第16話

☆三南航星


 城郭都市内部。そこは外とは別世界だった。人は多く活気に満ち溢れ、慌ただしく人が行き来する。少し大きな道に出ればすり抜けていくのも難しいくらい大勢の人でごった返していた。

「すごい活気だな」

「それはそうですよ。ここは城郭都市内部でも最も活気溢れる地域ですから」

 人混みをなんとかすり抜けながら言葉を交わす。時折聞こえなくなるので何度か聞き返さなければならないが、一応会話は成立している。

「場所によって違うのか?」

「はい、大きく違います」

 人混みをすり抜けながら長い会話は難しく、路地に入って三人固まって話を続ける。

「ここはローシュバイン領ですからね」

「え?」

 俺とカノンはきっと一緒にキョトンとしていたのだろう。リザが俺とカノンの顔を何度か見直して「知らないのか」という驚きの表情を見せている。

「城郭都市内部は基本的に四大貴族がそれぞれの縄張りを治めています。その中でもここはローシュバイン家が治める縄張りで、四大貴族の治める土地の中ではもっとも暮らしやすいと言われています」

「へぇ、そうなんだ」

「善政の手本とも言われています。今までの貴族が私腹を肥やし、一部のお抱え商人達が優先して儲かる前時代的な貴族主義統治を撤廃しました。商業の自由化に税金の見直し、孤児院の建設から職業訓練場の設立などで治安の改善と仕事の自由選択も可能になりました」

 善政と一口に言っても難しい。民衆のためになることは基本的に金がかかる。その金を集めるためには税金を徴収しなければならないのだが、それが民衆の納得がいかなければそれだけで善政とは言えなくなってしまう。例え税金で集めたお金をどれだけ民衆に還元しても、だ。民衆を納得させる能力も政治力の一つであり、この地域を治めている貴族はその政治手腕に長けているのだろう。

「いろんな意味で革命的な方ですからね。ここ十年の変貌ぶりは誰がどう見ても異論は無いでしょう」

「へぇ、すごい人もいるんだね」

 路地から人が行き交う活気溢れる都市部を見ていると、元の世界の人混みを思い出す。活気溢れる地域は確かに人が多くて通り抜けるのも困難だ。しかし活気のない地域は人もまばらで静かだ。しかし生気が感じられないということはなく、どちらかというと落ち着いている。

 リザの言う通りならこの十年で色々と様変わりしたということなのだろう。どんな人物か見てみたい。こちらの世界にこれからもいるのであれば、その機会はあるだろう。

「リザはこの土地の貴族も嫌いなのか?」

「……そう、ですね」

 明確な返答は得られなかった。彼女がどう思っているのかわからないが、複雑な思いもあるようだ。彼女にも過去はあるだろうし、一口に好き嫌いと断言できないのもうなずける。

「さて、これから俺達はどうすればいいんだ?」

「目的によりますね」

 目が覚めた時、状況がわからなかった。なんとか家に帰ろうと人里を探していて、行き先は街になっただけだ。全く違う世界に着ているというこの状況では帰る家があるとは思えない。なんとかして生きていくしかない。

「ここにも教会があるのか?」

「はい。ですがこの近辺の支部を統括する教会組織の支部としての役割が強いので、数多くの宗教宗派の方々が詰めていると思います」

「そこで寝床を借りることはできるのか?」

「一泊程度なら可能です。長らく借りるとなると、教会組織に所属している必要がありますし、所属しないで借りるとなると宿代が必要になります」

 教会組織に名を連ねる人なら無償で部屋を借りられる。しかしそうでない場合、当然部屋を借りる対価を求められる。

「そうなると泊まれて一泊か」

 二泊目からは別の宿を探さなければならない。金もないし、伝手もない。元の世界に戻る前に行き着く先はホームレス。そうなってしまう可能性も大きい。

 金を手に入れるとしてもどのように仕事を得ればいいのかもわからない。そしてその仕事がモンスター退治で命がけともなると、今の俺では手に負えないだろう。

「神を信じれば、救われますよ」

「そうだな。ひとまず宿は手に入りそうだもんな」

 リザは時折このような勧誘攻撃を仕掛けてくる。現代日本で生まれ育った身としては、一つの宗教に身を捧げることになかなか頷けない。俺の常識では宗教は何を信じてもいいという信仰の自由がある。それはおそらく世界的にも珍しいことだろう。そしてその珍しいことをこの魔法の世界でも求めるというのは、おそらく無理な相談だろう。

