β016 βよりラブソング
「綾織志惟真さん。ここは、エレジー。……とても哀しい響きですね。僕は胸が痛い」
きゅっと胸に水が流れる。
「どうしてですか?」
「もしかしたら、可愛い妹のひなや父母と再会できるかも知れないと思っていたので。エレジーとは、嘆き、哀歌を感じる。この谷が嘆きなら、僕は哀歌を口ずさむだろう」
殆ど毎日、ひな。
大切な妹、ひな。
こればかりだな。
僕のシスコンもいいところだ。
「そう……。私には、ラブソングに聞こえます」
綾織さんにとっては、ラブソングだって?
僕は今たずねびとがある。
『βコードを述べなさい。βコードを述べなさい』
「それにしても、この警告音、困りますね」
パーパーパーと相変わらず単純な旋律で迫る。
『βコードを述べなさい。βコードを述べなさい』
ふああああ!
いっそ、パーソナルフォンを機能全停止してもいいかも知れない。
しかし、それでひなに会えなくなったら、僕は愚かだ。
ただでさえ、後ろ暗いことが増えて来ているのに……。
そ、そうだ。
「綾織さん。いつだかパーソナルフォンのネココちゃんにいただいたお電話、ありがとうございます」
「いえ、ご迷惑ではありませんでしたか?」
やはり同一人物か。
「綾織さんは、沖悠飛くんのことをお探しでしたよね。差し支えなければ、ご関係を教えて欲しい。沖悠飛くんに出会えれば、何かに繋がると思う。一縷の望みとは、過言ではないですから」
「クズハツクル様は、やはり、『マリッジ◎マリッジ』にご登録の方ですね。マッチングマガジンが届いたでしょう。メッセージアドレスにクズハツクル様ボックスがありました」
ああ、それでメッセージが届いたのだろうな。
振り返り美人は綾織さん自身だ。
これから僕の知り得ぬ話をしてくれるのか。
「AI信奉者にとって、『マリッジ◎マリッジ』でマッチング最高を意味する『◎』を貰うことは、至極のようです」
「そうだろうな。僕はまだメッセージの交換途中だった」
こっちの世界に来てしまったからな。
「私のところに来た『◎』は、沖悠飛から一方的にでした」
「それはおかしいな。マッチングアプリとしては、双方の好み等を顧慮してお互いに『◎』のついたメッセージが届くはずだよ」
何かのデータ改ざんか?
そもそも、結婚相手を紹介する会社にいるらしいとの話がきな臭い。
「そのメッセージには、トキオ
『βコードを述べなさい。βコードを述べなさい』
大切な話をしていても賑やかなコールだな。
「そうだ。こんなに鳴らしていては、位置情報がだだもれだよ。ネココちゃんを起動してみよう」
久方振りだ。
小指のリングに、指紋認証、網膜認証、声紋認証とクリアして起動だ。
「ネココちゃん、聞いて欲しい。このβコードを求める警報に応じないでくれ。できるよな」
『クズハツクルさま。リョウカイしました』
ネココちゃん、がんばってくれ。
もうただのパーソナルフォンではないよな。
「βコードって何だと思います? エレジーに来て初めて分かるというものです」
「何か、哀しい意味でも?」
僕は、この広い大地にぽつねんとしている自分を哀しく感じた。
「はい、死者を弔う為の抜け殻IDです」
「死んだ? では、僕にβコードがあったら、僕の死後の名前になるのか。知らないのも当たり前だよな」
死んだら与えられる抜け殻IDだって?
僕は、何か大きな恐ろしいものを感じていた。
生命、死、僕には重い。
「私にはあるのですよ。βコード」
「ダメだ。そんなことを軽々しく口にしては。綾織さん」
僕は、生きること、死ぬことに対して、畏怖の念を抱いて欲しいと思った。
◇◇◇
ずっとずっと歩いて行くと、陽炎のような大地の向こうに人影が見えた。
「あれは……!」
向こうもこちらに気付いているようだ。
こちらに向かって来る。
ゆらりふらりとしてにじむ。
「時よ! 止まり給え!」
綾織さんが叫ぶと、暫くだが本当に熱い風さえ止んだ。
僕も止まってしまっており、動けるのは綾織さんだけだった。
「さあ、こちらへ来て」
綾織さんが僕にタッチすると、鈍い音を出して動けるようになった。
二人で、大きな台地の裏に隠れる。
「あれは、間違いなく沖悠飛です。どうされますか?」
「とうとう、会えたか……!」
二人で瞳を厳しく光らせる。
「私は、この国の巫女として戦います」
綾織さんが、こくりとうなずく。
「巫女だって?」
「ええ、私は清浄の鐘を鳴らす巫女。綾織志惟真」
そうか、メッセージにあった。
ハイスクールの頃から、空中庭園国の父の補佐として、清浄の鐘を鳴らしていたと。
そして、重いβコードを背負って生きているとも。
綾織さんは、ボディーガードまで求めていたっけな。
誰から守るのか。
沖悠飛くんのことか?
「沖悠飛くんに辛い想い出があるんだね」
鳳室長に命じられた顧客修正データはナノムチップ『MY23』から『MY25』にまとめてある。
『マリッジ◎マリッジ』のマザーコンピュータにアクセスしたから確かなデータだ。
僕は、そこに十九歳の綾織志惟真さんがいたことを思い出す。
彼女の子細について調べようとしたとたんに、CMA達が反乱を起こしたのだ。
どうやら、沖悠飛くんの父と名乗るCMA157によるものと推察されるが、AIの暴挙に驚いたものだ。
「僕が、綾織さんのボディーガードをしてもいいかい? ちょっと頼りないけれど」
「覚えていてくださいましたか。頼りないなどございません。一緒に戦いましょう」
握手を求められた。
「綾織さん、強そうだよ。二人で、沖悠飛くんの心理戦に負けないようにすればいい。絶対にβコードを明かすなよ」
「はい」
――いざ!
僕らは、時の止まった台地からフリーズしている沖悠飛くんまで歩んだ。
考えてみたのだが、武器などないし、棒切れも石もない。
荒廃した地で戦うとしたら、肉弾戦になるのだろうか。
いつでも話し合いを選ぶ僕にできるのかな。
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