第3話
★コウ
ひとしきり家の中を探索し終えた。家の中にある物を触るカノンにひやひやしながら、隅から隅まで調べ尽くすこいつの性質に付き合っていた。そして家の中のどこにも危険が無いとわかって、リビングの椅子に座って今後のことを考える。
「それで、これからどうするかだ……って、聞いてるか?」
「え? 何?」
リビングに置かれている中が冷たい大きな箱を開けて、中を不思議そうにのぞき込んでいた。こいつは何かに集中すると他のことが耳に入らない。
「だから、これからどうするかだよ」
「それよりコウ。これすごいよ。魔鉱石無しで中が冷たいよ」
全く人の話を聞いていない。わけのわからない状態にいる自分たちの未来のことよりも目の前の不思議が重要。どんな状況にあってもこいつは恐ろしいくらいマイペースだ。
「こっちは触ったら水が出てくる。もう井戸も魔法も使わないで水が飲めるよ」
この家の中は魔法を使わなくても生きていける仕掛けが盛りだくさんだ。確かに普通に考えれば魔法無しで生きていけるのは良いことかもしれない。しかし不安だって当然ある。
魔法は魔力を使用してことを起こす。すなわち結果を求めるための対価として使用者の魔力を差し出している。この家の中にある物は魔力を用いていない。ならば魔力以外の対価を支払う必要があるはずだ。それが何かわからないのに、安心してその環境を受け入れることはできない。
「カノン、あんまり触るな。何があるかわからないんだからな」
「えー、いいじゃない。魔法の無い世界だよ」
「魔法の無い世界なんてあるわけ無いだろ」
実際魔法は使えるが魔力は感じない。カノンの推察もあながちはずれでは無いのかもしれないが、そんなことは現実には起こりえない。世界は魔力に満ちていて、生きる全ての物は魔力を保有している。生まれた瞬間に保有している魔力の量でその後が大きく変わる。もちろん努力の余地はあるが、生まれ持った魔力量を大きく変えることはできない。
それが世界の常識なのだ。帰ることの出来ない常識であり、唯一の真実とも言える。だから魔力のない世界など存在しない。魔力を察知できない未知の何らかの魔法の作用を考えるのが現実的だ。
「それに俺達は帰らなきゃならない。アレを国に報告しなきゃダメなんだ。そうしなきゃ俺達の住んでいたところだけじゃ無い。もっと多くの国や人々の命にかかわる」
カノンの気まぐれに付き合っての遠出。そこで見つけてしまったものは今すぐ世界をどうこうするというものではない。しかし放置しておくわけにはいかない。多くの人々の命にかかわる問題なのだ。
「ちっちっちっ、甘いね、コウ」
「は?」
「そんな世界はもうどこにも無いのだよ。世界は魔力の無い世界へと変貌を遂げたわけ。もしくは魔力の無い世界にやってきてしまった。なら、もうアレにこだわる必要も無いの」
「そういうわけにもいかないだろ」
希望的観測で得意げなカノンに俺は真っ向から反論する。
「世界が魔力の無い世界に変貌したと考えるなら、アレもまた魔力の無い世界で猛威を振るう何かに変貌しているはずだ。俺達だけが世界を移動してしまったのなら、元々いた世界の人達は放置したままになる。それでいいのか?」
「……おぉ、言われてみれば!」
現状のまずさをようやく理解してくれたようだ。しかし、自分たちがいた世界とは異なる世界という仮説に俺は納得していない。
そもそもアレを見つけたのが昨夜だ。そして一晩廃屋で過ごし、翌朝には即座に警備隊へと報告しに行く予定だった。その夜に何かが起こり、目が覚めたらこの有様だ。アレが何かしらに関係しているからこそ、この現状にあると考えるのが妥当だ。
「だからまずは魔力を察知できないこの世界のからくりを暴くことを……」
今後の方針について話していた。すると家の玄関の扉が開いて「ただいまー」という聞き覚えのある声が聞こえた。
「え?」
小走りでリビングにやってきたのはよく知った人だった。生まれた日からその顔を見ない日はなかったと言って良いほどだ。その人がなじみの無い服装で、白い箱を手に持ってリビングへとやってきた。
