第6話
☆三南航星
洞窟を背にしばらくまっすぐ進むと道に出た。見慣れた舗装された道ではなく、人や車輪などが何度も通って踏み固められた結果できた道。都会では見ることがないため、少し珍しいものが見られた気分だ。
さらにその道を挟んで反対側。少し歩いたところに建物がある。周囲に他の建物はなく、道の向こうもカーブと木々で建物は見えない。高層建築物が一つも見えないのが不思議だった。
「あーっ! 教会発見!」
「教会? 教会か?」
「教会だよ。行こ行こ!」
見た目は確かに西洋風の建物。しかし十字架はなくステンドグラスも見られない。教会と断定するには材料が少ないように思える。
「どうしてあれが教会なんだ?」
「あんな感じの建物が出てくるゲームを最近やったんだ。教会だったよ」
見た目の材料からの推察などカノンには何の関係もなかったのだ。
「へぇ、それで、そのゲームはどんなゲームなんだ?」
なんとなく興味本位で聞いてみた。
「ファンタジーホラーだよ」
ファンタジーでホラー。現実からかなり遠い。正直、参考にする価値はない。それが率直な思いだった。
「ほらほら、行くよ」
気がつけば教会の前にいたカノン。早く来いと急かしてくる。
「どうして教会に行くだけでそんなにテンションが高いんだよ」
ひとまず教会であるかどうかは置いておき、教会へ向かうだけでそこまで盛り上がるのかが全く理解できない。
「だって教会なんだよ。セーブは必須だし、ゲームオーバーになったときに復活できないと困るでしょ?」
非現実的なゲームの中のシステムを嬉々として話す。これが冗談であればまだ返答や対応のしようもあるのだが、本気で言っているから質が悪い。
「現実にセーブはねぇよ……」
そういったところでカノンには届かない。あいつはもう教会の扉の前に立っている。今にも入っていきそうだ。しかたなく急ぎ足でカノンに追いつく。
「じゃあ入ろう! たのもーっ!」
カノンは教会の木の扉をノックもなく開け放った。
「道場破りかよ」
もう少し大人しくできないのか。そう思った時にはもうずかずかと教会の中へと踏み込んでいた。自然とため息が漏れる。
教会内部は見たところ常識的というか、西洋風の普通の教会だ。長椅子が整然と並べられていて、奥には神様か天使かよくわからないが像が設置してある。外観は簡素。内装は典型的。綺麗に清掃が行き届いていることから間違いなく人の管理が行き届いている。誰かに会えそうな気がして一安心だ。
あと、カノンの言うファンタジーでホラーな恐怖の館ということはなかった。
「はい、なんでしょうか?」
教会の奥の像付近に一人の女性がいた。背がやや高めの女性で純白の修道服を着用している。
修道服は黒か濃紺が基調とされているイメージがあったので、純白の修道服というのに少々驚いた。しかしテレビで白い修道服を見たことが無いわけではない。テレビで得た情報を思い出して、ここの修道服は白なのだと一人で勝手に納得した。
人に会えた安心感から焦りはなくなって冷静さが戻る。修道服の驚きも納得してしまえばたいしたことはない。これでわけのわからない山奥から脱出できる。それだけが俺の頭の中にあった。
しかしカノンはそんなことよりも女性の全体像に目が行っている。
「ねぇ、コウ! おっぱいがでかい!」
「初対面の人を前にしてそんなことを口に出して言うな、バカ」
見ず知らずの他人を装いたい気分だったが、言ってしまったものはしかたがない。なんとかリカバリーをして、救助を頼めるように持って行かないと行けない。
「あれは間違いなくEは最低ラインで……Fはあるかな?」
なんとかリカバリーしなければ、そう思った矢先だ。初対面の修道女を相手に失礼極まりないことを言いながら、カノンはドンドン歩み寄っていく。どう見ても修道女の方が困惑している。
「おい、やめろ。初対面の人に失礼だろ」
足早にカノンに追いついて口を塞ぐ。これ以上の失言は防がなければならないし、初対面とか関係なく距離感を無視して接近するのも止めさせなければならない。
「あ、あの、何かご用でしょうか?」
困惑は残しつつ、修道女は訪問の理由を尋ねてくれる。さすがに教会の修道女だけあって大人な対応ができている。
