第2話

☆三南航星


 目覚めは良くなかった。

 柔らかいベッドでリラックスしながら寝たはずが、堅い床の上で目覚めた。いつも目覚めの合図になる朝日は差し込まず、薄暗い中で体内時計がかろうじて目覚ましの役割をしてくれた。そのため目覚めは良くなかった。

「ん……」

 いつもの朝日がまぶたを突き刺す感覚がない。堅い床のせいで背中や関節は痛む。ベッドで寝たはずだが、ベッドの上にいない。ベッドから落ちたのか落とされたのか、なぜかベッドの上ではないところで目が覚めた。

 周囲を見渡す。見慣れた本棚やデスクやエアコンが見当たらない。いつもなら日差しが差し込む窓も今日は雨の日のように薄暗い。節目を期に整理整頓清掃を済ませた部屋とは似ても似つかない、がらくたの山がある埃だらけの部屋だった。

「ここは、どこだ?」

 埃だらけの部屋に見覚えなど無い。起きたら全く知らない場所にいたのだ。

「いったい、何がどうなっているんだ?」

 飛び起きて周囲を見渡す。埃だらけの部屋は長らく放置されていた廃屋のような雰囲気が感じられる。部屋の隅には足の壊れたテーブルやひび割れた鏡などが置かれており、どう見ても普通ではない。

「夢の中か? それにしてはリアル過ぎるよな」

 裸足で埃の積もったフローリングを踏む感触と軋む音。どちらも夢の中にしてはリアル過ぎる。まるで現実に起こっているかのようだ。

 部屋の中はいくつかの足跡が残っている。この部屋自体は長らく放置されているが、最近人の出入りがあったようだ。そうなるとここにいる自分と無関係とは思えない。

「誰か、いるのか?」

 夢の中であろうとそうでなかろうと、身を守らなければならない。足の折れたテーブルから棍棒のように武器になりそうな木を手に取る。部屋の中を再度見渡すが、がらくた以外に何も無い。

 足音を立てないように部屋の扉へ、そしてドアノブに手をかけてゆっくり開ける。開いた扉の向こう側、隙間に何か動くものが見えた。その瞬間、俺は条件反射のように木材を振り上げて扉の向こうへと踏み出した。

「あ、コウ。おはよー」

「か、カノンか?」

 振り上げた木材は危険を感じた瞬間振り下ろそうと思っていた。その緊張の糸をいとも簡単に断ち切ったのは、幼馴染みで長い付き合いの丘野華音(おかのかね)だった。本名で呼んでも良いのだが、当人が下の名前の読み方を変えてカノンと呼んで欲しがる。一方で俺の名は三南航星(みなこうせい)。そこは単純に略してコウと呼んでくる。

 ピンク色の寝間着に危機感ゼロの顔。こんな状況でも変わらず普段通り、こいつらしいと言えばこいつらしい。しかし今はそんな顔をしている状況じゃないと、強く言ってやりたい気分にもなる。意味があれば、だ。

「おはよー、じゃねぇよ。何してんだ」

「何って、探索」

「探索?」

「うん。初めて来た建物では引き出しとかタンスとか調べるのが普通でしょ」

 建物に入ると収納可能な場所をとにかく調べたがる。ゲームをしすぎた影響か、元々おかしいのかはわからない。だが、こいつはとにかくそういった場所を初見では調べたがる。初めて友人の家に行った時は、ケンカにならないように穏便に済ませるのが大変だった。

 そのくせ二回目に友人宅に行った時は指一本触れない。友人が警戒する中、もう引き出しとか開けないのかと問うと「だって一回調べたじゃん」と平気で言う。そんなやつだ。

「初めて来たって言うけどな。どう考えても普通じゃねぇだろ」

「うん。ゲームみたいだよね」

「いや、そうじゃなくて、だな……」

「でも引き出しを開けてもアイテムらしきものは何も無かった。銃とか弾とか、魔法アイテムとか回復アイテムとか、何かあっても良いと思わない? 序盤からこれって不親切なゲームだよね?」