「あら、コウちゃんにカノンちゃん。起きてたの?」
「あ、コウママだ」
そう、現れたのは、俺の母親だった。
「もう、佐藤さんったら話が長くて困るわ。でもお土産を貰ってきちゃった」
「お土産?」
見慣れない俺の母親の姿が気にならないのか、カノンはお土産という単語に嬉しそうに反応している。
「リンゴのパイよ。佐藤さんの手作りだって。佐藤さんは料理教室でも先生のお墨付きの腕だからきっと美味しいわよ」
「わーいっ!」
テーブルの上に置かれた白い箱にカノンが飛びつく。さっさと箱を開けて、中のリンゴのパイを取り出した。甘い良い香りがリビングに充満する。
「それにしても何? コスプレ? 高校生になったらコミケに行ってもいいとは言ったけど、まだ四月になったばっかりよ? 気が早いんじゃないの?」
「こ、コミケ?」
「うんうん、でも使い古した感じとか、二人ともすごいファンタジー感あるよ」
「ふぁ、ファンタジー?」
「あれ? コウちゃん、どうかしたの? 体調でも悪い?」
「え? いや、そんなことは……」
「あっ! もう行かなきゃ。これから町内会の集まりなのよ。リンゴパイと、後冷蔵庫の中の物。適当に温めて食べてね」
俺の母親らしき人は慌ただしくまた玄関の方へ小走りで向かう。そして「いってきまーす」というかけ声とともに外へと出かけていった。まるで荒らし一瞬で通り過ぎたかのようだ。
「それっ、リンゴパイ! それっ、リンゴパイ!」
俺の母親が見慣れない服装で現れたという現実などなかったかのように、カノンはリビングのテーブルの周りを意味不明な踊りとともに回っている。どうやらこの上ない喜びを表現しているようだ。
「おい、さっきリンゴを三個も食ったばっかだろ」
「カノンちゃんのお腹、リンゴだけは永久に入るよ」
まるでそれが揺るぎない常識であると言いたげなカノンの顔が少々苛立つ。
「いただきまーす!」
「待てっ!」
突然現れた見たことの無い服装の俺の母親。そんな人が置いていった食べ物など怪しくて食べることなどできない。
だがこいつは即座に食べ始めようと手を伸ばしていた。
「あ、そっか。確かこっちにナイフとフォークがあったよね」
「いや、素手で触るなって意味じゃ無いんだが……」
先ほど調べてどこに何があるのかはだいたいわかった。さっき知ったばかりだというのに、もう我が家のごとく戸棚を開けてナイフとフォークと皿を出していた。そしてテーブルの上に食器を並べると、俺の制止も聞かずにさっさと食べ始める。
「くぅー……美味しい!」
さっきリンゴを三個も食べたのに、そんなことはなかったかのようにリンゴパイを食べまくる。瞬く間に半分を胃袋に収めたカノンは不思議そうに俺を見ている。
「あれ? コウ、食べないの?」
そもそも俺は食器も出していない。カノンは気を利かせて出してくれるような奴じゃ無い。食べるなら自分で用意しなければならないが、そもそも食べても大丈夫なのかどうかの確認もなしに食べるなんてあり得ない。
「じゃあ貰うね」
手を出さない俺を見て、いらないという意思表示と受け取ったのか。残り半分に手をつけると、先ほどと変わらないペースで食べる。そして瞬く間に皿の上のリンゴパイはこの世から姿を消した。
「ふぅ、美味しかった。もっと食べたいなぁ」
「お前の腹はどうなってんだよ……」
リンゴ三個にリンゴパイをホールで一個。それを腹に収めた後でもっと食べたいと言っている。異様だ。
「あ、そういえばコウママがレーゾーコとかいう物の中の物は食べて良いって言ってたよね。レーゾーコってたぶんこれだよね」
魔鉱石無しで箱の中が常時冷えている食料保管庫。そこに入っている食料にカノンの狙いが定められる。
「うーん……よくわからないものが多いなぁ。これはきっとジャムだよね」
「よくわからないものは食うなよ」
「はーい」
まるで子供に言い聞かせている気分だ。
「あ、こっちは果物と野菜だね。これは……何かな?」
黄色や緑の果物や野菜を取り出して見ている。その目は獲物を狙う目だ。
「わからないものを丸かじりはするな……よ」