「リザはここを案内できるのか?」

「多少はできます」

「じゃあちょっと見て回りたいんだけどいいか?」

「はい。ではわかる範囲で、案内しますね」

 リザを先頭にカノン。そしてカノンが勝手にどこかへ行かないように、俺が最後尾で着いていく。

「もう少し向こうへ行ってみましょう。飲食店もありますし、武具を取り扱っているお店もあります。さすがにその武器では心許ないと思います」

 教会では服はもらえたが、さすがに武具までは分けてもらえなかった。身内以外に武具を分け与えるのは非常時の時だけ、らしい。

「わかった。でも金はないぞ」

「多少なら教会からお貸しできます。利子が付かない上限額もあります。もし必要なら私が付き添います」

 金の問題は難しい。そし今を乗り越えても、絶対に今後もつきまとう。一時しのぎであれば教会を選択する方法があることがわかったのはいい。しかし定期的に安定した収入となると、この世界ではどうすればいいのだろうか。

「モンスター退治などの仕事は危ないですが給金はいいですよ」

「おぉっ! モンスター退治!」

 カノンがその仕事をすると言いそうになったところで口を押さえる。モンスター退治など今の俺達にできるはずがない。

「それはお前が戦えるようになってからにしてくれ」

 何かがあればジョブが決まっていないとか、自分は後衛だからと戦いからは逃げるのだ。それではモンスター退治をするのは俺だけになってしまう。残念ながら俺に未知のモンスター狩りを丸投げされるのはごめんだ。

 リザに先導して貰い、俺達は再び人混みをかき分けるように進んでいく。ちょくちょく人とぶつかるが、これだけ多くの人でごった返しているのだ。誰もぶつかったことはさして気にもとめはしない。肩が当たるくらいならなんともないという感覚なのだろう。

 人混みをかき分けて少し人口密度が低い道に出た。先ほどの通りよりも道幅が広く、大通りに出たような感覚だ。

「ここは有事の際には軍隊が通ったりする道になります」

「ああ、だから広いのか」

 道が広いため人が多くてもすり抜ける隙間は多く広い。カノンはいろんなものに興味を持ってふらふらとどこか行方不明になりそうだ。大人しくリザの後ろを着いていって紅のでしかたなく手を引く。放っておけば間違いなくはぐれてしまう。スマホがないためはぐれてしまうとやりとりできない。この状態ではぐれてしまうとこの人の多さでは見つけるのは難しいだろう。強制連行のように、俺はカノンの手を掴んでいた。

「ねぇ、コウ。あっちで人だかりができてるよ」

 広い道。進行方向で人だかりができている。活気溢れる都市のため人が集まっているのはおかしなことではない。しかし雰囲気が活気からはかけ離れていた。

「リザ。あそこで何かあるの?」

「おそらくですが、傍若無人な貴族が好き勝手しているのでしょう」

 リザの雰囲気が少し重く、人だかりの方を見ようとしない。

「善政の手本って言われる都市じゃないのか?」

「それはあくまでローシュバイン家とその傘下にいる貴族限定の話です。ローシュバイン家以外の四大貴族の派閥に属する貴族達は相変わらずです」

「それでいいの?」

「もう少し経てば騒ぎを聞きつけたローシュバイン領の兵士達が駆けつけるでしょう。兵士達が来たら自然と止めます」

 この地を治める貴族に従う兵士達なら止められる。兵士達に抗うと言うことは四大貴族の一つに牙をことにも等しいからだ。だが一般の民衆では貴族の傍若無人な振る舞いは止められない。だからリザはこの場は早く兵士達が来てくれるのを願うしかできない。

「このまま黙って見過ごせってことか」

 良心が訴える。このままで良いのか、と。これが俺達の世界であれば飛び出していってもいいだろう。これだけ目撃者が多ければ誰かが動画くらい撮っている。それがネットで流れれば証拠隠滅もできない。正義が勝てるのだ。

 しかしこの世界の常識ではそれは通用しない。貴族という地位の人間が絶対的な権力を保有しているというのなら、その権力に抗うことなどできしない。白も黒だと言えば黒になる。そう言う権力構造だった場合、黙って嵐が過ぎ去るのを見ている以外の手立てはない。