「同意を求めるな。それと俺が指摘しているのは全く違う」

 目が覚めたら見知らぬ場所にいた。どう考えても普通じゃない。しかも人気がなさそうな建物だ。それだけで危険度は高い。警戒心も危機感もゼロのままうろうろするのはあまりにも危険過ぎる。

「まずはここがどこか、それが重要だ」

「そうだよね。ファンタジーかホラーか、謎解き系か脱出系か、そこは重要だよ」

「違う。家から遠い場所なのかどうか、だよ」

「ああ、ワールドマップ的な? 確かに自分の位置は確認しておかないとね」

 今自分がいる場所が家から近いのか遠いのか、誰かに連れ去られて連れてこられたのかなど、確認できることはしておかなければならない。それなのにこの幼馴染みはそういった事実確認には一切役立ちそうもない。

「もういい。とりあえず俺もこの建物の探索をする」

「おー、じゃあパーティ編成でコウが前衛ね」

 部屋から出た俺の後ろを丘野華音がニコニコ顔でついて来る。下手に歩き回られるよりかは真後ろをついてこられる方がマシだ。

「それで、お前はどこまで調べたんだ?」

「起きた部屋の正面、それとその隣と起きた部屋の隣。だからあの廊下から先にはまだ行ってないよ」

 突き当たりの廊下に四部屋ある。その一室で目覚めた。他の三部屋を調べたところで目覚めた部屋に帰ってきたようだ。

「お前にしては珍しいな。建物内を片っ端から調べそうなのに」

「いや、私の直感がビンビン告げるわけですよ」

「何をだ?」

「あの廊下から先は間違いなくイベント発生ポイントだよ」

「は?」

「もしバトル系のイベントだったら一人より二人の方が安全でしょ? だからコウを起こしに戻ってきたの。できれば武器とかアイテムがあれば良かったんだけどね」

 部屋の探索となればこいつは目敏い。友人の家でも隠してあるものは全部初回訪問の探索で見つけてしまう。ゲームでも侵入可能な空間は残さず調べまくる。その丘野華音が武器もアイテムも無かったというのだから、本当に他の三部屋には何も無かったのだろう。

「つまり、頼れるのはこいつだけか」

 壊れたテーブルから引きはがした木材が一本。身を守るのにこれ以上の物が無いのは心許ない。

「コウ、頑張れー」

「バトル系のイベントとか言うわりに、当人に戦う気がないんだよな」

 木材一本でどこまでできるかわからない。だがそもそも丘野華音が言うようなモンスターなどが現れるわけが無い。時代は二十一世紀、機械工学やプログラムの全盛期だ。幻想生物など存在するはずが無い。

 最も怖いのはモンスターや幽霊よりも人間。俺達をこんな場所に連れ込んだ犯人がいるはずだ。その犯人の襲撃がどこから来るのか、その襲撃にこの木材だけで対抗できるのか。気にするべき点はそれだけだ。

「行くぞ」

「おーっ!」

 廊下の先の広間へ警戒しながら進む。ゆっくりと足音を立てずに進むが、後ろからついてくる丘野華音の足音が気になる。

「広間には……何もいないね」

「そうだな」

 広間にはテーブルが一つ。そして料理ができそうな場所がある。戸棚や食器棚と思われる収納棚がある。以上のことからここはキッチンだと推測できる。

「何もいないなら探索だね」

 後ろからついてくるのはさっさと止めて、キッチンを探索し始める。手当たり次第に引き出しや戸棚を開けて、収納スペースをのぞき込んでいく。ガチャガチャと騒がしい音が鳴る。

