第22話

☆三南航星


 ぼんやりとしていた意識が徐々に鮮明になっていく。周囲では人々が大声で言葉を交わす様子が音として認識できる。

 慌ただしく人が行き交う中に自分がいる。そう認識したとき、自分がなぜそこにいるのか、少し前はどうなっていたか、そう言ったことが瞬く間に脳裏によみがえる。一度強く目を閉じて、ゆっくりとまぶたを開く。そこには俺を治療してくれたリザの顔が見えた。

「あ、気が付きましたか?」

 ニコッと笑うリザ。怪我人や病人が目覚めた瞬間、こういった女性を見ると惚れてしまうのもなんとなくわかる。白衣の天使とは実に的を射ている。

「どれくらい経った?」

「五分ほどです。危機も脱したようです。もう間もなく事後処理となるでしょう」

「そうか」

 ゆっくりと身体を起こす。多少血液が足りないせいだろう。少しふらふらするが、起き上がって立って歩く分にはなんとかなりそうだ。

 背中が血液で濡れている。感じる気持ち悪さに「また着替えか」と愚痴を漏らす。するとそこにカノンが走ってくる。

「リザ! 置いていくなんて酷いよ!」

 血に染まった俺の背中は間違いなく視界に入っているはずだ。しかしこいつは幼馴染みの背中が血に染まっていても気にならないらしい。俺はまるでいないもののように、リザとの会話が続けられた。

「行くときに声はかけました。それにあれだけ待ちましたが、あの後誰も来ませんでしたのでもう大丈夫だと思いました」

「それでも置いていくなんて酷いよ。カノンちゃんは接近戦『が』できないんだよ?」

「そうは言いますが、遠目にコウさんが負傷したのが見えました。現状、彼の治療に最も適しているのは私ですから、私が駆けつけるのが一番だという判断です」

「え? コウ、怪我したの? うわぁっ! 真っ赤じゃん!」

「今更かよ……」

 視界に入っていても、興味のないことならスルーする。そういう性格だということはわかっていた。しかしまさか幼馴染みの俺にまでそれが完璧に当てはまるとは思わなかった。

 俺は自然とため息が漏れる。

「それより、だ。いつから遠距離で戦えるようになったんだ?」

「え? コウ?」

「さっき接近戦ができないって言っただろ。まるで遠距離では戦えるみたいに聞こえたんだけどな」

「くっ、まさかもうばれてしまうとは……コウ、恐ろしい子」

「うっせぇ、ってか、本当に何かあったのか?」

 カノンが突然、にんまりと笑い出す。それを見て、本当に何か大きな発見があったのだとわかった。

「ふふふ、なんと……ジャジャーン!」

 少しもったいぶってから、カノンが俺に見せたのは知っている武器。見覚えはあるが実際に触れたことのない、近代兵器だった。

「銃? それもリボルバー? なんでそんなものが?」

「お宝が置いてある場所にね。一緒に置いてあったの。まぁ、ほとんどガラクタ扱いだったけどね」

 弾を弾倉に込めて撃つ。一発ずつ撃ち、その際に弾倉が回転するので回転式拳銃と呼ばれている。ファンタジーの中に混じった近代兵器。身近に銃がある環境に慣れていないせいか異様な雰囲気を感じながらも、まるで自分たちのようだと共感してしまう部分もあった。

「きっと私たちみたいにこっちに来ちゃったんだろうね。ほら、寝間着はそのままこっちに来ちゃったでしょ?」

「そうだけどよ。着ていたからじゃないのか? 銃はまた別物だと思うぞ」

「きっとそうだって。こっちに来ちゃう瞬間に持っているものは何でもかんでも全部一緒に来ちゃうんだよ」

「どうしてそう言い切れるんだよ」

「だってほら、スマホもあるから」

 カノンはそう言うとポケットから見慣れたアイテムを取り出した。携帯電話が進化してスマートフォン。略してスマホ。それを至極当然のようにポケットから取り出したのだ。

「お前! スマホ持ってたんなら先に言えよ!」

 目覚めた瞬間、ここがどこだかわからなかった。スマホがあれば電波が届くところなのかどうか、一つの判断基準を明確にできたのだ。

「だってどこ行っても圏外だもん」

「だからそれがわかっていたら先に教えろってことだよ」

 ファンタジーの世界に来てしまった。そのことを認めるまでの時間が無駄だったのではないか。そう思うと一気に疲労が増した。

「まぁまぁ、コウにもお土産があるよ。ほら、これ」

 カノンがそう言って俺に差し出したもの。それには拳銃と違って触れたこともあった。

「刀?」

「うん。これで攻撃力上がるよね」

 ゲーム思考で考えているカノン。こいつほど単純に攻撃力と一言で片付けてしまうのはなんとなく許せない。攻撃力とは武器の良し悪しだけでなく、その攻撃を繰り出せるだけの技量やタイミングを見計らった駆け引きに状況判断能力。そういった様々な要素がかみ合って攻撃力となるのだ。単純に錆びた剣から刀に装備品を買えただけで攻撃力が上がるというわけではない。

