第26話
☆ジェマ
四大貴族、ローシュバイン家。元傭兵であるオルレア・ローシュバインを長男の嫁に迎え入れるまでは財政的に困窮。しかし彼女が来てから財政は立て直され、四大貴族最貧だったローシュバイン家は今や、四大貴族で最も財政的に豊かだ。
しかしだからといって贅沢はしない。必要最低限の品位や優雅さを保ちつつ、それ以上の支出はしない。つまり無駄がないのだ。そうやって貯蓄した財を民衆の生活のために、領主として使用するのだ。善政の見本と呼ばれるローシュバイン領は今日も豊かだった。
「ただいま戻りました」
ローシュバイン邸内にある執務室。多くの本が並ぶこの部屋には私を雇用している主人のオルレア・ローシュバイン以外にもう一人、先客がいた。
はき古したズボンにボロボロの上着。薄汚れた肌に柄の悪い顔。多少腕に自信があることを誇張するため、腕や胸元の筋肉をわざと見せている男。貴族の邸宅内にいていい風貌の人間ではない。
「……せめて綺麗にしてから入ってくださいませんか? 掃除が手間ですので」
この男に見覚えはない。だがこの執務室に当たり前のようにいるということは、この男はおそらく『奴』なのだろう。
「うっせぇな。俺は俺の仕事をして帰ってきたところだ。テメェはテメェの仕事をしていればいいんだよ。そうすりゃ、みんな丸く収まるってもんだ」
「今日の口調は腹が立ちますね。ケンカを売っているのですか?」
「ケンカだったらお前は会う度に売ってくるよな。殺気が隠し切れてないぜ? 暗殺者さんよ」
無意識に舌打ちをしてしまう。すでに露見していること。だから暗殺者と呼ばれて特に困ることはない。
「それで、もう三年だったか? お前がオルレアのメイドになって。それでかすり傷一つでもつけられたのか?」
本当に腹が立つ。殺せるものなら今すぐ殺してやりたいが、それはできない。
「大きなお世話ですよ。この依頼に期間は定められていません。依頼は取り下げられていませんし、私も断りを入れていません。そして諦めていないので、私の暗殺稼業は現在進行中です」
「無駄な努力だと思うけどな。オルレアもよく自分を殺しに来た奴を雇うよな。何を考えているのか、さっぱりだぜ」
私と初見の男の会話を聞き流しながら、手早くいくつかの書類に目を通しているオルレア。こんなやりとりが室内でされていても、彼女にとっては日常の一コマなのだろう。
「まぁ、さっさと諦めて帰れ。お前にこの女は殺せねぇよ。三流暗殺者」
三流、そう言われて苛立った。どうせ私はこの男を殺せないのだ。暗殺者であることをこの場で隠す必要も無い。だったらいいだろう。
素早く右手を振った。その右手がまとった風が刃となって、男の首を綺麗に落とす。床に落ちた生首は地面に叩きつけられるとともに形状を失い、無色透明の水溜まりとなる。そしてそれに伴い、胴体も形状を失う。水の入った風船が割れ、ただの水に戻っていくように、執務室に大きな水溜まりを作る。
男は無色透明の水溜まりとなった。しかし広がった水は徐々に、元々男が立っていた場所に集まってくる。水溜まりがスライムのようになり、そこから粘土細工のようになり、人型をかたどると着色されていく。
現れたのは見覚えのある青いローブで顔を隠した人。男か女かもわからない、体格や背格好は中性的でどちらとも取れる。この国を陰で支える諜報部隊を率いる、最高戦力八騎将の一角。誰一人として顔も名前も知らない。身体の形状や性別だけでなく、声や性格に至るまで完全に他人をコピーできる化け物のような奴だ。
「やるなら表でやってもらえないかしら?」
書類に目を通しながら、一つため息をつくオルレア。苛立ったとはいえ、死なない相手だとはいえ、メイドとして雇用されている以上はこの行為は許されない。
「失礼しました」
「……」
謝る私に対して、奴は謝らない。それどころか急に口数が少なくなった。変装中は変装した対象を丸々コピーしてしまうと聞いている。つまり口数が減った今がこいつの素顔となる性格なのだろう。
「それで、ジェマ。ちゃんと所在は掴んだの?」
言いつけられた所用を終え、その報告にやってきたのだった。報告の前に余計なことで時間を割いてしまったのは失態だ。
「はい。まず二人ですが、コウと名乗る男の父親らしき人物と合流して帰宅していました。ただ親子にしては雰囲気が少々微妙でした。理由はわかりません。それとシスターは協会の宿舎に今夜は泊まるようです。学院案内は明日ですので、こちらから三人とも迎えに行く予定です」
「ありがとう」
今日遭遇した三人。その三人がどこで寝泊まりをするのか、どこに住んでいるのかなどを追跡して調査するという仕事。簡単な仕事で滞りなく終わったが、オルレアは何故あの三人にここまで固執するのだろうか。