「実はこの先の廃屋みたいなところで目が覚めました。どうやって来たのかもわからなくて、どうやって帰ればいいのかもわからない状態で困っています。それで誰か人はいないかとさまよい歩いてここに来たんです。助けてもらえますか?」
現状が自分たちでもよく把握できていない。そのため説明はどうしても曖昧で要領を得なくなってしまう。それでもなんとかこちらの現状を伝えることはできたと思う。
その時、カノンの口を押さえている俺の手が無理矢理外される。カノンが本気で両手の力を使って、口から引きはがした。
「あと、お腹すいた! ご飯ちょうだい!」
俺の話を聞いて修道女は何かを考えていた。その考えるのを邪魔するようにカノンが飯の催促を始めた。
「おいっ! 飯は後にしろ」
「腹が減っては戦ができぬーっ!」
「お前はそもそも戦わないだろ」
「だめーっ! カノンちゃん、もうお腹と背中がぺったんこー!」
だだをこねる子供だった。腹が減ったと言うのはわかるが、今は少し我慢して現在地や帰る方法を知ることの方が重要なはずだ。それなのにこのバカは、自分の今の欲求を満たすことがどうしても最優先になる。
「えっと、面白い方ですね」
「ただの残念な奴です」
「残念言うなー!」
修道女がクスクスと笑っている。
「大したものはお出しできませんが、食べ物はご用意できますよ」
「本当? やったーっ!」
ようやく朝食にありつけるとわかると、カノンは思い切り手を突き上げて本気で喜んだ。正直食べ物を恵んでもらえるのはありがたい。俺も腹が減っていないと言えば嘘になる。
「それで、ですね。その前に少しだけお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
修道女がそう言いながら奥へ、そして一冊の分厚い本を手に持って帰ってきた。
「お二方は神を信じますか?」
表紙に書かれている文字は読めない。修道女が本を開いて中のページを見せてくれるが、一文字も読むことができなかった。
「ねぇ、コウ」
「なんだ?」
「コウって英語得意?」
「平均点は下回らないな」
「そっか。じゃあ読める?」
「残念だが、英語じゃない。もちろん日本語でもない」
「え? じゃあ何語?」
「さぁ、さっぱり見当がつかない」
全く見たことのない文字が書かれていた。慣れ親しんだ日本語ではない。そして学校で習った英語でもない。日本語に近い中国語でもなければ、時たまネットやテレビや新聞で目にするアラビア語でもない。とにかく、全く見覚えのない文字が羅列していた。
「あの、もしかしてお二方は文盲の方ですか?」
「もんもー?」
修道女の言葉にカノンが首をかしげる。聞き慣れない言葉だったのだろう。現代日本で生きていればまず目にすることも耳にすることもない単語だ。俺も親が見ていた時代劇のドラマで聞いたことがあるくらいだ。
「文章の読み書きができない人って意味だ」
「かっちーん! カノンちゃん大激怒! ちゃんと漫画もラノベも読めてるし、ネットの書き込みも読んでレスつけてるからね! それに義務教育だって終わったもん」
自信満々のカノンだが、聖跡を知っている俺としてはそこまで褒められない。さらに言えば自信満々に言っている内容がそこまで誇れるようなことではない。
「えっと、今までは問題なく過ごせていたということですか?」
「ああ、その本の文字になじみがないだけだと思う」
「えっと、ではこちらはどうでしょうか?」
修道女はまた奥へ、そして数冊の本を抱えて戻ってきた。
「どれか読めますか?」
修道女が抱えて持ってきた本。その全ての表紙の文字が全く読めない。だが読めないながらもなんとなくわかることがある。それは全て違う言語で書かれているであろう、ということだ。
「どれも読めないよ、ってか、日本語で喋ってるんだから日本語出してよ! 後、早くご飯食べたい!」
ご飯の件はひとまず置いておくとして、日本語で話しているのだから日本語の本を持ってきて欲しいというカノンの意見には賛成だった。
「……にほん、ご?」
修道女が首をかしげる。今、向かい合って話している言葉に馴染みがないとでも言うかのような態度だ。