 しかし西洋の剣よりも馴染みがあり、触ったことも振らせてもらったこともある。総合的に考えて攻撃力というか、戦闘能力は確かに上がったかもしれない。

「曲がった武器ですか。あまり扱っている人が多いとは聞きませんが、コウさんはこちらの方がお得意なんですか?」

 刀のような曲がった刃の武器は一般的ではない。リザの言葉でそれはわかった。

「まぁ、こっちの方がまだ馴染みはある」

 得意と言えるほどなのかはわからない。だが、西洋の剣に比べれば、扱いなども含めてこちらの方が使いやすい。

「カノンさんのそれは……なんですか?」

「武器だよ」

「武器……武器?」

 リザが目を丸くしている。武器と言われて全く使い道がわからないからだ。

 銃が生まれて発達したのは、弓よりも簡単に使える遠距離武器を人間が求めたからに他ならない。魔法があるこの世界ではその遠距離攻撃が魔法で代替えできる。つまり銃という武器の必要性は必然と低下するのだ。ファンタジー世界の人間が銃という武器を全く知らないのも頷ける。

「まぁ、機会があれば見せてあげるよ」

 得意げなカノン。銃が自分の得意な武器だと言わんばかりだ。

「お前、使ったことないだろ」

「大丈夫だよ。夜店では百発百中、ゲーセンではハイスコアのカノンちゃんだよ」

「射的やゲームと一緒にするな。実弾だぞ」

「大丈夫だって。こういうのはセンスだから」

 使ったことのない奴が自信満々に語っている。それを言っているのがこいつというだけで不安が増す。

「魔法もそうだよね。センスが大事だよね。ねぇ、リザ」

 側にいるリザに同意を求める。俺はカノンに同意しないで欲しいという思いを心に抱きながら、傍らにいるリザに二人して視線を向けた。

 視線の先にいたリザはしゃがみ込み、少し苦しそうな表情をしていた。

「リザ?」

「どうしたんだ?」

 リザその場にしゃがみ込んで彼女の様子をうかがう。特に顔色が悪いとか呼吸が荒い、等という様子はなかった。ただ表情が優れず、何か異常があることは間違いなさそうだ。

「身体が重く、痺れて……おそらく、身体に異常を来す魔法かと……」

「え? 身体に異常?」

 カノンが自分の身体の様子を探る。しかしどこにも異常はない。いつも通り、手を焼く健康体のままだ。

 周囲にはリザと同じように、しゃがみ込んだり蹲ったりしている兵士達がいる。廃城内部にいる俺とカノンの二人を除いた全員が、同じような苦しみを味わっているようだ。

「魔法で治せないの?」

「魔法も封じられているようで……」

 魔法の世界の住人で魔法を得意とする人が魔法を使えない。魔法の世界の外から来たよそ者が思い当たる理由はそう多くない。

「なんだろう。魔法封印系の状態異常かな? 身体が重いのは敏捷系の状態異常で、痺れているのは麻痺系?」

「楽しそうに推理している場合か?」

「だって、原因がわからなきゃ解除できないよ」

 周囲の状況を楽しむようなカノン。不謹慎だが、こいつの言っていることも正しい。原因がわからなければ治療のしようがない。

「あれ? でも私たちって大丈夫だよね?」

「治癒魔法も一手間加えないと通じないからな。きっと状態異常もそうなんじゃないか?」

 予想だが、周囲の状況を見る限り正しいだろう。そうなるとこの廃城の中で動けるのは俺とカノンの二人だけということになる。そして廃城内でこうなったのは何かしら原因があるはずだ。

