β014 禁断のぶどう

「少女は、大丈夫だろうか」


 僕は、薄暗がりの中、表情を見ようと頬に触れた。

 ここは、少し涼しいからか、僕の掌にも涼が伝わる。


「具合は悪くないかい?」


「恒常性はありますよ?」


 触れていた頬があたたかくなる。

 では、少女は人間なのか?

 少なくともホログラムではない。


「会ったことがある気がするのに……。思い出せないな。どこでお会いしましたか?」


 喉の奥から声をひねり出す。

 少女は、一体誰なのだろうか。

 分からないのに何故かデジャヴュを覚える。


「クズハツクル様。やはり、私のことを覚えていらっしゃらないのですね」


「ええ? やはり、知り合いなのかな?」


 知り合いなのだと思うと、このデイジーの底にいながら、心強い。


「そうです」


「ハイスクールが一緒とか?」


 僕は、失礼だったかと、頬に当てた手を離そうとした。


「残念ですが、私は女子専じょしせんです」


「僕は、入学できないね。ははは」


 嫌がられていると思っていたのに、少女はぐいっと僕の離しかけた腕を掴んだ。

 

「お願い。これで、思い出して……」


 少女が僕の唇に己の唇を寄せて来る……。


「な……!」

 

 重ね合わさるまでもう少しの所で、僕は少女の肩を掴んでぐっと引き離した。

 つややかなぶどうのように美しい唇を僕が汚してはならない。

 恥ずかしながら、僕にキスしたことがあるのは、かや乃母さんだけだな。

 幼いエレメンタリースクールの頃だ。


『創さん、大好き。ママは、愛していますよ』


『ママー。くすぐったいな……』


 本当は、頬も心もほっかほかだ。


『ママが、創さんを愛している形を示したかったのよ』


 母さん。

 優しい母さん。

 惑星流しにされても生きていると僕は信じているよ。


「ダメだ。キスは、結婚相手以外としてはダメだ。お嬢さん。僕には妹がいるが、きっと同じことを言うだろう」


 両肩を掴んで、少女の麗しい瞳を見つめながらしっかりと伝える。


「酷い……。私、思い切って気持ちを打ち明けたのに」


 さめざめとする少女は、からかいではなく、本気だったのかと僕は混乱した。

 いかん、いかん、いかん、いかん、いかん!

 僕がモテるなんて、あり得ない。

 しかし、フォローは入れないといけないな。


「ごめんね。僕は、せまられるのに慣れていなくて。傷付けてしまったね。肩も掴んだりして悪かった。お嬢さんの大切な真心を守りたかっただけだから」


「実は、私もキスは初めてです」


 少女は、はにかむ。

 さっきまでの堅苦しい僕らと違って、どこかくだけたような気がする。

 瓢箪から駒が出たよ。

 しばらくして、僕は現状を把握した。

 二人っきりで、草も生えていない地に降り立ったままだ。

 食べ物も水もない。

 それに、ここは惑星アースと関連がある所だと分かっている。

 どうにか策を講じよう。


「デイジーから出ないとな。だが、この深さでは上へは戻れないだろう。茎の壁を破らないとな。だが、体当たりは危ない。何の道具もない」


 どうしたら、二人揃って脱出できるか。

 壁を引っ掻いてみた。

 草汁の香りとはこうしたものか。

 手の甲を伝わって、僕の小指にあるパーソナルフォンにしみ込む。

 僕は、膝を打つ。


「そうだ! そうだったよ」


 思わず笑ってしまった。

 この土の上に大の字に寝っ転がる。


「はー。いいねえ、真っ直ぐな茎から降りて来たんだ。真上が見えるよ。お嬢さん」


 少女は、しゃがんで長い首をくいっと上げて見上げる。


「クズハツクル様。どうしてこれを?」


「虹……。二人で、美しいプリズムの世界に泳いでいたよな」


 シャボンの想い出は、CMA999とのお別れが辛い。

 今は、この少女がいる。

 もしも、CMA999の生まれ変わりであったのなら、嬉しいことだ。

 僕も呑気でどこかはみ出している所がある。

 CMA999は、バグだからデバッグの刑を恐れていた。

 自分は、価値のない存在だとも思っていたようだ。

 だが、バグもあって、正常に機能していたのかも知れない。

 マルクウは、空中庭園国のサイバーセキュリティを担っていたから、面子丸潰れで自動清浄しただけだろう。

 恥じ入ることなどなかったのに。

 僕は、もっと話したかったことをしんみりと思い出していた。


「虹のシャボンから私が現れたのが、不思議だと顔に書いてあります。クズハツクル様」


 僕は、大の字から体を起こす。

 こっちに来てからか、少し体が重く、腰が痛い。

 それとも、年齢のせいか?


「不思議でもなんでも、今、ちいさな呼吸も届く程近くにいてくれる存在感はありがたいと思っているよ」


「私を思い出しましたか? パーソナルフォンからヒントを得たようですが」


「そうだよ。冗談で、僕が土と人間のアダムだとすればの話だが……。振り返れば綺麗な生命のエバがいると思ったよ。勿論、あの時、心を奪われたホログラム、重い意味のメッセージ。今、君に感じる」


 少女は、立ち上がった。

 手を伸ばし、天空のプリズムを掴もうとする。


「私の名は、綾織志惟真あやおり しいま――」


 禁断のぶどうのような唇から、告げられた。


「綾織志惟真さんとは!」


 ◇◇◇


 空中庭園国でのできごとも懐かしい。


『初めまして。綾織と申します』


 ネココちゃんパーソナルフォンに応答すると、澄んだ若い女性の声が聞こえた。


『葛葉創様でいらっしゃいますか?』



 出逢いは、偶然の上の必然だろうか?

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