第2話 高橋くん
「七菜、ごめーん!」
「
蒼一が行ってしまってすぐ、真っ赤になって呆然とその後ろ姿を見送っていた七菜の所へ、親友の
七菜は優里の顔を見ると、ほっとしたように笑顔に戻る。
「結構待たせたよね? こんなに遅くなると思わなくて、ホントごめん。舞たちとは、さっきそこで会ったんだけど」
七菜の前に着くなり、優里が軽く肩で息をしながら謝った。中学から六年間バレー部だった優里の、そもそも運動部だった面影すら感じさせないクールな印象を与える容姿の、その優里の息が上がっている。きっと相当急いで自分の元へ来てくれたのだろうと、七菜はそれだけで嬉しくなる。
「全然待ってないから、私は大丈夫だよー。で、優里、バレーサークルはどうだったの?」
七菜が優里に笑顔で聞くと、優里も安心した顔を返す。そもそも七菜がこういった状況で優里を怒ったことは過去一度もない。それは優里に限らずだが。
「うん。楽しそうだし、ストレス発散でバレーするにはちょうどいいかも」
「そっかぁ。良かったね、優里ー」
などと、ほのぼのとした雰囲気で会話する二人の間に「ちょっと待ったー!」と、それどころじゃない様子の舞が割って入った。
「良かったねーとか言ってる場合じゃなくてっ! 七菜、さっきのっ! もしかして高橋君と話してたっ!?」
噛みつかんばかりの勢いの舞に、七菜は一瞬「えっ?」とドキリとして動きを止める。
「あ、あー、高橋くん! だね。確かそう言ってた」
「いや、そう言ってたって……。まさか七菜、高橋君のこと知らないとか言わないよねっ?」
信じられないといった顔で興奮気味に聞いてくる舞に圧倒されつつも、少し赤くなりながら七菜が考える。
「えっと、有名な、人なんだ?」
七菜の答えを聞き、三人は一気に脱力した。
「法学部一年の高橋蒼一君! 法学部なら最難関のうちの大学を主席で合格したって教授陣に一目置かれてて! ちょーイケメンなのに性格もすごい良くて! ホント、頭脳明晰、眉目秀麗、温厚篤実、品行方正って彼のためにある言葉だよ。一年ですでにいろんなサークルとか委員会にも入ってるし、とにかくあんな完璧な人、この大学で知らない人なんていないのっ!!」
舞が力強く叫ぶと、今度はうっとりとした表情の小春が続ける。
「そうそう。あの笑顔がたまらないんだよねー。全部許してくれそうな優しい眼差しに、柔らかい物腰、滲み出る品格、癒し系の白馬の王子様ってイメージぴったり。入学してから先輩からも告白されまくってるらしいし、全女子の憧れの存在だよねー。しかも今のところ高橋君、特定の彼女いないらしいし、そこがポイント高いのよ! あんなハイスペック男子に巡り会えるなんて、私も一度でいいからお話ししてみたーい」
「ていうか彼、入学式で新入生代表で挨拶してたよね? 私でも顔と名前位は知ってるよ?」
最後に呆れ顔の優里が締めると、七菜は何だか蒼一に対して罪悪感すら覚えてくる。
「ああ、入学式! ……そうだっけ?」
七菜は必死に思い出そうとしたが無駄だった。
入学式は、新しい学生生活が始まる期待感で落ち着かなく、そわそわとしている間に気付けば終わっていたからだ。
そんなにすごい人だったのか、と七菜はもう一度、蒼一の顔を思い浮かべてみる。
確かに、言われてみればすごいイケメンだった気もする。
陽に透ける髪がさらさらと揺れて、自分よりずっと高い位置にある黒目がちな瞳が、濡れたように輝いていた。誠実そうな顔に似合う柔らかく響く声と、最後に見た少年のような笑顔は、とても優しそうだった。
「まあ七菜は、昔からそうだよね。そういうことには疎かったもんね」
ぼーっと考え込む様子の七菜を見て、優里が苦笑混じりに言うが、その顔にはしっかり、だめだこりゃと書いてある。
「うわー、何それ、人生半分損してるね」
舞の言葉に、小春が大いに頷き同意を示すと、七菜にはもう返す言葉もない。これまでの十八年の人生を振り返ってみても、あの人かっこいいよね、というような会話で盛り上がった経験が七菜には一度もない。
その代わり、舞たちのように珍しいものでも見るような顔をされ、優里のように疎いと言われた経験なら数え切れないほどある。何の自慢にもならないが。
「でっ、その高橋君と何話してたのっ!?」
舞と小春がハモりながら七菜に詰め寄ると、過去に意識が飛んでいた七菜が現実に引き戻された。興味津々で見開かれた目をした二人の顔が、七菜のすぐ目の前に迫っている。
「あ……、と、友だちに、なって欲しい、って」
七菜が後半は消え入りそうな声で答えると、二人が今度はぽかんとした顔で七菜を見る。表情だけ見ていると、さっきから双子みたいだ。
「は? 友だち?」
「七菜と? 何で?」
二人の間の抜けた声に、
「さ、さあ? 何でだろう……?」
事実を半分だけ隠して伝えた七菜は、二人と目を合わせることができず、斜め上を見てごまかす。
「気まぐれ? 興味半分? 暇つぶし?」
舞が適当な理由を挙げると、
「何かの研究対象とか?」
優里が聡明と噂の蒼一らしい見解を述べ、
「甘いもの食べてたら、しょっぱいもの食べたくなった、みたいな?」
小春が人の本質っぽい理屈を言う。
「……よく分かんないけど、三人とも酷いよー」
少なくとも、まともな回答を一つも得られなかった七菜が軽く頬を膨らませると、三人が「ごめん」と口々に言いつつ七菜の顔に吹き出している。
——それは、高橋くんが私を、好きだから?
『好きです。良ければ俺と、付き合ってください』
ふいに、蒼一の告白を思い出して七菜が耳まで真っ赤になった。突然に、しかもこれほど真剣で純粋な告白をされたのは、七菜にとって初めてのことだった。思わず両手で熱くなった頬を覆う。
——あれ、絶対人違いだよね? そんなすごい人が、私を好きになる筈ないし。
それをまともに受けてしまって、七菜に二重の恥ずかしさが襲う。
あの時は、今度こそ流されずに断わらなければならないという思いで必死だった。すると蒼一が、すかさず友だちになろうと提案してくる。
その予想外の事態に元々混乱していた頭が真っ白になり、思わず頷いてしまったのが七菜の本当のところだった。
——私、はいって返事して良かったのかな? だって高橋くん、絶対間違って言っちゃったのにー。
どうしようーと、一人落ち着かない様子の七菜を見て、
「そうそう、それが彼と会話できた時の普通の女子の反応だよ。やっと分かったか!」
「てか、友だちって。理由が全く分からないけど羨まし過ぎる! 今度紹介して!」
舞と小春は何やら勘違いしてくれたらしく、とりあえずこの場で告白のことは話さずに済みそうだ。
それより何より、この不安をすぐにでも優里に相談したいと思い、七菜が無意識に優里を上目遣いで見つめる。
「七菜? どうかした?」
その視線に気付いた優里の手を取り「早く帰ろうっ」と、七菜が急ぎ歩き出した。
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