第12話

☆三南航星


 時間が経って食い過ぎた腹もだいぶこなれた。以前聞いた話では、リンゴは消化を助ける効果もあるらしい。不味い料理の口直しも考えたら一石二鳥だ。カノンがそれを知っていたとは思えないが、偶然にしてはリンゴという選択は悪くなかったのかもしれない。

「次はもっと美味しいもの食べたいよね」

「お前は自業自得で、俺はとばっちりだ」

 なぜこうなったのか、自分がいったい何をしでかしたのか、そのことがまるでわかっていない。

「あ、そうです。お二人とも、服はそのままでいいのですか?」

 そろそろ教会を去ろうとしていた。その俺達に修道女の問い。聞かれて自分たちの格好を見た。さすがにこのままなのはやはり変だろう。俺は青でカノンはピンク。それぞれ寝るときに身につけている寝間着で、即席の履物は似合っていないし機能性も悪い。さらに寝間着は埃だらけの廃屋を歩き回ったおかげで所々汚れている。

「やっぱり寝間着じゃ変かな?」

「変だろ。着替えがないからしかたないけどな」

 目覚めたらこの世界にいた。だから着替えなどない。寝間着のまま、今までうろうろしていたのだ。ここが現実の世界ではないとなっても、やはりこの格好は不自然だということだろう。

「教会には使い古したものや使わなくなった服なども寄付されます。サイズがあるものがあれば着ていってくださってかまいませんよ」

 どこへ行くにしてもこのまま寝間着というのは確かに都合が悪い。費用もかからず着替えを提供してくれる。右も左もわからない状態でたどり着けたのが教会で良かった。つくづくそう思う。

「じゃあ、お願いします」

「はい。しばらくお待ちください」

 修道女はまるで服屋の店員のように、サイズの合いそうな服を両手に抱えて持ってきた。

「どうぞ。お好きなものを選んでください」

 寝間着から外出着へ。防御力が上がるわけでも、素早さが増すわけでもない。見た目に問題がある。だから着替えるのだが、カノンの方は着替えを楽しんでいた。

「うーん、これは防御力が下がって素早さが上がる奴かな」

 着た服を片っ端からゲーム基準で批評していく。そして何度も着替えを繰り返して、ようやく着替えが終わる。軽装で動きやすいものを選んだが、カノンから見ればゲーム序盤で手に入る旅人の服とでもいうのだろうか。

「はーい! カノンちゃんのメイクアップ完了!」

 鏡の前でポーズを取る。カノン基準でカッコいい、すごい、可愛い、そういったポーズを次から次へと矢継ぎ早に出していく。修道女はもうカノンに必要以上に何かを言うと面倒だと察したのか、表情はやや強張りながらも無言で時が過ぎていくのを待っていた。

「どう? 主人公っぽくない?」

 カノンが俺に向かってポーズを決める。

「どうでもいいけど早くしてくれ」

「どうでもよくないよ! 主人公かどうかは重要なんだよ!」

 人生はみんな自分自身が主人公だと、どこかで聞いたことがあった。だがおそらく、こいつの求めている主人公はそういうものではない。万人が認める英雄であったり、偉業を成し遂げた歴史に名を残す偉人になる人であったり、そういう存在を主人公だと言っているのだろう。そして自分もそうだと妄信している。いや、こういう状況こそがそうなる運命の始まりだと決めつけているのだ。

「俺はそんなことよりこれからどうするかの方が重要だよ」

 衣食住の全てが不確かな世界にいるのだ。先のことより今日や明日のことの方が重大事項だ。そして元の世界に戻れるかどうか、それも重要なことだ。

「これから? そんなの魔王を倒す。それだけだよ」

 俺の考えを愚かな考えだと断定するかのように、カノンは自信満々で言い切った。今日の寝床さえ不確かな俺達にそんな偉業への道が開かれているはずがない。

 修道女はまるで存在しないかのように、自らの気配を消していた。

「まずは魔法が使えるようにならないとね。うーん、学校に行けばいいのかな? でも勉強苦手だし、どうすればいいのかな?」

 カノンの言う「どうすればいい」は、手段や方法を模索していて出てきた言葉ではない。自分はいかに労力を少なく、楽に大きな成果を得られる面白いやり方はないか、と周りの人間に自分の求める解決策を探させようとして出た言葉だ。