 正義漢を前に出すか否か、どちらにしても俺はまだこの世界のことを知らなさすぎる。もう少しこの世界の知識や感覚というものが身につけば、この状況でも何かしらの手立てが見つかるかもしれない。無知は無力。今は黙っているしかできないのが、つらい。

「いい気はしないけど、悪いがここは無視して……あれ?」

 素通りする。今はそれが一番良い。そう思ったとき、いつの間にか掴んでいたはずのカノンの手の感触がない。

「カノン?」

 周囲を見渡すがいない。そして間髪入れずに人だかりの中の騒ぎが大きくなった。この瞬間、もはや避けて通ることはできなくなったと俺は確信した。

「リザ、悪い。もしもの時は無関係ってことにしていいからな」

「え?」

 俺はリザの問いに答えず、急いで人をかき分ける。人だかりの中心部へと突き進み、騒ぎの全容が見えたとき、俺の心が「やっぱりか」と愚痴った。

「おい女! この僕が誰だか知ってやっているのか?」

「え? いや、知ってるわけないじゃん。なに? 有名人なの?」

「何だと! 大貴族である僕を知らない田舎者め! 覚悟はできているんだろうな!」

 きらびやかな衣装の背中にくっきりと足跡がついている小太りの青年。見た目と男の言動から貴族であることは間違いなさそうだ。周囲に武装した男達を十数人従えている。その貴族の男に向かって真っ向から向かい合っているのが、俺の幼馴染みだ。

 あいつは小さい頃から変わらない。ガキ大将が数人で一人をいじめている場面に出くわすと、それが上級生であってもあいつは突っかかっていく。大人数で一人を攻撃していると、少数派について抵抗する。もちろん俺はその行動を否定しない。勝算さえあればいくらでも行って良いと思うし、むしろ勝てるなら俺が行く。

 しかしあいつは勝算もなく勢いでガキ大将に突っかかっていくし、大人数相手に平気で啖呵を切る。最終的にケンカになると俺が代理で戦うことになるし、事後処理の大人達には俺があいつの代わりに怒られる。年上数人を相手取ってのケンカでボコボコにされたこともあるが、武道を習わされ始めてからはほとんど負けてはいない。それで多くの弱い者を救えたかもしれない。しかしいつも戦う方の身にもなってほしいものだ。

「こんな子供を蹴ってるから悪いんじゃない!」

 貴族の男はおそらく何かしらのことで怒り、子供を道中でもお構いなしに何度も蹴っていたようだ。それに耐えかねたカノンが飛び出して、貴族の男を子供の代わりに蹴ってやり返してやった。そんなところだろう。

「おい、お前達! この女は僕を侮辱した! 見せしめにやってしまえ!」

 貴族の男の周囲を固めていた兵士達がカノンとの距離を詰めてくる。このままではカノンの身が危ない。自分が飛び出していって何かが変わるかはわからない。しかし長年の習慣というものなのか、それともこれが俺の性格なのか、俺は躊躇うこと無く人だかりの中から飛び出した。

「おい、お前! いい加減にしろよ!」

 まずはカノンを一喝する。相手の怒りを静める必要があるため、経験則から相手に突っかかっていくよりカノンを叱りつける。

「どうして? 子供を蹴ったんだよ。何回もだよ」

 正直、俺の感覚で言えば貴族の男が全面的に悪い。しかしそれは俺達が生きてきた世界での常識に過ぎない。この世界でそれが必ずしも適応されるというわけではないのだ。

「それでもやり方っていうものがあるだろ!」

 カノンを叱りつけて相手の怒りが少しでも収まれば、と思ったがそうは上手くいかない。怒りに任せて権力を振りかざして子供を蹴るような奴だ。上手くいく可能性など高くはないが、その確率通りになった。

「貴様、その女の知り合いか? なら連帯責任で二人とも見せしめだ!」

 このままでは被害者が一人増えただけだ。身内を叱りつけて状況が好転しないなら多少の被害は避けられない。なら次は相手に向けて言葉でなんとかするしかない。これも経験則からくるものだ。