「そっちは……聞くまでもないか」
オルレアの視線が私から離れた。
「殺していいのなら、任務は遂行できた」
「そうね。まぁ、今回は私の指示を守ってわざと負けてくれたことに感謝するわ」
二人の会話を聞くだけで、今日の出来事の中に何かしらの企みがあったことがわかる。残念ながら私はそれを知らない。
「わざと負けたとはどういうことですか?」
教えてもらえるなら話してくれるだろう。教えられないなら言ってはくれないだろう。どちらでもいいが、一人だけ蚊帳の外で何も知らないというのはしゃくに障る。暗殺者という稼業だからか、細かい情報は知りたくなってしまう。
「リザ、彼女を学院に引き入れたかったのよ。そのために色々と動いて貰ったの。十年くらい前からね」
「じゅ、十年……」
それほどの時間をかけて学院に引き入れるほど価値のある人間には見えなかった。才能はあるだろうし優秀ではあるだろう。しかし天才というほどの何かは感じなかった。
「教会の神父に化けたり、飲み屋のおじさんに混じったり、盗賊の一人になったり、ご苦労だったわね」
「まったくだ。しかも同時に雷鳥の卵の回収まで任された。回収に動いたところで鉢合わせてしまって、危うく殺しかけた」
「でもしっかり役目を果たしてくれた。悪くない……いえ、予定以上のあがりだわ」
「予定以上、ですか?」
「ええ、あの魔力の無い二人。ああいう稀少な手駒をずっと探していたのよ」
本来はリザというシスターだけを手元に置くことが作戦だったのだろう。しかし予定は狂った。それもいい方に。
「魔力が無い人間がいるとは聞いていたのだけれど、今回始めて見たわ。この機会を逃すのは惜しいから、まとめて手元に置くことにしたわ」
予定の大筋が変わらなかったとはいえ、やると決めてから実行に移すまでが早い。そして実行に移して成功させてしまう。この女がどこまで何を考えているのか。三年側にいたが全くわからない。
「しかし、雷鳥の雛が懐くのは想定外だったのでは?」
「いえ、そうでもないわよ」
聖獣である雷鳥。その雛が人間、それも魔力の無い人間に懐いた。それをオルレアは全くの予想外ではないという。
「聖獣や神獣、精霊や妖精、彼らって人間の魔力があまり得意じゃないのよね」
「そ、そうなのですか?」
「ええ、だから魔力が無い人間に懐くというのは別におかしいことではないわ。しかも生まれたときの初顔合わせだったんでしょ? だったらなおさらよ。学院に入ってくれるのは前向きのようだし、雷鳥の監視も踏まえて楽できるわ。ルワーリオとリリアルの二人も今日の失敗で少しやる気を出したみたいだし、今日は良いこと尽くめね」
満足そうなオルレア。実際、ここまで彼女の望み通りに動いている。問題となる予定外の出来事が一つも無いのだ。
「ああ、オルレア。一つ報告がある」
「なにかしら?」
「第三十七番地教会、リザがいた教会だ。その近くの洞窟でまたアレが発見されたらしい」
青フードの隠密。こいつの性格や素性は定かではない。誰も顔も名前も知らない。そのため一人が何十年もその役目をこなしているとも、知らない間に二代目三代目に受け継がれているとも言われている。身体を水に変えることが出来る奴を『流水の隠者』という故郷をつけて呼んでいるくらいだ。
そんな素性の知れない奴の口調が少し暗い。深刻な何かがあるのだろうか。
「そう。わかってはいたけど、もうあまり猶予はないのね」
「ああ、お前が英雄と呼ばれるきっかけになった十年前の戦争。それがもう一度起ころうとしている」
十年前、国を脅かす戦争が起こった。今まで各地で魔族による襲撃はあったが、十年前はその魔族が軍隊となって攻めてきた。その魔族の軍に立ち向かい、大勝利を収めたのがオルレア。国軍と出身となる傭兵団を率いての大勝利だった。
その戦いが再び迫っている。つまり魔族がまた、軍隊を編成して攻めてくるかもしれないというのだ。
「二度、同じ失敗をする気はないでしょうから、次は前回の規模を遙かに上回るでしょうね」
「対応策はあるのか?」
「そうねぇ。無いこともないけど、現在準備中と言ったところかしら」
魔族の軍隊が攻めてくる可能性に対して対応策を準備中。おそらくその準備というものの中に、今回の件も関わってくるのかもしれない。
「ふふっ……まぁ、何にせよ明日からが楽しみだわ」
まるで全てを見透かしたかのような目と笑顔。それを人間として心強いと思う一方で、暗殺者として恐怖を確かに感じていた。
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