「それでしたら、学院がよろしいのでは?」

 そしてカノンの「どうすればいい」に騙される心優しき真面目な修道女。カノンが結果を求めて努力できる場所を探していると思ったのかもしれない。

「やっぱりそういうところがあるんだね。行ってみたいな」

 楽に魔法が使えるようになりたい。カノンの心の声が俺には手に取るようにわかる。

「学院へ行くのでしたらやはり首都ですね。行き先は教会を出て左へ、そのまま道をまっすぐに進むと首都の大きな城郭都市に着きます」

 努力して何かを成し遂げようという思いがあるのなら力を貸してあげたい。修道女の心の声はなんとなくそうなのだと俺は感じ取った。

「コウ! 城郭都市だって」

「ああ、聞いた」

 城郭都市と聞けばまさに漫画やゲームの世界を思わせる。歴史的にそういった都市は存在したが、現在はもう観光地以上の役割はほとんどない。機能している城郭都市を見に行くことができる。それだけで俺も観光客気分が少し出てきた。

「よーし! 善は急げだーっ!」

 カノンが部屋を飛び出して、教会の出口へと一直線に向かう。何が「善」なのかは気にするだけ無駄だろう。

「お世話になりました」

「いえいえ、これも教会の務めですから」

 宗教の信者という存在には正直あまりいいイメージはなかった。だが今回の件でそのイメージは大きく覆った。もちろん全ての宗教を受け入れるというわけではないが、宗教信者と言うだけで距離を置くというのは間違いなのかもしれない。宗教というものが根底にあるからこそ、人に優しくできる人もいるのだ。

「コウ! 早くー! 行こうよー!」

 世話になった人への挨拶もなく、自分の持った次の興味へただまっすぐ突き進む。もう少し社会性を身につけてほしいものだ。

「呼ばれていますね」

「まぁ、あいつはいつもこうなんで、すみません」

「いえ、お気になさらないでください」

 俺はカノンの後を追って教会の出入り口へ。修道女も見送りのためか、来てくれた。

「あ、そうだ。ねぇねぇ、おっぱいシスターさん」

「は、はい?」

 なんとも失礼極まりない呼び名だ。修道女もそんな呼ばれ方をしたことはないのだろう。戸惑っているのがよくわかる。

「おっぱいさんのお名前聞いてなかったね」

「そっちを略すな、逆を略せ」

 名前を聞いていなかったからあだ名で呼ぶのはまだわかる。しかしよりによってその呼び方はないだろう。しかも二回目の略し方には多大に問題ありだ。

「あぁっ! これは申し遅れました。私、この第三十七番地教会のシスターを務めさせていただいております、リザと申します」

 修道女改めリザ。自己紹介無しに飯を要求したり、宗教を説いてきたりしていたからだろう。遅れながらの自己紹介となった。

「私、カノンちゃん。こっちはコウね」

「あ、はい。よろしくお願いします」

「うん、よろしく。じゃあ、行こうか」

「……はい?」

 いきなりの展開にリザは全く会話について行けていない、と言うか今回は俺もついて行けていない。

「リザはもうパーティの一員だからね」

 そう言いながらウインク、そしていい笑顔。了承も同意もなく、リザはカノンの仲間になるイベントが済んだ扱いになっていた。

「コウが前衛でカノンちゃんが中衛でリザが後衛かな」

「それじゃあお前が真ん中で守られているだけだろ」

「だってカノンちゃん、まだジョブ決まってないもん」

 堂々とゲームの設定レベルのことを平気で言っている。リザは当然理解も展開に着いていくこともできず、苦笑いをしながら俺に助け船を求める視線を送ってくる。

「カノン、お前の都合だけでものを考えるなよ」

「えー、でもパーティに一人は回復役が欲しいじゃん」

 紹介のシスターは回復役で、自分たちは回復をすることができないから欲しい。だ他それだけの理由でリザはもう仲間になることが決定したらしい。

「だから、そう言う身勝手な理由はダメだって言ってんだよ。相手の都合も考えろ」

「えー、でも今を逃すと次に回復役がいつ仲間になるかわからないよ?」

 リザの都合も考えずにカノンはなんとしてもリザを仲間にしようとしている。このバカをどうやって納得させればいいのか、それを考えているときだった。俺達以外に、新たに教会へ訪ねてくる人がいた。

「おう、姉ちゃん。食料と金、用意してくれるか?」

 教会内にずらずらと五人。見るからに柄の悪そうな男達が入ってきた。

「うぉ、コウ! 見てよ。典型的なならず者だよ。モブキャラの雑魚キャラだよ」

「お前は少し黙ってろ」

 だがカノンの言ったことは何も間違っていない。教会に入ってくるなり食料と金の要求など普通ではない。

「申し訳ありません。食料は今、神父様が仕入れに行っています。あまり遅くはならないと思うのですが、お配りできるほどの備蓄がございませんのでもうしばらくお待ちください」

