β015 エレジー
僕も残念ながら、勘が鈍い方ではない。
綾織志惟真さんと聞いて、下の名の『しいま』に直ぐCMAと無関係ではないと背筋がぞくりとした。
CMAβ、CMA999、CMA157……。
優しき塩対応巫女アイドルCMAβ、哀しきバグに鬼の角がついたCMA999、沖悠飛くんの父と名乗る荒々しきCMA157がいたな。
AIのCMAにも、人間と同じように色々なタイプがいるものだ。
話を切り替えよう。
「綾織さん、ここからの脱出方法だが、この壁は体当たりも難しく、登ることも無理だ。だが、デイジーの花びらの方を漂う虹のシャボンを見てごらん。あれに乗りたいと思っている」
「どうやって?」
「祈ってみよう」
僕だけが祈り始めた。
薄暗いのに蒸し暑いせいか、じんわりと汗を掻く。
「……来ないですね」
「そ、そうだな」
僕は、頭を搔くしかなかった。
「私が本気の舞をします」
「舞だって……?」
CMAβの歌声と舞いの『神聖なる大地の剣』が大好きだ。
それに、マルクウの深層部へ向かう際、CMAβは、CMA達九人を倒し、金色のオーラを振りまいて五角形のゲートをオープンしてくれた。
綾織さんは、背筋を正して手を合わせ、何やら文言を唱える。
「……」
次第に気合いが入ったのか、白い服に赤いオーラがちらつく。
すうー、シャンと、何も持っていないのに、無音と涼やかな音が聞こえ、丸く腕をかざしながら、一足をしのぶようにさす。
すうー、シャンと、今度は、腕を抱えるように下ろし、もう一足もつま先を伸ばす。
シャラランラン、シャラランランと、美しい鈴の音を振りまいて踊り出す。
CMAβの金色の踊りに似ていると思った。
「はあああ!」
綾織さんの抑えた叫び声と共に、深いデイジーの中にまで、虹の光が射し込む。
デイジーの土の部分に、人一人分のスポットライトが当たる。
すると、虹でゆるくなった地面がぶぐっと沸く。
「先に虹の沸騰へ入ってください。私も行きます」
この向こう側に行けば、出られるだろう。
「綾織さん。絶対に一緒に来てくれよ」
虹が光り輝いている内に、僕はもぐった。
ぬるぺちゃな状態がずるうずるうと続いて気持ちが悪かったが、上へともがいていたら、デイジーの中から抜け出られた。
◇◇◇
――眩しい。
目が慣れるまでにこの地の異常さに気が付かなかった。
「デイジーが、こんなに小さくなっている」
今、手折っては綾織さんが来られなくなるので、触れずに青い花びらを覗いた。
すっと立ち上がり、見渡す。
「あれは、図鑑で見た月……。そして、太陽? それから、このどこまでも浸食された大地は、所々に大きな台地を抱えている。緑は殆どなく、僕の肌の色だ」
空気は乾燥しており、埃っぽい。
喉が水を求めるので、唾を飲み込んだ。
「おっと」
僕は前を向ていたが、足元がゆるく動くのを感じたので、よっと横に避けた。
綾織さんは、無事に来られるのかな?
「ふ、ぷはっ」
綾織さんが泳いで来たように地に這い上がる。
まるで魚の如く。
「大丈夫だった? 綾織さん」
「ええ、何とか」
気持ち悪いトンネルを抜けたので、てっきりべたべたすると思ったが、そうではなかった。
二人とも不思議とどろどろにもなっていない。
僕は、空中庭園国国民服のままで、綾織さんも白いひらひらとした格好だ。
それより、こっちが問題だ。
「見てごらん。これが、今までいたデイジーだ。花は、入るものではないね」
そして、僕は彼方を指し示す。
「多分、あれは太陽と月だよ」
綾織さんは、黙って聞いている。
僕は、話したいことがあった。
「綾織さんと繋がりたいと思っていたよ。マルクウで巫女アイドルCMAβもどきのマスコットに手伝って貰い、綾織さんと名乗る電話の主を探していた。沖悠飛くんを口にしていたからね。沖悠飛くんと出会えれば、行方不明の葛葉ひなとも再会できると思っていたから」
パーパーパーと、聞いたことのない警報が鳴る。
僕のパーソナルフォンが虹色に輝く。
警報とパーソナルフォンは呼応しているようだ。
『βコードを述べなさい。βコードを述べなさい』
ええ?
僕のβコード?
全く知らないのだが……。
もし、もらしたら死んでしまうのではないか?
記憶に焼き付いていて、忘れられないβコードならある。
「綾織さん。僕は、一つだけβコードを知っている。幼い僕が、穴のような所に入っていて、文明の始まりみたいに牛の絵を描いて遊んでいたら、誰かが、隣に拙い数字を書いたんだ。その子は、大きな帽子を被って笑っていた」
僕はうっかり口にはできないが、それは、β22260071582だ。
「誰のβコードか分からないが、帽子の子が知るものだとは推察できる」
『βコードを述べなさい。βコードを述べなさい』
僕のパーソナルフォンは、しつこく鳴らされ、輝かせられる。
「すまないが、僕は自分のβコードを知らないのだ」
空に向かって語るが、届くだろうか。
ここは、本当にマルクウの深層部なのか?
空中庭園国にいて、βコードを尋ねられることなく、二十二年間暮らせた。
闇医者、丸山喜一だって知りえない情報だ。
「クズハツクル様。初めて来たのですか? 以前に来たことがありますか?」
「こんな変わった所、来たらはっきりと覚えているよ」
僕は、パーパーとうるさいパーソナルフォンを外してしまいたい気持ちで一杯だ。
それには指の腹側にあるサムシングブルーの警報器を鳴らせば解除できるが、二度解除すると怖いことになるので、我慢している。
「私は、初めて来た所ではありません。ここは、亡くなった方を嘆く谷。……エレジー」
綾織さんは、遠くにある太陽と月に向かって呟いた。
エレジーと。
僕は、綾織さんが何者なのか不思議でならなかった。
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