「そもそも、あんたはどうして子供を蹴っていたんだ?」

「どうして? そこの汚らしいガキが歩く僕の前を無礼にも横切ったからさ」

「それくらい大目に見てやれよ。貴族だろ? 懐の広いところを見せてやってくれよ」

 地位のある人間ということを認めて寛大な判断をして貰う。これで許して貰えれば良いのだが、この貴族はとことん度量が狭い。許す気などさらさらないようだ。

「無礼なガキに教育をしてやっただけだ。わざわざ僕が足を止めて時間を費やして教育してやったんだ。そのガキはむしろ僕に感謝すべきなんだよ」

 相手の寛大な心に訴えかける作戦は失敗。経験則で幾度か逃げ切れたこともあるが、逃げ切れなかったことも多々ある。俺の直感が、こうなるともう戦いは避けられないかもしれないと告げる。ならば幾度となく経験してきたケンカ戦術だ。

「偉そうに言うけどな。お前ってどうせ周りの奴らがいなかったらビクビクおびえて隠れているだけなんだろ?」

「なんだと?」

「周りの取り巻きがいなきゃ子供にすら何もできないんじゃないのかってことだよ」

 貴族の男の表情が変わる。今までは怒りにまかせはいるが、弱者をいたぶるのを楽しむ様子があった。しかし目の前の俺に対して明らかに怒りの表情を向けている。

「この僕が! 大貴族であるこの僕が、臆病者だと?」

 その瞬間、宝飾品がちりばめられた金色に輝く剣を引き抜いた。武器というより観賞用の芸術品のような剣だ。種類はロングソードより細いのでおそらくレイピアの部類に入るのではないだろうか。

「お前達、手は出すな。こいつは僕が直々に制裁を加えてやる!」

 取り巻きの兵士達は互いの顔を見合い、少しの間を置いて一歩から二歩、後退した。

 ひとまずケンカ戦術の大将との一騎打ちの構図は完成した。大勢を一緒に相手にするのは難しいが、相手がいかに強くても一対一なら多勢に無勢よりも勝ち目はある。

「剣を抜けよ。それともそのまま僕に突き殺されたいのかい?」

 負けるとは微塵も思っていない貴族の男。その余裕の笑みをぶん殴ってやりたくて、俺はほとんど使い物にならない剣に手をかける。

「カノン、下がってろ」

「う、うん」

 カノンは子供を連れて距離を取る。これで完全に一対一で邪魔は何も入らない。それを確認して俺は剣を引き抜かず、鞘に刃を収めたまま手に持って構えた。

「抜かない? 僕を舐めているのか?」

「舐めるも何も、剣を抜いたらお前が死んでしまうかもしれないだろ? 人殺しは趣味じゃないんだ」

 貴族の男はこれを挑発だと受け取ったかもしれない。だが本心は、人を殺してしまう可能性を少しでも下げたかった、それだけだ。教会での一件で、俺は生まれて初めて人の死というものを身近に感じた。そして自分が死ぬかもしれないという思いも、生まれて初めて感じた。殺されるのはごめんだが、殺すのもごめんだ。

「ふ、ふふっ、ずいぶんと自己評価が高いようだが、自惚れるのもいい加減にしておかないと怪我じゃ済まないぞ」

 貴族の男はどうやら挑発として受け取ったが、挑発には乗らないという判断を下したようだ。

「それにその剣はなんだ? 錆びて手入れも行き届いていない。その構えは何だ? 動きにくいし剣も振りにくいだろう。そんな実力で僕と戦うとは……」

 貴族の男は大いに俺を見て笑う。確かに剣はお世辞にもいいものだとは言えないし、手入れが行き届いているとは言えない。しかし構えについては笑われる筋合いはない。

 これは剣道の中段の構えだ。剣道において基本中の基本であり、上段や下段等の他の構えにも素早く移行できる攻防両面に定評のあるバランスの良い構えだ。その構えを笑う。それはつまり、この世界かもしくはこの貴族の男には剣道の戦い方の知識は無いと考えて良いわけだ。相手の知らない戦術で戦える。それは強みとみて間違いない。

 自信満々のようにも見える。なら相手は間違いなく油断している。俺のことをただの威勢の良いだけの男だと思っているはずだ。なら戦いは短ければ短いほど良い。相手に考え直す暇も与えることなく勝敗を決するのが一番だ。

 そもそも剣道の元となった日本の剣術は、一刀のもとに相手を切り伏せることに特化した短期決戦型が基本。竹刀が誕生する以前を知識でしか知らないが、その通りにするのが今は最善だ。