 魔法が封じられ、動きを封じられる。作為的な思惑があるとしか考えられない。誰かの思い通りの状況にすることができたのなら、その誰かは次の行動に出るはずだ。

「おい、カノン。気をつけ……」

「ねぇ、コウ。あれ」

 動くことができるカノンに注意を促そうとした。だがカノンはすでに、この状況を作り出した誰かを見つけていた。

「はっはっはっ! ザマァねぇな!」

 廃城の崩れかけた城壁の上。そこに一人の男がいた。盗賊達のボスだろうか。

「奇襲を受けて手痛くやられちまったが、なんとか罠にはめることができたぜ!」

 ボスの合図で廃城に盗賊達が現れる。人数は十人足らずと多くはない。しかし百人いようが千人いようが、動けないのであれば人数は問題ではない。

「元々お前らが来たら、城の中に誘い込んで罠を発動させて皆殺しって作戦だったんだけどな。まぁ、奇襲って作戦のせいで準備も急がなきゃならねぇし、こっちも大勢やられちまった。当然、覚悟はできてんだろうな?」

 配下の盗賊の一人が動けない兵士を蹴り上げた。そのまま数回蹴りを入れる。抵抗できない兵士はただやられるだけだ。

「安心しろ。雑魚共は後回しだ。まずは、頭から潰すっていうのがセオリーだ」

 盗賊数人が廃城内歩く。そして到着したのは、ウェーブがかかった長い金髪の魔法使いの前。箒に乗って魔法を連発していたリリアルだ。

「まずはテメェからだ。その後に王子、そして雑魚共を血祭りに上げてやる!」

 盗賊の一人が短剣を抜き、刃の先がリリアルに向けられる。

「本当はいたぶって殺してぇんだけどよ。なんせ急ごしらえの罠で長持ちしねぇ。物足りねぇが、さっさとやっちまえ!」

 盗賊が短剣を振り上げる。一呼吸の間も置かずに短剣がリリアルに突き刺さる。誰もがそう思ったとき、その思い全てを消し飛ばす轟音が廃城内に響き渡った。

「なっ! なんだ?」

 勝ち誇っていた盗賊のボスだったが、突然の轟音に狼狽えているのが遠目にもわかる。

「こ、コウ……痛い……」

 傍らでは眉間を抑えるカノン。どうやら銃を撃った時、弾を撃ち出す反動で銃が眉間を直撃したようだ。小さな切り傷から血がにじんでいる。ちょっとした切り傷でものすごい重傷であるかのように蹲っているのがこいつらしい。

「ゲームと一緒にするなって言っただろ」

「うー……今度から気をつけるー……」

「けど、弾は当たったみたいだ」

「え? ほんと?」

 短剣を持っていた盗賊の手にはもう短剣はない。腕から血が流れ、遠目に見ても重傷だというのがわかる。何が起こったのか理解できていないようで、仲間の盗賊達と周囲をキョロキョロ見渡している。

「か、カノンちゃん、殺しちゃった? 逮捕されちゃう?」

「殺してない。まぁ、放っておくと出血多量とかにはなりそうだけどな」

「それ、まずくない?」

「ここは魔法の世界だろ? だったら、死ぬ前に治療が間に合えばいいわけだ」

「あっ、なーるほど!」

 カノンが立ち上がって銃を構える。さすがに立ち上がれば敵もこちらに気付く。

「あ、あいつら! 罠が効いてねぇのか?」

 盗賊のボスが想定外だと驚いているようだ。部下達も少々狼狽えている。

「カノン! 上のうるさい奴を黙らせろ!」

「おっけー!」

 銃の狙いが廃城の城壁の上にいるボスへと向く。自分が狙われているというのがわかっても、ボスは一切隠れようとしない。銃という武器に対する知識がないためだろう。

「はっはっはっ! 遠距離攻撃対策も万全だ! 俺の魔法障壁は打ち破れまい!」

 ボスの前に半透明のカーテンのようなものが見える。あれが魔法障壁なのだろう。自信満々な様子から考えて、おそらく魔法攻撃には効果が高いはずだ。

「ファイア!」

 カノンの大声に続き再び轟音。発射された弾丸は魔法障壁など一切ものともせず、楽々と貫通してボスに命中した。

「ば、バカな……」

 腹部を押さえて蹲る。魔法障壁など元からそこに存在していなかった。そうとしか思えないほどあっさりと弾丸は命中した。

「ま、魔力が一切感じられない? 火の魔法ではないのか? なのに……物理的に貫かれている?」

 ボスは自らの身に起きた出来事が全く理解できていないようだ。そしてそれは部下の盗賊達も同じ。部下だけでなく、廃城内にいる者達全員が、だ。

 状況が理解できているのは俺とカノンのただ二人のみ。

 視線がカノンに集中している間に俺は部下の盗賊達の元へ駆ける。そして腕を怪我した一人を殴り飛ばし、その勢いでもう一人もぶん殴った。二人の盗賊は気を失うように地面に仰向けに倒れている。ノックアウトとなったボクサーのようだ。

