられても構わないが、ユッキーのお任せスイーツを二人分頼んだ。
……黙。
ああー、かえって、二人とも黙り込んでしまった。
玉露のおかわりも懐が痛いし。
ええ、ええ、ケチと思われたくないですよ。
独身貴族だったので、特に趣味もなく、お金はありますよ。
まーて、待て、待て。
そもそも、お見合いアプリの『マリッジ◎マリッジ』からも知り合った仲ではなかったか。
◇◇◇
「ごちそうさまでした」
綾織さんは、僕とオーナーにお辞儀する。
「僕も、久し振りにレストランユッキーに来てよかったよ。ごちそうさまでした」
ドーム型の店を出た後で、又一礼する。
僕を先にし、細いチューブの中をゆっくりと歩く。
何か、不思議と恋人未満であっても友達以上に想い合っている感じがする。
「美味しかった? 僕らは、まだお互いの家に行くような仲ではないよね。だから、送ってあげられないけれども、帰り道、気を付けて。遠いのだろう」
綾織さんは、店を出てから、監視カメラの死角になるような所を選んで、読唇されないように、僕に話し掛けた。
「惑星アースに私の神社があります」
綾織さんは、ぐっと眼を瞑って、下を向いた。
今まで話していなかったことをあざけた訳ではないのに。
「何だって?」
僕は、小さな声で返した。
「これ以上は、惑星の……。惑星アースの機密にかかわることだから、さらりとしか言えないです。だから、ごめんなさい。でも、今日は帰る神社も家もないのです」
僕がしわぶきを一つすると、綾織さんは、真っ赤に染まった。
「いや、ほら。ホテルとか……」
僕がつくろうと、綾織さんは、居場所がないようで、横歩きで去りたくなったようだ。
「迎賓館とか、一部監視カメラのないホテルもあるよ。綾織さんなら、ヴイアイピー、最重要人物とか貴賓だろう」
後は、小さくうなずいて、帰り道のない綾織さんを迎賓館へリムジンで送って行った。
◇◇◇
「えーと、何がどうなってこうなったんだ?」
僕は、綾織さんと迎賓館の
ただ、迎賓館まで、悪漢が出ないように送って行ったつもりだった。
それに、門前払いとなったら、困ることもあるかと、付き添いのつもりだったのに。
今から暫く前だ。
「僕は、葛葉創です。あの、急で悪いのですが、この方が休める所を探しているのですが。無理を言っていますよね。すみません」
迎賓館の白髪も上品なウメアさんが、驚いた顔をして、一旦裏へ行った。
「綾織志惟真様でいらっしゃいますね。こちらへお越しください。お連れ様もご一緒にお願いいたします」
僕は、葛葉で、綾織さんは、苗字が違うよ。
結婚前の男女が、そんな、一部屋にだなんていいのだろうか?
そう、思った僕は愚かだったよ。
確かに一部屋だが、無茶苦茶広くて、ホテルならスイートルームだね。
これなら、寝所も分けられるけど……。
「そうした訳でして、何がどうなってこうなったんだか。僕は、綾織さんに悪いから、帰るよ。まだ、夕刻だし」
来た通りに帰ればいいだろうと、朱鷺の間を去ろうとした。
「葛葉様、ここには、監視カメラがないみたいです。話したいことがあります。私、私……」
こ、こここここ……。
僕は、もの凄く後ろ髪を引かれた。
だって、告白でしょう?
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