「自分の愚かさを恨め!」

 貴族の男は一歩踏み込み、黄金の刃をまっすぐ俺に向かって突き出してくる。その速度は速い。一本の線が高速で自分に向かってきている。瞬く間に俺を突き殺そうと狙ってきているが、その突きは俺には当たらない。

 剣道の上位有段者レベルの突きに比べれば踏み込みも甘ければ速度も微妙。それに過去に一度だけだが、たまたまフェンシングが得意な奴と好奇心から異種剣技対決をしたことがある。その時の速さに比べればこいつは数段落ちる。

 問題は恐怖心だった。しかしそれも教会の一軒で目にしたリザの殺気に比べれば、こいつは戯れで人を殺そうとしているため圧力が弱い。リザを見た恐怖と自分が重傷を負った恐怖。その経験がこんなに早く役立つとは思わなかった。

 この経験おかげではっきりと俺はわかった。こいつは、雑魚だ。その判断が俺の身体から重りを取り除き、軽々と動けるようにしてくれる。恐怖という重りを取り除けた。

 貴族の男の突きを瞬時に足さばきで左に避け、同時に剣を振り上げる。そして力一杯、突きが空を切ったレイピアに、俺の錆びた剣を鞘ごと叩きつけた。

「あっ!」

 甲高い金属音と同時に地面に黄金の剣が叩き落とされる。それも剣の刀身が歪むという面白いおまけ付きだ。

 そして間髪入れずに貴族の男の胸ぐらを左手で掴む。手触りの良い生地の服を着ていることにも少々苛立った。思った以上に力がこもり、剣を持った右手でそのまま貴族の男の顔面を殴りつけた。

 苦悶の声を漏らしながら地面に尻餅をついた貴族の男。俺は見下ろしながら、その眼前に鞘の切っ先を突きつける。これで勝負あり、だ。

「こ、この僕が、負けた?」

 現実を受け入れられないのか、錆びたロングソードの鞘の切っ先をただ呆然と見つめる貴族の男。俺が一方的に勝負ありだと判断しただけではなく、相手も敗北をしっかりと認識している。なら。ここでケンカは終わりだ。

 地面に叩き落とされた歪んだレイピア。それを貴族の男の足元へ、足で転がしてやる。錆びた剣を腰元に戻して、ひとまずの勝利に一息つく。

「パパに買って貰った僕の剣が! 剣がぁぁぁーーーっっっ!!!」

 歪んだレイピアを手に叫ぶ貴族の男の姿を背に、俺はカノンと子供の方へ。

「大丈夫か?」

「まぁね」

「お前じゃなくて子供が、だよ」

「あれ? 私じゃないの?」

「お前はいつも口だけだろ」

 いつも通りのやりとりがこんなに心安らぐとは思わなかった。日常に帰ってきた、そんな気がする。

「私が癒やしてあげますね」

 リザも人だかりから出てきて子供に治癒魔法を施す。魔力を普通に持っている子供は、俺の時よりもはるかに早く治療を終える。

「出てきて良いのか?」

「関係の有無にかかわらず、傷ついた人を癒やすのも務めです」

 ただ人だかりから出てきて治癒魔法を使うだけなら、俺達との関係性の有無にかかわらず罰せられることはないだろう。

 なんとなく万々歳。なんとなく円満解決。そんな空気が流れ始めたとき、それに納得しない貴族の男が実に悪役らしい行動に出る。

「お、お前達! 僕に恥をかかせたこの男を殺せ! 女も殺せ!」

 歪んだ剣を手に立ち上がった貴族の男。奴はもう自力で戦うつもりは微塵もなかった。取り巻きの兵士達を使っての暴力で、最終的な勝利を得ようとしている。

「うわぁっ、悪役の典型的なパターンだね」

 漫画やアニメでもよくある演出の一つ。傲慢な権力者が一対一で敗れた場合、部下を使って主人公達を殺そうとする定番だ。

「今だけは完全に同意する」

 悪役の典型的パターンはさすがに不利だ。傲慢さの欠片もない、戦うことに特化して鍛えてきた兵士達。貴族の男との戦いから油断もないだろう。そんな奴らを十人以上同時に相手にして勝つのは不可能だ。