「な、なんだ、お前は!」

 剣を抜いて向かってくる盗賊。狼狽えたままの人間が武器を持って迫ってくる。初見であればそれだけで、恐怖を感じて萎縮してしまっていたことだろう。しかし現実的に考えれば、今日は二度ほど死にかけている。そのせいか精神状態は多少ハイになっていたのかもしれない。自分を殺しに来る盗賊に一切恐怖を感じていなかった。

 大振りされる剣を避け、手首に蹴りを入れる。剣を相手の手から蹴り飛ばし、素手になった無防備の男をまた殴り飛ばす。これで三人、無力化した。

 後に続くようにもう一人、剣を抜いて向かってくる。俺はさっきカノンから渡された刀に手をかけ、一気に引き抜いた。鏡のように光を反射する刃が煌めく。

「う、うわぁっ! 手甲がっ!」

 盗賊の腕から血が滴り落ちる。手甲を装備していたようだが、俺が受け取った刀の切れ味の方が上だったようだ。

「次は切り落とすぞ」

「ひ、ひぃっ!」

 本気で切り落とす気などない。そんなことをすると逆に俺の方がトラウマを持ってしまう。しかし俺の脅しに盗賊はいい具合に怯んでくれた。

「こ、こいつ強いぞ!」

「あっとの女もわけがわかんねぇ!」

「逃げろ! もう無理だ!」

 部下の盗賊達が一斉に逃げ出す。ひとまず危機は去った。俺はそう思って一息つく。

 逃げていく盗賊達の背中が見えなくなったら、カノンとリザの元に戻ろう。そう思っていた矢先、盗賊達が吹っ飛んだ。

「……え?」

 逃げていった盗賊達は風に吹かれた木の葉のように宙を舞い、地面に落ちて転がる。廃城の城壁に叩きつけられる者、数十メートルほどを飛ばされた者。その誰もが死体のように地面に転がり、誰も動かない。

 倒れた盗賊達の合間を悠然と歩いてくる人間が一人。それは黒い服と白いフリルのついたエプロン。そしてエプロンとお揃いの白いカチューシャ。その見た目はメイド。しかし盗賊の男達を何らかの力で吹っ飛ばした。メイドの彼女も魔法の力を持っているのだろうか。

 メイドは俺の前に来ると一言「失礼します」とだけ言い、俺が殴り倒した盗賊三人を順次確認していく。

「殺さずに無力化、お見事です」

 メイドは俺にそう言い、くるりと向きを変える。廃城の城壁の上、盗賊のボスがいた方向。

 そしてスカートの裾を持って、背筋を伸ばしたままわずかに身体が下がる。映像では見たことのある挨拶の動作。初めて生を目で見た。

「こちらは片付きました」

 メイドが挨拶する先。城壁の上。そこには盗賊のボスと、先ほどまでいなかった人物がいた。胸元をわざと強調する深紅のドレスの女性。なぜドレス姿の女性が、と思うと同時にもう一つ気になることがあった。それはその女性の髪型がウェーブのかかった長い金髪。箒に乗って魔法を連発していたリリアル。彼女と全く同じ髪型だった。

「ご苦労様。これも一緒に処理しておいて」

 城壁の上から女性が大の男を片手で掴んで放り投げる。盗賊のボスだ。悲鳴とともに城壁の上から真っ逆さまに地面へと落ちていく。

 しかし地面には叩きつけられない。見えないクッションに守られるように、地面すれすれで一瞬浮いて、そしてゆっくりと地面に尻餅をつくように着地した。

「かしこまりました」

 おそらくメイドが何かしらの魔法を使用したのだろう。先ほどの盗賊の男達を吹っ飛ばしたときも目視では何も確認できなかった。魔法を使っているが目に見えない。そうなると第一候補に挙がるのは、不可視の力の典型だろう。

「風? 風の魔法?」

 駆けつけてきたカノンがメイドをまじまじと見ている。新たな魔法を目にしたせいか、ずいぶんと楽しそうだ。

「くそっ、どうしてお前が……お前がここにいるんだよ! オルレア!」

 城壁の上にいる女性を見上げる盗賊のボス。両者の立場や勝敗を明確にするかのような立ち位置だった。

「あら、ごめんなさい。私、仕事早いのよね」

 大きな胸を強調するかのように腕を組む。余裕のある表情が盗賊のボスを挑発しているかのようだ。

「さて、と。みんな、もう動けるでしょ? いつまでも休んでいないで仕事をしてもらえるかしら?」

 城壁の上から、罠にかかった兵士達へ。命令のような言葉に我に返ったように、兵士達は立ち上がって慌ただしく動き始める。事後処理の続き、そして倒れた盗賊達の拘束と連行。迅速に動く彼らだが、その働きに上から眺める彼女は満足していない。