「おい、もう少し静かにしてくれ」

「大丈夫だって。この捜索の音は敵キャラには聞こえないから」

「そんなわけあるか」

 敵キャラなど存在しない。いるのは間違いなく犯人だ。犯人に物音を聞かれると先手を取られてしまう。静かに使えそうな物を見つけ出して、対応策を練るのが一番良い。

「あっ! ねぇ、コウ!」

 大声で俺を呼ぶ。呆れつつも、こいつがこのような反応を見せるときは何かを見つけたときだ。引き出しを開けた丘野華音の元へ、周囲を警戒しつつ歩み寄る。

「何かあったのか?」

「うん。ほら、果物ナイフかな?」

 少々錆びた果物ナイフが引き出しから見つかった。無いよりはマシだが、正直戦力アップとは思えない。

「じゃあそれはお前が持ってろ」

「えー、前衛はコウだよ」

「前とか後ろじゃなくて、素手よりマシだろ」

 いつどんな形で危険が降り注ぐかわからない。素手よりも何か持っていた方がマシだ。例え格闘技や武術などの経験が全くなくても、だ。

「でもナイフってことはますますホラーよりなのかな? ゾンビとか出てきそう? でもファンタジーも最初は木の棒とか棍棒とかだから、そっちの可能性もまだ捨てきれないね」

 俺は最初から現実で何が起こっているのか、しか考えていない。丘野華音とは現状に対する危機感や推察で大いに齟齬がある。しかしそれをただしている余裕は無い。身の安全の確保が最優先だ。

「じゃあ次は二階に……」

「あっ、あの扉はまだ開けてないよ」

 どう見てもトイレっぽい扉を丘野華音がためらいなく開ける。すると開いた扉の隙間から黒い物体が転がり出てきた。

「わっ! わわっ! 何?」

「カノン! 下がれ!」

 丘野華音の前に立って、出てきた黒い物体と向き合う。そいつの大きさはバスケットボールくらい。まっすぐこちらを睨み付けるように見ている。

「ね、ねずみ?」

「みたいだな。相当でかいけど」

 ネズミとは物陰に隠れている小さくてすばしっこいもの、というイメージがあった。しかし目の前に現れたのはバスケットボールほどもある巨大な黒いネズミ。巨大な猛獣とかでは無いのに、向かい合っているだけで恐怖を感じるレベルだ。

 ネズミなら人を見て恐れて走り去ってくれるかもしれない。そう思った瞬間だった。巨大なネズミはバスケ部の高速パスをあざ笑うかのような速さで、俺に向かって突進してきた。

「うおっ!」

 とっさの判断だった。俺は木材でネズミを思い切り打った。野球部がホームランを打つように、木材をバットのように振った。そのとっさの判断は正解で、突進してきたネズミの体当たりを打ち返すことができた。

 突進を打ち返されたネズミは窓ガラスを突き破って外に消えていった。

「や、やったか?」

 木材を構えてネズミが再び現れないか、しばらく警戒する。割れた窓ガラスの向こうには気配らしき物は何も無い。どうやらネズミはもう襲ってこないようだ。

「ナイスバッティング!」

 丘野華音のニコニコ顔に安堵の息が漏れる。

「ネズミ系の敵キャラってファンタジーでもホラーでも毒系統の攻撃を持っていたりするからね。無傷で済んで良かったね」

「あんなでっかいネズミが日本にいるのか? 海外じゃねぇだろうな」

 全く会話がかみ合っていない。それでも一息つける状況になった二人の今思っている本心だ。

「うーん、トイレには何も無いや。だいたい初期の方のトイレってアイテムが置いてあるんだけどなぁ」

 残念そうな丘野華音。しかしすぐに気を取り直して二階への階段を上っていこうとする。

「カノン、待て」

「ん?」

「俺が前を行くから、お前は後ろだ」

 二階にもネズミがいるかもしれない。今よりも大きなサイズがいるかもしれない。丘野華音に前を歩かせるのは得策で無い。毒云々の話は無視するとして、爪や牙で怪我をするとそこから感染や発病なんてこともあり得る。運動能力や身体能力を考えれば、俺が前を歩く方が安全に進める。

「じゃあ前衛よろしくね」

 巨大なネズミの襲撃があった後だというのに、丘野華音はアトラクションを楽しむ子供のようだ。こちらは楽しむ余裕など一切無い。臨戦態勢と警戒態勢を最大限に引き上げ、ゆっくり階段を上っていく。

 後ろから急かされるが、安全性を考慮して完全に無視を貫く。楽しげな丘野華音とは対照的に、次こそは犯人が出てくるのではないかと俺はビクビクしながら二階への階段を一段ずつ確認するように上っていった。

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