 まるで客を相手にする店員のように、リザは平静状態で答える。少し対応を間違ったら襲いかかって来そうな奴らを相手に、ここまで落ち着いた対応ができることに驚く。

「じゃあ金だ。金を出せ」

「申し訳ございません。信者皆様からいただいた寄付やお布施はお渡しすることができません。例外としてお渡しすることは可能ですが、それも神父様のご判断がなければできません。神父様がお帰りになられるまでお待ちください」

 一貫して神父の帰りを待てというリザ。その対応に男達は応じるはずもなく、教会内に置いてあるものを急に蹴り倒した。燭台や像の乗った台座が地面とぶつかる。教会内にけたたましい音が響いた。

「俺達は出せって言ってんだ。姉ちゃんはそれに従って出せばいい。そうすりゃ姉ちゃんも痛い目に遭わずに済んで、俺達も早く帰れる。どうだ?」

 どう考えても悪者達の理論。納得できるはずなどない。しかし男達はそれで納得しろと言っている。

「そんな自分勝手認められるわけないのにね。バカみたい」

 お前だけは自分勝手って言うなよ。そう言いたい気持ちを抑えつつ、カノンがこれ以上余計なことを言わないように口を押さえた。

「あ? なんだお前。邪魔してんじゃねぇぞ」

 男の一人がこちらに向かってくる。その様は不良が絡んでくる時と酷似している。

「落ち着いてください。神の家でこれ以上の暴挙は見逃せません」

 冷静な対応をするリザ。しかしその言葉には怒りが込められている。それでも冷静に対応するあたり、神職関係にいるという自覚と覚悟の重さを感じた。

「あ? 許さなきゃどうだってんだ?」

「この教会は怖い神父がいるって有名だけどよ、今はいないんだろ?」

「神父様は助けてくれないぜ」

 男達が笑っている。数的有利と警戒すべき相手がいないからだ。それが彼らの余裕に繋がっている。

「これ以上神を冒涜するというのであれば、神父様に代わって私がお相手させていただきます」

 リザのその言葉を受け、男達がリザの身体を一瞬なめ回すように見る。品定めをするかのようで、今の言葉を自分たちの都合のいいように解釈しているのは火を見るより明らか。

「おい、この姉ちゃん、俺達と遊びたいらしいぜ」

「そこまで頼まれたらしかたねぇな。忙しいけど相手してやってもいいぜ」

 ゲラゲラと下品な笑いが教会の中を反響する。

「カノン、ちょっと下がってろ」

「あ、うん。わかった。経験値はパーティメンバー全員でよろしくね」

「それは俺にはどうしようもない」

 珍しく聞き分けがいいと思ったが、カノンはやっぱりカノン。自分は荒事には一切参加せずに経験値だけ欲しいと言い始めた。現実的に考えてそれは無理だろう。そもそも何度も言っているが、経験をゲームのように数字で表すのは無理だ。

 てくてくと後方に下がるカノン。俺はそれを見てリザの方へ行こうと、彼女の方へ視線を向けた。その時を待っていたかのように、男達がリザとの距離を縮め始める。

 それに対してリザは修道服の中に手を入れると、鏡のように磨き上げられた一本の短剣を取り出した。その切っ先は一切のためらいなく、男達の方へ向けられている。

「おいおい、この姉ちゃんは短剣で俺達とやる気だぜ」

「神父無しで短剣だけで俺達とやろうってのか? なめられたもんだな!」

「神様なんかどれだけ祈っても何もしてくれねぇぜ」

 男達が一気に武装する。五人はそれぞれ長い剣を持っており、それを抜いて構えている。それを見て俺は体が固まった。

 不良のケンカに巻き込まれたことはある。一体多数で戦ったこともある。怪我をしたこともある。でも、命のやりとりの経験はない。目の前の五人の男とリザ。互いに刃物を持って向き合っている様子は普通ではなく、殺すことになる可能性をなんとも思っていないのが伝わってくる。

「当該する宗教宗派の聖域内で当該する宗教宗派への冒涜の一切禁じ、当該宗教宗派を最大限尊重する。これが教会の常識です。この常識を平気で破る者は教会、そして宗教組織への宣戦布告を意味する異端者です!」

 リザの雰囲気が先ほどまでとは全く違う。温和で優しいシスターはもうそこにはいない。敵を殺すことを一切躊躇しない、戦士と化した一人の女性だけがそこにいた。

「姉ちゃん、後悔しても遅いぜ!」

 五人のうちの一人がリザに斬りかかる。その動きはけっして速くはない。剣道の試合の踏み込みの方が早い。それに対してリザは素早く男の懐に潜り込み、短剣で男の腹部を容赦なく切り裂いた。

