β007 葛葉の呼び声

「ひなは、僕の残業を知らずに家へ向かったのかも知れない。そして、家人しか開けられない出口で、誘拐されたのだろうか?」


 僕の涙でくすんだパーソナルフォンの刻印を拭う。

 何度見ても、ひなの名に間違いない。

 通信履歴がないか、分からないのだろうか?

 例えば、自分でサムシングブルーの警報器を鳴らして解除したとか。

 そうであれば、一度目のはずだから、本惑星アースに惑星流しにはなっていないだろう。

 僕も解除したことがないので、どうなるかは分からない。

 埋め込まれた青い石のボタンは、何かの鉱石のようだ。

 これをもう一度押したら、確実にひなが、空中庭園国からいなくなってしまう。

 汚染された本惑星アースに落ち、亡くなってしまうのだ。

 ポリスに相談できる話ではないな。


「僕のドームハウスまでの道のりを辿ってみよう」


 いくつかのルートがあるが、いつもひなと僕のドームハウスを行き来する通りに、リムジンを呼んで向かった。


「このチューブの六叉路の向こうに、いつもの店、ランランカンカンがある。ひなは、ここのごま団子が美味しいと、小さなお口で愛らしく食べてくれたんだよな」


 僕は、お土産の袋をくしゃりと握った。

 ゆっくりと向かっていただいたのだが、ひなどころか、誰も、塵一つなかった。


「ひな……。今はどこにいるのだろう? 寒くないかい。お腹は空いていないかい」


 残されたパーソナルフォンを手でしっかりと持ち、見つめる。

 誘拐だとしか考えられない。

 パーソナルフォンは、マルクウ、空中庭園国特殊国家保全対策推進室くうちゅうていえんこくとくしゅこっかほぜんたいさくすいしんしつなら、位置情報を全て把握していると思われる。

 ポリスとは仕事が格段に異なると聞く。

 どうにか、ひなの捜索をお願いしたい。


 リムジンには、パーソナルフォンをかざして支払いをし、帰らせた。

 ドアの前に立ち、僕の好きなカフェの豆であるニティアが缶毎、袋を破られて落ちていたのを見てしまった。

 ひなが訪ねたのだ。

 僕の家の前まで……。

 残業をしたからすれちがってしまったのだな。


 僕の心が。

 ……割れた。


 気が付けば、自室で横になっていた。

 疲れていたのか、まどろんでしまったな。

 こんな時、あの丸山医師が、僕の目の前をちらつく。

 苦手なのに。


「はい。この五十テイ、クシハーザ女王陛下硬貨をよく見てください」


 ミドルスクールの頃に読んだ本に催眠術の歴史が載っていたが、その中でもコインを左右に振って、深層心理を引き出すものだ。

 何故こんなことをしなければならないのだ?

 僕の深層心理に何か隠されているのだろうか。

 それにしても、うるさいししつこい。


「もう、脳の検査は終わりましたけれども?」


 もしかして、このまま眠るとCMAβに逢えるのかな?


 ◇◇◇


 ――とろとろとろと、耳に心地よいせせらぎのような音が流れ、僕は懐かしい声に包まれた。


「創兄さんー」


 ああ、ひな!

 元気だったんだね。

 どれ程心配したことか。


「創ー」


 父さん!


「創さんー」


 それに、母さんも生きていてくれたんだ。

 ありがとう。

 ありがとう……。


「僕だよ。創は、ここにいるよ」


 ゴーゴー。

 清浄の鐘が重く響く。

 悪いけれども、僕の心は家族を探すので一杯だ。

 心が清められないよ?

 気が付けば、鱗粉りんぷんのようなものが舞い始める。

 毒か?

 僕は、本惑星アースに落ちたので、大気汚染でやられているのだ。

 全てのエネルギー政策を原子力発電に頼り切った弊害で、原子炉の複数個所での爆発が起こり、予想以上に被爆したらしいな。

 そこで、残された人々は、空中庭園国を二十五年前の〇〇〇日に建てたらしい。


『葛葉創くん。さあ、ステージに上がって――』


 きらきらとした虹の中で、CMAβが僕に手を伸ばす。

 僕は、CMAβを好きで応援しているが、今は、家族の安寧を祈るばかりなのだよ。


「ほら。やましいことを考えるから、僕はCMAβに誘われるんだ」


『ワタシには一か零しかないの。早く決めて』


 CMAβの僕を誘う視線にハートを射抜かれた気分だ。

 しかし、克己するしかないな。


「今は、そっとしてくれないかな……。今度、応援させて欲しい。CMAβ」


 ゴーゴー。

 清浄の鐘が何度もこだましている。

 虹は、霧の中でできていたようだ。

 さあっと霧とともに虹は去り、暗闇に落とされて寂しさのみ佇んだ。


 ◇◇◇


 ――とろとろとろと、耳に心地よいせせらぎのような音が流れ、僕は意識を現実に戻した。


 目の前に見えたのは、おぞましくもあの時の天井だ。

 僕は、口を開くということを忘れてしまった。

 まな板のようなベッドに薄暗い部屋で、あの時と同じく目の前をチカチカと明かりが点滅する。


「葛葉創様、お目覚めでしょうか。お答えください」


 マイクからの問いに、僕は反抗したくてイライラしている。

 また、丸山医師だろう。

 こっちだって、試験体になっているのが分かっているさ。

 検査機器から解き放たれ、待合室で待つ。

 僕には時間がないのに、早く呼んで欲しい。


「葛葉創様、三番ブースへお越しください」


「はい」


 僕は、後ろ頭を搔いた。

 診察室に入ると、随分と若い、二十代半ば程の医師がこちらを見る。

 お掛けください。

 スタッフカードには、沖悠飛と書いてある。

 オキユウヒ……。

 聞き覚えがあるな。


「ようこそ、『マリッジ◎マリッジ』の葛葉創さん!」


 医師に歓待されても嬉しくないな。

 しかも、丸山医師と同じ脳外科のようだし。


「葛葉創さんは、ご結婚、できませんよ」


「はあ?」


 何て突飛もないことを宣言するんだ。

 僕には、只今、メッセージボックスで会話中の彼女がいるのだぞ。

 でも、パンチがないな。

 仕方ない。


「結婚を前提に交際している女性がいます」


「それは、葛葉殿の思い違いでしょう」


「失敬な! どうして僕の結婚の話になるのかな」


 とっとと帰ることにした。

 もう、無茶苦茶だ。

 マルクウに駆け込みたい気分だよ。

 本当にそうしようかな……?

 また、会社の支払いになっていた。

 ならば、交通費も出して貰おうかな。

 贅沢にもリムジンに乗ろう。


「どちらへ行かれますか?」


「通称、マルクウのご相談窓口へ!」



 僕は、戦うんだ!

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