「今回の件、隊長経由で評価をしっかり厳しく伝えて貰うわ。明日からの日々が楽しくなりそうね、ルーキー達」

 城壁の上でニコリと笑う姿とは対照的に、下では仕事をしながらもその足取りがみんな一様に重かった。

「さて、まぁ兵は隊長達に教育を任せるとして……」

 城壁の上からの跳躍。三階くらいの高さから、さも当然のように跳んだ。そして苦もなく地面に降り立つ。

「指揮官は、責を負わないといけないわよね」

 見た目が似ている、いやほぼそっくりのリリアル。彼女の前に立って説教が始まるのだが、もう一人の指揮官を忘れてはいない。

「ルワーリオ。あなたもこちらに来なさい」

 別の場所で状況の推移を見守っていたのだろう。名を呼ばれ、悔しそうな表情で王子が歩み寄っていく。

「全て自分たちにさせるのはまだ早かったようね。いいかしら? まず問題点を挙げていくけれど、廃城の攻め方、戦闘時の陣形、両指揮官の位置、戦闘方法、イレギュラーの予測と対応……はっきり言ってどれもダメ。全然ダメ」

 二人を前に説教が始まる。兵士達はメイドの指示に従って事後処理。俺とカノンとリザは完全に蚊帳の外だった。

「これ、どういう状況? ってか、あの人誰? リリアルのお姉さん?」

 蚊帳の外の三人で集まって様子を見る。さすがにもう敵が出てくることはなさそうなので、ひとまず一息はつけてはいる。

 しかし事件の渦中に自ら足を踏み入れて、その中心地にいながら蚊帳の外という状況。この場を離脱もしにくく、かといって居続けるのも居心地が悪かった。

「彼女はオルレア・ローシュバイン。リリアル、彼女の母親です」

「……母親? え? めちゃくちゃ若くない?」

 二人が並んでいるのを見ると背が多少違うくらいで外見に大きな差は見られない。多少母親の方が大人びて見えるため、姉妹と言っても誰一人として疑う者はいないだろう。

「オルレア・ローシュバイン。帝国の最高戦力である八騎将軍の一人です。傭兵出身で現在は貴族という珍しい方です。ローシュバイン家の長男に見初められて結婚し、ローシュバイン家の財政を立て直しました。その後の戦争で勝利して英雄となり、現在は称号と二つ名を合わせて『黒鉄の戦姫』と呼ばれています」

「え? なに、そのチートみたいな設定。めっちゃ強そうじゃん」

「強いなどというレベルではありません。この国の最強は彼女だと、多くの人がそう断言します。私も同意見です」

 説明を聞いているカノンが物珍しそうに説教する彼女の様子を見ている。観光名所を見に来た旅行客のようだ。

「でもチートレベルの最強キャラが母親キャラっていうのは嫌いじゃないよ」

「はぁ、そうですか」

 リザはもうまともに対応する気がないのかもしれない。適当に相づちを打って聞き流す作戦に出ている。正直に言うと、その作戦は俺もよく使う。

 そんな話をしている間にも説教は続いている。

 リリアルの空中からの魔法攻撃は攻撃手段として悪くはないが、指揮官が全体の把握よりも攻撃に傾倒したのは反省点。地上のルワーリオも指揮官として後方にいるよりも、自信のある戦闘技能を生かすために前線へと出たことは反省点。戦いが終わった後に二人して事後処理を始めたのも油断でしかなく、周辺の安全確認を怠ったことで死にかけたことは恥ずべき失態。

 等など、オルレアの話はなかなか終わらない。リリアルは落ち込みながら、ルワーリオは悔しそうに、二人して説教を真面目に聞いていた。

「さて、と。まぁ大まかにはこんなところかしらね。一端の戦力であると主張するにはまだまだね」

 一通り話が終わった途端、オルレアは向きを変えてこちらに歩み寄ってくる。

「あなた達には助けられてしまったわね」

「いえ、たまたまです」

 カノンが魔法での戦いぶりを見に行きたいと言って、俺もこの世界の戦いというものがどんなものか見たいと思った。その結果、ここにやってきた。そしてモンスターが現れなかった場合、観戦だけで終わるはずだった。ここへやってきたのは好奇心から、助けに動いたのはたまたまモンスターがいたから。