「うぎゃあぁっ!!」

 腹部を切り裂かれた男が叫び声を上げながら倒れ込む。その躊躇ない素早い動きを見て、他の四人の男達にも緊張が走る。

「ご安心ください。命を弄ぶことは許されていませんので、苦しませるようなことは致しません。全員切り伏せた後、素早くとどめを刺させていただきます。異端者への慈悲は、即死だけです」

 鳥肌が立つほど怖いことをさらりと言った。その言動に一切の違和感を持たず、それこそが正しい。リザは間違いなくそう思っている。

「こ、この女! ぶっ殺してやる!」

 今度は二人の男が同時に襲いかかる。それを数歩、下がって距離を調整。振られる剣を短剣で受け止め、そのまま一人の懐に飛び込む。短剣が二人目の鮮血を吸った。そして間髪入れずに三人目に襲いかかる。二人目の影から突然飛び出してきたリザに対応が遅れた三人目は、いとも簡単に短剣で斬られて倒れ込む。

「こ、この女!」

 残るは二人。その注目がリザに向いている。その隙を狙い、俺は一人の手に持っている剣を叩き落とす。鞘に収まったままの剣だが鈍器としては十分。こちらに意識が向いていないので簡単に、一人の男の武装を解除できた。

「て、テメェ! 誰だ!」

 武装を解除された一人が俺に向かって怒鳴る。その返答としてまず挨拶代わりに、顔面に拳をたたき込んでやった。

「まぁ、ただの通りすがりだ」

 顔面を殴られて仰向けに倒れる。鼻血が出ており、男は顔を押さえたままのたうち回っている。これで残りは一人、そう思ったときに腕に何か熱いものを感じた。

「コウ!」

 カノンの声ですぐに腕を確認する。すると俺の腕に質素な短剣が突き刺さっていた。

「へへっ! よそ見してんじゃねぇよ!」

 どうやら残りの一人の男が俺に向かって短剣を投げたようだ。頭や顔や首や胸に刺さらなかったのは幸いだが、それでも手術が必要なくらい深々と刃物が突き刺さっている。

 一瞬で全身から冷や汗が吹き出る。過去最大の大怪我を負った。それも目に見えてわかる刃物での怪我で、今まさに深々と刃物が突き刺さっている状態だ。恐怖という感情が全身を電流のように駆け抜けた。

「あなたもですよ」

 しかし次の瞬間、すでに最後の一人との距離を詰めていたリザが短剣で男を斬った。これで五人全員が戦闘不能。ひとまず危機は去ったと言っていい。

「大丈夫ですか?」

 リザが俺の元に駆け寄ってくる。鏡のように磨き上げられた短剣からは今もなお赤い血が滴り落ち、彼女の純白の修道服は返り血で赤い模様ができている。だがそれは気にならない。彼女が今一番気にかけてくれているのは、短剣が刺さった俺の腕だ。

「大丈夫……じゃ、ないな」

 短剣が深々と刺さってくれているおかげで出血はそれほど多くはない。しかし短剣を引き抜けば血が吹き出るだろう。

「すぐに治します」

「は?」

 治す。リザはそう言った。そして俺がその言葉の意味を理解する前に、深々と突き刺さった短剣を一気に引き抜いた。

「うぉっ!」

 不思議と引き抜かれるときは痛くなかった。刺さった通りに綺麗に引き抜いてくれたからだろう。しかし安心はしていられない。腕から赤い血がドクドクと流れ落ちる。

 その出血箇所をリザの両手が覆う。そして彼女は何かを呟きながら、念じながら、しばらく時間が経つ。

「あ、あれ?」

 しかし血が止まる気配は見られない。

「血が止まりません」

 そりゃそうだろ、と言いたい気持ちを抑える。今は押し問答をしている場合ではない。なんとか腕の付け根と幹部を縛って止血するのが先決だ。

「コウ! リザ!」

 その時、カノンが叫んだ。俺の目にもその叫んだ理由がわかる。俺の出血箇所を両手で覆っているリザの背後に、鼻血を出した男が立っていた。

「まとめて死ね!」

 鼻血を出す男が剣を振り上げた。この状況ではこれ以上どうしようもない。このまま振り下ろされる剣で斬られて死ぬのか。

「……?」

 そう思ったが、剣が振り下ろされることはなかった。剣を振り上げた男の手首に、岩のようなものが見える。それが男の動きを封じている。

「私の留守中になかなか手酷く暴れてくださいましたね」

 岩だと思ったのは手。それもゴツゴツとした大きな手。そしてその手の持ち主は男の背後に立っていた。剣を振り上げる大人の男よりも一回り大きな巨体。ツルツルに剃髪されたであろう頭に、どう見ても悪役にしか見えない強面の顔。先ほどの言葉と合わせて考えれば、恐れられている神父はこの男で間違いないだろう。