俺が言ったとき、カノンはもうすでに赤い球体にかぶりついていた。ひとまず見たことがある野菜だったので少し安心したが、そんなことで安心してはいけない。
「食うなって!」
「わからないものじゃないよ。トマトだよ。しかもこれ、トマトにしては甘い」
ニコニコ顔でトマトをほおばる。無理矢理羽交い締めにでもしなければこいつは止まらないだろう。
「このミカンも甘くて美味しい。ねぇ、コウ。普段食べるのよりも全部甘いよ」
トマトを食べ、ミカンを食べ、ご満悦のカノン。何を食べても甘くて美味しい。そうなるとこのバカは他の野菜や果物にもチャレンジして甘さを確かめないと気が済まない。
「もう止めとけ。安全かどうかよりも食い過ぎで動けなくなるぞ」
俺の忠告はもう耳に届いていない。いや、最初から聞き流されている。
「はぐわぁっ!」
いくつかの果物や野菜を丸かじりしていたカノンが突如、変な悲鳴を上げた。
「どうした! なにがあった!」
やはり油断させて老いての罠か、そう思いカノンの様子を見る。
「……がい……」
「え?」
「にがい……なにこれ……めちゃくちゃ……にがい……」
カノンの手にあるものは、緑色でこぼこした太くて長いもの。野菜なのか果物なのかは見たことが無いのでわからないが、ひとまず毒や罠の類いではなさそうだ。
「そりゃ、苦い食べ物もあるだろ」
「うえっ……吐きそう……」
泣きそうな顔でキッチンの調理スペースへ。おそらく魔力なしで水が簡単に出るありがたみを感じながら口をゆすいでいる。
「まずっ! 何これ! こんなのを混ぜて一緒に置いておくなんて酷い!」
「勝手に食って勝手に怒るな。しかも丸かじりだ。どう見てもお前が悪い」
自分勝手にマイペースで動くカノン。正直呆れているし、苛立つこともあるし、相手にするのが疲れることもある。しかしその無謀で無策な直感的行動力のおかげで、どうやらここはそれほど危険が無いのではないか、という仮説が立った。カノンのマイペースな朝食は不本意ながら毒味にも罠探しにも繋がったのだ。
そもそもこいつはいつもこうだ。小さい頃から探検や冒険が大好きで、短絡的に楽しそうな方を躊躇無く選択する。モンスターがいると噂される洞窟内で箱を見つけたら即座に手を出す。罠が仕掛けられていて爆発が起こって怪我をしても、次にまた同じシチュエーションで同じものを見つけてもまた突っ込んでいくのだ。
おかげで俺はカノンのためだけに治癒魔法や補助魔法が得意になってしまった。一方でカノンは破壊魔法や移動魔法を好んで使う。面倒くさい魔法はからっきしなのに、自分が好きな魔法は上級者レベルだ。魔法の技能にそっくりそのまま性格や好き嫌いが如実に表れている。ある意味分かりやすく、ある意味理解できない。そういう奴なのだ。
「うぇっ、まだ口の中が苦い……甘いリンゴが欲しいよ」
「さっき三個食ったって言ったけど、残ってないのか?」
「うん、三個しかなかった」
三個置いてあって三個全部食べる。後先考えないのも相変わらずだ。
「カノンが魔法によって作り出された産物じゃないことはほぼ確定、か」
このバカさ加減は誰にも作り出すことはできないだろう。
「あっ、そうだ。ジャムがあったからそれで口直ししよっと」
ジャムの瓶を取り出して中に指を突っ込み、ひとすくい取ってそのまま食べる。躊躇無くそんなことを行うものだから、止める間も注意する間もなくジャムの瓶に二口目の指を突っ込む。
「コウ、これ美味しいよ」
「あー、そうかい。それは良かったな」
指を突っ込むなよ、と思いながらも手遅れ。深いため息が漏れる。
「あっ、これは美味しいかな? あーっ! あっちにパンがあるよ! ジャムとパンなんて最高だよ!」
「お前の腹が本当にどうなってるのか見てみたいよ」
とどまらない食欲。呆れつつ、しかし俺も人間だから腹は減る。カノンが食べて無事だった物を少し食べようか、それとも安全を考えてここは我慢か。少し葛藤してから、俺は大丈夫そうなものを食べることにした。
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