第5話

★コウ


 腹ごしらえを終えた俺達は一度家の外へ出てみることにした。魔力を感じられないのが屋内だから、ということも考えられる。この家の中や外壁が特殊なだけで、外に出れば魔力に満ち溢れた今まで通りの感覚が待っている。そう考えることもできた。

「コウ! 今日はいい天気だね!」

 しかし、家の外に出ても何も変わらなかった。

 家の外も見たことがないもので満ち溢れていた。家と家の間の頭上を黒い線がいくつも通っている。地面は石畳とはまるで違う黒やグレーの石なのだろうか、堅くて踏み慣れない地面がある。見える範囲に土や砂の地面は見当たらない。

 その光景を呆然と見ていると、なにやら唸るような音を立てて大きな怪物が素早く通過していく。中に人の姿が見えたので乗り物なのだろうか。人力で動いているようには見えず、そのものが動いているのに魔力は一切感じられなかった。モンスター……と、いうことはなさそうだ。

「おぉ、すっごいねぇ!」

 カノンは走り去っていく大きな化け物のような乗り物を見送る。そのまなざしは興味津々。

「ねぇねぇ、見た? 人が乗ってたよ」

「ああ、見たよ」

 見たことは見た。しかし何かを聞かれても返答に困る。魔力を用いない乗り物など見たことがない。いや、そもそもこの世に存在するありとあらゆる物には、どんなに小さな欠片であっても魔力が宿っている。魔力自体を感じることができないなどありえず、魔力を用いずに動く乗り物など聞いたこともない。

「箒で追いかけよう!」

「止めとけ」

「えー、どうして?」

「何かがあってからじゃ遅い」

 それにあの大きな乗り物はもう見えない。魔法で探知できない以上、追いかけるのは無理だ。さらにあれほどの怪物が家の前を通っても誰一人として騒がない。つまり日常的な光景と考えるのが自然だ。なら、あの乗り物は一つだけではないだろう。ならまた巡り会う機会はあるだろうし、ここで固執する必要もない。

「私の箒だったら追いつけるのに」

 少々不機嫌だが、今は手元に箒がないのでカノンは行動には出なかった。手元に箒があれば制止も聞かずに飛んで行っていたことだろう。

 そして俺はこの時、あの乗り物を見た瞬間から信じ始めていた。ここが本当に魔力の存在しない世界なのではないか、と。

 乗り物を見送って、これからどうしようかと考えているときだった。背後で人の話している声が聞こえた。

「お? あれなに?」

「マジで変なカッコじゃん」

「ガチオタ? 引くわ」

 金髪とピアスの男、短髪で手の甲にタトゥーのある男、赤毛で派手なアクセサリーを首に提げている男。見たことのない機能性に乏しそうな格好の三人が、笑いながら俺達に近づいてきた。

「なになに? キモいんすけど?」

「ガチオタキモ! 早くアイキャンフライしねぇかな?」

「マジ! マジそれ! マジそれだわ!」

 俺達を見て何かを言ってきて、なおかつ身内で盛り上がっているようだ。

「ねぇ、コウ。私の頭がおかしいのかな? 何を言ってるのかさっぱりだよ。

コウママの言葉はわかったのに……」

「大丈夫だ。俺も何を言っているのかさっぱりだ。きっと普通に話せないんだろ」

 信じられないことに、俺達は三人の言葉の多くが理解できなかった。

 俺達の世界では生まれてすぐの赤ん坊全員にとある処置を行う。それは存在する全ての言語を完全に翻訳して聞くことができ、完全に翻訳して相手に伝えることができるようになる処置だ。

 度重なる戦争の原因の一つに言語の不一致から来る感覚の相違や勘違いがある。それを子供から大人、民衆から一国の首脳に至るまで、全ての国と地域を統一してしまおうという考えから生まれた。しかしどこかの言語に統一すればまたそれが火種になる。よって見て聞いて話す全ての言語を自分がわかるように、そして相手もわかるように、完全に翻訳できるよう処置を施されている。