 もしその偶然が重ならなければ、俺達はこの場にいることはなかった。

「ねぇ、あなた達、これからどうするつもり?」

「え? これから?」

「そう、これから。なかなか見込みがあるのよねぇ。あなた達が良ければだけれど、私の管轄している学院に来ないかしら?」

 英雄と呼ばれる人からの直接のお誘い。スポーツ強豪校の監督が青田刈りをしていくかのように、簡単に勧誘のお声がかかってしまった。

「行く!」

 そして即答のカノン。学院がどういうところなのか、何を学ぶところなのか、その先はどういう進路が待っているのか。そういったことには一切興味がなく、魔法の世界の学校に通えば魔法が使えるようになるかもしれない。そんな希望的観測を妄信するくらい簡単に、こいつは即答で決めてしまった。

「あら、嬉しい。三人ともそれでいいかしら?」

 そう言われてリザが「え、私も?」と、言葉にはしないが驚いているのが見えた。

 しかしこの誘いは正直ありがたい。右も左もわからない世界でこの先どうするかが定まっていなかった。そこに救いの手を差し伸べてもらえていると言ってもいい状況だ。

 カノンほど即答するのはさすがに難しい。しかし状況を考えればこの話は受け入れてもいいと、前向きな意見が俺の中で可決される。

「学院についての詳細な説明が欲しいです」

「そんなのはお安いご用よ。今日中に資料と入学案内の手続き用紙を用意させるわ。入学手続きはもう締め切っているのだけれど、まぁ鶴の一声で許可させるから安心してね」

 職権乱用なのではないだろうか。そんなことが許されるのか、彼女はそれが許される地位の人なのか。当たり前のように笑顔でいるこの人は、おそらくそんなことは微塵も気にしていないように思えた。

「それで、あなたは?」

 入学を希望するのかどうかの質問がリザに向く。

「私は……」

 リザの視線が一瞬だけ動いた。向いた先はルワーリオとリリアルのいる方向。王子と貴族令嬢。貴族階級に良い感情を抱いていない彼女は、何か思うところがありそうだ。

「ねぇ、リザ。一緒に行こうよ」

 返事に困っているリザをカノンが誘う。遊びに誘うくらい軽く簡単に。

「……私が入学してもよろしいのでしたら」

 少し悩んで出した決断。それにカノンの表情が一気に明るくなる。

「ふふっ、良い返事をありがとう。じゃあ早速だけど、入学試験を行いましょうか」

 さも当然のように、英雄様は言った。

「「「……え?」」」

 三人揃って硬直していた。先ほどの会話で、三人とも入学が決まった。そう思っていたからだ。それがまさか、今から入学試験が行われる。

「えーっ! 試験免除じゃないの?」

「試験はみんな平等に行わないといけないでしょう? でも安心して良いわよ。私の管轄している学院の学費は全額免除だから」

 カノンの異議申し立ては笑顔で棄却。その代わり、学院に通うのに学費がいらないということは先んじてわかった。

「それと、ルワーリオにリリアル、来なさい。あなた達は指揮官としての実戦経験の前に、少人数での連携からやり直しね」

 呼ばれた二人の表情は晴れない。聞くからに良い評価ではないのがわかる。こちらにやってくる足取りも重い。

「さて、事後処理が終わるまでもう少しかかりそうだから、タイムリミットはジェマ……ローシュバイン家のメイドね。彼女が呼びに来るまでに設定しましょう」

 集められた、ほぼ同年代であろう五人。俺とカノンとリザ、そしてルワーリオとリリアル。それぞれを一瞥ずつしていくと、オルレアは右手をこちらに向かって突き出した。

「五人で協力してかかってきなさい。三人は入学試験、二人は訓練。いい?」

「え? でも五人って……」

 五対一。こんな不平等な戦いが成立して良いのだろうか。例え英雄といえども、数の暴力は脅威ではないのだろうか。

「大丈夫よ。私は右手だけ。多少魔法も使うだろうけど基本は右手しか使わないわ」

 そう言うと左手を腰の後ろに回す。本当に武器すら持たない右手だけで戦う気のようだ。俺の疑問の言葉は斜め上方向で解釈されたらしい。

「タイムリミットまでに誰でも良いわ。私に右手以外のどこかに攻撃を当てられたら、文句なしで合格よ」

 文句なしで合格。その言葉を聞いて、これが本当に試験なのだと理解した。そしてよくよく考えると、数的有利ではあるが不安要素が実に多い五人でもある。

 その理由は今日始めて会ったばかりだということ。俺とカノンは知り合いで、ルワーリオとリリアルも知り合いではある。しかし初見。しかも俺とカノンはこの世界の住人ですらない。リザとも今日会った。彼女の貴族嫌いの性格からして、ルワーリオやリリアルとの共闘経験はないだろう。つまり五人協力で数的有利はあるが、連携はないに等しい。