「お二方は今まで問題なく、待ちかどこかで過ごしていたのですか?」
「うん、そうだよ。ラノベとかも自分で買いに行ったしね」
「ああ、ならきっと効果切れですね」
修道女は両手を胸の前で一度叩いて笑顔を見せる。難問の答えがわかった爽快感が顔に見える。
「効果切れ?」
言語の話をしているのに効果切れとはどういうことなのか。カノンと二人してキョトンとしていると、修道女はまた奥へ行って何かを持って帰ってくる。
「生まれてすぐに処置しますから、最近は処置を受けていることすら知らない若者が増えている、と神父様もおっしゃっていました」
また馴染みのない文字が書かれた本を持ってきた修道女。それを開いて中を見ながら、俺とカノンに向かって手をかざす。そして何かを呟き始める。そう、まるで何かしらの呪文を唱えるように。
「……はい。これで大丈夫でしょう」
修道女はそう言うとパタンと本を閉じ、先ほど持ってきた本を俺達に見せる。
「では改めて、当教会が信奉する神様ですが……」
言語の話はもう解決したかのように、修道女は本を開いて俺達に宗教のことを話してくれる。しかし、俺達には修道女の言っていることを理解仕切ることはできない。なぜなら、その本に書かれている文字は読めないままだからだ。
「ねぇねぇ」
熱心に宗教の話をしているところに何と言えばいいのか考えていたとき、カノンが真顔で修道女に話しかけた。
「さっき何したの?」
「何って、翻訳魔法をかけたのですが?」
魔法、修道女はそう言った。それも当然のように、当たり前のように、真面目な顔ではっきりと言った。
「魔法! やっぱり魔法の世界だ!」
「そんなわけあるかよ。もっと真面目に考えろよ」
修道女の言葉に全く逆の反応を示した。俺は魔法など一切信じず、カノンはやはり魔法の世界に来たと喜ぶ。
「だってほら、魔法って言ったよ。間違いなく言ったもん」
「カルト宗教とかによくあるまじないとか呪文のことだろ。そんなことで文字が読めるようになったら語学もなくなって世界はもっと平和だよ」
俺達のやりとりをわけがわからないといった様子で修道女は見ている。そして意見が真っ向から対立する俺とカノンの言い合いを収めようと、大きな声で口を挟んできた。
「あのっ!」
突然の大声での呼びかけに言い合いが止まる。
「文字が読めるようになっていないのですか?」
「読めないし、読めるようになるわけないだろ」
「え、いや、そんなはずは……私の魔法が失敗したのでしょうか? それとも他に理由があるのでしょうか?」
修道女は本気で悩んでいる。しかし、魔法など現実的に考えてあり得ない。これはもう壮大なドッキリと思った方がしっくりくる。
「あっ、もしかして……」
修道女がまた俺達に向かって手を掲げる。そしてまた何かを呟く。しばらくしてがっくりと肩を落とす。一つ大きな息を吐き、修道女は俺達に説明を始めた。
「すみません。魔力を持たない稀少例の方々でしたか。こちらの早合点でした。すぐにお二方に合った魔法道具をお持ちしますね」
修道女は待たしても奥へ、そして今度は少し時間がかかっているのか、なかなか帰ってこなかった。
「ねぇ、コウ。やっぱりここは魔法の世界なんだよ」
「そんなわけないだろ」
「きっとそうだよ。だってさっきも真剣だったじゃない」
真剣だったかどうかは本人しかわからない。だが真剣身を帯びていたかどうかはわかる。あの修道女は真面目に、そして本気で呪文のようなものを呟いていた。
「じゃあ、もしこの文字が急に読めるようになったら信じる?」
「そりゃ、信じるしかないだろ。現実じゃあり得ないからな」
目に見えている全く読めない文字が、何の勉強をしなくても読めるようになる。それこそ魔法だ。それを我が身で体験したら信じないわけにはいかない。
「お待たせしました」
帰ってきた修道女が持っていたのは小さな木の箱。その箱を開けて中から取り出されたのは小さな金属。それを二つずつ、俺とカノンに差し出してきた。
「耳たぶにおつけください。ピアスのように穴を開けなくても挟むだけで取れにくくなるように設計されています」
穴は開けないで挟むだけ。そう聞いてとりあえず言われたとおりにしてみる。耳たぶを圧迫する違和感はあるが、痛みもないし邪魔にもならない。