「ここは逃げたいところなんだけどな」

 周囲の人だかりはこの後どうなるのか、固唾をのんで見守っている。それが壁となって逃げる邪魔をしているのだ。それにこの人だかりの壁を越えられたとしても、このまますんなりと逃げさせてくれるとは思えない。今日始めてきたこの都市の土地勘は向こうの方があるはずだ。戦うだけでなく、逃げるのも不利なのだ。

 じりじりと距離を詰めてくる取り巻きの兵士達。じっくり包囲網を形成しながら距離を詰めてくる。油断はなく、確実に俺を仕留めにきているのがわかる。距離にして数メートル。このまま戦う以外の選択肢はないのか、そう思っていたまさにその時。上空を一瞬、何かが高速で通過した。

「え? なに?」

 カノンが上空を見上げる。見えたのは影だけだったが、それは旋回して人だかりの真上に来ると、そのまま飛び降りるようにまっすぐ地面に着地した。

「そこまでです! ローシュバイン領でこれ以上の私闘は許しません!」

 上空から突如現れたのは一人の女。ウェーブがかかった長い金髪と魔法使いらしい黒い衣服。そして上空から現れた理由を説明するかのように、彼女の手には一本の箒。箒の存在に気づいたカノンが少し羨ましそうしていたが、今はそれどころではない。彼女が敵なのか味方なのか、今は状況の推移を見守る。

「む、むぅ……」

 突如現れた金髪の女。その女を見た瞬間、貴族の男も取り巻きの兵士達も、戦意をそぎ落とされたかのように沈黙した。

「何か言いたいことがあれば私が聞きます」

「そ、そいつはこの僕に暴力を振るった! 見逃すわけにはいかない!」

 貴族の男は分が悪いと思っているのだろう。しかしこのまま自分に手を挙げた奴に何もしないままというのも納得できないのだろう。

「そいつは貴族を侮辱した! だから僕が躾をしてやらないといけないんだよ!」

「うるせぇ! お前は子供が目障りだからって何度も蹴っただろ!」

「お、お前、それは……」

 俺の一言を聞いて女が貴族の男を睨み付ける。その視線に貴族の男は一歩下がり、ばつの悪そうな表情を見せている。

「なるほど、では問いましょう」

 金髪の女の視線は貴族の男でもなく、取り巻きの兵士達でもなく、俺達でもなく、野次馬となっていた民衆へと向けられる。

「皆様の見たままをお聞きします! ここで子供が蹴られたというのは事実でしょうか?」

 金髪の女の問いかけ。それに民衆は間髪入れずに答えた。

「本当だ! そこの貴族野郎、子供を蹴ってやがった!」

「そこの兄ちゃんは悪くねぇぞ!」

「自分の悪行を隠すな! 貴族のくせに卑怯だぞ!」

 野次馬達が一斉に貴族の男を罵倒し始める。それを聞いて金髪の女は、ジェスチャーで野次馬達に静かにするよう促す。

「反論はございますか?」

「う、うぐぐ……」

 貴族の男にもはや勝ち目はない。金髪の女は完全に俺達側の人間。周囲の野次馬達も俺達を正義とみている。そして貴族の男は金髪の女を恐れている。貴族の男の不利はもう覆らない。

「おい! 道を空けろ! ルワーリオ様のお通りだ」

 騒ぎも収まりかけていたとき、声を聞いた野次馬が慌てて道を空ける。そしてそこから兵士の一団がやってくる。その兵士は先ほどの貴族の取り巻きとなっていた兵士とは段違いだ。きちんと統率が取れた行列、装飾が施された甲冑、そしてそれらの中央に馬に乗った一人の青年。その青年は貴族の男など相手にならないほど、きらびやかで着飾っている。明らかに貴族の男とは格が違う。

「ん? 貴様、ソムニルか? こんなところで何をしている?」

 馬に乗った青年は貴族の男を知っているようだ。

「ねぇ、誰?」

 誰かわからずカノンが側にいたリザに聞く。俺も誰が誰だかわからず、その会話に耳を傾けていた。

「子供を蹴っていたのが大貴族のソムニル・ハーフェランク殿です。階級は四大貴族の下ですが、高位です。大貴族、中貴族、小貴族とあるなかの、大貴族です」

「へぇ、そりゃ偉そうだね」

「そして空から降りてきた箒を持った方ですが、彼女はリリアル・ローシュバイン殿。このローシュバイン領を収めている領主の娘です」

「おぉ、なるほど。それは発言力あるよね」

「そして最後に一団を率いて現れたのがルワーリオ・オルガネリオス様。彼はこの国の第一王子で、次期王位継承者として英才教育を受けています。三人とも、私たちと年はそう変わりません」