「先手は譲ってあげるわ。誰でも、みんな同時でもかまわないわよ」

 右手だけをこちらに向けて立つ。英雄とは言え動きにくそうなドレス姿で、本当に戦うことなどできるのか。そう思っていた瞬間、戦いの口火を切ったのは、カノンだった。

「先手必勝!」

 西部劇の早撃ちのごとく、素早く拳銃を抜いて狙いを定め、即座に引き金を引く。反動で撃った後に体勢を崩したが、一発当てることができれば勝ちだという条件に反応したのだろう。確かに先制攻撃ならほとんどノータイムで攻撃できる銃以上に向いている武器はない。

 しかし響き渡る銃声がむなしい。放たれた弾丸は標的にかすりもしなかった。

「よ、避けた?」

 状態を左後方にずらして、あっけなく弾丸は避けられた。

「初見なら当たったかもしれないわね。けれど、さっき使ったところを見ちゃったのよね」

「いや、初見じゃないから避けられるとか、そういう理屈の武器じゃないぞ」

 カノンが銃を撃った時点で、俺は正直戦いが終わったと思った。この世界に銃があるとしても、魔法が常識のこの世界に銃は馴染みがないもの。戦国時代に初めて鉄砲が日本にやってきたのと変わらない理解力のはずだ。それなのに初見じゃないという理由だけで、あっさりと銃は当たらない武器となってしまっていた。

「あら、魔力が感じられないだけで、正面にいなかったら当たらないわけでしょ? だったら避けるのは簡単じゃない。正面にいなければ良いのだから」

 至極当然のことを言われた。至極当然なのだが、それができれば苦労しない。それができるなら銃という武器は、現代では衰退しているはずだ。しかし未だに銃は現代の武器として存在している。それは弾丸を撃たれても避ければいいという発想が、完全に異常だからだ。

「しかたありません! こうなったら腹をくくりましょう!」

 リリアルが箒の柄を持ち、引き抜く。すると銀色の細長い刃が姿を現す。仕込み刀ならぬ、仕込みレイピアだ。

「とんだ罰ゲームだな」

 ルワーリオも剣を抜く。こちらもレイピア。装飾はなく、刃だけが研ぎ澄まされている。純粋に戦いのためだけに作られた武器だというのが一目でわかる。

「連携は期待できません! 私たちは前に出ますので、申し訳ありませんが合わせてください!」

 そう言うとリリアルは箒に乗る。足を前後に大きく開き、半身の体勢で箒に立って乗った。そして箒は浮き、まるで彼女自身が弾丸のように突進。自らの母親へ高速で接近。その勢いのまま、殺意があるかのようにレイピアを突き出す。

 しかしそのレイピアは空を切る。まるでそこに来るのがあらかじめわかっていたかのように、簡単にレイピアによる刺突は避けられてしまう。そして避けつつも、突進してくる愛娘の勢いをそのまま利用して、母親の右手の拳は娘の腹部にめり込んだ。

「かはっ……」

 勢いがついた箒はどこかへ。乗っていたリリアルだけが叩き落とされるように、地面に転がった。地面に蹲る娘を見下ろす母親の表情は、変わることなく余裕の笑み。

 そこにすかさずルワーリオの刃が突き出される。しかしその刃も彼女を傷つけるに至らない。それどころか、彼女は右手の指で突き出されたレイピアの刃を受け止めている。素手の指で受け止めているのだ。

 そして飛ぶハエを払うかのように手首一つでレイピアをあらぬ方向へと払いのけ、王子であろうとも容赦しない掌底が胸部に撃ち込まれる。一メートル以上吹っ飛ばされた王子は仰向けに地面に倒れた。

 愛娘と王子を余裕の笑みのまま一撃で大ダメージを与えた。英雄と呼ばれる女性、オルレア・ローシュバイン。手加減とハンデがありながらも、圧倒的な実力があることがはっきりとわかった。

