第10話
☆三南航星
調味料山盛りの野菜スープを完食した。
いや、正確には野菜スープを何杯もおかわりして、山盛りの調味料を分散してなんとか食べられるギリギリの味にして、死力を尽くして食い尽くした。野菜スープは鍋ごと中身がなくなり、俺はおそらく人生で最も隙だらけなことだろう。
「うぇ、不味いよ。もう食べたくない」
一皿だけしか食べていないカノンが食事の感想を漏らす。その何十倍も不味い野菜スープを何杯も食わされた俺の前で、よくそんな感想を盛らせるものだ。俺は文句の一つでも言ってやりたかったが、あいにく呼吸するのが精一杯だった。
この教会内、この宗教下では、食べ物の無駄は一切許されない。正直何百回とテーブルごとひっくり返したくなった。あの野菜スープは毒と変わりない。その毒をなんとか平らげたことで、ひとまず修道女の助けを得られないということはないだろう。
「あの、大丈夫でしょうか?」
修道女が心配そうに声をかけてくれる。しかし答えることが出来ない。なんとか手を挙げて反応していることだけを伝え、変わらずテーブルに伏せていた。
「大丈夫だ……あと一時間くらい動けそうにないけど……」
胃袋が破裂寸前まで野菜スープを押し込んだ。さすがに可哀想だと思ってくれたのか、最初並べられていたパンは食べていないのにいつの間にか姿を消していた。あれがあったらきっと逆流して全てをぶちまけるのは避けられなかっただろう。
「コウ、口直しにリンゴ食べたい」
「勝手にしろ……俺は動けん……」
テーブルに伏せたまま動けないし、今は動こうという気も起きない。しばらくは世界に存在しないかのように放置していて貰いたい。そんな気分だったが、その空気を読めるほど俺の幼馴染みはお利口さんではない。
「コウ、コウってば!」
ガタガタとテーブルが揺れる。地震に遭っているかのようだ。
「やめろ……吐きそうだ……」
揺れるテーブルが頭も身体も揺らす。ただでさえ不味くなるくらい調味料がかけられた野菜スープ。それを胃袋に溢れんばかり詰め込んでいる。小さな衝撃や振動が命取りになりかねないというのに、このバカはテーブルごと揺すってくる。
「むー、いいもん! 勝手に探しに行くから!」
勝手に凝って勝手にリンゴ捜索に出て行った。こうなったのもお前のせいだと言いたいが言う気力はなく、察して欲しいが察してくれるような奴じゃない。
扉の音がけたたましく鳴り響いた。あいつは限界に近い俺の状況など気にならない。さっさとリンゴを探しに行ってしまったようだ。
「あの、お二人はどういう関係なのでしょうか?」
仲が良さそうに見えなかったのだろう。いや、今回の展開だけを見ていると誰もが抱く疑問かもしれない。
「幼馴染み……腐れ縁……まぁ、そんなところです」
なんとか答えを絞り出す。返答はできたが詳細を語る余力はない。
「そうでしたか。えっと、そうですね。消化に良い薬草を煎じてきますね」
「あー、助かります……余裕ができたらいただきます」
カノンと違い、こちらの状況をよく理解してくれている。きっとこれが普通なのだ。カノンはどう考えても異常だ。俺は前々から思っていたが、今日のことでまた改めてその思いを強くした。
修道女も部屋からいなくなり、テーブルに伏せた俺一人だけになった。
「これで……静かに休めそうだ……」
一人になった俺は、しばらく心も頭の中も無にして休む気でいた。しかしさして間を置くことなく扉が開かれ、誰かがやってきた。その足音や息づかいを俺がよく知っている。姿を見るまでもなく、声を聞くまでもなく、それがカノンだとわかった。
「コウ、リンゴあったよ!」
「早いな……もっとゆっくりでいいぞ」
もう少し一人にしていて欲しかった。俺は顔を上げることなく対応する。
「はい、これあげる」
テーブルに伏せている俺の頭の近くに何かが置かれる。甘い香りがして、それが本当にリンゴだとわかる。
シャリシャリとリンゴを食べる音が聞こえる。会話は特にない。カノンの奴はおそらくリンゴを食べるのに集中している。それなのに、俺へ一個だけでもリンゴを持ってきた。
幼馴染みとはいえ、腐れ縁とはいえ、自分に不利益しかない人間と長く親しい間柄でいることは苦痛でしかない。普段のこいつを思えば、どうして拒絶しないのかと自分自身の感情を疑問に思う。だが、その理由を探すと、こういうところなのだろうと思う。
あいつのせいで迷惑を被ることも多い。今回もそうだ。だが、その後のこいつを見ていると、どうにも憎みきれない。上級生にケンカを売って俺が代理で戦った時も、助かった下級生は安堵の涙を流していた。今回も俺は迷惑を被った。謝罪の言葉もなく、責任の自覚もないのだが、俺のためにリンゴを持ってくる。憎たらしいと思うことは多々あるが、憎みきれず、結局拒むことなく今日まで変わらない関係が続いている。
おそらくだが、これからもこいつとはこんな感じでこの距離感のまま、ずっと一緒にいそうだと思った。
数秒の静寂の間。その後、扉が開いて人が一人部屋に入ってくる。横目でチラッと見た。修道女だ。
「あの、すみません。調理場に置いてあったリンゴのストックですが……」
「あっ! いただいてまーす!」
修道女が絶句する。見ていないがわかった。
「もう、はじめからリンゴ出してくれたらいいのに。ねぇ、コウもそう思うでしょ?」
俺とこいつの距離感はきっと変わらない。少し前、確かにそう思った。でも今は俺がいつかついて行けなくなる未来しか想像できなかった。
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