「あれ? 偉いと思っていたあの貴族って実はそんなに偉くない?」

 後から出てきた二人が上の階級だと言うだけで、貴族の男のソムニルが偉くないわけじゃない。だが民衆を格下とみる彼にとって、格上の金髪の女リリアルと馬に乗った青年のルワーリオが出てくれば、萎縮してしまうのは当然だ。

「ルワーリオ様。大変お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません」

 先ほどまで髪のごとく振る舞っていたソムニルが、今ではペコペコと頭を下げている。先ほどとはまるで別人だ。

「ソムニル。その剣はなんだ?」

 ルワーリオ王子は歪んだ黄金の剣に目がとまった。その言葉を受けてソムニルは即座に剣を隠すが、すでに見つかってしまったものは取り消しようがない。

「何だと聞いているのだ。答えよ」

「い、いえ、これは……その……」

 言葉に詰まるソムニル。しばらく重苦しい空気が流れるが、俺の知る限り一番空気の読めない奴が口を挟んだ。

「パパに買って貰った剣だって言ってたじゃん」

 ヤジを飛ばすように、カノンが口を挟んだ。リザが慌ててカノンの口を遮るが、こちらもすでに遅い。

「ソムニル。貴様には余が以前、飾り物ではなく真の剣を持てと言ったはずだが?」

「そ、それは……」

「余の言を無視したか」

「い、いえ! そのようなことは……」

 否定しようにも、観賞用の芸術品のような剣を持っていては説得力がない。ソムニルは完全に王子からの信頼を失ったに等しい。

 ルワーリオは馬を操り、ゆっくりとソムニルに近づいていく。

「ほう、ではその剣は何だ?」

「こ、これは……」

「親に買って貰ったか?」

「は、はい」

「そうか。しかしそれでは余の言はどうでも良かった、そういうことでよいのだな?」

「そ、そのようなつもりは……」

 はっきりと言えないソムニル。するとしびれを切らしたのか、ルワーリオがソムニルの手から黄金の剣をひったくった。そしてそれを地面に落とす。

「あっ!」

 ルワーリオはすかさず馬の手綱を巧みに操り、馬に黄金の剣を踏みつけさせた。黄金の剣は馬の踏みつけに耐えきれず、いとも簡単に折れてしまった。

「あ、あぁっ! け、剣が……」

「ふん、なまくらが」

 馬に踏みつけられたらほとんどの剣は折れるのではないか。そう思ったがこの場は黙っていた。

「貴様、貴族に盾突いたようだな」

 王子の視線が俺に向けられる。敵意などは感じられないが、油断はできない。

「正しいと思ったことをしたまでです」

「ふっ、正しい、か。なるほど」

 ルワーリオは馬上からこちらを観察するように見ている。

「貴様、名は?」

「名乗るほどではないと思います」

「聞かれたことに答えれば良いものを。ならば呼ぶときはなんと呼べば良い?」

「では、コウと」

「コウ、か。覚えておこう」

 王子は少しだけ笑った。そしてその視線が領主の娘のリリアルに向く。彼女はいつの間にか箒に乗って浮いていた。

「リリアルの奴、急かしおるわ。まぁいい。コウ、また会うことがあれば余が遊び相手をしてやる。だから余計なことはせぬ方が利口だぞ」

 ルワーリオはそう言うと馬を操り、目的の方向へと向かう。振り返る様子もなく、精鋭と思われる兵士の行列を引き連れて行く。

「どういうことだ?」

 ルワーリオの言った言葉の意味が全くわからなかった。遊び相手をしてやるとはどういう意味があるのだろうか。

「貴族には下手に手を出すな、と言うことです」

 箒に乗った金髪の女、リリアル。彼女がルワーリオの言葉の意味を教えてくれた。

「ここがローシュバイン領で良かったです。他の四大貴族の領地であれば、間違いなく処刑でしたから」

「処刑、か。気をつけることにします」

「それと、ルワーリオの言う遊び相手というのはあまり重く考えなくて良いですよ」

「ん? それはどういうことですか?」

「あちらに釘を刺しただけです」

 リリアルが一瞬目配せをする。その方向にいたのはソムニル。つまり王子が目をかけた人間を襲うことは王子に対する反抗とみなされる。王子が気に入ったと言った。それだけで俺の身の安全はひとまず確保されたことになる。