「さて……」

 視線がこちらに向く。視線がこちらに向いただけで、無意識のうちに身構えていた。

「来ないのなら、こちらから行くわよ」

 そう言うと、オルレアの身体がぐっと沈む。前傾姿勢で膝を曲げている。一瞬の体勢の変更でドレスのスカートがわずかに浮いた。そう思った瞬間、彼女は弾丸のようにこちらへと突っ込んできた。先ほど箒で向かっていったリリアルよりも、足で身面を蹴ったオルレアの方が早い。

 そして身構えているのに、向かってきているのに、攻めてくるとわかっていたのに、反応すらできず、彼女の右手の毒牙の餌食となったのは、カノンだった。

「ふぇ……うぎゃーっ!」

 胸ぐらを捕まれたカノン。ゴミ袋を放り投げるように軽々と放り投げられて地面を転がされる。

「このっ……え?」

 刀に手をかけて、引き抜きながら斬る。抜刀と同時に斬るという、居合いによる一撃を繰り出した。しかしその刃は金属に刀を叩きつけたかのような、堅い感触が刀を持つ手に伝わってきた。

 目に見えるのは、刀の刃がしっかりと当たっているオルレアの右手の手の甲だというのに。

 刀の刃を素肌で止めたオルレア。彼女は杉に手首を返して俺の刀の刃を握る。そして力一杯引っ張った。それにより俺は前につんのめる。その崩れた体勢で前に出た頭部、その顎に掌底がたたき込まれた。

 激痛に言葉など出なかった。苦悶の声が漏れたのかどうかもわからない。衝撃で視界が暗闇に覆われ、その中で星が一瞬だけ煌めいた。何度もケンカの経験はある。顔面を殴られた経験もある。しかしここまで痛く、聞いたことしかなかった暗闇の中の星が見えたのは、生まれて初めてのことだった。

「うぅ……」

 たった一撃。顔面に受けた掌底で膝をついてしまう。一瞬のうちに攻撃を防がれ、反撃を受けて、膝を屈した。たった一回でわかった。勝ち目など最初からない、と。

 視界の中で短剣を抜いたリザが斬りかかる。鋭い短剣の一閃は軽々と避けられ、リザの腹部に掌底が撃ち込まれた。一メートル以上を吹っ飛ばされ、背中から地面へ。腹部を押さえる彼女の表情と呼吸は苦しそうだ。

「あら、こんなものなのかしら? つまらないわね」

 余裕の笑みから本当に退屈そうな顔へ。五人が五人ともたった一撃でダウンしたのだ。彼女からしたらつまらないだろう。そしてその状況を楽々作られてしまった側としては、たったこれだけの時間で戦意喪失だ。

「ジェマ、まだ時間はあるの?」

「はい、もうしばらく」

 問われたメイドはこちらの状況に興味なさそうに、淡々と答えていた。

「ほら、まだ時間はあるわよ。それとももう降参かしら?」

 五人をそれぞれ一瞥。ふらつきながらも立ち上がるルワーリオやリリアルを見て少し笑みを見せた。

 一対一ではまず勝ち目はない。五対一でも勝ち目はないかもしれない。しかし一対一でそれぞれが戦うより、五人が協力した方が勝率は高いだろう。戦意はすでに喪失していた。それでも立ち上がる二人を見て、わずかな勝機にもう一度賭けてみようという意欲が少し湧いた。

 リザも立ち上がり、地面に転がったままなのはカノンだけ。あいつはどうやら起き上がる気はないようだ。

「おい、カノン?」

「カノンちゃん戦闘不能……後は任せたー……」

 あからさまにこちらから視線をそらす。銃が通用しなかった時点であまり期待はしていなかった。結果、想像通りだ。銃撃が無意味ならカノンはいてもいなくても変わらない。ならいない方が足手まといにならなくて済む。

「はぁ、わかったよ。じゃあそこで大人しくしてろよ」

「はーい。あっ、アップルジュースない?」

「無ぇよ」

 ごそごそと服のポケットをあさっている。もう完全に第三者の立ち位置にいる。学院に入学するという意欲はどこへ行ったのか。俺達の戦いを観戦者として、地面に座り込んで見る体勢だった。

 今日三度目の戦い。二度の大量出血で疲労感は大きい。正直疲れてはいるが、それを理由に戦いは止めない。簡単に負けるのは俺のプライドが許さない。

 近接戦闘ができる四人で取り囲む。四対一で同時に近距離戦。これならまぐれ当たりの可能性もあり得る。まだ、勝負を諦めるのは早い。

  俺達は何の打ち合わせもなく、目配せだけで四人同時に斬りかかった。

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