「ひ、ひぃっ! し、神父? ど、どうして、早すぎる!」

「いやぁ、最近賊が活発に暴れていましてね。その中で教会などの民衆のための施設を襲撃して色々と強奪していく動きがあると小耳に挟んだもので、急ぎ帰ってくることにしたのですが……どうやら正解だったようですねぇ」

 メキメキ、そんな音が聞こえた、気がした。手首を捕まれている男は悲鳴を上げ、剣を落とす。なんとか神父の手から逃れようともがいているのだが、神父との体格差はそのまま力の差。どれだけもがいても神父が解放するまで、男が自由の身になることはない。

「リザ、早く治療をして差し上げなさい」

「そ、それなのですが、治癒魔法が効かないんです」

「なんと?」

 神父はまるでゴミ箱に丸めた紙を放り投げるように、男を教会の隅っこに軽々と放り投げる。そして俺の元まで大股の急ぎ足で接近してきた。

「治癒魔法が効かない……何か呪いにでもかかっているのでしょうか? それとも魔法の効力を消し去る魔法にかかっているか、何か特別なことは?」

 神父に問われてリザは少し考え、俺とカノンの特殊性を神父に伝える。

「魔力を持たない方です」

「なるほど、そうでしたか」

 リザの報告を聞いて神父は少し考え込む。そして何度か頷いた後、リザの背中に大きな手を優しく添える。

「いいですか。まずは魔力を流し込みなさい」

「え?」

「魔力を流し込んで、一時的に魔力を宿している状態にするのです。それならば治癒魔法も通じると聞いたことがあります」

「は、はいっ!」

 リザは一度大きく呼吸をして、そして再び何かを呟く。それから数秒、蛇口を閉めたかのように出血は治まっていく。そしてしばらくすると、傷口が完全に塞がってしまった。血だまりはそのままだが、これ以上の出血はない。それどころか、血さえ拭き取ってしまえば傷自体がなかったのではないかと思ってしまいそうなほどだ。

「すっごいね! 魔法すごい!」

 いつの間にか側にまで駆け寄ってきて魔法を見学していたカノン。大量の出血を見てもカノンはいつも通りだった。

「服が血だらけになってしまいましたね。リザ、湯浴みと着替えを」

「は、はい」

「私はその間に彼らを処分しておきます」

 その言葉に背筋が凍る。先ほどのリザの言葉を思い出すと、処分という言葉がとんでもなく残酷なものに聞こえたからだ。

「しょ、処分って、何をする気ですか?」

 おそるおそる、俺は神父に尋ねた。

「神の家での暴挙ですからね。神に心から許しを願えるようになっていただくだけです」

「それは、殺すってこと……ですか?」

 宗教信者はよく死ねば神の元へ行けるという。この男を殺すことで神の元へ送り、そこで直に神に謝罪をさせる。俺は神父の言葉をそう解釈した。

「ん? はっはっはっ、そう簡単に殺したりはしませんよ」

 神父が大笑いで俺の肩を叩いた。その衝撃は過去の全てのケンカで受けたどの打撃よりも重い気がした。

「心から悔いるまで、神のための労働について貰うだけですよ」

 神父はそう言うと五人の男達の元へと向かう。軽い荷物を持つように、大の男を軽々と担いで外へと連れ出していく。

「リザはちょっと怖かった。神父さんも最初は怖かったけど、実はそうでもないみたいだね」

 簡単に殺すと言わないことで、カノンは神父がそこまで怖い人間ではないという判断になったようだ。だが、俺はその意見に賛同できない。

 神父は『心から悔いるまで、神のための労働について貰う』と言った。一見すると刑務所のようなものを想像する。しかしこれは言い換えれば、神に心から悔いていると宗教家達が判断するまで、強制労働をさせ続ける。そういう意味なのではないか。

 生粋の宗教家達の許可が得られるまで、終わりなき強制労働の日々が彼らを待っているのかもしれない。そう思うと、ここで殺された方が彼らは楽だったかもしれない。

「では着替えと、あと湯浴みも準備しますね」

「ああ、ありがとう」

 先ほどとはまるで別人のリザ。スイッチ一つで人格が変わる用にできているのではないか。そう思うほどの変化だった。

「あっ、お風呂? お風呂だったらカノンちゃんも入りたい!」

 そして汗一つかかなかったカノンがなぜ過去の後、一番風呂に入ることになるのだった。

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