「それはありがたいですね」

 安堵の息が漏れる。一時はどうなるかと思ったが、ひとまず難は逃れたようだ。

「あまり褒められた行動ではありませんが、私は敬意を表します」

 リリアルが笑みを見せる。その笑顔で野次馬の一部が少し高揚した。

「私のお母様に似ています」

 リリアルはそう言うと箒を操り、ルワーリオの後を追いかけるように飛んでいく。

「母親に似ている?」

 最後の言葉がまたよくわからなかった。

「いいなー。箒に乗って、空を自由に飛びたいなぁ!」

 箒に乗って去っていったリリアル。その後ろ姿を羨望の眼差しでカノンが見つめている。こいつにとっての理想が彼女なのかもしれない。

「どうなることかと冷や冷やしましたよ」

 貴族に盾突いたのだ。リザも最悪処刑までを想像していたかもしれない。

「まぁ、何事もなくて良かったってことで」

 剣を馬で踏み折られたソムニルは絶望しながら、取り巻きの兵士達に連れられてこの場を去って行く。その足取りは重く、後ろ姿だけを見ると少し同情しそうになる。

「おう、兄ちゃんに姉ちゃん! よくやったじゃねぇか!」

「いや、まさかお貴族様に向かっていくとは思わなかったぜ!」

 王侯貴族が全て去ったのを見計らったかのように、野次馬達がいきなり俺達の周りを取り囲む。

「いや、二十年ほど前を思い出すな」

「まったくだ。あの時に似ている」

 年配の方々が口々に昔話を始める。そういえばさっき、リリアルも母親に似ていると言っていた。それと何か関係があるのだろうか。

「おう、兄ちゃん! 俺はスカッとしたぜ! 姉ちゃんもだ! 飯をおごってやるよ!」

「え? ほんと? やった!」

 誰かもわからない野次馬。気のよさそうなオヤジのおごるという言葉にカノンが過敏に反応した。

「おい、じゃあ俺にもおごらせろよ!」

「いや、おごるのは俺だ!」

 野次馬がなぜかおごらせろと言い争っている。争うようなことなのかと困惑しながら様子を見ていると、服の裾を引っ張られた。

「ん?」

 そこには服の汚れた子供がいた。怪我は治療済みなのでなさそうだが、服の汚れがどんな目に遭ったかを物語っていた。

「お兄ちゃん、ありがとう」

 いじめっ子から年下のいじめられっ子を救ったときのことを思い出した。あの時もこんな感じでお礼を言われた。むず痒いような恥ずかしいような、しかし心地よくて誇らしい気分。最初は無視を考えていたが、カノンのせいでこうなってしまった。正直生きた心地はしなかったが、この選択は間違いじゃなかった。

「おう、次からは気をつけるんだぞ」

「うん!」

 子供の頭を撫でてやる。子供の笑顔がまぶしい。

「さて、おごるかどうかって話は決着がついたのか?」

 野次馬の方を見ると、そこではまた別次元の騒ぎが起こっていた。

「カノンちゃんにおごりたい人は挙手してー!」

 カノンのかけ声に多くの人が「おーっ!」とかけ声とともに手を挙げた。

「いいね! じゃあ何をおごってくれるか……」

「って、お前は何やってんだよ」

「え? だっておごってくれるんだよ? 食べたいものを食べなきゃ損じゃん!」

 おごってくれるという野次馬達の善意や感謝の気持ちの表れ。それを自らの欲求の成就に結びつけたようだ。

「善意を善意として受け取れ!」

 結果的にこうなったとはいえ、カノンの無鉄砲な行動のせいで窮地でもあった。それなのにカノンはもう危なかったことなど忘れ去り、自分を英雄のように賞賛する人々の声に応えている。

 食事をおごってもらえるようになるまでもうしばらくもめ続ける。それに後で文句を言うカノンだが、こいつが煽ったおかげでもめる時間帯が長引いてしまったことに、当人は全く気がついていなかった。

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