 このため仲の良い隣人や結婚した伴侶など、身近な人間が全く別の言語を話していても問題がなくなったのだ。そしてその処置のおかげもあってのことなのか、先ほど顔を合わせた俺の母親らしき人物の言葉はしっかり理解できた。だから何か不具合があって理解できないということはないはずだ。なら、目の前の三人が話している言葉そのものが『普通じゃない』のだろう。

「はぁ? 何こいつ、マジムカつくわ」

「マジそれ。 キモいガチオタとか死ねよ。マジで」

「ガチオタのくせにチョーシこいてんじゃねぇぞ」

 うん、わからん。理解できる単語はあるが、全部を理解することができない。どうやら完全翻訳処置には重大な欠陥があったか、それとも目の前の三人がそもそも異常なのか。元の世界に無事帰ることが出来たら、信者ではないが教会にでも足を運ぶことにしよう。

「おらっ! スカしてんじゃねぇぞ!」

 金髪とピアスの男が歩み寄ってきたかと思うと、いきなり腹部に重い衝撃があった。どうやらわけもわからないまま殴られたらしい。戦闘用の甲冑ではない普通の布地では防御力に欠ける。食らうと思っていなかった腹部への衝撃で、俺は一瞬だけ呼吸が止まる。

「オイコラ! ボコるぞ? ボコられたいのか?」

「俺らのマジギレチョーヤベェぞ。死ぬぞ? マジ死ぬぞ?」

 腹に一撃を受けて、意味のわからない言葉で苛立ちも募っている。俺もそろそろ我慢し続けるのも面倒になってきた。だから俺はどうやらケンカを売られているであろうこの状況を利用して、少し『実験』をしてみることにした。

「いい加減うるせぇよ。もうちょっとまともに話せ。言っていることが半分もわからん。会話の基礎からやり直してこい」

「はぁ? マジチョーシこきやがって! 俺もうガチギレ! ヤバ目だわ。マジのガチギレだわ!」

 金髪の男が拳を大きく振りかぶり、俺の顔面にまっすぐ拳をたたき込んできた。そこそこケンカ慣れはしているようだが、死ぬとか言っている割には人を殺せるレベルの拳じゃない。どうやら虚仮威しかハッタリで威嚇していたようだ。

「ヒュー、マジパン入った!」

「ヤバい、マジ死ぬんじゃね? これ?」

 後ろで二人が相変わらずへらへらと笑っている。俺も顔面に拳をまともに受けて身体が仰け反っている。身体は仰け反ってはいるが、それ以外、特別に何かがあると言うことはない。何かの異常状態や属性攻撃が見られるわけでもなく、追撃が行われる様子もなく、状態異常を引き起こすこともない。

 どうやら魔力のこもっていないただの拳のようだ。なら、俺が負ける可能性は万に一つもありはしない。

「い、痛ぇ! マジ痛ぇ!」

 金髪ピアスが数歩下がる。殴った手を反対の手で押さえながら、腹部で大事そうに抱えている。どうやらかなりの激痛らしい。

「お、おい! どうしたんだよ!」

「わ、わかんねぇ! マジ痛ぇ! 折れた! ゼッテェ折れたぁ!」

 金髪ピアスが泣きそうな顔をしている。さっきまでの威勢のいい表情はもうできないようだ。やはり虚仮威しかハッタリの威嚇だったようだ。

「テメェ、マジで死ね!」

 短髪タトゥーの男がステップを踏んで、勢いよく俺を殴りつけようと拳を振りかぶった。だから俺はそれを止めず、出てくる拳に俺も拳を合わせるように、パンチをお見舞いしてやった。

「あぎゃーっ!」

 俺の拳と短髪タトゥーの拳が真っ正面から激突。俺は特になんともないが、短髪タトゥーは金髪ピアスと同じように拳を抱えて泣きそうになっている。

「まぁ、こんなもんか」

 俺は実験が終わった。だからもう三人に興味はなかった。危害を加える気がないなら逃がそうと思っていたが、赤毛アクセサリーがポケットからナイフを取り出してこちらに向けてくる。

