第9話
★コウ
長々と時間がかかってようやく外出の準備が終わった。俺もカノンも動きやすい服装をチョイスした。いつどこでどのようなトラブルに遭うかわからない。魔力のない世界にモンスターがいるのかどうかはわからないが、遭遇したときは機能性を重視していないと痛い目を見ることになる。この選択は正しいはずだ。
「ゴーゴー!」
さんざん自分が時間をかけて待たせたくせに、家から一歩出ると前を歩いてドンドン進んでいく。そして目に見えたものに興味を持つとそれに飛びつくように接近。これは何なのかと待機する。
だが、俺も正直興味がないわけではない。魔力を用いないでどこまでできるのか、それを知ることができるものが待ちの中には山のようにあるのだ。
「あっ! さっき見た乗り物だ」
「やっぱり普及している乗り物だったか」
大きな通りでは先ほど遭遇した、唸るような音を出す怪物のような乗り物。それが途切れることなく行き交っていた。しかもぶつかったりしない。しっかりと統率が取られているように見える。
「あれは何?」
「んー、おそらく行き交う人や乗り物を制御しているんだろう。色が変わると通る人の向きが変わる」
「おー、すっごいね」
あの大きな乗り物や人の行き来がしっかりと統率されている。ぶつかることなく安全に移動ができている。魔力のない世界ではこれが当たり前なのだろうか。
「あっ! あれは? あれは何かな?」
「あれは……何かを売っているのか? 無人で飲み物を販売しているようだな。しかも暖かいのと冷たいの、両方が飲めるみたいだ」
「おー、なるほど」
魔法の世界では魔法で水を作り出して飲む。もしくは飲み物を買う。無人での販売は無いことはない。しかし強盗などの襲撃から守ることも考えると、複雑な魔法技術が必要になってしまう。そのためあまりお目にかかれない。それが魔法のない世界では少し歩けば無人の販売所が設置してある。多すぎるのではないか、そう思ってしまうほどの数だ。
「ねぇ、買って飲みたい」
「どうやって買うんだ?」
「……魔法?」
「それは無理だろ」
魔力が一切存在しない世界だ。魔法で何かをするという発想が第一にあるため、その考えは排除しておかなければならない。
「対価となる金を使うみたいだな」
自動販売所でちょうど飲み物を買う人がいた。小さな隙間にお金を入れて、光ったボタンを押す。するとガチャンという音とともに飲み物が出てくる。後は飲み物を取って飲むだけだ。
「お金持ってる?」
「いや、そもそも金の形状や色がわからない」
「えーっ、じゃあ買えないの?」
「買えないな」
「そんなぁ……」
ちょうど自動販売所に並んでいる飲み物のラインナップの中に、リンゴを使っているのであろう飲み物も見えた。カノンが物欲しそうな目で見ているが、金のない状態ではどうしようもない。
「家にはあるんだろうけどな」
まずお金がどういう形をしているのかも知らないのだ。探しようがない。手持ちがないので諦めるしかない。そう思っていた時だった。俺達の目の前でとんでもないことが起きた。
「あっ! コウ! あの人」
「ああ、金は使わなかったな」
自動販売所にちょっと触れただけだ。その次の瞬間、飲み物が出てきた。金を投入していないのにもかかわらず、あの人は飲み物を手に入れたことになる。その様子はまるで魔法だったが、魔力の類いは一切感じられない。
もしかしてこの世界にも魔力は満ちているのだが、俺が察知することができない魔力というものがあるのかもしれない。そう考える方がすっきりとするが、それ以上に怖い。
「あれ? 出てこないよー」
カノンが無人販売所に何度も触れる。しかし何かが出てきそうな様子はない。さて、どうしたものかと思っていると、すたすたと歩いてくる一人の女がカノンの後ろに並ぶ。
「ねぇ、何してんの?」
「え?」
声をかけられて振り返ったカノンは女と目が合う。同年代くらいの女だ。
「飲みものが欲しいの」
「お金入れればいいじゃん」
「持ってないのー」
「はぁ? じゃあスマホは? 電子マネーで買えば?」
「でんしまねぇ?」
聞き慣れない単語に自然と首をかしげる。
「カノン、あんたスマホ持ってるのにまだ電子マネーやってないの?」
女は「呆れた」と呟きながらポケットから手のひらサイズの何かを取り出す。そして無人販売所に近づけて「どうせリンゴでしょ」と言い、光ったボタンを押す。その間数秒。カノンの飲みたがっていた飲み物が出てきた。
「おぉー、出てきた」
出てきた飲み物を手にとってカノンはご満悦だ。
「今度、学校でもいいから返してよね」
女はそう言うとカノンの前から歩き去って行く。
「カノン、知り合いか?」
「さぁ、初めて見た」
「でもお前のこと呼んでたぞ」
「そだねー、コウママと同じ感じじゃない?」
カノンはたった今買って貰った飲み物を手に持って「どうやって開けるのかな?」と悩んでいる。入れ物を手の中で転がしたり、ひっくり返したりしている。子供がおもちゃで遊んでいるかのようだ。
「俺達が知らない俺達の生活の歴史がきちんとある、ってことか?」
この世界に来たばかりの俺達は知らないことが多すぎる。しかし親がいて、知り合いがいて、社会が成り立っている。俺達が知らないだけで、そこで俺達がしっかり生活していたかのようだ。
そしてそこで生きていた俺達にとって、この世界にあるものは当たり前のもの。だからその知識がないことで、とんでもなく不安にさせられる。
「わからないことが多すぎて怖くなってきたな」
「そぉ? 新発見が多くて楽しいじゃん」
開け方がわかって飲み物が開いたとき、宝物を見つけたかのような笑みを見せた。そして躊躇うことなく飲んで「おいしー、リンゴ最高!」と喜んでいる。
「あっ、あれは何かな?」
またカノンが何かに興味を持った。走り出そうとしたとき、手に持っている飲み物が邪魔になったのだろう。俺の方に差し出してきた。
「あげる。美味しいよ」
半ば無理矢理飲み物を押しつけられた。手ぶらになったカノンは身軽になったのを喜びながら、興味を持った先へと走っていく。
「節操ないな、あいつは」
手に持った飲み物は非常に軽い。もうほとんど残っていないのだろう。どうやら満足するくらいは飲んだらしい。
このまま捨ててしまうのは勿体ないし、持って歩くのも面倒だ。あいつの行動は予測不可能なことが多い。急いでカノンを追いかけないと、また何があるかわからない。
「ああ、確かにうまいな……え?」
残った飲み物を一気に飲み干す。甘くて美味しい。しかし、入れ物に書かれているとある文字が目にとまった。
「無果汁?」
この飲み物には果汁が一切含まれていないと言うことなのか。それにしては美味しかったし、リンゴの味もしっかりしている。無果汁という表記が信じられなかった。
「……騙されているのか?」
表記が気になる。にわかに信じられない。
「カノン……お前が飲んだ飲み物、果汁が入っていないらしいぞ」
もういなくなってしまったカノンに言ったらどんな反応が返ってくるだろうか。美味しいと言っていた感想に異論はないが、なんとなく騙された気分だった。
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