「こちらは翻訳魔法を魔力の有無にかかわらず効果が出るように開発されたものです。翻訳魔法は全世界の人に効果がなくては意味がありません。その中で稀少例として魔力を持たない方々が時々発見され、そういった方々は魔法が効きにくいという特性があり、その方々に合わせて作られているのですが、どうでしょうか?」
耳に魔法道具とやらを装着し、修道女が持っている本に再び目を向ける。すると今まで全く読むことができなかった文字を読むことができるようになった。
「うおぉっ! 魔法すごい!」
俺は驚きから声が出なかったが、カノンの喜びの絶叫が教会内に響く。
「コウ! 読める! 読めるよ!」
「あ、あぁ、読める、な」
「やっぱり魔法だよ! 魔法の世界だよ! ひゃっほーい!」
修道女の視線など気にならないのか、カノンは激しく喜びの舞を踊り出す。一方、俺はどういう原理で文字が読めるようになったのかが全く若楽困惑している。本当に魔法というものが存在するのか。そういう世界に来てしまったのか。俺はこの瞬間、魔法というものの存在を肯定せざるを得なくなった。
「あっ、そうだ。これでもう読み書き会話で苦労しなくなるんですか?」
「あ、いえ、完璧に全てを翻訳しきれるわけではありません。造語や新語、または仲間内での省略語などは言っていることはわかっても意味までは理解しきれません」
「なるほど。まぁ辞書に載っているものはおそらく大丈夫ってことか」
仲間内でしか通じない造語や新語や省略語といった、正しい言葉ではないものは翻訳することができない。それは現代科学の翻訳機や翻訳ソフトでも一緒だ。現代科学にできる範囲を考え、そこに当てはめていくと理解はしやすかった。原理がまったくわからないのは気味が悪いが、ひとまず多少は理解できた。
「えー、では、改めてもう一度。まず当教会ですが……」
「あ、ちょっと待って」
問題なく文字が読めるようになった。それを確認した修道女は再び宗教について語り出そうとする。その出鼻をくじくように、カノンは質問があるというように手を挙げる。
「カノンちゃん、もうお腹すいて一歩も動けないから先にご飯食べたい」
「え? ですが今、かなり激しく踊って……」
「おーなーかーすーいーたー!」
「あ、えっと、あの……」
カノンの相手を真面目に、それも初めてするのだ。思い通りに行くどころか、言葉のキャッチボールが正しく行われるかどうかも怪しい。
修道女が困って、こちらに助け船を求める視線を送ってくる。これも昨日までと変わらない。初見でカノンのリズムや考えがわかる奴の方が少数派だ。そしていつもだいたい側にいる俺に助け船を求めてくる。この展開も慣れたものだ。
「こういう奴なんですよ。それに宗教の話をしても途中で寝ると思いますよ」
「えぇっ? あ、はぁ、なるほど」
熱心に宗教について説明してくれようとしている修道女。彼女が努力を始める前に、カノンに対してまっすぐ努力をするのが無駄だとわかってもらえたようだ。
「話は後で俺が聞ける範囲で聞きます。とりあえずこいつがうるさいので、何か食べさせてやってもらえますか?」
「あ、はい。では奥へどうぞ」
修道女に案内され、ひとまず食事の時間となった。正直俺も腹が減っていたので食べ物をもらえるのはありがたい。
「でも、魔法の世界の料理になるのか?」
にわかには信じられない魔法。しかし自分の目で読めない文字が瞬く間に読めるようになった。この事実は否定できない。魔法というものの存在を認めるしかない。
「食べられるのか?」
自分が今まで生きていた世界と異なる世界だと考えると、間違いなく食文化も異なっていることだろう。もしかしたら味覚も違うかもしれない。そう考えると食べ物がもらえるという喜びも半減し、不安が増してくる。
しかしだからといって何も食べないままではいけない。まずは食べられそうなものを食べる。衣食住、その中でも欠かせない食の問題点を解決するのが先決だ。今はまず食べ物をいただく。
これから先のことはその後考えることにした。
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