「よくもダチを! 許さねぇ! マジで死ね!」

 ナイフを振りかざして向かってくる赤毛アクセサリー。面倒だったが、もう一つ実験を思いついたので、最後の実験をして終わりにしよう。

 振り上げられたナイフを持つ赤毛アクセサリーの手首。それを難なく掴む。

「お、おぉ?」

 俺が掴んでいるだけで赤毛アクセサリーのナイフを持つ手は微動だにしなくなる。

「なんで動か……ぎゃぁーっ!」

 赤毛アクセサリーは悲鳴とともにナイフを落とした。空いた手で手首を掴む俺の手を手首から引きはがそうともがいているが、全くの無駄な努力だ。

 最初に金髪ピアスの一撃を腹に受けた。その時、おそらく攻撃が来るだろうと予測して魔法で壁を作って防いでいた。魔法障壁は防御魔法の中ではかなりポピュラーで使い勝手がいい。防御のための選択肢として一番に選択する人は多いだろう。しかしその魔法障壁は一切効果を示さなかった。金髪ピアスは魔法障壁などなかったかのように通過して、俺の腹を殴ったのだ。

 想定外のダメージに戸惑いはしたが、魔力がない世界と言うことを念頭に俺はここで実験を始める。金髪ピアスの二発目は魔法障壁ではなく、身体の表面の硬度を高める魔法で身を守ってみた。すると金髪ピアスは殴ったはずなのに、俺にダメージを与えることなく返り討ちに遭った。おそらく金属を素手で何の補助もなく思い切り殴ったくらい痛かったことだろう。

 短髪タトゥーの殴ってくる拳には表面の硬度に身体技能の向上を身体に施した。多少ではあるが目もよくなるし、瞬発的な動きも速くなる。その効果を使って短髪タトゥーの拳に自分の拳をまっすぐに合わせた。当然表面を硬化させているので俺にダメージはない。短髪タトゥーはおそらく金髪ピアスより重傷だろう。

 最後の赤毛アクセサリーには身体能力の向上を施した。実験は成功間違いないので行う必要はそこまでなかったが、使えるなら使っておこうというおまけだ。短期間だが筋力の増強が行われる。これにより赤毛アクセサリーの捕まれた手首はものすごい力でつぶされるような圧力を受けたことだろう。

「はぁ……はぁ……」

 解放された手首を涙目で見ながら、無事な方の手で守るように腹部に抱く赤毛アクセサリー。ダメージを受けてからの行動が全く同じだ。会話も理解不能だが三人の間では通じると考えると、三兄弟なのではないかと思った。しかし顔は三人とも似ても似つかないのでその考えは即座に捨て去った。

「お、お前! マジで許さねぇ! マジでぶっ殺す!」

 さっきからわからない単語が多かった。それでも何回も聞いていると、なんとなく少しだけわかるようになってくる。

「じゃあ続き、するか?」

 俺が一歩、三人に近づく。すると三人は揃いも揃って三歩くらい下がる。もう完全に勝負あり、だ。これ以上はただの弱いものいじめにしかならない。

「お、お前のこと、憶えたからな!」

 三人は俺達に背を向けると、一目散に走り去っていった。脱兎のごとく、風のごとく、誰がどう弁解しても敗北以外の結果にならない。そんな後ろ姿だった。

「おー、コウはやっぱり頼りになるね」

 間近で観戦していたカノンはパチパチと手を叩いている。しかしこれくらいで褒められてもなんとも思わない。あの三人組程度なら、魔法無しでも勝てる。あの程度の戦闘力であんな態度が取れるというのが驚きだった。

 魔力の存在しない世界。俺はひとまず自分がそこにいることを認めることにする。そして魔力のない世界で魔法が使える。これほど有利なことは無いのではないか。そういう結論に至った。

「コウ、魔法使った?」

「ああ、使った。実験してみたんだ」

「実験?」

「ああ、後で話す。それより……着替えた方が良さそうだ」

 さっきの三人は俺達の服装に目をつけて絡んできた。その三人はいないが、他の通行人も俺達の格好を二度三度と見直す。どうやらこの魔力のない世界では俺達の世界の格好はポピュラーではないらしい。

「あっ! じゃあ着たい服があったんだ!」

 カノンはそう言うと家の中に駆け込んでいく。次はこの世界の服を着て外出。周辺を散策してみることにする。

 俺も家に戻り、着替えて出直すことにした。

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